突然降り出した雨は一気に本降りになった。
丸三桜はショルダーバッグの紐を握り締め、真っ暗な夜空を見上げる。
大粒の雨が容赦なく顔を打ち付け、全身を濡らす。
あんなに頑張ってきたのに。
「おじいちゃん、ごめん。私じゃ、力不足だった……」
大声で泣きわめきたいのに、声が出ない。代わりに涙だけが溢れてくる。
家には戻りたくない。
行く当てもない。
私には、あの店しかなかったのに。
何も考えられないまま家を飛び出し、いつの間にか商店街を抜けて大通りまで来ていた。
傘を差して歩く人たちが、ふらつく足取りで歩き続ける桜を奇妙な目で見ている。
だが、周囲の景色も、音も、桜の頭には何も入ってこない。
ただ、呆然と歩き続ける。
信号が赤なのにも気づかず、横断歩道へ踏み出した。
車が猛スピードで突っ込んでくる。
ヘッドライトの眩しさに、桜はようやく我に返った。
「あっ……」
気付いた時には、目の前に車が迫っていた。
桜は咄嗟に目を閉じる。
「危ない!」
太い声がした途端、腕が強く後ろに引っ張られ、歩道に引き戻された。
瞬間、車が目の前を通り過ぎていく。
その場がどよめき、人々の視線が桜と腕を引っ張った人物に集まった。
「何してる! 死ぬところだったぞ!」
雨に濡れた長身の男が、目を吊り上げて桜を見下ろす。
桜は男を見上げて、目を丸くした。
「あなたは、昼間の……!」
「一体何が……」
濡れて肌にはりついた桜の服が透けて、下着が見えそうになっている。
男は言葉を切ると視線を逸らし、スーツの上着を桜の肩にかけた。
「これを」
「あ、あの……」
男は路上に放り投げていた自分の傘を拾い、桜に差し掛ける。
「ありがとう、ございます」
「傘も差さずにどうしたんだ。家まで送ろう」
「……家には、帰りたくないんです」
男は俯く桜を見て、少し考えてから口を開いた。
「なら、俺の家に来い」
「え? あなたの家に、ですか……?」
桜は驚き、目を瞬かせる。
男は表情を変えず、淡々と答えた。
「そのままだと風邪を引く。ホテルを探して回るより、俺の家に行った方が合理的だ」
男は桜の肩からずれ落ちそうになっている上着を直して歩き出した。
ついていって、大丈夫なのかな。
一度会っただけの人なのに……。
でも、他に行く当てはない。
今朝までは、大事なお店を手放すことになるなんて思いもしなかった——。
祖父が始めた“丸三文具”。
5年前、祖父が亡くなったあと母が店を引き継いだ。だが、母には別の仕事があり、経営の知識もなかった。
そこで、大学で経営学を学んでいた桜が、店の運営を任されることになった。
当時は赤字続きだったが、経営学を生かし、少しずつ立て直してきた。
従業員は、去年から一緒に働いている妹の柚仁だけ。
買い付けや経理など大半のことは桜が担っている。
今日の昼間も、買い付けのため出かけた。
店と一緒に受け継いだ、擦りきれた丸三文具の前掛けをつけたまま店を出ると、「ださいからやめて」と柚仁が顔をしかめた。
人からどう思われてもいい。これを着けると自然とやる気が出る。
店も前掛けも、桜にとってはかけがえのない宝物だった。
秋晴れの空の下、涼しい風に乗って金木犀の香りが漂ってきた。
その香りを思いっきり吸い込んで深く吐き出す。
