『みんなのひろば』。それは、60年以上の歴史を持つ、公共放送の幼児向け教育エンターテインメント番組である。
コンセプトは「初めましてのお手伝い」。
そんな番組で、誠司は密かな恋をした。それは、誠司がおにいさんらしくないことがきっかけだった。
遡ること、4年前。誠司は競技の世界から離れ、体操のおにいさんに就任した。
3歳から始めた体操は、誠司の人生を作ってきた。怪我で選手を引退しても、体操から離れることなど、誠司には考えられなかった。
そんな矢先に、体操のおにいさんという仕事に出会ったのだ。
だが、誠司は歴代の明るく元気な体操のおにいさん像と比べると、異質な存在だった。
スタジオ収録には毎回公募抽選で選ばれた一般の子供達が参加し、『みんなのひろば』の出演者たちと一緒に遊ぶ。
つまり、出演者たちは子供に安心感を与え、保護者からは「あの人なら、我が子を任せても大丈夫」と思われる人であることが重要だ。
そのため、にっこり笑顔が必須なのだが、就任初日の放送回で見せた誠司の笑顔は、ブリキのようにギギギ…と錆びた音がしそうだった。
登場時に披露したアクロバットの格好良さが、台無しになるぐらいぎこちなかった。
誠司は子供の頃から顔つきが柔らかくなく、写真撮影も基本的に無表情を貫いてきたタイプである。
なので、笑顔を作るという行為は、誠司にとっては最高難易度の技だった。
ちなみに、この放送回は視聴者の間で話題になり、「新しい体操のおにいさん大丈夫?」と番組に心配の声が多く寄せられることになる。
さらに、おにいさんとしての誠司の問題は、笑顔だけではなかった。
誠司は身長が180cmある。なので、小さな子供達からすると、誠司の第一印象は「でかい」だ。
スタジオに来た子供たちは、まず誠司を見上げて顔を探す。それはまるで、スカイツリーを初めて見た観光客のよう。
そして、子供たちはゆっくりと後ずさる。そのままどんどん離れていき、他の出演者の後ろに隠れる。
こうして誠司の周りだけ、過疎化が発生するということが、恒例になっていった。
誠司自身も、子供と関わる機会が今までなかったので、過疎化が起きても対処法がわからない。
誠司は内心ものすごく焦っていたが、外から見ると、巨大な無表情の男が、子供に近づこうと右往左往しているだけだった。
その結果、ついに事件が起きる。ある日のスタジオ収録で、誠司は子供を泣かせてしまったのだ。
その子に言わせると、誠司おにいさんが「怖い」らしい。
誠司から威圧を感じたのか、それとも誠司を未知のものに感じたのかはわからない。
ただ一つ確実にわかることは、誠司は子供に安心感を与えられなかったということだ。
それは、『みんなのひろば』のおにいさんとして、失格のレッテルを貼られたようなものである。
悠馬や梓が泣いている子供を慰める光景を見ながら、「なんであの人が選ばれたんだ」とスタッフが小声で話すのを聞きながら、誠司はショックで落ち込んだ。
かつてオリンピック出場を目指していただけあり、誠司の体操の技術はオーディション会場の中でもトップクラスだった。
子供に体操を見せる人として、「この人を選ばないでどうする」と審査員に思わせるぐらいである。
だが、伝統ある『みんなのひろば』の出演者としては、まだまだ未熟であった。
案の定、誠司はスタッフに注意をされる日々を送る。
「もっと笑って」「もっと元気に」「もっとおにいさんらしく」
誠司は競技会とは違う緊張と、自分に与えられた肩書きの重さを改めて実感した。
子供に怖がられ、保護者からの信頼を失えば、この仕事は続けたくても続かない。
『みんなのひろば』の録画を見て学ぼうとすればするほど、「この仕事を辞めた方がいいのでは」と考える日々が続く。
そんな誠司を、悠馬はずっと見守っていた。『みんなのひろば』の先輩として。
ある日、誠司は悠馬に呼び止められる。収録前のスタジオだった。
