「生きづらさ食堂」あなたのために、のれんは上がる

「さあ諸君!昨日も話したがもうすぐ月末だ!ここでスパートをかけて、さらに良い結果を残すように!」
「「はい!よろしくお願いいたします!」」

翌朝。島村は今日も暑苦しい朝礼を流している。しわしわのスーツで。

「さてと、島村。昨日頼んだ資料は出来ているか?」
「はい、こちらに…」

昨夜残業して作った、資料の束を渡す。

「…まあ良いだろう。これは来月から売りに出す新商品の資料だ。お前も読み込んでおけよ!」
「…わかりました」
「覇気がないな。そんなんだから、営業成績がビリなどと不甲斐ない結果を出すのだ」
「すいません」
「良いか、営業はパッションだ!心で売り込めば、客は必ず応えてくれる!お前にもあるはずだぞ、胸に宿る炎が!私はそれを信じているぞ!」
「はあ…」

商品も言葉も全部うさんくさいからやる気が出ないんですよ、と伝える度胸はやはり島村にはない。

 ◆ ◇ ◆

今日も今日とて営業活動。激しさを増していく酷暑の中、島村は殺人的な量の訪問リストを潰していった。
その結果は…。

(…やっぱり無理だって)

惨敗。箸にも棒にも掛からず。朝からこうしてしらみ潰しに部屋を訪ね、さらに追加で何軒か飛び入りもしてみたが。それでも首を縦に頷く客は1人も現れなかった。

(当然だ。俺がちゃんと説明できないんだから)

訪問したとて、口から出るのは上っ面だけ飾った小ぎれいな言葉だ。聞こえは良いが相手に痛いところを突かれてしまえば、口をもごもごさせて濁すことしかできない。そんな自信のない売り方で、心を動かす人間はいない。
いやむしろ、島村はどこかそれを望んでさえいる。この商品はどこかおかしい、不審なものには絶対に手を出すな。そんな警告を暗に乗せて、客の意欲を削ぐ。断られると、かえって安心するのだ。それが会社を敵に回すをわかっていても。

「他の皆はどうやってコイツらを売りつけてるんだ…?」

他の社員達がこの得体の知れない商品を売り込む方法。そちらがかえって気になってしまった。
島村も入社してすぐ、先輩の営業に同行しノウハウを教わったことがある。…はずなのだが、今となってはどんな様子なのか一切覚えていなかった。先輩の話し方も、客の雰囲気も。そもそも指導してくれたのがどの先輩だったかさえも、思い出せない。もし寝ていたとかなら、その記憶はあるはずなのだが。

横川もどうしているのだろう。営業成績トップの彼が契約を成立させている手段も、島村は聞いたことがない。「もっと優秀な人間の話を聞いて、自分の業務に役立てるが良い!」とか、武田なら言ってきそうだ。横川も別に秘密主義の男ではない。聞き出そうとすればすぐに教えてくれそうなものだが、妙にそんな気になれなかった。

『良いか、営業はパッションだ!心で売り込めば、客は必ず応えてくれる!』

今朝武田に言われたことを思い出した。営業はパッション。情熱が自分にないのは島村自身もよく理解していた。
もしかして、心で売り込むというよりもはやゴリ押しているだけなのではないか。どれだけ商品に疑問があっても、強い口調でまくし立て購入を強いる。反論の余地も許さない。あるいは脅迫まがいのことをしているか、それともコネがあるのか…。


(やめよう。腹が減ると下らないことばかり考える)

ふらつく足取りで次の訪問先へ向かう島村。余計な思考にリソースを割いていては夕方までもたない。
身体が重く、思うように動かない。スーツもしわくちゃのままで、気合が入らない。集中力が散漫になっている。営業どころかただ歩くだけで精いっぱいだ。

(働き過ぎ…なのかな、俺)

休めれば良かったのだが、昨日の一件のせいで島村はとうとう昼休憩すら奪われた。彼に許されたのは、2時間に1度のトイレ休憩だけ。それも10分以上同じ場所に留まっていたら、電話をかけるとの通達が。
部長から電話がかかってくるのは怖い。彼にはもう、のんびり昼食を食べることも、そればかりか立ち止まって身体を休めることも許されない。
彼の身体は極限の疲労状態にあった。それでも歩き回り、働かなければならない。

(それもこれも結果を出せない俺が悪いんだろうな)

営業実績という目に見える成果がある以上、島村に反論の余地はない。自分を苦しめる会社に、これからも従うしかない。

(頭がなんかフラフラする。最近暑いからか…?)

営業ルートを回るべく、重い足取りで歩を進めた。朝からずっと力が出ない。朝食はちゃんと頂いたはずなのだが。白飯1杯とキウイフルーツ。

 ◆ ◇ ◆

「今日もダメでした」
「全く島村、お前は何をやっとるんだ…!」

午後まで粘ってやっぱり今日の成果もゼロ。堪忍袋の緒が切れた武田は、鬼のように赤い顔で詰め寄った。

「お前はもう何年この仕事をやっとるんだ!?もう3年目だろう!この3年の間、お前は何を学んできたんだ!」
「…すいません」
「謝れば済む問題か!?営業がひとつも成立していないというのがどういう意味かわかるか!?お前はこの会社に何の貢献も出来ていないってことなんだよ!お荷物なんだよ!会社の!」