甘い果実を思わせる香りが胸いっぱいに広がる。
文具がぎっしり詰まった紙袋を持つ両手に力を入れ、足を踏み出す。
その時。
「うわーん!」
電信柱の影で、4歳ぐらいの女の子が声を張り上げて泣いている。
女の子はひとりではなかった。スーツ姿の若い男と一緒だ。
男は困り果てた様子で女の子を見下ろしている。
「名前は? 親はどこ行った?」
男に尋ねられると、女の子はますます激しく泣き、その場に座り込んでしまった。
「わかんなーい! ママ―!」
「弱ったな」
男の顔が歪む。
桜は駆け寄って男に尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、いや、迷子みたいで」
「迷子、ですか?」
紙袋を地面に置き、女の子の背中を優しく撫でた。
男は桜の顔と前掛けを凝視して、わずかに眉を上げた。
「どうしたの? ママとはぐれちゃった?」
「……うん」
女の子の手には、千代紙が握りしめられている。
よく見ると、千代紙の袋に丸が3つ並んで鎖のように繋がれた“丸三文具”のロゴと、“50周年記念”の文字が記載されている。
「うちの店に来てくれてたのね。ちょっと待ってて」
桜は表情が固まっている男に目を向けた。
「私、丸三文具の者なんですけど、この子のお母さんが店の周りで探してるかもしれないので、店に電話して聞いてみます」
スマホを耳に当てる桜の顔を、男はまじまじと見つめた。
「あ、もしもし? 桜だけど、お客様でお子さんを探してる方、いらっしゃらない?」
男は低く呟いた。
「……丸三、桜?」
女の子が心細そうな顔で、男の上着の裾を掴んだ。
男はわずかに表情を緩め、ぎこちなさそうに女の子の頭を撫でた。
「大丈夫。あのお姉さんに任せておけば安心だ。すぐ会えるさ」
女の子は涙を堪えて小さく頷いた。
「……そう、よかった。お子さん連れていくから、お待ちしてもらって」
桜は電話を切って女の子に微笑みかけた。
「ママ、お店にいるって。一緒に……」
「ママー!」
女の子は男の上着の裾をきゅっと握って、わんわん声を上げて泣き出した。
「そうだ。折り紙、1枚もらってもいい? いいもの作ってあげる」
女の子はしゃくりあげながら千代紙を桜に渡した。
桜は手際よく折っていき、あっという間にぱっくんちょを作った。
女の子の顔の前でくちばしのようにパクパク動かし、明るく高い声を出した。
「お名前、なあに?」
「……ゆい」
「ゆいちゃん、すてきなお名前だね。ママ、待ってるから会いに行こう」
「うん!」
女の子は笑顔を浮かべる。
「……!」
男はぱっくんちょと桜を交互に見て、漏れそうになる声を呑み込んだ。
「これ、あげる。手、繋ごっか」
「ありがと!」
桜はぱっくんちょを女の子に渡す。女の子は男の上着の裾から手を離し、桜と手を繋いだ。
「店まで運ぶ」
男は軽々と紙袋を2つ持ち、桜の隣に並んで歩き出した。
「すみません。初対面の方に店の荷物を持たせてしまって」
桜が頭を下げると、男は複雑そうな表情を浮かべた。
「初対面では……」
男は口ごもる。
「はい?」
桜は首をかしげて男の横顔を見上げる。
何を言いかけたんだろう?
少し、落ち込んでいるような……?
