莉子ちゃんは、すごく可愛い女の子だった。
艶々で黒い髪と、なめらかな白い肌、すらりと伸びた長い四肢に、びっくりするほど端正な顔立ち。
初めて見たとき、本当にこんな子が存在するんだ、と思った。
嫉妬すらできないほどに完璧な姿で、確かに目の前で微笑みかけてくれたのだ。
高校二年生、春。
新しいクラスに変わって、緊張でそわそわしていた私に、ひとつ前の席の彼女が振り返って、「はじめまして」と言ってくれた。
ふんわり咲いた笑顔が、あんまりにも美しくて、可愛くて。
こんなふうに、私もなれたら。
一瞬にして、莉子ちゃんは私のただ一人の憧れになった。
◇
夏休みが明けて早くも一週間、2-4と書かれた扉の下をくぐると、莉子ちゃんは、席替えしたばかりの窓際の前から三番目に腰かけていた。
私は彼女のふたつ右にある自分の席に向かいながら、さらさらの髪をくしで通す後ろ姿を、こっそりと盗み見る。
机に近付くにつれ、彼女の横顔が少しずつ見えてきた。
青色の手鏡を覗き込んでいて、白くて細い指は、しきりに前髪を撫でつけている。綺麗に流れるアイドル前髪と、無造作に切られた私の前髪を比べると、なんだか感心してしまった。
鞄を横に引っ掛けて、軽く授業の準備をしてから椅子に座り、再び莉子ちゃんを眺める。
私にとって、ここはいちばんの特等席だ。
彼女より後ろだと顔が見れなくなってしまうし、彼女よりも前だと不自然に振り返らないといけなくなってしまう。かといって、隣だとじっと見るわけにもいかないし、これ以上離れていると、隣の人が邪魔になって見えなくなってしまうだろう。
月初めの席替えを何度も繰り返して、今回ようやくこの位置にたどり着いたのだ。
来月になったら、どこの席に行くか分からない。だから、今月はめいっぱい莉子ちゃんを観察しよう。
「……今日も可愛い」
うっかり心の声が漏れていたのだろう、頭上から呆れた声が降りかかった。
「小春、まーた言ってるよ」
「うわっ、香織……」
びっくりして見上げると、彼女は「ほんとに莉子しか見えてないのね」と肩をすくめた。
彼女は、佐藤香織。以前隣の席になったことがあって、話すうちに仲良くなった女の子だ。
「そんなことないと思うけど……。莉子ちゃんだけじゃなくて」
そこで、だったら、と遮られた。
「私にも気付いてよね。それに、『ミナトも好き』とか言うつもりなんでしょ?」
図星を突かれて、言葉に詰まってしまう。
莉子ちゃんがただ一人の憧れであるのに対して、ミナトはただ一人の大好きな推しだ。彼はSNSで話題になっている五人組歌い手グループ『Re:mix』のメンバーで、青色担当。顔出しをしていて、リアルもすごくかっこいいのだけれど、私は低音イケボと爽やかな歌声が特に好きだった。
「……それはそうだけど、香織のことも好きだよ?」
「なにそれー。ついでみたいじゃない!」
むっとした彼女に、なす術なく小突かれ続けていると、すぐに飽きてしまったのか、スマホを弄り始めた。
赤色のスマホは、香織が推している、Re:mixのリーダーであるレンのメンバーカラーを意識したらしい。スマホケースに挟まったレンのチェキが指の間から覗いていて、それだけ推しのことが好きなんだと分かる。
「何見てるの?」
「ん、ああ、小春はもうこれ見たかなって」
彼女が向けた画面には、一人の少女が制服姿で踊っている様子が映っていた。ミナトの誕生日記念のソロ曲に合わせて、莉子ちゃんが手でハートを作ったり、投げキッスをしているショート動画だ。
動画内の彼女は、青いリボンで結った三つ編みに、青のカラコンが目を引くメイクをしていた。私はすでに知っているけれど、ついじっと見入ってしまった。
「うん、昨日ね。もう千いいね突破したんだ」
「まあ、莉子がバズらない日なんてないんじゃない?」
口では悪態を付きつつ、ハートマークは赤色になっていた。いいね押したんじゃん、と思ったけど、口には出さないことにする。
