家も店も奪われた私、合理主義の若手社長に拾われて住み込み家政婦になったら、なぜか婚約者まで頼まれました

 日が沈むにつれて分厚い黒雲が空を覆い、星も月も見えない夜空が広がった。
 前掛けを丁寧に畳んで祖父の写真の隣に置き、手を合わせる。

「おじいちゃん、今日も無事に終わったよ」

店の施錠をしてから母屋に行くと、リビングのドア越しに母と柚仁、昭広の明るい笑い声が聞こえてきた。

「ただいま」
「お姉ちゃん、やっと来た。ご飯先に食べちゃったよ」

柚仁が唇を突き出す。

「……在庫確認とか色々あって」

桜は冷蔵庫を開ける。
 3人分の夕飯を作り置きしていたが、桜の分は残っていなかった。

「あれ、私の分は?」

柚仁は茶碗を片付けながら、悪びれもせず答えた。

「昭広くんに出したよ。お店のこと協力してもらってるんだからいいでしょ。冷凍食品とかあるから、それ食べたら? ついでに、みんなのお茶いれて。よろしく」
「よろしくって……」
 
言い返す間もなく柚仁は行ってしまう。深い溜息をついて、仕方なく4人分のお茶をいれる。
 リビングに運ぶと、柚仁が桜の手からお盆を取り、机の上にお茶を並べた。

「ありがとうね、柚仁」
「ううん。お母さんも昭広くんも疲れてるでしょ。仕事終わりぐらいはゆっくりしないと」

お茶いれたの私なのに。
 夕飯も私が作り置きしたものなのに。
 
 桜はもやもやする気持ちに蓋をして、母の隣に座った。

「柚仁は優しいわね。それに、昭広さんも自分のお仕事もあるのに、うちの店を手伝ってもらって。本当に感謝してるわ」

穏やかな顔でお茶をすする母の横顔を、桜は唖然と見つめる。
 
 お母さんには昔から、柚仁しか見えていない。
 お父さんが亡くなってから、家のことも柚仁のお世話も私が全部やってきたのに。
 
「桜さん、仕事終わりで申し訳ないですが、今お話よろしいですか?」

昭広が物腰柔らかい笑みを浮かべて問いかける。
 だが、目の奥は笑っていない。
  
「丸三文具店の今後のことなのですが」
「……経営についてですか?」

桜の顔が強張る。
 対照的に、昭広の笑みが深くなる。
 
「桜さんが店を立て直したことは分かっています。赤字だった店をここまで戻した。それは簡単なことじゃありません」
「きっとおじいちゃんも喜んでるわ。桜がいなかったら、50周年は迎えられなかったかもね」

母がしみじみと頷く。
 
「お母さん……」

お母さん、褒めてくれてる? ……珍しい。
 でも、頑張りが認められたみたいで嬉しい。

 胸の奥がじんわりと温かくなり、表情が緩む。

「でもさ」

柚仁が顔をしかめる。
 
「今のままじゃ、お母さんを楽にしてあげられないよ」
「それは……」
 
柚仁の厳しい一言に、胸の奥が急速に冷えていく。
 
「桜さん。厳しいことを言うようですが、現状は潰れていないだけなんです」
「……っ!」

桜は息を呑む。反論したいのに、言葉が出てこない。
 昭広は自分のノートパソコンと店の帳簿を開いて、桜に見せた。

「黒字になったと言っても、桜さん自身の人件費をまともに計上していませんよね」
「今まではそうでした。でも、SNSの宣伝効果も出てきたし、ネット販売も始めて売り上げを伸ばしていく予定です。そうしたら私の給与だって……」

昭広は桜の言葉を遮るように大きな溜息をつく。
 
「それで桜さんの人件費を賄えたとしましょう。ですが、柚仁の給料は上げられますか? 外で働いているお義母さんを楽させてあげられますか?」
「正確な数字はまだ見えませんが、売り上げは確実に伸びています」

