九月。
夏休みの雰囲気が抜けないまま怠惰に生活している頃。
二学期が始まった途端、私が夏休みの間抱いてた淡い期待はあっけなく打ち砕かれた。
「ねえ、未優ちゃん。あんまり三崎さんと関わらない方がいいよ」
放課後、部活の友達に真剣な顔でそう囁かれた。
聞けば、玲華が夜遅くに他校のヤバめなグループと遊んでいること、飲酒や喫煙をしているという噂が、夏休みの間に校内で一気に広まってしまったらしい。
ズキっと心が傷んだ。
私のは見間違いでも人違いでもなかったのかもしれない。
自分が一ヶ月間信じたものは段々と壊れていった。
玲華を避けるような冷ややかな視線が、あちこちに飛び交っていった。
玲華の席の周りだけが、ぽっかりと不自然な空白に染まっている気がした。
ある日のお昼休みのこと。
教室が、ガヤガヤと騒々しい中、私は今日も挑んでいた。
「……玲華っ!」
私は彼女になんて声をかけていいかわからなかった。
「なに」
玲華は話しかけないで、と目で訴えている。
……っ。
「……ごめん。なんでもない」
親友からの向けられたことのない視線に今日も負けてしまった。
玲華ら、それだけ聞くと、すたすたと教室から出て行ってしまった。
……今日もどこかお昼を食べるみたいだ。
……私は弱虫だ。
かばってあげることができない。
玲華はそんなことする人じゃない、と大声をあげて否定することができない。
なぜだかはわかってる。
自分が見てしまったから、とかではなくて、自分が大勢の人から避けられるのがきっと無理なんだ。
そんなこと、と思いながらもそうできない自分が嫌になる。
ひとりじゃ何もできないやつだ。
だけど、私は、信じてるから。
玲華が話すまで私はずっと待ってるから。
私はあなたの味方だから。
あれから二週間が経ったその日の放課後に事は起こった。
終礼が終わった直後、玲華が担任に呼び出されたのだ。
私は絶望した。
玲華が黒だと言っているようなものではないか。
静まり返った教室の中で、クラスメイトたちの視線は、一斉に玲華へと集まった。
好奇と、蔑みと、どこか楽しむような、冷たい視線の数々が彼女に向けられている。
玲華は表情一つ変えず、ただゆっくりと教室を出て行った。
玲華に今日まで何もしてあげられなかった。
ただ呆然と過ごすことしかできなかった。
いちばんの友だちなんじゃないの…?
何度も何度も心の中で自分に言った言葉がまたリフレインする。
そんなの、私がいちばんわかってるよ……。
私は、ただ机に突っ伏して悪い方向にならないよう、考えることしかできなかった。
私はきっと偽善者なんだ。
およそ一時間後、玲華が教室に帰ってきた。
誰もいなくなった放課後の教室で、玲華と私だけがいた。
私は意を決して、彼女に歩み寄った。
「……玲華っ」
声をかけると、玲華はゆっくりとこちらを向いた。今日はちゃんと顔を見ることができた。最近は話しかけることで手一杯でできなかったから。
だけど、一瞬、私はまた怯んでしまった。
前よりもずっと痩せていて、生気がない……。
っ……。なんで気づけなかったんだろう。
いちばんの友だちとか言っておきながらこんなにもなるまで気づくことができなかった。
「未優。……まだ残ってたんだ」
「…うん。あのさ、」
言うんだ。玲華から踏み込まないで、とオーラを感じていたからなにも聞くことができなかった。
でも、こんなにまでなってもう放って置くことはできないよ。
「…何かさ、困ってることがあるなら、私に……」
小さくて弱々しい今にも消えそうな声が、静かな教室に消えてしまった。
こんなんじゃ、何も話してくれないかもしれない。
私の言葉に、玲華は自嘲気味に口元を歪めた。
「困ってる、ね。……もう、ちゃくちゃだよ」
それは私にではなく、自分自身に言っているように聞こえた。
「お母さん、私のことが邪魔なの」
玲華は急に話し始めた。
「…え」
「うち、母子家庭じゃん?でもお母さん、再婚したい人がいるんだって。最近はさ、その人の家にずっと泊まり込んでて、私のことなんて忘れてる。たまに帰ってきたと思ったら、あんたのせいで再婚できない、あんたなんか産まなきゃよかったって、ひたすら浴びせられるの。こんなんなら早く死にたいんだけど」
玲華が言うひとつひとつの言葉に私は理解が追いつかなかった。
ちょっとまって、頭が追いつかない。
中学の頃、玲華の家に遊びに行ったことがある。
そのとき、玲華のお母さんは優しく迎えてくれて、お昼ごはんも作ってくれて、それで、――そんなことをするような人には見えなかった。
