家も店も奪われた私、合理主義の若手社長に拾われて住み込み家政婦になったら、なぜか婚約者まで頼まれました

 ビルが立ち並ぶ大通りの夜景を、桜は車内から眺める。
 窓に反射する自分の姿がふと目に入る。
 パーティー用に照が用意してくれたライトブルーのフレアドレス。
 その胸元にはパールのネックレス、耳にはネックレスとセットのイヤリングが光っている。
 
 こんな高そうなドレスにアクセサリー、つけているだけで緊張しちゃう。
 1週間、名前の呼び方とタメ口を練習したけど、まだ慣れない。上手く演じられるかな……。
 
 隣で運転している照の横顔にちらっと目を向ける。
 普段とは違うオールバックの髪型が、余計に端正な顔立ちを強調させている。
 
 いつも以上にイケメンなんだけど。
 私、釣り合ってるように見えるかな……。
  
 桜の不安をよそに、照は滑らかなハンドルさばきで車をホテルの駐車場へ進めた。

 もう着いちゃった⁉
 緊張で心臓が飛び出そう。

 両手を膝の上で握り締め、ふうっと長く息を吐き出す。
  
「緊張しているのか?」

車を停めた照に問いかけられ、桜は小さく頷いた。

「本当に婚約者なのかって疑われたらどうしようって不安になって……」
「手、出して」
「手?」
 
首を傾げて、握りしめていた手を開く。
 照がポケットに入れた手を出すと、指に折り紙で作ったぱっくんちょがはめられていた。
 
「それ……!」

驚く桜の指先を、照はぱっくんちょで優しく挟む。その口元がわずかに緩んだ。

「あの日、迷子に作ってただろ」
「あ、うん。覚えてたんだ……」

桜の手からぱっくんちょを離して、くちばし部分を開いて見せた。
 そこには、達筆な文字で“いつもどおりでいい”と書かれている。

「作ってくれたんですか……あっ、じゃなくて、作ってくれたの?」
「少しは気が紛れるかと思ってな」

ぱっくんちょから指を離して桜の掌の上に乗せた。

 ……私のために折ってくれたんだ。
 
 照が1人で黙々と折っている姿を想像して、思わず笑いがこみ上げる。

「ふふっ。ありがとう」
「……ああ」
 
桜の笑顔を見つめる照の瞳が揺れ、そっと手が伸びてくる。

「お守りにします」

桜は大切そうにぱっくんちょを包み込む。
 照は我に返ってさっと手を引っ込め、誤魔化すように頬を掻いた。

「大したものではないが」
「いいえ。おかげで緊張がほぐれました」
「解れすぎたか? 敬語になってる」
「あっ……」

口を閉じてぱっくんちょに目を落とす。
 
「名前を呼ぶ練習、しておくか」
「え? 今?」
「呼んでみて」

あんなに練習したのに、心臓がバクバク騒ぎ出す。
 掌の中のぱっくんちょを胸に当て、心臓を落ち着かせる。
 照を見上げ、ゆっくり口を開いた。

「て、照」
「呼べたな。本番も頼むよ、桜」
「……うん」
 
照の低い声が耳の奥に届く。
 少し前まで名前で呼ばれると胸の奥がキュッと締め付けられる感覚がしたが、なぜか今は安心する。
 
「行くぞ」

車を降りると、先に外に出ていた照が肘を差し出した。
 
 そうだった。エスコート……。
 これも練習したけど、まだ恥ずかしい。
 でも、婚約者に見えるように頑張らないと。
 
 桜はそっと照の肘に手を添えて、前を向いて歩き出した。


「うわあ。すごい」
 
豪華な装飾が施された会場では、大勢の人々が丸テーブルを囲んで談笑している。
 見慣れない華やかな世界に、圧倒されてしまう。
 照は慣れた様子で、桜の歩調に合わせて会場を歩く。
 会場の一角には、カメラを構えた記者たちの姿もある。星菱グループの慈善活動を取材しているらしい。
 記者たちが照と桜を目で追う。
 照は桜に耳打ちをした。
 
「知り合いの記者も何人かいる。後で事業の取材をされるかもしれない」
「よく取材は受けるんですか?」
「ああ。これも社長の仕事だからな」

照は淡々とした口調で、前方にある舞台に歩を進める。
 舞台の上部には“星菱グループ慈善パーティー”の垂れ幕がかかっている。
 その下では、星菱社長家族が他の客たちと歓談している。