莉子ちゃんは、今年度が始まってからSNSの活動を始めたらしい。最初こそミナトのグッズ購入やコラボカフェの記録ばかりだったけど、あるとき顔出しでバズってからは、踊ってみたのような、彼女メインの投稿が多くなっている。
「そのうちミナトにも認知されたりするのかなあ」
「フォロワー二万いったらしいし、もう認知されてるかもよ?」
「うえっ!?」
思わぬ言葉が返ってきて、素っ頓狂な声を上げてしまう。香織は、すぐに「冗談冗談」と否定したけれど、なんだか心臓に悪い。
「でも、ほんとにそうなったら小春的にはどうなのよ」
「私的には……」
ちらりと莉子ちゃんの方を見る。
実は、莉子ちゃんにミナトを布教したのは、他でもなく私だ。話の流れで教えてしまったけど、あんなにハマってしまうとは思っていなかった。
数年前から推していた私よりも早く認知されるかもなんて、羨ましくはあるけれど……。
でも、莉子ちゃんなら。
一拍おいて、口を開く。
「……莉子ちゃんなら、いいかも」
驚いたように、香織が目を見開いた。
「へえ、普通は推しにファンが近づくの、ちょっと嫌だと思うけど」
確かに、私だってあまり良くは思わない。
けど、かっこいいミナトと、可愛い莉子ちゃんが絡むのは少し見てみたい気もするのだ。
「教えなければよかった、って思うことないの?」
香織が、怪訝そうな顔で私を覗き込む。
「まあ、たまに思うことはあるけど……」
それでも。
……ううん、私だって。
なんとも言えないもやもやが湧き上がってきて、慌てて心に蓋を閉じる。
「って、莉子ちゃんが認知されるなんて決まったわけじゃないし!」
確かにね、と笑った香織は、ようやく納得したように頷いた。
「それに、小春の方が案外認知されているかもしれないし」
「えっ」
「だって小春、わりと古参でしょ?意外と覚えてくれてるかもよ?」
そのあと、「私この前、レンにコメント読んでもらったし」と付け加えた。嬉しさが抑えきれていないように、笑みを浮かべている。
そういうことかと理解すると、一瞬でもどきっとした私がバカみたいに思える。
「それ香織が自慢したいだけでしょー!」
私はコメントなんて読んでもらったことないのに、と膨れてみせると、おかしそうに香織が吹き出した。
「あははっ、ばれた?」
「もー!帰った帰った!」
へらへらと笑う香織の背中を、後ろにある彼女の席の方へ押しやる。
「はいはい、またあとでねー」
私に追いやられた香織は、ちょうど登校してきたクラスメイトに話しかけに行ったようだ。談笑するのを見届けてから、背を向けて頬杖をつく。
……いいなあ、香織。
私だってミナトに呼んでもらいたいよ。
はあ、と大きくため息をついてから、横目で莉子ちゃんを観察する。
筋の通った綺麗な鼻、上を向いた長い睫毛、すっきりしたフェイスライン。正面ももちろん可愛いけれど、横顔だと美人さがさらに引き立つ。
手許では、スマホの下の方に取り付けられたミナトのキーホルダーが小さく揺れていた。
『もう認知されてるんじゃない?』
唐突に、香織の言葉が頭によぎる。
されていてもおかしくないし、確かに素敵だと思って「莉子ちゃんならいい」と言ったのだけれど。
でも、本当になっちゃったら、それでもちゃんと喜べるのかな。
スマホを見つめる莉子ちゃんの目が、少し見開かれたような気がした。……なにに驚いたんだろう。
考えを巡らせていると、口許が微かに動いた。
『ミナト』
確かめるように、私も口の動きだけで反芻する。
ミナト。……やっぱり、ミナトだ。
彼女の目が、今度はふっと細くなる。
まさか、ね。
きっとミナトの動画を見ているだけだ。
悪い想像が掻き立てられて、振り払おうと莉子ちゃんから視線を外す。それでも蝕んでくるものに、私は抗うことはできなかった。
もし、莉子ちゃんが、ミナトに認知されたのだとしたら、どうして。
……やっぱり、可愛いから?