「いや、なんでもない。……子供の扱いに慣れているんだな」
「うちの店には小さいお子さんも来られるので」
「……そうか」
店に着くと、心配そうな顔で辺りを見回している母親のもとへ、女の子は走り出した。
「ママー!」
「ゆい! どこに行ってたの! 心配したでしょ!」
抱き合う親子の姿に、桜の胸の奥がじんと熱くなる。
「会えてよかった」
「君のおかげだ。……変わらないな」
「変わらない?」
「覚えていないか……」
「え?」
「いや、何でもない」
目を伏せる男の顔に影が落ちる。
「おねーちゃん、おじちゃん、ありがと!」
女の子が母親と手を繋いで、大きく手を振った。
「気をつけて帰ってね」
「おじちゃん……!?」
笑顔で手を振り返す桜の横で、男は顔を引きつらせている。
桜は男の手にある袋を見てはっとした。
「あっ、袋持たせてしまってすみません!」
桜は男から袋を受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。助かった。改めて礼をさせてくれ」
「いえ、そんな! 運んで頂いたのに申し訳ないです」
首を振る桜の背後から、紺色のスーツに身を包んだ長身の男が声をかけた。
「桜さん、こんにちは」
「あっ、昭広さん。こんにちは」
笑顔で挨拶を返す。
なぜか男の眉間に深い皺が刻まれた。
「それ僕が持ちますよ。先に店に入ってますね」
昭広は桜の手から袋を取って店の中に消えた。
「……それじゃあ」
「ありがとうございました」
笑顔で礼を言う桜の顔を焼き付けるように男はじっと見つめ、背を向けた。
良い人なんだろうけど、なんだか不思議な感じだったな。
覚えてないかって、まるで前に会ったことあるような言い方してたし。
あんな俳優みたいなかっこいい人、会ったら忘れないと思うんだけど。
「お姉ちゃん、やっと帰ってきた! 昭広くんに荷物持たせて何してんのよ」
店の奥から不機嫌そうな顔の柚仁が出てきた。
「ごめん。1人で接客大変じゃなかった?」
「ぜーんぜん。これ見たら分かるでしょ。50周年の記念品もこんなに余ってるんだから」
レジ横の記念品置き場には、千代紙が山積みにされている。
「……そう」
桜は唇を噛み締める。
「お姉ちゃんのやり方じゃ、限界なんじゃない?」
「え?」
「昭広くんもそう言ってたよ」
店の奥から現れた昭広が、人の良い笑みを桜に向けた。
「営業時間が終わったら、お話したいことがあります」
「……はい」
話って何だろう。
良い予感はしない……。
「ふう」
つい溜め息が出てしまう。
レジ奥の棚に飾ってある、幼少期に祖父と店の前で撮影した写真を手に取った。
『桜が笑ってると、おじいちゃんまで幸せな気持ちになるよ』
桜は口角を上げ、写真の中の祖父の顔を指でなぞる。
「おじいちゃん、私、頑張るからね」
店の奥では、柚仁と昭広が何やら話し込んでいる。
なぜか無性に胸がざわつく。
桜は下がりそうになる口角を押し上げ、写真を元に戻した。
丸三桜はショルダーバッグの紐を握り締め、真っ暗な夜空を見上げる。
大粒の雨が容赦なく顔を打ち付け、全身を濡らす。
あんなに頑張ってきたのに。
「おじいちゃん、ごめん。私じゃ、力不足だった……」
大声で泣きわめきたいのに、声が出ない。代わりに涙だけが溢れてくる。
家には戻りたくない。
行く当てもない。
私には、あの店しかなかったのに。
何も考えられないまま家を飛び出し、いつの間にか商店街を抜けて大通りまで来ていた。
傘を差して歩く人たちが、ふらつく足取りで歩き続ける桜を奇妙な目で見ている。
だが、周囲の景色も、音も、桜の頭には何も入ってこない。
ただ、呆然と歩き続ける。
信号が赤なのにも気づかず、横断歩道へ踏み出した。
車が猛スピードで突っ込んでくる。
ヘッドライトの眩しさに、桜はようやく我に返った。
「あっ……」
気付いた時には、目の前に車が迫っていた。
桜は咄嗟に目を閉じる。
「危ない!」
太い声がした途端、腕が強く後ろに引っ張られ、歩道に引き戻された。
瞬間、車が目の前を通り過ぎていく。
その場がどよめき、人々の視線が桜と腕を引っ張った人物に集まった。
「何してる! 死ぬところだったぞ!」
雨に濡れた長身の男が、目を吊り上げて桜を見下ろす。
桜は男を見上げて、目を丸くした。
「あなたは、昼間の……!」
「一体何が……」
濡れて肌にはりついた桜の服が透けて、下着が見えそうになっている。
男は言葉を切ると視線を逸らし、スーツの上着を桜の肩にかけた。
「これを」
「あ、あの……」
男は路上に放り投げていた自分の傘を拾い、桜に差し掛ける。
「ありがとう、ございます」
「傘も差さずにどうしたんだ。家まで送ろう」