「まずは主催者に挨拶だ」

照に囁かれ、桜は緊張の面持ちで頷いた。
 
「星菱社長。お招待いただき、ありがとうございます」
「呉林君、来てくれたか。婚約者さんも出席してくれてありがとう」

星菱社長はにこやかな笑顔で照と桜と握手を交わす。
 
「桜さん、でしたよね? 堅苦しい場ではないので、楽しんでくださいね」

星菱社長の隣に立つ美恵子が愛想のよい笑顔を向けてくる。

「ありがとうございます。楽しませていただきます」

精一杯の笑顔を浮かべて、桜は頭を下げた。
 星菱社長と美恵子の背後から顔を覗かせている杏奈は、照に見惚れて頬を染めている。
 桜のことは目に入っていないようだ。

 杏奈さん、照のこと本気で好きなのかな……。

 どうしてか胸の奥が小さくざわつく。
 ぱっくんちょが入っているバッグを握る手に力が入る。
 
「そうだ、呉林君。パーティーが始まる前に、少しだけ仕事の話をしてもいいかい?」
「ええ、もちろんです。桜、ちょっとだけ待っててくれ」
「……うん」

照の背中が遠ざかり、心細さが胸の内に広がる。

「お化粧室に行ってくるわ。杏奈は桜さんとお話していてね」
「ええ」

会場を出て行く美恵子を見送った杏奈は、笑顔で桜と向き合い、問いかけてきた。
 
「丸三というお名前、初めて聞いたわ。ご実家はどちらの会社を経営なさっているの?」
「いえ、実家は会社ではなく、商店街の文具店なんです」
「えっ? 商店街?」
「祖父の代から続いている家族経営のお店なんです」
「そう……。では、呉林さんとはどうやってお知り合いに?」
「えっと……」

本当のことは言えない。でも、嘘も思いつかない。
 ……そうだ。
 信憑性のある嘘には、ある程度本当のことを混ぜたらいいって聞いたことがある。
 怪しまれない程度に話してみよう。

「出会ったきっかけは、偶然だったんです」
「偶然?」
「はい。迷子の女の子を見つけた彼が、困ってるように見えたので声をかけたんです。それがきっかけで顔見知りになったんですけど」
「そこから何で婚約者にまでなったの?」
「その後、私が困ってる時に助けてくれて、優しい人だなって思ったんです。それで、す、好きになって、お付き合いして、婚約っていう流れに……」

自分で言っておきながら、好きという言葉が気恥ずかしく、顔を赤らめてもごもごと話した。
 
「信じられない。そんな簡単にお付き合いして、婚約者にまでなれるなんて……」

呆然と桜を見つめる杏奈の瞳が翳る。俯き、ドレスの裾をぎゅっと掴む。
 
「私だって、ずっと前から呉林さんのこと好きだったのに」
「え? この間、初めましてって言ってましたよね?」

顔を上げた杏奈はきつく桜を睨む。

「会うのは初めてだったけど、経済ニュースの記事で拝見して一目ぼれしたの。呉林さんの会社まで行って、何度も声をかけようとしたけど、勇気がでなかった。だから、お父さんに頼んで会わせてもらったの。なのに、あなたがいるなんて……」

思ったよりも本気だった。
 けど、今は私が婚約者。
 ちゃんと婚約者の仕事しなきゃ。

 口を開こうとしたが、杏奈に遮られた。

「呉林さんほどの方なら、結婚相手にも相応の立場や教養が必要だと思うの。私なら、お父様の仕事を通じて、呉林さんのお役に立てるわ」
「……はい?」
「呉林さんの婚約者なら、これからこういう場に出る機会も多いでしょう? 会食やパーティーに慣れているようには見えないけれど、大丈夫なのかしら?」

杏奈は反論の余地を与えず、一歩踏み出して指を差してきた。
 
「どうしてあなたみたいな人が、呉林さんの婚約者なのか理解できないわ」

杏奈の言葉がぐさぐさと突き刺さる。
 婚約者を演じないといけないのに、初っ端から疑われている。
 なんとかしないと……。

 桜は後退りしそうになる足を踏ん張り、背筋を伸ばして杏奈の瞳をまっすぐ見据えた。

「正直、私にも分かりません。でも、彼は……照は、私を認めて受け入れてくれたんです」
「なっ……!」
「確かに私は至らない点も多いですが、私を選んでくれた照のためにも、婚約者として堂々としていたいんです」
「何よ、それ」

杏奈の眉間に皺が寄る。

「杏奈さん」
「く、呉林さん!」

桜の背後から照が現れ、杏奈は目を見開いて口元に手を当てた。
 振り返った桜は、ほっと胸を撫で下ろし、照の隣に並んだ。

「桜の相手をしてくれてありがとうございました」
「いえ……」
「桜はこのような場は不慣れですが、教えて頂けると助かります」
「聞いていらしたんですか⁉」
「なんのことでしょう? 今しがた社長との話が終わったばかりなのですが」
「何でも、ありません」
「そうですか。では、杏奈さんもパーティーを楽しんでください。桜、行こう」

