「生きづらさ食堂」あなたのために、のれんは上がる

「ごちそうさまでした。すみません、すごく美味しかったです」
「それは良かったです。お客さんのお口に合ったようで」

肉を食べたいと言っていちゃもんを付けた島村。その罪悪感から、つい謝ってしまった。

「でも何で、肉料理じゃなかったんですか?」
「貴方が無理をしているのは、見ればすぐわかったからですよ。その様子じゃ今日どころか、何日も満足に食べていなかったんでしょう。その身体に肉は重すぎます」
「重い?」
「脂が消化に悪いのですよ。トンカツやステーキのような脂のたっぷり出てくるものをいきなり食べたら、胃がびっくりしてしまうと思いましたので避けました」
「な、なるほど…」

うなずきはするが、最近肉から離れていた島村にはイマイチピンとこない。

「しかしどうして、そこまで食事を抜くのですか?身体に悪いですよ」
「…わかってますよ。わかってますけど…食べられないんですよ。お金がなくて」

島村は今の生活風景を2人に打ち明ける。

「うちの会社、すごくブラックなんです。営業で成績出さないとロクに給料もらえなくて、でも売ってる商品も意味わかんなくて。パッションで売れとか上司に色々言われるけど、俺はどうしてもついていけなくて。やる気なくしちゃったんですよ。でもそれで上司に目を付けられて、休み時間とか減らされて、外にいても休めなくて。今日なんて昼休みももらえなくて、お昼ご飯食べられませんでしたよ」
「それは…さすがにやりすぎなのでは…」
「何かの法に引っかかってそうだ」

「そんな気はしますけどね。でもそんな訳だから、給料なんてほとんど入らなくて、生活もいつも厳しくて。家で食べるのもせいぜい白飯とフルーツくらいです。ご飯も一気に炊いたのを数日に分けて食べるので、後の方とかカピカピだったりします。さっき食べさせてもらったつやつやのご飯も、久しぶりに食べた気がします」
「大変ですね…。今はどこも余裕ないみたいで」
「ですね。まったく、生きづらい世の中です」

疲れた顔で笑う島村。こうして誰かに悩みを打ち明けられるこの空気も、今は胸に染みる。
店長が切り出した。

「転職とか、なさらないんですか?」
「ムリですよ。俺、スキルもないし。学歴もないからあんな会社にしか、拾ってもらえなくて。大学の時に遊んでばっかりいたツケなんでしょうね。俺はきっと、ブラック企業にしか入れないんですよ」

会社でも言われたばかりだ。「お前みたいな奴が他の会社に拾ってもらえる訳がない」と。実際その通りだと思う。名も知られていない大学を出て、温情で拾ってもらった会社にはロクな貢献も出来ていない。そんな人材を誰が雇うのか。

「それでも俺は、転職するべきだと思います」
「話聞いてました?俺、あそこを辞めたら他に行ける場所ないんですよ。だったら、身体をぶっ壊しても…」
「ダメですよ。身体を壊したら元も子もありません」
「え?」

店長はキッパリと言い放つ。怖気づくほどの気迫だったが、それがかえって心地いい。

「会社は貴方のことを、ただの駒としか思っていませんよ。収益を得ることが最優先ですから。利益を出すだけ出してもらって、使えなくなったら捨てるだけ。貴方がどうなろうと、知ったことではありません。たとえ貴方が会社の使い捨てにされ、後で生活が出来ないほどになったとしても…会社は貴方の人生の責任なんか、取ってくれませんよ」
「む、むう…」
「ですが、貴方の代わりはいないと言ってくれる人が必ずいます。会社ではなく、もっと外に。お金を稼ぐことはもちろん大事ですが、それが全てではありません。もう少し広く世界を見ても良いのではないでしょうか?」

ハッとした。会社で成果を挙げなければ生きていけないと、本気でそう思い込んでいたから。

「どうか生きていてください。今は辛くても生きてさえいれば、必ずどうにかなるものです」
「店長さん…」
「そのためには自分に合わない環境から逃げることも、時には必要ですよ。自分を大事にしてくださいね」
「あ、ありがとうございました」

腹を満たされ、心を満たされた島村。入店した時は沈んでいた彼も、今は少しだけ前向きになれそうだ。

「あの。やっぱり払いますよ。色々してもらいましたし」
「いえ、本当に結構ですよ。余裕ないみたいですし、これも何かの縁ということで」
「いえ、1,000円くらいなら払えますから。今日のお礼も兼ねて…」
「…では、500円だけ頂きます」

店長は島村が差し出した千円札を受け取り、レジで500円玉に交換した。

「ありがとうございます」
((律儀だなあ、この人))
「それじゃあ今日は、ありがとうございました。また来ます」
「ええ。暗いのでお気をつけて」
「ゆっくりお休みくださいね。お疲れ様でした」
「はい!」