「……家には、帰りたくないんです」
男は俯く桜を見て、少し考えてから口を開いた。
「なら、俺の家に来い」
「え? あなたの家に、ですか……?」
桜は驚き、目を瞬かせる。
男は表情を変えず、淡々と答えた。
「そのままだと風邪を引く。ホテルを探して回るより、俺の家に行った方が合理的だ」
男は桜の肩からずれ落ちそうになっている上着を直して歩き出した。
ついていって、大丈夫なのかな。
一度会っただけの人なのに……。
でも、他に行く当てはない。
今朝までは、大事なお店を手放すことになるなんて思いもしなかった——。
祖父が始めた“丸三文具”。
5年前、祖父が亡くなったあと母が店を引き継いだ。だが、母には別の仕事があり、経営の知識もなかった。
そこで、大学で経営学を学んでいた桜が、店の運営を任されることになった。
当時は赤字続きだったが、経営学を生かし、少しずつ立て直してきた。
従業員は、去年から一緒に働いている妹の柚仁だけ。
買い付けや経理など大半のことは桜が担っている。
今日の昼間も、買い付けのため出かけた。
店と一緒に受け継いだ、擦りきれた丸三文具の前掛けをつけたまま店を出ると、「ださいからやめて」と柚仁が顔をしかめた。
人からどう思われてもいい。これを着けると自然とやる気が出る。
店も前掛けも、桜にとってはかけがえのない宝物だった。
秋晴れの空の下、涼しい風に乗って金木犀の香りが漂ってきた。
その香りを思いっきり吸い込んで深く吐き出す。
甘い果実を思わせる香りが胸いっぱいに広がる。
文具がぎっしり詰まった紙袋を持つ両手に力を入れ、足を踏み出す。
その時。
「うわーん!」
電信柱の影で、4歳ぐらいの女の子が声を張り上げて泣いている。
女の子はひとりではなかった。スーツ姿の若い男と一緒だ。
男は困り果てた様子で女の子を見下ろしている。
「名前は? 親はどこ行った?」
男に尋ねられると、女の子はますます激しく泣き、その場に座り込んでしまった。
「わかんなーい! ママ―!」
「弱ったな」
男の顔が歪む。
桜は駆け寄って男に尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、いや、迷子みたいで」
「迷子、ですか?」
紙袋を地面に置き、女の子の背中を優しく撫でた。
男は桜の顔と前掛けを凝視して、わずかに眉を上げた。
「どうしたの? ママとはぐれちゃった?」
「……うん」
女の子の手には、千代紙が握りしめられている。
よく見ると、千代紙の袋に丸が3つ並んで鎖のように繋がれた“丸三文具”のロゴと、“50周年記念”の文字が記載されている。
「うちの店に来てくれてたのね。ちょっと待ってて」
桜は表情が固まっている男に目を向けた。
「私、丸三文具の者なんですけど、この子のお母さんが店の周りで探してるかもしれないので、店に電話して聞いてみます」
スマホを耳に当てる桜の顔を、男はまじまじと見つめた。
「あ、もしもし? 桜だけど、お客様でお子さんを探してる方、いらっしゃらない?」
男は低く呟いた。
「……丸三、桜?」
女の子が心細そうな顔で、男の上着の裾を掴んだ。
男はわずかに表情を緩め、ぎこちなさそうに女の子の頭を撫でた。
「大丈夫。あのお姉さんに任せておけば安心だ。すぐ会えるさ」
女の子は涙を堪えて小さく頷いた。
「……そう、よかった。お子さん連れていくから、お待ちしてもらって」
桜は電話を切って女の子に微笑みかけた。
「ママ、お店にいるって。一緒に……」
「ママー!」
女の子は男の上着の裾をきゅっと握って、わんわん声を上げて泣き出した。
「そうだ。折り紙、1枚もらってもいい? いいもの作ってあげる」
女の子はしゃくりあげながら千代紙を桜に渡した。
桜は手際よく折っていき、あっという間にぱっくんちょを作った。
女の子の顔の前でくちばしのようにパクパク動かし、明るく高い声を出した。
「お名前、なあに?」
「……ゆい」
「ゆいちゃん、すてきなお名前だね。ママ、待ってるから会いに行こう」
「うん!」
女の子は笑顔を浮かべる。
「……!」
男はぱっくんちょと桜を交互に見て、漏れそうになる声を呑み込んだ。
「これ、あげる。手、繋ごっか」
「ありがと!」
桜はぱっくんちょを女の子に渡す。女の子は男の上着の裾から手を離し、桜と手を繋いだ。
「店まで運ぶ」
男は軽々と紙袋を2つ持ち、桜の隣に並んで歩き出した。
「すみません。初対面の方に店の荷物を持たせてしまって」
桜が頭を下げると、男は複雑そうな表情を浮かべた。
「初対面では……」
男は口ごもる。
「はい?」
桜は首をかしげて男の横顔を見上げる。
何を言いかけたんだろう?
