不完全な正解(ぼくら)


四月。
満開の桜が通学路を染める頃、私は高校二年生になった。
文系理系でクラスが分かれ、雰囲気が一年生のときから少し変わったくらいしか、大きな変化はなかった。少し古びている下駄箱も、隅に埃が溜まっている階段も、何も変わっていない。ワンフロア下がっただけで、廊下の雰囲気も教室の中も、知っている景色のままだった。
二年D組。
ここが今日から一年間通う教室だ。少し浮ついた気持ちで、一歩を踏み出す。なんだか知らない空間に入ったような、不思議な気分だった。
黒板には、出席番号順に座るよう指示が書かれていた。『進級おめでとう』とか、ちょっとした一言くらい書いてくれてもいいのに。味気ない教室だ。別にそれが普通なんだけど、何も変わっていなくたって、新学期はそれだけで新鮮な気分になる。だから、少し寂しいような気がした。
前田未優(まえだみゆ)は、出席番号十九番。さっき下駄箱のクラス名簿で確認したから、ちゃんと覚えている。
このクラスの在籍人数は三十五名。縦六席、横六席で、廊下側の連なりの一番後ろだけが一席抜けた座席配置になっている。
そうすると、私の席は……。
廊下側から数えて四列目の、前から二番目。普通にハズレじゃん、と心の中でこっそり項垂れた。
しばらくこの席か、とため息をつきそうになったとき、「おはよー」と頭上から声をかけられた。

三崎玲華(みさきれいか)。彼女は、中学校のときからのいちばんの友だちだ。

大人びた切れ長の瞳に、すっと通った鼻筋。玲華はまさに、その名前の通りの綺麗な容姿とスタイルを持っている。でも性格は、そのクールな見た目とのギャップがあって、繊細で人見知りがちだ。
「おはよ。今年もいっしょだったね」
私が顔を見上げると、玲華は嬉しそうに目を細めた。
「ね。これで高三までいっしょなの確定じゃん」
玲華とは中学二年のときからずっと同じクラスで、もう長年の付き合いになる。私たちの学校は高二から高三への進級時にクラス替えがない。つまり、卒業までずっと一緒ということだ。
玲華が当然のように、私のすぐ後ろの席に荷物を置こうとした。だけど、これは去年までとは違う。
「あ、そこは後ろに三浦くんが入るから、玲華はもう一個後ろだよ」
「うそ、まじで? 席、前後じゃなくなっちゃったのかぁ」
少し残念そうに肩を落としながら、玲華はさらに一つ後ろの席に腰を下ろした。
「私より後ろの方の良い席なんだから、いいじゃん」
「よくないー。未優の後ろがよかったの」
拗ねたように頬を膨らませる。クール美人な彼女の顔が、私の前だけで完全に崩れていた。相変わらずだな、と思う。
「すぐ席替えするかもよ?」
「そしたら、更に離れるかもしれないじゃん」
むちゃくちゃな理屈だ。
「「ふはっ」」
思わず二人で同時に吹き出してしまった。
やっぱり、何も変わっていない。



ガラガラと前方の扉が開き、担任の先生が入ってきたことで、教室のざわめきが一度に収まった。
進級初日のホームルームは、新学年でお決まりの自己紹介が行われた。特にこれといった緊張感もなく、淡々と進んだ。
その後に続いた午前中の授業も、初日ということもあって、自己紹介や今後の進め方の説明がメインだった。

「やっぱり最初は、どの授業もゆっくりだよね」
腕を伸ばして身体をほぐす。椅子に座っているのに疲れた。
四時間目のチャイムが鳴り響くと同時に、教室内は一気ににぎやかさを取り戻した。長かった午前中も終わり、お昼休みだ。
やっとお弁当。おなかのすき具合が半端じゃない。
「最初だけはいいんだよね」
玲華が自分の椅子を慣れた手つきで運んでくる。
「だよね。あ、今日さ、お母さんが初日だからって私の大好きな唐揚げ入れてくれたんだよね」
私はカバンから、母が毎朝作ってくれるお弁当箱を取り出した。玲華が、未優ママ毎回手凝ってるよねー、と返してくる。
「あ、そうだ。聞いてよ、昨日お兄ちゃんがさー」
お弁当の蓋を開けながら、私は昨日家で起きた兄とのやりとりを話し始めた。玲華は「あはは、相変わらず仲良いよね」と笑いながら聞いてくれている。
玲華もカバンからお昼ごはんを取り出していた。

……え?

「玲華、お昼それだけじゃ足りなくない?これ以上痩せてどうすんのー?」

おにぎりだけだった。

「んー、なんか朝からあんまり食欲なくてさ。あ、未優、そのリップ可愛い。新しく買ったの?」
話をあからさまに変えられた気がした。
でも、本人が大丈夫そうならこれ以上突っ込まなくてもいいか。
玲華は気にする様子もなく、おにぎり片手に、私のポーチから覗く新しいリップを指差している。
「あ、これ? インスタで流れてきてからずっと欲しくてこの間買ったの。最近コスメハマっててさ、今度玲華も買いに行こうよ」
「いいじゃん、いっしょに行こうね。未優は色白だから、青みピンクとか似合うよね」
玲華は優しく微笑みながらおにぎりを食べている。
画になるなぁ。ほんと美人で、一つひとつの所作がどこかの映画のワンシーンみたい。
「あ、そういえばさ」
玲華が咀嚼しながら、悪戯っぽく目を細めた。
「最近、B組の佐藤とはどうなの? 去年の選択科目が一緒だったときから結構連絡取ってるんでしょ?」
「ちょっと、声大きいってば!」
私は慌てて玲華の口を手で押さえるフリをした。
「佐藤くんとは、その、たまにLINEとかするくらいだよ。趣味が合うから、話してて楽しいだけで……」
顔が熱くなるのが自分でもわかった。玲華はそれを見て「へえ、怪しいなー」と、いつものように私をからかってくる。
「もう、やめてよー」
バシバシと玲華の腕を叩くけど、構わずケラケラと笑っている。

なんでもない普段の私たちを他所に、昼休みの終わりを告げる予鈴がかすかに聞こえた。