「生きづらさ食堂」あなたのために、のれんは上がる

「それじゃあこの段落、読み上げてくれるかな?」
「はい。『食品ロスは世界的な課題として取り上げられています。先進国である日本でも…』」

放課後、塾にて。秀人は今日も授業を受けている。

「…ありがとう。さてこの文章ですが、全体を通してみるとそれぞれの段落で決まったテーマが与えられています。このような説明文は、文章全体の構造を見てどんな目的で書かれているのかを意識することが重要になります。具体的に考えてみましょう」

科目は国語。得意ではない文章題の内容なので、いつもは意識して授業に臨んでいるのだが…。

「最初の段落は食品ロスの現状ですね。日本と世界、それぞれで具体的な例を出していますね。具体的な数字を使うことで、説得力を与えています。次の段落で問題点と予想される未来を…」

集中出来ない。理由はやはり、今日の学校でのこと。

「…後の段落で、『フードロスがなくなり無駄のない世界』という理想の未来を述べています。そのために個人でできる工夫の例も、筆者は出していますね。このように『身近なことから自分もやってみよう』と読者に思わせることが、筆者の目的なのだと考えられます」

健介を中心とした男子達にのけ者にされたこと、美樹をはじめ女性陣に気遣われたこと。彼らとのことで頭がいっぱいになり、先生の話が頭に入ってこない。

「…れでは今日の授業はここまでです。ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
「…あ」

気付けば、授業が終わっていた。

 ◆ ◇ ◆

「はあ…」

今日は散々だった。教室でみじめな思いをするわ、塾での授業を棒に振るわ。これだけことが上手くいかなかった日もない。

(それもこれも、全部健介達のせいだ…)

塾から駅への、いつもの道。日が落ちても人通りが多く、街明かりが絶えない賑やかな道。
秀人は1人寂しくとぼとぼ歩く。健介やクラスのみんなをそっと恨みながら。

(健介達はぼくだけ合わせないのがそんなに気に入らないか。1人くらいそういうのが、いたって別にいいだろ。ああいうの苦手だし。女子も女子だ。あんな風に助けられたらみじめじゃんか)

図鑑を読んでばかりいる秀人は、男子の輪にも女子の輪にも混ざれない。同じ教室に通う、数十人の同い年。彼らが同じ空間にいるにもかかわらず、その中で彼は孤独を感じていた。
しかし孤独でも寂しくはなかった。本を開けば、好きな動物達が相手になってくれるからだ。

『メイワクだお前は。男子で1人だけおれ達に合わせられないこと、それがお前の罪だ』
(ぼくが…悪いの?)

秀人は自分の振る舞いを省みる。その答えを彼の頭はすぐに出した。

(…いや、ぼくは悪くない。ぼくは誰も困らせていないじゃないか)

健介のように乱暴ではない。誰かを傷付けてもいない。だから良いのだ。そう決めつけた。

(ぼくは父さん母さんに言われたことをやってるだけだ。2人ともすごい人だ。大学で生き物の研究をしたり、新しい薬を作ったり。すごい発見をして、誰かの役に立ってる。ぼくも2人みたいになりたいって、こうして今日も勉強してるんじゃないか)

もっとも、今日の塾はムダにしてしまったが。それでも本を読み漁り生物や科学の知識を深めたのは、彼の自信になっている。

(そうだ、ぼくは悪くない。悪いのは頭の悪いお前らの方だろ。あんなアニメ見て、何が面白いんだ。ありえない剣でありえないものを斬ってるだけだろ。ぼくがお前らに合わせるんじゃなくて、むしろお前らがぼくに付いて来いよ。いらないことに時間使いやがって…)

ついに秀人の頭は高慢になり始めた。こうしてプライドを守るしか自分を保てないあたり、彼の心はまだ幼い。

(男子も女子も寄ってたかってぼくをバカにして。先生もなんであんなクラス分けにしたんだ。来年はもっとマシなクラスにして欲しいよ…)

膨らんだ不満は先生にまでぶつけられる。彼の苛立ちは募るばかり。だからこそ煌めく街の裏側に、迷い込んだのかもしれない。

 ◆ ◇ ◆

(なんか、妙に長く歩いたような…)

歩き慣れたはずの、塾と駅を通う道。道順も単純で迷うはずなどないのだが。

「あれっ!?」

秀人は辺りを見渡す。人気がまるでない、暗い住宅街。こんな場所には入ったことがない。
どうやら考え事をしながら歩いているうちに、道に迷ってしまったらしい。見知った道でも気を付けなければいけないと、少し反省した。

(戻らなきゃ。でもここはどこ?)

