不完全な正解(ぼくら)

次の日、玲華は学校に来なかった。
昨日、たくさん泣いてしまったからだろうか。
それとも、家で何かあったのだろうか。
昨日の玲華の顔が、何度も頭の中によみがえる。
『未優は、裏切らないよね?』
あのとき、私は迷わず頷いた。
絶対に味方だと。
ひとりになんてさせないと。
だから――心配になってメッセージを送った。
よくあることしか思い浮かばなかった。

『今日、学校来ないの?』

送信ボタンを押したあと、しばらく画面を見つめた。
昨日の今日だからやっぱり心配。
すぐに既読がつくことを期待していたけど、画面は何も変わらない。
もう一度メッセージを送ろうとしたけど、やめた。
しつこいと思われるかもしれない。
今はそっとしておいた方がいいのかも。

私は何をすればいいのかがわからない。




















玲華が休んでから三日が経った。
一日くらいなら、体調が悪いのかもしれないと思えた。
二日目には、家で何かあったのではないかと不安になった。
三日目になると、何かあったのではなく、何かが起きているのだと考えずにはいられなくなった。
連絡は、まだ返ってこない。
お昼休み、お弁当を食べていても玲華のことが頭から離れなかった。
「未優、どうしたの?」
向かいに座った部活の友達が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「え? ううん、なんでもないよ」
笑ってごまかす。
やりずらいなー…。
私はお弁当の箸を止めた。
あまり食欲がない。
お母さんの作るお弁当も最近は味がしなかった。





















次の日もまた次の日も玲華が学校に来ることはなかった。






数日後、私は生徒指導室に呼び出された。

「前田、ちょっといいか」
昼休みが終わる頃、担任の先生に声をかけられた。
「……はい?」
「少し聞きたいことがあるんだ。放課後、時間をもらえるか」
先生の表情はいつもと変わらなかった。
それなのに、心臓が嫌な音を立てた。
脈が速くなるのを感じる。
ドクンドクンドクンと全身に聞こえるほどだ。
玲華のことだ。
きっと、玲華のことに違いない。
「三崎のことで、確認したいことがある」
やっぱり。
先生の口から名前が出た瞬間、手のひらにじっとりと汗がにじんだ。
「……わかりました」
そう答えることしかできなかった。
私が玲華を助けないと。

















放課後。
生徒指導室の前で、私は何度も深呼吸を繰り返していた。
大丈夫。
別に何も悪いことはしていない。
変に緊張する必要はない。
落ち着け私。

そう自分に言い聞かせても、心臓の音は少しも静かにならなかった。
心臓が前に飛び出しそうになるのを必死に抑えたながら、扉をノックすると、中から先生の声がした。
「どうぞ」
部屋の中には、担任の先生と、見たことのない年配の先生が座っていた。
「座っていいよ」
促されるまま、私は椅子に腰を下ろした。
どうしよう。何を聞かれるのか。何を話せばいいのか。
脳が高速で回転して必死に考えてるけど、緊張でショートしそうだ。

変な汗がじっとりと背中につたった。

膝の上で握りしめた手が、じんわりと湿っている。
全員が席につき、嫌な間が続いた。
最初に口を開いたのは担任の先生だった。
「三崎のことで、何か知っていることはないか」
静かに聞いてきた。
「……玲華のこと、ですか?」
私は慎重に返す。
「ああ。最近、学校に来ていないだろう。こちらから連絡しても音沙汰が無い。この間の件も含めて、心配しているんだ」
私は唇を結んだ。
それだとはわかっていたけど、いざ聞かれるとなんと言っていいのかわからなかった。
……知っていること。
夜のコンビニで見た玲華の姿。
煙草を吸って、知らない男の人たちと笑っていた姿。
これは、私が話していいことではない。
これを話したら、噂してる人と同じになってしまう。
軽々しく喋れるようなことは何ひとつもない。
何も話すつもりはなかった。

部屋に重い沈黙が続く。先生たちは私の言葉を待っている。
私は唇を開けられない。乾燥して、少し痛い。

玲華がどうしてあんな場所にいたのか、私は知っている。
家に居場所がないこと。
お母さんから、暴言を浴びせられていること。
生活費も十分にもらえず、自分で稼いで暮らしていること。
玲華は何も悪いことをしていない。
私はそう思っている。
だから、私が少しでもあなたの力になりたい。
「……玲華、家で大変みたいなんです」
気がつけば、声が出ていた。
あなたを救うためなの。
先生たちが私を見る。
あなたが少しでも……。

「お母さんと、うまくいっていないみたいで。生活費ももらえていないって……。お母さんに、玲華がいるせいで再婚できないって言われてるみたいなんです」
話しながら、胸が痛くなった。
私は何もできないから。
私じゃ無理だと思ったから。
このまま放っておいたら、玲華はどうにかなってしまう。
「……私、玲華が心配なんです」
最後の言葉は、ほとんど声にならなかった。
先生たちはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「話してくれてありがとう。前田が心配していることは、よくわかったよ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
よかった。
少し安心した。
「三崎の安全については、学校としても確認しなければならない。必要に応じて、関係機関への相談も考えることになる」
関係機関。
その言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。
一瞬、心がざわっとした。
「……それって」
「三崎が安心して生活できる環境にいるのか、確認するということだよ」
先生は穏やかな口調で説明してくれた。
私は、小さく頷いた。
そうか、それなら。
確認してくれるんだ。
玲華がちゃんとご飯を食べられているのか。
眠れているのか。
今生きているのか。

ひとりで抱え込まなくてもいいように、誰かが助けてくれるのか。
そう考えたら、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
私ひとりでは、何もできなかった。
でも、先生たちなら。
玲華を助けられるかもしれない。
「……お願いします」
私は頭を下げた。
「玲華を、助けてあげてください」
それが、そのときの私にできる精いっぱいだった。



家に帰ってからも、私はずっとスマホを気にしていた。
玲華からの連絡は、まだない。
ベッドに寝転がり、天井を見上げる。
これでよかったんだよね。
玲華の少しの力になれたよね。
そう思いたかった。
誰かに相談したことを、玲華が知ったら怒るだろうか。
一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
けれど、すぐに打ち消した。
だって、私は玲華の味方だ。
玲華が苦しんでいるのを知っていて、何もしない方がよっぽどひどい。
きっと、玲華もわかってくれる。
いつか、落ち着いたら。
二人で笑える日が来たら。
そのときに、ちゃんと話そう。
そう決めて、私はスマートフォンを枕元に置いた。
画面は、最後まで光らなかった。



玲華が学校を休んでから、一週間が経った。
それでも、彼女は戻ってこなかった。
担任の先生に尋ねても、「今、学校として対応しているところだ」としか教えてもらえなかった。
何が起きているのか、私にはわからなかった。

徐々に不安は募って、私の心に蓄積していった。
何かが少しずつ変わっていっている。
そんな気がしていた。
大丈夫。
きっと、大丈夫。
私は玲華を助けられた。
それに代わりないと信じてる。