桜はざわつく胸を押さえながら、冷静さを保って反論した。
 
「赤字の時から考えれば、の話ですよね。まだまだ経営は軌道に乗っているとは言い難いです。新しい客層、新しい経営方針を打ち出す時ではないですか?」
「新しいって、どういうことですか」
「時代に合っていない古い商品も目につきます。売り上げはかなり低い。売れない商品を整理し、売れ筋商品の仕入れを増やして、在庫回転率と利益率を改善すべきです。さらに、SNSを活用して若い客層を取り込めば、新規顧客の獲得も期待できます」

柚仁と母は感心して昭広の戦略に耳を傾けている。
 だが、桜は首を横に振る。
 
「商品の削減は困ります。売り上げは少なくても、それを買いに来られるお客様がいらっしゃるんです。それに、古い文房具が好きだっていう学生さんたちも来てくれています」
「それって少数でしょ。新しくてかわいくて、実用的な物の方が売り上げ伸びるんだから、あんまり売れない物はなくした方がいいって」
「だけど、古い文具を目当てに来店したお客様が、他の商品も買ってくださるの。昔ながらの品揃えがうちの店の特色になって、常連さんも増えてる。おじいちゃんが大切にしてきたお客様との縁も、守っていきたいの」
 
昭広が呆れたように肩をすくめる。
 
「桜さんがおじい様のやり方を尊重されていることは分かります。ですが、今のやり方ではすぐに売り上げを伸ばせません。時間がかかりすぎてしまいます。店の設備が壊れたら? 仕入れ価格が上がったら? 耐えられますか?」
「……」
 
矢継ぎ早に聞かれ、桜は口を閉じる。

「答えられないってことは、無理ってことだよね? だからさ、お姉ちゃん」

柚仁が桜の方にぐっと体を乗り出す。

「これからは、お店のことを私と昭広さんに任せてほしいの」
「……は?」

今、何て……?

「柚仁には今まで通り接客を主に担当してもらって、経営は僕が行うつもりです」
「どういう意味ですか? 今まで店の経営を任されてきたのは私です。柚仁の婚約者とはいえ、勝手なこと言わないでください!」
 
体の奥から怒りが込み上げる。握った拳が震える。
 
「桜、失礼よ。昭広さんは、経営コンサルタントでしょ。この1年、忙しいのに協力してくれたじゃない」
「……っ!」
 
母に咎められ、桜は言葉に詰まる。

 お母さんは、店の経営は私じゃなくてもいいって思ってるの?
 何で……。
 
「このままでは桜さんが必死に立て直した店が、潰れてしまうかもしれません。僕なら、丸三文具店の業績をすぐに上向きにできます」
「……何を根拠に言ってるんですか」
「僕には、断言できるぐらいの経験と実績があるんです」

昭広は笑顔を絶やさず、パソコンの画面を操作して、複数の店舗の売り上げ推移を示すグラフを見せてきた。
 どれも短期間で数字が上向きになっており、昭広の言っていることがでまかせでないことが分かる。

「僕は桜さんやおじい様が守ってきた店を潰したくないんです。それに、桜さんのやり方を全部変えようとは思っていません。取引先もできる限り維持するつもりです。売り上げを伸ばせば柚仁の給料も上げられるし、お義母さんも仕事を辞められる。良いことづくしだと思いませんか?」
「じゃあ、どうして私を経営から外そうとするんですか?」

愕然とする桜に、柚仁は呆れた顔を向けた。

「そんなことも分からないの? お姉ちゃんが、昭広くんのアドバイス全然聞いてくれないからでしょ」
「聞いてるじゃない。SNSの宣伝のアドバイスをもらったから、柚仁に任せたし」
「でも、経費を削れって言っても必要だからって言うし、買い付けは他の安いメーカーにしろって言っても聞かないじゃん」
「おじいちゃんが今まで大切にしてきたご縁だからよ。経費だって、ばっさり切ればいいってものでもないの」
「ほら、またそうやってすぐおじいちゃんを理由にするじゃん。ほんと、やりにくい」