「誠司くん、ちょっと来て。おんぶできる?」
悠馬の方を見ると、しゃがんでいる悠馬の背中に、二人の子供が一生懸命よじ登ろうとしていた。
悠馬は子供たちの重さでグラグラと体を傾けながら、困った顔で子供たちに話しかける。
「二人一緒には危ないから、どっちか誠司おにいさんにおんぶしてもらおう?」
二人は誠司を見上げるが、すぐに不安そうな顔をして目を逸らした。誠司も「また怖がらせてしまうのでは」と不安だった。
お互いを怖がる子供と大人が、ただ目を泳がせる時間が流れる。
すると、誠司の袖が軽く引かれた。見ると、悠馬が柔らかく笑っていた。
「誠司くん、しゃがんでみて?」
誠司は引かれるまま、ゆっくりとしゃがむ。
誠司の膝が床につく頃、子供達と誠司の目線が、初めて同じ高さになった。二人とも誠司をじっと見ている。
「誠司おにいさんね、力持ちなんだよ。体操してたから、筋肉がいっぱいあるの。ねっ」
悠馬はムキっと腕を曲げるポーズをし、誠司を見た。
誠司も慌てて力瘤を作り、必死で練習した笑顔を披露してみる。相変わらずぎこちない。
だが、二人とも誠司から目を逸らさなかった。これは、誠司にとって初めてのことだった。
誠司が思わず悠馬を見ると、悠馬は微笑み返す。誠司は、もう一歩だけ踏み込んでみることを決意した。
誠司は静かに、子供達に背を向けてみる。そして、両腕を翼のように後ろに伸ばし「……おんぶする?」と慎重に聞いた。
子供が乗りやすいように、誠司はできる限り体を低くして待つ。誠司の顎が、段々と床に近づいていく。
すると、背中に小さな重みを感じた。振り向くと、一人の子供が遠慮がちに、軽くしがみついている。
その子の目には、まだ消えていない不安と、少しの好奇心が込められていた。
まんまるな瞳に見つめられ、誠司は胸が温かくなるのを感じた。
誠司の顔に張り付いていたぎこちなさが消え、ほんのわずかに誠司らしい笑みが浮かぶ。
「……掴まっててね」
誠司は子供を抱え、慎重に立ち上がる。背後では「大丈夫だよ。ゆっくりね」と、悠馬が子供を支えていた。
誠司は子供が怖がらないよう、完全には立ち上がらず、膝と背を曲げ、少し低い位置でおんぶした。
誠司らしさが存分に表れたその体勢は、スマートとは言い難い。それでも、安定感は抜群で、微動だにしなかった。
次第に、おんぶされている子供の足が、ぶらぶらと前後に揺れ始め、スタジオには「たかーい!」とはしゃぐ幼い声が響く。
スタジオにいる出演者、スタッフ、そして子供達が一斉に声の方を見た。みんなキョトンとしている。
悠馬にくっついていたもう一人の子は、楽しそうにおんぶされている子を見ながら、「……ぼくも」と誠司に小さな手を伸ばした。
誠司は子供をゆっくり下ろし、次の子をおんぶする。すると、スタジオ中の子供達が、ぞろぞろと誠司の周りに集まってきた。
子供達は誠司を見上げ、腕を伸ばす。誠司は、子供達の興味・関心の対象になったようだ。
悠馬は「順番にね」と、笑いながら列を整理し始める。
この日、『誠司のおんぶ』は超人気アトラクションとなり、誠司は収録後も子供達をおんぶした。腕は疲れた。だが、嬉しい疲労だった。
そして、保護者と手を繋いで「ばいばい!」と帰る子供達に、誠司は最後まで全力で手を振った。
誠司の笑顔は、元気で明るい体操のおにいさんらしいものではない。だが、それでも大丈夫だった。
子供達を見送った後、誠司は悠馬の背中を追いかけた。
誠司は悠馬に向けて、ピシッと90度に腰を曲げる。体育会系の感謝の仕方だった。
「ありがとうございます。悠馬さんのおかげで仲良くなれました」
深々と下がる誠司の頭を見て、悠馬は小さく笑った。
そして、悠馬はしゃがみ、下からそっと、誠司の顔を覗き込んだ。
「誠司くんがいてくれて助かってるよ。ありがとう」
悠馬は立ち上がり、誠司の肩をポンと優しく叩いて去った。
誠司はガバッと顔を上げる。誠司の心は、温かく高鳴っていた。