外まで見送ってくれた怜音に手を振り、島村は去る。
彼の姿が見えなくなってしばらくしてから、『さくら』の明かりは消えた。

 ◆ ◇ ◆

「なに、辞めるだと!?」
「はい。お願いします」

翌日。上司である武田の机に、島村は退職願を叩きつけた。
思い立ってからの彼の行動は早かった。

「あれだけ目をかけてやったのに…。お前にはせっかく歯ごたえのあるルートを用意して、ずっと見ておったのだぞ!」
「ものは言いようですね。契約するはずもないお客さんばかりを集めたルートを作って、俺に押し付けてたんじゃないですか。GPSで監視なんてセコイ手も使って」
「島村お前、わかっているのか!?ここを辞めたら、生活が出来なくなるぞ!給料がなくなるんだぞ!明日からどうやって食っていくんだ!?」
「ここで働いてぶっ壊れるよりマシですよ。しばらくの生活費はありますって、さすがに」

武田を淡々と言い負かす島村。取りつく島もない。言い詰められていた昨日までとは雲泥の差だ。

「こ、ここ以外にお前を雇ってくれる会社なんぞありはせんぞ!底辺大の低能野郎め」
「探します。バイトでも何でも」
「……」
「……」
「フン、勝手にしろ。良いぞ別に辞めても、そこまで言うならな。お前程度の代わりなんぞいくらでもいる」
「ありがとうございます。それでは」

島村の意志が固いと悟った武田は、ようやく折れてどこかへ去った。
しかし「代わりはいくらでもいる」と言っておきながら、辞めると言い出した途端必死に引き留めるとは。武田というか、会社の意図がイマイチ読めない。

「おい島村。なーに朝っぱらから騒いでんだよ」

続けて横川が絡んでくる。ルート営業に出る間際にあんなやり取りを見せられたからか、どこか不機嫌そうだ。

「入社したての頃、一緒に頑張ろうって言ってたのにな。お前にはがっかりだ」
「知るか。もう昔のことだろ」

嫌味たっぷりに昔話を聞かせてくる。その表情には営業トップの余裕がにじんでいた。

「せっかく俺の営業ノウハウを授けてやろうと思ってたのによ。お前が土下座して頼み込んだらな」
「…気になってたよ。お前がどうやって契約を取ってたのか。コツがあるなら今からでも教えてくれよ」
「フン、企業秘密だ。もうじきここを辞める敵のお前には教えてやんねえよ」
「敵、か。もしかして、お前もやましいことがあるんじゃないのか?」
「…さあな」

一瞬、横川がひるんだ。

「とにかく、俺は近いうちにここを出て行く。有給を使うから、もうここには来ねえよ」
「あ、有給?そんなもんうちにあったのか?」
「あったよ、使わせてもらえなかっただけで」
「…はあ、軟弱者が。好きにするがいい、もう会いに来るなよ」
「ああ、俺の方こそ願い下げだね」

互いに捨てゼリフを吐いて、オフィスの外に出た。目的はまるで違うが。

オフィスビルから離れると、日の光が眩しい。悠々とした気分で外を歩いたのもいつ以来だろうか。
明日から会社には行かなくていい。無職だ。
不安はある。しかし、島村の心はどこか晴れていた。もうにあの会社にいるのは限界だと、とっくに気付いていたからだ。
改めて銀行通帳の残高を確認する。給料は少なかったが出費もかさまなかったために、幾分か余裕がある。これなら数か月何もしなくても、生活はできるが。

(やっぱりな、収入ないと怖いもんなー…)

馬車馬のように働かされた恐怖は今も消えない。過労で倒れるかもしれない不安も、お金が入らないと生まれる焦りも、両方知ってしまった。もう昨日みたいに過酷な労働環境にいたくはないが、かといっていつまでも止まるのも怖い。

(まずはバイトかな?少なくとも、生活を維持する収入くらいは欲しい。そこから立て直すか。ああでも、その先どうしよう?なんか勉強して資格でも持っておくか?何かスキル持っておけば、転職する時役に立つかもしれないしな。ネットで調べてみるか。ま、先にバイトの求人に応募しないと始まらないけど)

会社に未来を奪われかけた青年。しかしその呪縛は解け、また視界が開けた。
彼の過去を見れば、やはり選べる道は限りがあるだろう。
それでもどこにでも行ける。まだまだ挑戦出来る。彼には未来があるのだから。
生きてさえいれば、きっとどうにかなる。その言葉を信じて、島村は力強く歩いていく。


そしてしばらく後。

「いらっしゃいませ!お買い上げありがとうございます!」

コンビニのアルバイトとして働く、笑顔の島村の姿があった。