落ち着いて対処しよう。何かあった時の連絡用に、スマホは鞄に入れてある。地図アプリと位置情報を使えば、誰かの手を借りなくてもすぐに戻れるはずだ。

「あれ?どうしたのボク?」

そこに1人の女性が現れる。怜音だった。

「大丈夫?何か慌ててるみたいだけど」
「いや、大丈夫です」

秀人と怜音は初対面である。知らない女性に助けを借りるのは、秀人は避けたかった。

「うーん…あんまり大丈夫そうに見えないけどなー。この辺で見る子じゃないし…もしかして迷子?」
「うっ!?」
「図星かー」

一発で言い当てられ、つい大きな声が出てしまった。

「…塾から帰ろうとしたら、道に迷っちゃったみたいで」
「そっか。家は近いの?」
「いえ、塾がこの辺で電車乗って通ってます。ここから家までは、ちょっと遠くて…」

秀人もついつい口が滑る。これもまた怜音の不思議な魅力ゆえか。

「それは困ったね。1人で帰れそう?ご両親を呼んだ方が良い?それともお巡りさん?」
「そ、それはちょっと…!」

1人で塾に行き、1人で家に帰る。これまでずっとそうしてきた。誰の負担にもならないように、忙しい親に苦労をかけないために。それなのにここに来て人の助けを借りては、情けないにも程がある。

「ひ、1人で帰れますよ…。子供扱いしないで下さい」
「そうなの?」
「はい、大通りに出る道さえ、教えてもらえれば。あとは自力で駅を探しますよ」
「大丈夫?これからの時間帯、また人通りが増えて身動きとりづらくなるけど…」
「…位置情報アプリもあるから大丈夫です。とにかく大きな道に戻れたら良いですから」
「それならこの道をまっすぐ行けば、大通りに戻れるよ。そこから右にまっすぐ進めば、一番近い駅かな」
「ありがとうございます。ではこれで…」
(くうう…)

締まらない。すぐにも立ち去ろうとしたところで、秀人の腹の虫が鳴った。

「…私にも聞こえたんだけど」
「すみません」
「お腹空いたの?」
「…はい」

初めて会った女性に空腹を心配された。迷子状態から脱出できる絶好のタイミングでこれは恥ずかしい。
道に迷い、帰宅が遅くなってしまったのだ。普段ならばこんな遅くまで外にはいないから。今日最後に食事を摂ったのは、昼の給食だ。

「そういえば夜ご飯はどうするの?お母さんが待ってる感じ?」
「…あっ」

ここで秀人は昨夜のことを思い出す。
母は明日、確実に帰りが遅くなる。だから夕食は1人で済ませて欲しいと、1,000円札を1枚渡された。
そのお札は今も、彼の財布に挟まっている。

「ふーん?じゃあ今日は、外で食べる感じだ」
「お店に入るのはしませんけどね。普段はコンビニ弁当を買って食べてます」
「まあ危ないもんね?子供1人だけで夜のお店入るのって」
「…だから子供扱いしないで下さい」
「ごめんごめん。で、今日はどうするの?」
「まあいつものように、コンビニで何か買って帰ります」

このパターンだと母は秀人が起きている時間帯に帰ってこない、というのは学習済みだ。何を食べているかを一応聞かれはするが、基本的には秀人の自由にさせている。

「『お野菜もちゃんと食べてね』とかちょっと言われたりもしますが。あんまりしつこく怒られることもないですよ」
「そっか。じゃあさ…」

ここで怜音がある提案をする。

「うち入る?うち、ご飯屋さんなんだけど」
「へ?」

秀人も予想していなかった展開に、またも声をあげてしまう。

「いや、夜お店に入るのは危ないって」
「大丈夫大丈夫!うちは夜もやってるけど、今他にお客さんいないんだ」
「閑古鳥…」
「それは気にしなくていいの!とにかく、今ならゆっくりできるよ?お腹いっぱい食べられるし、少し待てば人通りが少なくなって帰りやすくなるし。それに夕食代、安くしとくからさ」

困った。あまりにも都合が良すぎる。ついつい興味が湧いてしまうが…だからこそ、秀人は疑心を抱いた。

「なんか、こういう手引きの仕方ってありますよね…。誘拐される子供達って、こうやって連れ去られていくんでしょうか」
「ち、違うって!別に拉致したりとかそういうのじゃないから!」

ここまで疑り深い性格の人間も、怜音が相手にするのは珍しい。あまり見ないタイプに格闘しつつ、信じてもらえそうな情報を必死に探す。

「あ、ホラあそこ!電気付いてるでしょ!あれが私のお店!」
「…ただの人のおうちっぽいんですけど」
「うん、うちって昼は賑わうけど夜はひっそりやってるから。のれんはその日の気分で上げたり上げなかったり」
「いい加減ですね」
「確かに、うちの店長はいい加減だけど…料理の腕は間違いないから。あそこで何年もお店やってるし、しっかりしてるよ」
「そうなんですか…」

怜音の必死の説得もあって、秀人も緊張が和らいでいく。彼もようやく怜音と打ち解けていった。

「ま、初めて会った人にいきなり誘われてもびっくりすると思うけどさ。信じて欲しいかな。今日はうちで食べて行かない?」
「…はい」

今夜は帰宅が今までで一番遅くなるだろう。1人で外食をするのも初めてだ。
しかしたまには良いだろう。秀人も意を決して、怜音の後に付いて行った。