この時から、誠司は悠馬を目で追いかけるようになったのだった。
コンセプトは「初めましてのお手伝い」。
そんな番組で、誠司は密かな恋をした。それは、誠司がおにいさんらしくないことがきっかけだった。
遡ること、4年前。誠司は競技の世界から離れ、体操のおにいさんに就任した。
3歳から始めた体操は、誠司の人生を作ってきた。怪我で選手を引退しても、体操から離れることなど、誠司には考えられなかった。
そんな矢先に、体操のおにいさんという仕事に出会ったのだ。
だが、誠司は歴代の明るく元気な体操のおにいさん像と比べると、異質な存在だった。
スタジオ収録には毎回公募抽選で選ばれた一般の子供達が参加し、『みんなのひろば』の出演者たちと一緒に遊ぶ。
つまり、出演者たちは子供に安心感を与え、保護者からは「あの人なら、我が子を任せても大丈夫」と思われる人であることが重要だ。
そのため、にっこり笑顔が必須なのだが、就任初日の放送回で見せた誠司の笑顔は、ブリキのようにギギギ…と錆びた音がしそうだった。
登場時に披露したアクロバットの格好良さが、台無しになるぐらいぎこちなかった。
誠司は子供の頃から顔つきが柔らかくなく、写真撮影も基本的に無表情を貫いてきたタイプである。
なので、笑顔を作るという行為は、誠司にとっては最高難易度の技だった。
ちなみに、この放送回は視聴者の間で話題になり、「新しい体操のおにいさん大丈夫?」と番組に心配の声が多く寄せられることになる。
さらに、おにいさんとしての誠司の問題は、笑顔だけではなかった。
誠司は身長が180cmある。なので、小さな子供達からすると、誠司の第一印象は「でかい」だ。
スタジオに来た子供たちは、まず誠司を見上げて顔を探す。それはまるで、スカイツリーを初めて見た観光客のよう。
そして、子供たちはゆっくりと後ずさる。そのままどんどん離れていき、他の出演者の後ろに隠れる。
こうして誠司の周りだけ、過疎化が発生するということが、恒例になっていった。
誠司自身も、子供と関わる機会が今までなかったので、過疎化が起きても対処法がわからない。
誠司は内心ものすごく焦っていたが、外から見ると、巨大な無表情の男が、子供に近づこうと右往左往しているだけだった。
その結果、ついに事件が起きる。ある日のスタジオ収録で、誠司は子供を泣かせてしまったのだ。
その子に言わせると、誠司おにいさんが「怖い」らしい。
誠司から威圧を感じたのか、それとも誠司を未知のものに感じたのかはわからない。
ただ一つ確実にわかることは、誠司は子供に安心感を与えられなかったということだ。
それは、『みんなのひろば』のおにいさんとして、失格のレッテルを貼られたようなものである。
悠馬や梓が泣いている子供を慰める光景を見ながら、「なんであの人が選ばれたんだ」とスタッフが小声で話すのを聞きながら、誠司はショックで落ち込んだ。
かつてオリンピック出場を目指していただけあり、誠司の体操の技術はオーディション会場の中でもトップクラスだった。
子供に体操を見せる人として、「この人を選ばないでどうする」と審査員に思わせるぐらいである。
だが、伝統ある『みんなのひろば』の出演者としては、まだまだ未熟であった。
案の定、誠司はスタッフに注意をされる日々を送る。
「もっと笑って」「もっと元気に」「もっとおにいさんらしく」
誠司は競技会とは違う緊張と、自分に与えられた肩書きの重さを改めて実感した。
子供に怖がられ、保護者からの信頼を失えば、この仕事は続けたくても続かない。
『みんなのひろば』の録画を見て学ぼうとすればするほど、「この仕事を辞めた方がいいのでは」と考える日々が続く。
そんな誠司を、悠馬はずっと見守っていた。『みんなのひろば』の先輩として。
ある日、誠司は悠馬に呼び止められる。収録前のスタジオだった。
「誠司くん、ちょっと来て。おんぶできる?」