杏奈に一礼した照が、桜に手を差し出す。

「ええ」

照の手を取り、杏奈に背を向けた。
 壁際のテーブルに向かいながら、照は桜の耳元に口を寄せた。

「さっきの、婚約者らしくていい受け答えだった」
「やっぱり、聞いていたの?」
「聞こえただけだ。その調子で頼む」

どこか満足げな表情だ。
 上手くできたみたいで良かった。
 バッグの持ち手をぎゅっと握り、微笑む。

「ぱっくんちょのおかげかも」
「ならよかった。作った甲斐がある。……桜は俺が選んだ婚約者だ。誰にどう思われようと、気にする必要はない」

照が柔らかく、温かい笑みを浮かべる。
 初めて見るその表情に、心臓が一瞬跳ね上がる。
 
 こんなふうに笑えるんだ。
 ぱっくんちょもこの笑顔も、いつもの照じゃないみたい。
 だけど、どこか懐かしくて、心の奥が温かくなる。
 何だろう、この気持ち……。

 だが、深く考える余裕はなかった。
 
「呉林社長、少しお話よろしいですか?」
「はい」
 
近くにいた記者の1人が照に声をかけると、それをきっかけに周囲の人々が集まり始めた。
 
「地方進出に伴う新事業の進捗はいかがですか?」
「おかげさまで順調です。近いうちに正式な発表ができると思います」
「星菱グループとの提携も継続されるのでしょうか?」
「ええ。今後も良好な関係を築いていきたいと考えています」

次々と質問に答える照は、堂々としていて頼もしい。

 取材慣れしてる。これが社長としての顔なんだ。

そんなことを考えていると、記者が桜に目を向けた。

「ところで呉林社長、そちらの女性は? 婚約されたという噂は本当ですか?」
「はい、そうです」
 
どよめきが走る。カメラのシャッター音がいくつも重なった。
 
 眩しい。何この反応。まるで芸能人のゴシップみたいな扱い……。
 
 目を白黒させている桜の前に、ボイスレコーダーが突きつけられる。

「お名前を伺っても?」
「えっと、丸三桜と申します」
「丸三さん、呉林社長との馴れ初めをお聞かせください」
「えっ、馴れ初め、ですか?」

困った顔で照を見上げると、自然に肩を抱き寄せられ、心臓が大きく何度も跳ねた。

「私の一目ぼれです」
「……っ⁉」
 
息が詰まって声が出ない。
 今、何て?
 一目ぼれ?
 これ、演技だよね?

「もう少し詳しく聞かせてください!」

記者が興奮気味に近づいてくる。
 周囲の人々も興味津々の顔だ。
 シャッターが何度も切られ、フラッシュのせいで目が眩む。

「申し訳ありませんが、これ以上は。桜は恥ずかしがり屋なもので」
「では、結婚のご予定はもう立てておられますか?」

食い下がる記者を牽制するように、照は鋭利な眼差しを向けた。

「プライベートなことはもういいでしょう。事業の話ならできる限り答えますよ」
「あ、はい……」

記者は身を縮こまらせ、すごすごと引っ込んだ。
 
 あんなに食い下がっていた記者が、あっさり引き下がっちゃった。
 ……にしても、照は何でこんなに婚約者の演技が上手いの?
 私ももっと頑張らないと。
 
「……すまない」

照が小声で謝り、肩から手を離す。だが、桜はその手を掴んだ。照の眉がぴくりと動く。

「大丈夫。嫌じゃないから。それに、仲良く見せないと」

笑顔を取り繕う桜は、照の手を自分の肩に置き直した。

「……そうだな」

照は桜の肩を抱き寄せ、口元を緩めた。
 それからは取り囲んでいる人々から次々に挨拶と質問をされ、桜は笑顔でいることを意識しながら、なんとかその場を乗り切った。
 人の輪から解放され、照は飲み物を取ってくると言ってそばを離れた。
 バッグからぱっくんちょを取り出し、指にはめる。
 くちばしを開くと、“いつもどおりでいい”の文字が見える。

 緊張したけど、このおかげで頑張れた。
 ……おじいちゃん以外から、ぱっくんちょもらうの初めて。
 懐かしいな。あの時は、お父さんが亡くなって悲しかったけど、おじいちゃんがぱっくんちょ作ってくれて励ましてくれたんだよね。
 私も誰かを元気にしたい。そう思って、隣の席の子に作ってあげたような……。
 
 どんな子だったか思い出そうとしても、なぜか顔が思い浮かばない。
 考え込んでいると、背中にちくりと刺さるような視線を感じ、振り返った。
 少し離れた場所に杏奈が立っている。
 目が合っても逸らそうとせず、唇を結んで睨んでいる。

 杏奈さん、怒ってる?
 さっきの言い方、まずかったかな?

 杏奈の隣では、星菱社長が考え込むように杏奈の横顔をじっと見つめている。
 何を考えているのか分からないが、その表情は固い。
 やがて桜の視線に気付いた星菱社長は、何事もなかったようににこりと微笑んだ。
 ぞわりと背筋が寒くなる。
 
 優しそうな笑顔なのに、どうしてこんなに怖いんだろう。
 ……気のせい?