不完全な正解(ぼくら)


七月。
学校生活にもとっくに慣れた頃。
五月蝿く鳴り響く蝉の声にも、すっかり耳が慣れてしまった。
日曜日の夜、特に予定のない私は退屈を持て余していた。
「みゆー、ちょっとコンビニ行って牛乳買ってきてくれない?」
夜の九時を過ぎた頃、リビングでテレビを見ていた母にそう頼まれた。いつもなら面倒くさがるところだけど、一日中冷房の効いた部屋にこもりきりだった体には、夜風がちょうどいい散歩になる気がして、私は財布をつかんで家を出た。
昼間の熱気がまだアスファルトにべったりと残る夜道を、サンダルをペタペタと鳴らして歩く。
相変わらず、暑いよなぁ。
服が肌に張り付くのを感じながらゆっくりと歩く。
街灯の薄暗い光に、小さな虫たちが群れて羽音を立てていた。
夏の夜ってたまに惹かれる。
住宅街を抜けると、暗闇の中に、変に浮き出た、見慣れたコンビニの白い明かりが見えてくる。
自動ドアをくぐろうとした、そのときだった。
視界にスローモーションで情報が入った。
コンビニの脇にある、自動販売機の裏の薄暗いスペース。ゴミ箱の横に、数人の男女がたまっている。派手な金髪混じりの髪型をした男の人なんかもいる。
やばそうな連中。
目が合わないようにふいっと逸らそうとした瞬間。
その中に見覚えのある、すらりとした綺麗なシルエットの後ろ姿があった。
――え?
足元が地面に縫い付けられたように動かなくなった。
怖い。脳がこの場から離れろと強く訴えている。
短いスカートのポケットから無造作にライターを取り出し、火を点けている。口元に咥えた細い煙草の先に引火し、赤く小さな火種が浮かび上がった。白い細い煙が、夜の生ぬるい空気に溶けていった。足元には、缶チューハイの空き缶が転がっている。
煙を吐き出しながら、男に気怠そうに笑うその横顔は、間違いなく私の知っている人だった。
「ねー玲華、次のシフトいつ? 終わったらまたウチ来なよ」
さっきの金髪が知っている名前を呼んだ。
「んー、気が向いたらね。てか、一本ちょうだい」
私の知っている声が頭に響いた。
「自分で買いなよー、ケチ」
聞き慣れた声が、今は別人のように冷たくて、突き放されているように感じた。
誰だ、あれは。
目を逸らしたくても自分の意思とは反対に追ってしまう。
心臓が破裂しそうなほどドクン、と大きく跳ね上がっている。
これ以上は危険だ、と脳が言っている。
でも――。
私の知っているあなたと、今、目の前で男たちと煙を燻らせている彼女の姿が、どうしても頭の中で結びつけられなかった。結びつけたくなかった。
確かめずにはいられなかった。

ハアハア、ハアハア……。
喉の奥がカラカラに乾き、自分が呼吸をするのも忘れていることに気がつく。
息が吸えない。
足がどんどん沼に呑み込まれていくようだ。
見つかったら、どうしよう。声をかけるべきなのか。いや、これは何かの見間違い、そうに決まってる。
――気のせいだ。人違いだ。
あれは玲華じゃない。
私は牛乳を買うことも忘れて、その場を飛び出した。一瞬の正常を取り戻して瞬間に踵を返したのだ。
サンダルが脱げそうになって、何度も転びそうになった。
「やだっ…。そんなはずないっ……」
心臓の音が耳の奥でうるさく響く。べったりと纏う熱気も今は感じない。冷たい夜風を切って走ると、冷や汗が身体中に流れて気持ち悪い。
不格好な走り方で家まで向かう。
早く早く――。
やっと家が見た。いつもよりうんと長く感じた。
玄関のドアに手をかけたが、なぜだか開けられなかった。
私はしばらく、玄関の前で呆然としていた。
家の前に人影が見えて、不審に思った母が扉を開けてくれたことで、私はようやく家の中に入った。母は私の顔を見てぎょっとしたが、何も聞いてこなかった。
重い足取りで、おぼつかない歩き方で、なんとか自分の部屋に着いた。
ベッドにダイブして布団にくるまった。
全部私の見間違い。見間違い。
呪文のように言い聞かせて、必死に耐えた。
あれは玲華じゃない。
大丈夫。大丈夫。
自分にそうひたすら言い聞かせた。

そして、その晩は一睡もすることができなかった。