「生活費も全然くれないから、自分でバイトしてさ、ギリギリで生活費を稼いでるの。でも、高校生のバイト代なんてたかが知れてるじゃん? 服も買えないし、ご飯だってまともに食べられない」
玲華の声は、怒るわけでも泣くわけでもなく、ひどく淡々としていた。それが余計に私をパニックにさせた。
「バイト先の先輩たちはね、みんな私と似たような人たちなの。親に捨てられたり、家に居場所がなかったり。あそこにいるときは、息ができる気がした。どんどん沼にハマっていってるのはわかってる。危ないのも。でも、学校でも、家でも、私には居場所がないの……」
玲華はそこで初めて、言葉を詰まらせた。その綺麗な瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出す。
彼女は突然、私の両手を、壊れそうなほど強い力でギュッと握りしめた。
「未優……未優は、裏切らないよね? 私のこと、信じてくれるよね?」
「玲華……」
「みんな私のことを白い目で見る。私にはもう、未優しかいないの。最近、避けてごめん。でも、未優を巻き込みたくなかったから。だけど、ごめん。お願い、私を一人にしないで……」
縋り付くような、悲痛な叫びだった。
手のひらから伝わってくる玲華の体温は、驚くほど冷たかった。
「裏切らないよ。絶対に、私は玲華の味方だから」
私は、彼女の手を握り返しながら、強くそう誓った。
この手を握り返さない理由なんてない。
玲華は悪くない。全部、環境のせいだ。
話しにくかっただろう。誰にも言いたくないはずだろう。
それを私に言ってくれた。
今まで何をもやもや考えていたんだろう。
周りの目とかそういうのはどうでもよくて、今までずっといっしょにいてくれた玲華を助けなくてどうするの?
彼女を救わないと。
「玲華、ごめんね。ひとりにさせてごめん。話してくれてありがとう。私はここにいるからさ、だから頑張ろう」
顔を抑えて泣く玲華に私は抱きついた。
今この子を守れるのは私しかいない。
ぎゅーっ、と自然と腕に込める力が強くなった。
想いが伝わって欲しい。
苦しいよ、と少し笑った玲華を見て、私はさらに抱きついた。
夏休みの雰囲気が抜けないまま怠惰に生活している頃。
二学期が始まった途端、私が夏休みの間抱いてた淡い期待はあっけなく打ち砕かれた。
「ねえ、未優ちゃん。あんまり三崎さんと関わらない方がいいよ」
放課後、部活の友達に真剣な顔でそう囁かれた。
聞けば、玲華が夜遅くに他校のヤバめなグループと遊んでいること、飲酒や喫煙をしているという噂が、夏休みの間に校内で一気に広まってしまったらしい。
ズキっと心が傷んだ。
私のは見間違いでも人違いでもなかったのかもしれない。
自分が一ヶ月間信じたものは段々と壊れていった。
玲華を避けるような冷ややかな視線が、あちこちに飛び交っていった。
玲華の席の周りだけが、ぽっかりと不自然な空白に染まっている気がした。
ある日のお昼休みのこと。
教室が、ガヤガヤと騒々しい中、私は今日も挑んでいた。
「……玲華っ!」
私は彼女になんて声をかけていいかわからなかった。
「なに」
玲華は話しかけないで、と目で訴えている。
……っ。
「……ごめん。なんでもない」
親友からの向けられたことのない視線に今日も負けてしまった。
玲華ら、それだけ聞くと、すたすたと教室から出て行ってしまった。
……今日もどこかお昼を食べるみたいだ。
……私は弱虫だ。
かばってあげることができない。
玲華はそんなことする人じゃない、と大声をあげて否定することができない。
なぜだかはわかってる。
自分が見てしまったから、とかではなくて、自分が大勢の人から避けられるのがきっと無理なんだ。
そんなこと、と思いながらもそうできない自分が嫌になる。
ひとりじゃ何もできないやつだ。
だけど、私は、信じてるから。
玲華が話すまで私はずっと待ってるから。
私はあなたの味方だから。
あれから二週間が経ったその日の放課後に事は起こった。
終礼が終わった直後、玲華が担任に呼び出されたのだ。
私は絶望した。
玲華が黒だと言っているようなものではないか。
静まり返った教室の中で、クラスメイトたちの視線は、一斉に玲華へと集まった。
好奇と、蔑みと、どこか楽しむような、冷たい視線の数々が彼女に向けられている。
玲華は表情一つ変えず、ただゆっくりと教室を出て行った。
玲華に今日まで何もしてあげられなかった。
ただ呆然と過ごすことしかできなかった。
いちばんの友だちなんじゃないの…?
