「生きづらさ食堂」あなたのために、のれんは上がる

「いらっしゃい」
「あ、こんばんは…って」

怜音に招かれ、店に入った友香。その第一声は。

「…ボロい」

これだった。築40年はくだらないであろうふた昔前の様式。どうしても実家を思い出す。いつも葉月に連れられ、出来たばかりの真新しい店ばかりに足を運んでいれば、感覚もおかしくなるというもの。
しかしさすがの友香もすぐに失言に気付いた。怜音も店長らしき男も、微妙な表情をしている。とっさにフォローを入れた。

「あ、いえ!味のあるお店ですね!アハハ」
「ボロくて悪かったな」
「む、タメ口かよ。初めて来たお客さんに」
「この方が君も喋りやすいだろ?」

それは言えていた。コテコテの敬語で話しかけられると、なんだかムズムズする。

「とにかく座りな。ゆっくりしていくといい」
「あいよ。じゃあこのカウンターで!」
「…元気があって何よりだ」

珍しい。堅物のあの店長が、初対面でこんなに打ち解けるとは。怜音は2人のやり取りを、ただ微笑ましそうに見ていた。

「ひとまず…500円出せるか?今日の飯代だ」
「そんなんで良いの?」
「ああ。それで1食作ってやる」
「わかった。これでOK?」
「受け取った。さて、今日は何が食べたい?」
「何でも良いよー、お腹がいっぱいになれば。今日はただ人がいないところで静かに過ごしたいだけだからさ」
「…良いだろう。少し待っていろ」

友香の注文を受け取った店長は店の奥に引っ込む。ここから調理に入るらしい。

「あの店長、ちょっと良いですか?」

と思ったら、その足を怜音が止めた。

「あの子ですね…。さっきクルンジを…。…、だから…」
「なるほど。しかし、俺はそっち方面はあまり得意じゃないぞ?」
「大丈夫ですって、いざとなったら…」
「…必要なら手を借りる」

何やらひそひそ話をしている。友香にも断片は聞き取れたが、会話の内容をすべて理解できた訳ではない。気にはなるものの、教えてはもらえそうにないので黙っておくことにした。


「……」

やることもなく、ただ店内をボーっと眺めている。今はスマホを取り出してネットサーフィンをする気にもなれなかった。

(やっぱりボロい)

白い壁にはところどころ汚れが目立つ。木の柱も、カウンターもテーブルもあちこち欠けている。
床もなんだか古臭い。臭いは実家よりも、むしろ祖父母の家の方が近いかもしれない。

「店長がお母さまから受け継いだお店らしいですよ?」

怜音が話しかけてきた。

「店長のお母さん?」
「はい。ご両親がここでお店をやっていて、その店舗を店長がそのまま使っているって言ってました。私は途中からお店に入ったので、詳しくは知らないんですけど」
「それ、何年前の話?」
「そうですねー。ご両親が結婚した頃にこのお店を建てたと言ってましたから、たぶん40年くらいじゃないですか?そりゃああちこち、ガタが来るってものですよー」
「なるほど、どーりで古い訳だ…ってごめんなさい!やっぱり気にしてる感じですか!?」
「いえいえ、構いませんよ。実際古い建物ですから」

怜音は友香が店をボロいと言ったことを根に持って話しかけたのではないかと、一瞬焦った。しかし怜音のほほえみを見てそうではないらしいと、緊張がほぐれる。

「えっと…リフォームとか、しないんですか?」
「まだ使えるから良いって、前に話しました。耐震基準もクリアしているからと。だけど最近地震も多いし、崩れたりしないかと私はいつも不安なんですよね…」
「あ、あはは…」

怜音はやや心配性らしい。逆に店長は、意外なほど豪胆だった。それともただケチなだけか。
しかしこの店構えが残っている理由がわかった。怜音と話してわかったのは、定食屋「さくら」は店長が両親から受け継いで生まれた店。人が変わっても、親子代々守り続けてきた場所だということだ。
店構えはあまりに地味だ。都内で話題のオシャレなカフェやレストランとか、有名な割烹店などとは対照に、帰りたくなる実家のような雰囲気さえ漂ってくる。たまに訪れる非日常ではなく、むしろ日常の中にあるお店と言うべきか。
どこにでもある古い食堂。昨日までの友香なら、その文言を聞いたらアウトオブ眼中だったはずだが。

(こういう店構えのとこから、案外絶品グルメが飛んで来たりするんだよねー)

彼女も考えを改めていた。以前小耳に挟んだことがある。誰にも気付かれない隠れ家的な店にこそ、美味しいグルメが潜んでいるのだと。
かつてはそんな話を信じもしなかった友香。だが流行を追うのに疲れている今なら、響くものがあった。

「何作ってくれるんでしょうねー?」
「どうでしょう?店長、こういう時だけはあんまり調理風景を見せてくれませんから」
「うーん。店長の気まぐれメニュー的な?あ、もしかして今流行りの人気グルメとか出たりするのかな!?割るとトロっと卵が溢れるチーズオムライスとか!」
「あー、うちの店長はあんまり流行には興味ない人ですからねえ。でも流行りはともかく、味は期待して良いと思いますよ!」
「怜音、いちいち余計だ」
「あ、すみません」