柚仁は不機嫌そうに腕を組む。

「おじいちゃんのお店なんだよ。当然でしょ。それに、赤字だった収支を立て直したのも、仕入れ先を回ったのも、毎晩遅くまで店のために働いたのも私よ。私にとってお店は生きがいなの! 経営を代われなんてありえない!」

桜は柚仁と昭広をきつく睨みつけた。

 残したいのはお店だけじゃない。
 おじいちゃんが大切にしてきたご縁も、お客様も、全部守りたい。
 ただ商品を売るんじゃなくて、お客様がくつろげるお店を作りたいって思ってた。
 でも、それは私だけの夢。
 柚仁と昭広さんには分かってもらえない。

「おじいちゃんが大切にしてきたものが分かっていないあなたたちに、任せられるわけないでしょ。この話はなかったことにして」
 
桜は立ち上がり、厳しい視線を柚仁と昭広に向ける。
 母が桜の腕を掴んで、険しい表情を浮かべる。
 
「もういいんじゃない」
「何が?」
「十分頑張ったでしょ。おじいちゃんだって、あなたがこんなに苦労すること望んでないと思うわ」
「苦労だなんて思ってない」
「ねえ、桜。お母さん、もう疲れたの」

母は手を離して、椅子の背もたれに背を預ける。
 その顔は心底疲れ切っている。
 いつの間にこんなに年を取ったのだろう。
 皺が深く刻まれ、白髪も増えた。
 一緒に住んでいるのに、母の変化に気付かなかった。
 罪悪感の波が押し寄せてくる。

「柚仁と昭広さんに任せましょう。昭広さんは経営のプロなんだから。あなた1人で意地にならなくてもいいじゃない」
「意地になってるわけじゃない。私はお店のことを守りたいだけ」

必死に訴えるが、母は呆れたように肩をすくめた。

 何、その反応。
 私の気持ちは、お母さんには届かない……。

「お姉ちゃん、私だっておじいちゃんのお店大切だよ。だから昭広くんに任せるべきだと思うの。そろそろ私たちに譲って、お姉ちゃんは自分の好きなことやりなよ」
「好きなこと……?」

そんなの、おじいちゃんの店を守ることしかないのに。
 
「柚仁は桜のことを思って言ってるのよ。あなたは十分頑張ってくれた。でも、もういいじゃない。柚仁に譲ってあげて」

もう、いい?
 譲ってあげて?
 何それ。
  
「ちょっと待ってよ。約束したでしょ。いつか私にお店を譲ってくれるって。おじいちゃんと一緒にやりたかったことがあるって、お母さんにも話したじゃない!」
「桜が経営を安定させたらあなたに譲ろうと思ってたわよ。だから今まで我慢してきたの。でも、あなた1人じゃまだまだ時間がかかるでしょ」
「それは……」
「柚仁と昭広さんが結婚したら、2人に店を任せようと思ってるわ」
「じゃあ、この店は柚仁たちのものになるってこと?」
「だって2人は夫婦になるのよ。昭広さんは経営も分かってるし、柚仁だってこの店で働いてる。安心して任せられるじゃない」
「私じゃ、だめなの?」
「プロに任せようって言ってるのよ。私ももう体が持たないの。早く仕事を辞めて、少しでも楽になりたい。昭広さんなら、それができると思うの」

 私だって、お母さんのことを楽にしてあげたいって思ってた。
 すぐには無理だっただけ……。
 
「桜、分かってちょうだい」

母の切実な言葉が胸に突き刺さる。

 店の事業主は母だ。いつか私に譲ると約束してくれたけれど、母が柚仁に譲ると決めたのなら、私にはどうすることもできない。
 お店を立て直せば、いつか認めてもらえると思ってた。
 お母さんを楽にしてあげたかった。
 でも、お母さんが望んでいるのは、私じゃない。