何度も何度も心の中で自分に言った言葉がまたリフレインする。
そんなの、私がいちばんわかってるよ……。
私は、ただ机に突っ伏して悪い方向にならないよう、考えることしかできなかった。
私はきっと偽善者なんだ。
およそ一時間後、玲華が教室に帰ってきた。
誰もいなくなった放課後の教室で、玲華と私だけがいた。
私は意を決して、彼女に歩み寄った。
「……玲華っ」
声をかけると、玲華はゆっくりとこちらを向いた。今日はちゃんと顔を見ることができた。最近は話しかけることで手一杯でできなかったから。
だけど、一瞬、私はまた怯んでしまった。
前よりもずっと痩せていて、生気がない……。
っ……。なんで気づけなかったんだろう。
いちばんの友だちとか言っておきながらこんなにもなるまで気づくことができなかった。
「未優。……まだ残ってたんだ」
「…うん。あのさ、」
言うんだ。玲華から踏み込まないで、とオーラを感じていたからなにも聞くことができなかった。
でも、こんなにまでなってもう放って置くことはできないよ。
「…何かさ、困ってることがあるなら、私に……」
小さくて弱々しい今にも消えそうな声が、静かな教室に消えてしまった。
こんなんじゃ、何も話してくれないかもしれない。
私の言葉に、玲華は自嘲気味に口元を歪めた。
「困ってる、ね。……もう、ちゃくちゃだよ」
それは私にではなく、自分自身に言っているように聞こえた。
「お母さん、私のことが邪魔なの」
玲華は急に話し始めた。
「…え」
「うち、母子家庭じゃん?でもお母さん、再婚したい人がいるんだって。最近はさ、その人の家にずっと泊まり込んでて、私のことなんて忘れてる。たまに帰ってきたと思ったら、あんたのせいで再婚できない、あんたなんか産まなきゃよかったって、ひたすら浴びせられるの。こんなんなら早く死にたいんだけど」
玲華が言うひとつひとつの言葉に私は理解が追いつかなかった。
ちょっとまって、頭が追いつかない。
中学の頃、玲華の家に遊びに行ったことがある。
そのとき、玲華のお母さんは優しく迎えてくれて、お昼ごはんも作ってくれて、それで、――そんなことをするような人には見えなかった。
「生活費も全然くれないから、自分でバイトしてさ、ギリギリで生活費を稼いでるの。でも、高校生のバイト代なんてたかが知れてるじゃん? 服も買えないし、ご飯だってまともに食べられない」
玲華の声は、怒るわけでも泣くわけでもなく、ひどく淡々としていた。それが余計に私をパニックにさせた。
「バイト先の先輩たちはね、みんな私と似たような人たちなの。親に捨てられたり、家に居場所がなかったり。あそこにいるときは、息ができる気がした。どんどん沼にハマっていってるのはわかってる。危ないのも。でも、学校でも、家でも、私には居場所がないの……」
玲華はそこで初めて、言葉を詰まらせた。その綺麗な瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出す。
彼女は突然、私の両手を、壊れそうなほど強い力でギュッと握りしめた。
「未優……未優は、裏切らないよね? 私のこと、信じてくれるよね?」
「玲華……」
「みんな私のことを白い目で見る。私にはもう、未優しかいないの。最近、避けてごめん。でも、未優を巻き込みたくなかったから。だけど、ごめん。お願い、私を一人にしないで……」
縋り付くような、悲痛な叫びだった。
手のひらから伝わってくる玲華の体温は、驚くほど冷たかった。
「裏切らないよ。絶対に、私は玲華の味方だから」
私は、彼女の手を握り返しながら、強くそう誓った。
この手を握り返さない理由なんてない。
玲華は悪くない。全部、環境のせいだ。
話しにくかっただろう。誰にも言いたくないはずだろう。
それを私に言ってくれた。
今まで何をもやもや考えていたんだろう。
周りの目とかそういうのはどうでもよくて、今までずっといっしょにいてくれた玲華を助けなくてどうするの?
彼女を救わないと。
「玲華、ごめんね。ひとりにさせてごめん。話してくれてありがとう。私はここにいるからさ、だから頑張ろう」
顔を抑えて泣く玲華に私は抱きついた。
今この子を守れるのは私しかいない。
ぎゅーっ、と自然と腕に込める力が強くなった。
想いが伝わって欲しい。
苦しいよ、と少し笑った玲華を見て、私はさらに抱きついた。