少し、落ち込んでいるような……?
「いや、なんでもない。……子供の扱いに慣れているんだな」
「うちの店には小さいお子さんも来られるので」
「……そうか」
店に着くと、心配そうな顔で辺りを見回している母親のもとへ、女の子は走り出した。
「ママー!」
「ゆい! どこに行ってたの! 心配したでしょ!」
抱き合う親子の姿に、桜の胸の奥がじんと熱くなる。
「会えてよかった」
「君のおかげだ。……変わらないな」
「変わらない?」
「覚えていないか……」
「え?」
「いや、何でもない」
目を伏せる男の顔に影が落ちる。
「おねーちゃん、おじちゃん、ありがと!」
女の子が母親と手を繋いで、大きく手を振った。
「気をつけて帰ってね」
「おじちゃん……!?」
笑顔で手を振り返す桜の横で、男は顔を引きつらせている。
桜は男の手にある袋を見てはっとした。
「あっ、袋持たせてしまってすみません!」
桜は男から袋を受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。助かった。改めて礼をさせてくれ」
「いえ、そんな! 運んで頂いたのに申し訳ないです」
首を振る桜の背後から、紺色のスーツに身を包んだ長身の男が声をかけた。
「桜さん、こんにちは」
「あっ、昭広さん。こんにちは」
笑顔で挨拶を返す。
なぜか男の眉間に深い皺が刻まれた。
「それ僕が持ちますよ。先に店に入ってますね」
昭広は桜の手から袋を取って店の中に消えた。
「……それじゃあ」
「ありがとうございました」
笑顔で礼を言う桜の顔を焼き付けるように男はじっと見つめ、背を向けた。
良い人なんだろうけど、なんだか不思議な感じだったな。
覚えてないかって、まるで前に会ったことあるような言い方してたし。
あんな俳優みたいなかっこいい人、会ったら忘れないと思うんだけど。
「お姉ちゃん、やっと帰ってきた! 昭広くんに荷物持たせて何してんのよ」
店の奥から不機嫌そうな顔の柚仁が出てきた。
「ごめん。1人で接客大変じゃなかった?」
「ぜーんぜん。これ見たら分かるでしょ。50周年の記念品もこんなに余ってるんだから」
レジ横の記念品置き場には、千代紙が山積みにされている。
「……そう」
桜は唇を噛み締める。
「お姉ちゃんのやり方じゃ、限界なんじゃない?」
「え?」
「昭広くんもそう言ってたよ」
店の奥から現れた昭広が、人の良い笑みを桜に向けた。
「営業時間が終わったら、お話したいことがあります」
「……はい」
話って何だろう。
良い予感はしない……。
「ふう」
つい溜め息が出てしまう。
レジ奥の棚に飾ってある、幼少期に祖父と店の前で撮影した写真を手に取った。
『桜が笑ってると、おじいちゃんまで幸せな気持ちになるよ』
桜は口角を上げ、写真の中の祖父の顔を指でなぞる。
「おじいちゃん、私、頑張るからね」
店の奥では、柚仁と昭広が何やら話し込んでいる。
なぜか無性に胸がざわつく。
桜は下がりそうになる口角を押し上げ、写真を元に戻した。