 こんなに頑張ってきたのに。
 おじいちゃんのお店を守るって、約束したのに。
 私がいない方が、お店のためにも、家族のためにもなるの……?
 だったら……。

「……分かった」

力なく頷く。

「ほんと?」

柚仁の表情が明るくなる。
 
「分かってくれてよかった」

母が胸を撫で下ろす。
 
「賢明な判断です」

昭広は嬉しそうに微笑んだ。

 そんなに喜ぶんだ……。
 
 指先からすうっと血の気が引いていく。
 
 母はパチンと手を打ち、顔を綻ばせた。
 
「話し合いも終わったし、食後のデザートでも食べましょう。職場の近くにケーキ屋があってね」
「やった! モンブランが有名な所でしょ?」
「昭広さんの分もあるから、食べて行って」
「ありがとうございます」

みんな、笑っている。
 どんな思いで頷いたのか、桜の気持ちを知ろうとする人は誰もいない。

 キッチンに行く母の背中を横目に、柚仁が桜に笑顔を向けた。

「お母さん、昭広くんが経営してくれるって言ったとき、本当に喜んでたんだよ」
「……本当に?」

お母さんにとっては、昭広さんが経営を引き受けることがそんなにも救いだったの?
 私だって、おじいちゃんのお店を守るために努力してきたのに……。
 
「桜さん、お店は私に任せておけば、すべて大丈夫ですよ」

人の良い笑みを浮かべる昭広の言葉が、桜の胸に突き刺さる。
 
 私の5年間は何だったの……。
 
 ケーキを持ってきた母を、柚仁と昭広が取り囲み、3人で幸せそうに笑い合う。
 そこに桜が入る余地はない。
  
 私の気持ちを分かろうとする人は誰もいない。
 ……ここにはもう、私の居場所はない。
 
 桜は何も言わず、リビングを出て自室に行く。
 ショルダーバッグを掴んでスマホを入れ、玄関に向かう。
 
 暗闇の広がる外に踏み出す。
 遠くで雷の低い音が鳴っている。
 パラパラと雨が降り出す。
 ハンカチを取り出そうと、ショルダーバッグを開ける。
 奥の方に、50周年記念の折り紙がひとつ入っている。
 
 ふと、祖父との思い出が脳裏をよぎる。
 父を亡くしたばかりで泣いている桜に、祖父がぱっくんちょを折ってくれた。
 わざと掠れた甲高い声で励ます祖父がおかしくて笑うと、祖父は優しい笑顔を浮かべてこう言ったのだ。

『たくさん泣いた後は、たくさん笑うといい。桜の笑顔はみんなを幸せにしてくれる。おじいちゃんの宝物だ』

無理やり口角を上げてみる。
 だが、眉は下がり、喉の奥からつんとした痛みが込み上げる。
 堪えきれず、涙が一筋零れ落ちた。
 その顔に、次から次へと雨が当たる。
 頬を伝うのが、涙なのか雨なのか分からない。
 桜は当てもなく歩き出した。

 

 男と歩いているうちに雨脚が弱まってきた。
 
「着いたぞ」

男に言われて傘から顔を出す。
 目の前にそびえていたのは、駅前でもひときわ目立つ高層マンションだった。
 
「……ここ、ですか?」
「ああ」

エントランスへ入る男についていった桜は、エレベーターの前でようやく我に返った。
 
 ……待って。
 この人、ほとんど初対面なのに、ついてきてよかったの?
 
「何してる。早く来い」
「あ、はい……」
 
今さら「やっぱり帰ります」と言ったところで、帰る場所もない。
 桜は迷いながらもエレベーターに乗り込んだ。
 

「入って」
「お、お邪魔します」

恐る恐る部屋の中に入る。

「あまり片付いてはいないが」
 
男の言う通り、リビングの床には物が散らばり、キッチンにはごみ袋がいくつも置かれている。
 お世辞にも片付いているとは言い難い。

「シャワーを浴びてきてくれ。その間に、部屋を片付けておく」
「あ、あの、お構いなく……」
「そのままでいるつもりか?」
「でも、着替えもないですし」
「俺のでいいだろ」
「えっ?」