悠馬の方を見ると、しゃがんでいる悠馬の背中に、二人の子供が一生懸命よじ登ろうとしていた。
悠馬は子供たちの重さでグラグラと体を傾けながら、困った顔で子供たちに話しかける。
「二人一緒には危ないから、どっちか誠司おにいさんにおんぶしてもらおう?」
二人は誠司を見上げるが、すぐに不安そうな顔をして目を逸らした。誠司も「また怖がらせてしまうのでは」と不安だった。
お互いを怖がる子供と大人が、ただ目を泳がせる時間が流れる。
すると、誠司の袖が軽く引かれた。見ると、悠馬が柔らかく笑っていた。
「誠司くん、しゃがんでみて?」
誠司は引かれるまま、ゆっくりとしゃがむ。
誠司の膝が床につく頃、子供達と誠司の目線が、初めて同じ高さになった。二人とも誠司をじっと見ている。
「誠司おにいさんね、力持ちなんだよ。体操してたから、筋肉がいっぱいあるの。ねっ」
悠馬はムキっと腕を曲げるポーズをし、誠司を見た。
誠司も慌てて力瘤を作り、必死で練習した笑顔を披露してみる。相変わらずぎこちない。
だが、二人とも誠司から目を逸らさなかった。これは、誠司にとって初めてのことだった。
誠司が思わず悠馬を見ると、悠馬は微笑み返す。誠司は、もう一歩だけ踏み込んでみることを決意した。
誠司は静かに、子供達に背を向けてみる。そして、両腕を翼のように後ろに伸ばし「……おんぶする?」と慎重に聞いた。
子供が乗りやすいように、誠司はできる限り体を低くして待つ。誠司の顎が、段々と床に近づいていく。
すると、背中に小さな重みを感じた。振り向くと、一人の子供が遠慮がちに、軽くしがみついている。
その子の目には、まだ消えていない不安と、少しの好奇心が込められていた。
まんまるな瞳に見つめられ、誠司は胸が温かくなるのを感じた。
誠司の顔に張り付いていたぎこちなさが消え、ほんのわずかに誠司らしい笑みが浮かぶ。
「……掴まっててね」
誠司は子供を抱え、慎重に立ち上がる。背後では「大丈夫だよ。ゆっくりね」と、悠馬が子供を支えていた。
誠司は子供が怖がらないよう、完全には立ち上がらず、膝と背を曲げ、少し低い位置でおんぶした。
誠司らしさが存分に表れたその体勢は、スマートとは言い難い。それでも、安定感は抜群で、微動だにしなかった。
次第に、おんぶされている子供の足が、ぶらぶらと前後に揺れ始め、スタジオには「たかーい!」とはしゃぐ幼い声が響く。
スタジオにいる出演者、スタッフ、そして子供達が一斉に声の方を見た。みんなキョトンとしている。
悠馬にくっついていたもう一人の子は、楽しそうにおんぶされている子を見ながら、「……ぼくも」と誠司に小さな手を伸ばした。
誠司は子供をゆっくり下ろし、次の子をおんぶする。すると、スタジオ中の子供達が、ぞろぞろと誠司の周りに集まってきた。
子供達は誠司を見上げ、腕を伸ばす。誠司は、子供達の興味・関心の対象になったようだ。
悠馬は「順番にね」と、笑いながら列を整理し始める。
この日、『誠司のおんぶ』は超人気アトラクションとなり、誠司は収録後も子供達をおんぶした。腕は疲れた。だが、嬉しい疲労だった。
そして、保護者と手を繋いで「ばいばい!」と帰る子供達に、誠司は最後まで全力で手を振った。
誠司の笑顔は、元気で明るい体操のおにいさんらしいものではない。だが、それでも大丈夫だった。
子供達を見送った後、誠司は悠馬の背中を追いかけた。
誠司は悠馬に向けて、ピシッと90度に腰を曲げる。体育会系の感謝の仕方だった。
「ありがとうございます。悠馬さんのおかげで仲良くなれました」
深々と下がる誠司の頭を見て、悠馬は小さく笑った。
そして、悠馬はしゃがみ、下からそっと、誠司の顔を覗き込んだ。
「誠司くんがいてくれて助かってるよ。ありがとう」
悠馬は立ち上がり、誠司の肩をポンと優しく叩いて去った。
誠司はガバッと顔を上げる。誠司の心は、温かく高鳴っていた。
この時から、誠司は悠馬を目で追いかけるようになったのだった。