おしゃべりな怜音にひと釘。店長が料理を終えたらしく、盆をひとつ持ってきた。

「完成だ。食べてみな」
「お、食べる食べる!なーにが来るかなー…」


友香の前に出された盆に乗っていたのは、あまりに素朴な品。
のりが巻かれたおにぎりが2つと味噌汁にお新香、それに焼き団子だ。団子には黒ごまのあんがかかっている。

「地味だ…」
「怜音が言った通り、俺には流行とかわからん。が、たまにはこういうのも良いんじゃないか?」
「…ま、たまにはね」

ふわとろチーズオムライスや、華やかに盛り付けられた野菜カレーのような、「映える」メニューをどこか期待していた友香。それを打ち砕かれて、ショックを隠せない様子。「お腹いっぱい食べられれば良い」と、それだけしか要望しなかったのは自分なのだが。
そして出されたのはよりにもよって、日本の米料理の象徴とも言えるおにぎり。米農家の葉月ほどではないにしても、田んぼに囲まれて育った友香にもなじみ深い料理だ。
彩りなぞクソくらえと言わんばかりの、白と黒だけのフォルム。それが逆に、友香を安心させた。

「それじゃあ、古き良き日本の食べ物を頂くとしますか」
「おう。ゆっくり味わいな」

嫌味たっぷりに放った友香の一言さえ、店長は笑って受け流す。

「つーかこれ、おにぎりの中は何入ってんの?」
「食えばわかる」
「えーケチ。ちょっとくらい教えてくれてもいいじゃーん」
「先に教えたらつまらないだろう?隠れてるから楽しいんだろ」
「そりゃそーだね」

とにかく食ってみろの一点張り。そんな店長に根負けし、友香は大人しくおにぎりの片方にかじりついた。

「…うまっ」

鮭だ。塩焼きにした鮭の身をほぐしてある。パリッと香ばしく焼いた鮭が、固くなくベチャっともしておらず程よくふっくらと炊かれたご飯と一緒になって身体に染み渡る。少し強めの塩味は歩き疲れた友香の身体に心地よい。
鮭も美味いが、何と言っても米のふっくら具合があまりに絶妙。炊くのが上手いのはもちろんだが、握り方も一級品。おにぎりは握る力が弱いとまとまらないが、かといって強すぎると米が固くなってしまう。柔らかい力加減で、優しく形を整えるだけに留めるのが良い。それを店長は、しかと心得ていた。

「じゃあ、こっちは何だろ!?」

ひとつ食べて美味しいとなれば、もうひとつにも期待が高まる。鮭のおにぎりを名残惜しくも一旦置いて、間髪入れずに2つ目のおにぎりに口をつけた。
仕込まれていたのは昆布だった。甘辛く味付けされたごま昆布。この味が嫌いな日本人などいない。それが友香の持論である。コンビニでも昆布おにぎりはよくはけるし、スーパーでも必ず目にする。

「これ、買ってきたやつ?」
「そんな訳ないだろ。さっき作って詰めた」
「え、これ自作なの!?ヤバくね!?」
「…それが仕事だからな」

出汁を取った昆布を細く切り、炒め煮にした即席の具。言われてみれば市販のものとはわずかに味が違う。甘みを抑えて、代わりにこちらも塩分が強い。しょうゆを多めに使っているのだろうか。
味噌汁も出汁が効いて美味しい。具材はいちょう切りの大根ににんじんと、それから油揚げとわかめ。野菜がしっかり摂れる構成になっている。

(そういえば最近、野菜を意識して食べていなかったかも…)

いつもはスイーツばかり食べていたから。体型が気になったことは特にないし、構わず好きなものを口にする生活を送っていた。そんな自分を今だけ少し反省する。

(…って、ばあちゃんちかよ。「お野菜も食べなさいよ」って、みんなそればかり言って)

母から連絡をもらうたび、祖母に会いにいくたび、耳にタコができるほど聞かされたこと。ここでまたそのことを思い出し、ついつい苦笑いする。ご飯と味噌汁という、和食の基礎たるメニュー。古臭いと笑うはずのそれが、何故だかとても心地良かった。

「…で、これも食べていいの?」
「もちろん。それも含めて1セットだ」

ゆっくりと、しかし止まることなく食べ進めた友香。すべて食べ切り、最後に1本の串団子だけが残る。

「今夜のデザートだ。スイーツを食べ歩いてばかりの君は、うんざりするかもしれないがな」
「ホントだよ。こんなの、田舎で何回も食べたっての」

地元のお菓子屋さんで売られるのは、こうした素朴な和菓子ばかりだった。家族が事あるたびに買ってくるので、団子だって飽きるほど食べてきている。

「…ま、食べるけどね」

飽きるほど食べた団子が、今となってはかえって恋しい。串の先に刺さっている団子ひとつを、かかっているあんごと頂く。

「あ、美味しいじゃん」

焼き目がしっかり付いた、もちもち弾力のある団子。甘い黒ごまあんがかかって素朴な味。美味しい…が、こんなものはスーパーに行けば簡単に手に入る。そう思った友香だったが…。

(でも、なんか違うんだよね)

甘すぎない。前に自分で買った黒ごまだんごはもうちょっと甘かったはずだ。市販のコテコテした甘ったるさはなく、黒ごまの風味を殺していない。

「こういうのが、『自然な甘み』ってやつ?」
「使う砂糖の量を減らしてある。あんまり甘いものばっかり食ってるとカロリーがな…」
「お、乙女に向かってなんてことを!ってか、私そんな太ってないし!」
「どうかな。今は大丈夫でも、同じ食生活を続けていたらこの先太るぞ」
「余計なおせっかいだっつの!マジで実家かよここ!」

カウンター越しに軽やかな言い合い。本当に、初めて来たとは思えない緊張のほぐれ具合だ。
店長に時々小突かれながらも、黒ごま団子を食べ進める友香。甘さ控えめだといつもなら刺激が足りないと感じるはずが、今はかえって心地いい。

「ごちそうさまでした!」

串を皿に置き、友香は今日の夕食を食べ終えた。