激しい口調に、ぐうの音も出ない正論。島村は黙っていることしか出来ない。

「…何黙ってる。お前悔しくないのか?『お前は無能だ』と課全員の前で言われてるんだぞ?言い返す度胸くらいないのか!?そんな意気地なしだから、キサマはいつまで経ってもゴミクズなのだ!社訓にもあるだろう!身も心も全て会社に捧げて働けと!キサマには会社への感謝が足りておらん!私が直接指導して、その腐った性根を鍛え直してやりたいくらいだ!私が若い頃はな、寝る間も惜しんで会社に尽くしていたのだぞ!何日も会社に寝泊まりして、1本でも多くの契約を生み出せるように尽力していた!それが趣味が大事だの働き方改革だのワークライフバランスだの…近頃の若者は気合が足りとらん!」

「それともアレか?キサマはまだ遊んでいたいとかほざくのか?いつまで学生気分でおるのか!?キサマはこの会社に運良く入れてもらえた名誉ある社会人なのだぞ!それがどれだけ尊いことか、今のお前にはわかるまい。あと30年もここにいれば、理解できるかもしれんなあ!お前の底辺大出身程度の足りない頭じゃ、万にひとつほどしか可能性はなさそうだが…。とにかく、キサマのような人間が我が社に入れることなどヒジョーにありがたいことなのだぞ!無能な頭でも拾ってもらえただけ感謝しろ!」

「良いか島村。会社だってお前のようなデクの坊をずっと抱えてやれるほど余裕はないんだ。何が何でも結果を出せ。もし今月このままの営業成績なら、給料をさらに減らすぞ。わかるか?給料が減れば減るほど、お前の生活は苦しくなるのだ。それが嫌なら…わかっているな?どんな手を使ってでも商品を売れ。いざとなったら脅迫でも何でもしてな。朝から晩まで営業をして休む間もなく働け。たとえ身体がぶっ壊れてもな。お前の代わりはいくらでもいる。が、お前の生活を支えられるのはお前だけだ。あとは…わかるな?では、私はこれにて失礼する。明日から心を入れ替えて業務に励むように!」

口を挟む間もなく喋り続けた武田は、そのままオフィスから消えていった。

「…え、脅迫って?あっちょっと!?」

そこからワンテンポ遅れてようやく島村も反応した。散々言われたが全部聞き取る余裕はなく、要所要所だけ耳に入った。それはあの非情な暴言を丸々食らわなかったという意味では、ある種幸いかもしれない。
しかし不穏なワードをいくつか拾ったのも事実。「給料を減らす」とか、「身体をぶっ壊してでも働け」とか。特に「いざとなったら脅迫でも」というのがあまりにも恐ろしい。昼につい邪推してしまったが、まさか本当にやっているのでは…?と、つい考えてしまう。

「…ったく、ここで怒られるなよ」

さらに冷たい声が。横川だ。彼もこれから帰宅するらしい。あれだけ怒られているのを見せられたら誰だって不快になる、それは理解出来るのだが。

「そんな言い方ないだろ」
「実際お前が役立たずなのがいけない。ここでずっとやっていくんだろ?」
「どうしてそう決めつけるんだよ。最近はみんな普通に転職するじゃないか」
「アホ抜かせ。お前みたいなのが他の会社に拾ってもらえる訳ないだろ。底辺大学で遊んでばかりでやっと拾ってもらえたような奴が。ここでダメなら、どうせどこに行ってもやっていけないぞ」

それは自分でもわかっている。しかし、そんな外からの冷静な評価がまた島村の心を沈ませる。

「じゃあな。明日からは本当に、気持ちを入れ替えて働いた方が良いぜ」

横川もオフィスを出る。他の社員達もいつの間にかいなくなっていて、残ったのは島村ひとりになってしまった。

(…俺も帰ろう)

ふらつく頭で帰り支度をし、彼も部屋を出る。


「俺だって、好きでここにいる訳じゃないんだよ」

昔から勉強が苦手で外で遊んでばかりいた島村には、入れる大学に限りがあった。友達が大学に行くからというそれだけの理由で決めた、大学への進学。実家を出て遊ぶ時間がより確保出来ると、ウキウキ気分で学生時代を過ごしていた。ここでなら、いつまでも遊んでいられる。何も考えなくていい楽しい時間が、無限にも感じられた。

しかしその甘い考えをぶち壊したのが就職活動。友達とただ集まるだけの大学生活を送っていた彼には、企業に見せられる武器がなかった。

『大学出たらどこか拾ってもらえるだろ。なんかテキトーに楽な仕事見つけて、お金もらってまた遊ぶか』

そんな幻想を、社会は無惨にも現実に引き戻す。行けども行けども、返ってくるのはお祈りだけ。彼の心はやがて荒んでいった。プライドを捨てて目につく募集全てに飛びつき、最後の最後に応募した今の企業にようやく採用されたのが、大学4年の3月のことである。

「こんなことになるなら俺も、もっと勉強していれば良かったかな…」

世の中どこも勉強勉強。知識の豊かさや、飲み込みの早さばかりが重んじられる。特に学歴はどこに行っても注目されて、それが無いがために選択肢を失ったことも、島村は一度や二度ではない。
幼い頃から学業には自信がなかった。どこまでさかのぼって後悔すれば、彼の心は治まるのだろう。
無駄なこととはわかっている。過去は変えられない。それでもあの時ああすれば…と引き摺ってしまうのが、やはり人間の性か。

いけない。またダメな思考にハマっている。わかっているのに止めることができない。
極限の空腹。溜まった疲労。そして先程食らった説教のショック。全てが島村にのしかかる。
頭ばかりか目までも回り始め、迫る床が霞んで見えて…。

「あれ…?」

そこで島村の意識は途絶えた。