男はリビングの奥にある部屋から、スウェットを持ってきて桜に渡した。

「これ、私が着るんですか?」
「何か問題が?」
「問題しかないような……。クシュン!」
「風邪を引いたら困る」

男は廊下に面した扉を開ける。

「ここが風呂だ。早く浴びた方がいい」
 
見下ろす男の圧を感じ、桜は頭を下げて扉の中に入った。

「すみません。お借りします」

桜は急いでシャワーを浴びて、借りた服に袖を通した。

「大きい……」

ぶかぶかのスウェットの裾とウエストを折り曲げ、リビングに行った。
 さっきよりも床が少し綺麗になっている。わざわざ片付けてくれたようだ。
 男がソファの前のローテーブルに、湯気の立ったカップを置いた。
 
「シャワーと着替え、ありがとうございました」
「……ああ」

男は桜の姿に目を見張り、すぐに視線を逸らす。

「コーヒー、いれたから座って」
「何から何まで、ありがとうございます」

桜は恐縮してソファに腰かけ、カップを手に取った。
 白い湯気越しに、男をぼんやり眺める。

 どうして、こんなに良くしてくれるんだろ。
 何か見返りを求められるとか?
 ……そんなふうには見えない。
 そういえば、まだ名前も聞いてないし、名乗ってもいなかった。
 覚えていないかって言ってたけど、名前を聞いたら思い出せるかな。
 
「あの、私、丸三桜と申します。お名前をお伺いしても?」
「……呉林照だ」
「呉林さん、ですか」

やっぱり聞き覚えのない名前だ。私のこと他の人と勘違いしている、とか?

「家には、戻りたくないと言っていたな。家族が心配してるんじゃないか?」

桜はカップの中に視線を落とす。

「……どうでしょう」
「他に行く当ては?」
「何も考えずに出てきてしまったので、これから探します」
「……恋人のところには、行かないのか?」

照の眉間に皺が寄り、声が少し低くなる。
 桜は顔を上げ、首を左右に振った。

「恋人なんて、いません」

照の瞳がわずかに見開く。

「いない? なら、昼間店に入って行ったあの男は……?」
「妹の婚約者ですけど」
「……妹の?」
「はい」
「そうか」
 
それだけ言って、照はコーヒーに口をつけた。
 さっきまで寄っていた眉間の皺が、いつの間にか消えている。
 照はカップを机に置いて、ソファの背もたれに背を預けた。
 
「今から泊まるところを探すより、うちに泊まった方が合理的だ」
「いえ! ご迷惑をおかけするわけには……」
「迷惑ではない。一室空いているし、鍵もかけられるから心配いらない」
「……どうして、こんなに良くしてくれるんですか?」
「昼間の礼だ。さっき、店まで礼をしに行ったのだが、すでに閉まっていてな」
「わざわざ来ていただいたんですか!? 」
「ああ。だが、偶然君を見つけた。危ない所だったが、間に合ってよかった」

自分の方に突っ込んでくるヘッドライトの恐怖が、今さらながら桜の背筋を凍らせる。
 ぎゅっと腕を掴んで縮こまる。
 震えそうになる唇を小さく開いた。
 
「……ありがとうございます」
「今日は早く寝た方がいい。部屋はこっちだ」

廊下に出て、浴室の隣の扉を開ける。
 生活感のないすっきりとした部屋に、ベッドと机が置いてある。
 
「おやすみ」
「……おやすみなさい」

桜は深く頭を下げて、扉を閉めた。

 照はリビングの奥にある自分の部屋に入り、深く息を吐き出す。
 資料やファイル、パソコンが乱雑に置かれた机の引き出しから、黒い手帳を取り出す。
 表紙を開くと、色あせてつぶれた折り紙がはらりと床に落ちる。
 それを拾い上げ、慎重に折り目にそってぱっくんちょを作り上げる。

「やはり覚えていない、か」

どこか寂しげに眉を下げ、ぱっくんちょを再び手帳にしまった。