三つ編み姿で踊る彼女が、頭の中でループする。
可愛いから、バズって、人気になったの?
彼女から答えはもらえないけれど、代わりに数字が教えてくれるから。
最近でいちばん伸びた投稿を思い返す。
百万再生、五万いいね、コメント二千件。
……やっぱり、そうだよね。
可愛いって、正義だ。
私も莉子ちゃんみたいになれたら。
そう、強く、つよく思った。
艶々で黒い髪と、なめらかな白い肌、すらりと伸びた長い四肢に、びっくりするほど端正な顔立ち。
初めて見たとき、本当にこんな子が存在するんだ、と思った。
嫉妬すらできないほどに完璧な姿で、確かに目の前で微笑みかけてくれたのだ。
高校二年生、春。
新しいクラスに変わって、緊張でそわそわしていた私に、ひとつ前の席の彼女が振り返って、「はじめまして」と言ってくれた。
ふんわり咲いた笑顔が、あんまりにも美しくて、可愛くて。
こんなふうに、私もなれたら。
一瞬にして、莉子ちゃんは私のただ一人の憧れになった。
◇
夏休みが明けて早くも一週間、2-4と書かれた扉の下をくぐると、莉子ちゃんは、席替えしたばかりの窓際の前から三番目に腰かけていた。
私は彼女のふたつ右にある自分の席に向かいながら、さらさらの髪をくしで通す後ろ姿を、こっそりと盗み見る。
机に近付くにつれ、彼女の横顔が少しずつ見えてきた。
青色の手鏡を覗き込んでいて、白くて細い指は、しきりに前髪を撫でつけている。綺麗に流れるアイドル前髪と、無造作に切られた私の前髪を比べると、なんだか感心してしまった。
鞄を横に引っ掛けて、軽く授業の準備をしてから椅子に座り、再び莉子ちゃんを眺める。
私にとって、ここはいちばんの特等席だ。
彼女より後ろだと顔が見れなくなってしまうし、彼女よりも前だと不自然に振り返らないといけなくなってしまう。かといって、隣だとじっと見るわけにもいかないし、これ以上離れていると、隣の人が邪魔になって見えなくなってしまうだろう。
月初めの席替えを何度も繰り返して、今回ようやくこの位置にたどり着いたのだ。
来月になったら、どこの席に行くか分からない。だから、今月はめいっぱい莉子ちゃんを観察しよう。
「……今日も可愛い」
うっかり心の声が漏れていたのだろう、頭上から呆れた声が降りかかった。
「小春、まーた言ってるよ」
「うわっ、香織……」
びっくりして見上げると、彼女は「ほんとに莉子しか見えてないのね」と肩をすくめた。
彼女は、佐藤香織。以前隣の席になったことがあって、話すうちに仲良くなった女の子だ。
「そんなことないと思うけど……。莉子ちゃんだけじゃなくて」
そこで、だったら、と遮られた。
「私にも気付いてよね。それに、『ミナトも好き』とか言うつもりなんでしょ?」
図星を突かれて、言葉に詰まってしまう。
莉子ちゃんがただ一人の憧れであるのに対して、ミナトはただ一人の大好きな推しだ。彼はSNSで話題になっている五人組歌い手グループ『Re:mix』のメンバーで、青色担当。顔出しをしていて、リアルもすごくかっこいいのだけれど、私は低音イケボと爽やかな歌声が特に好きだった。
「……それはそうだけど、香織のことも好きだよ?」
「なにそれー。ついでみたいじゃない!」
むっとした彼女に、なす術なく小突かれ続けていると、すぐに飽きてしまったのか、スマホを弄り始めた。
赤色のスマホは、香織が推している、Re:mixのリーダーであるレンのメンバーカラーを意識したらしい。スマホケースに挟まったレンのチェキが指の間から覗いていて、それだけ推しのことが好きなんだと分かる。
「何見てるの?」
「ん、ああ、小春はもうこれ見たかなって」
彼女が向けた画面には、一人の少女が制服姿で踊っている様子が映っていた。ミナトの誕生日記念のソロ曲に合わせて、莉子ちゃんが手でハートを作ったり、投げキッスをしているショート動画だ。
動画内の彼女は、青いリボンで結った三つ編みに、青のカラコンが目を引くメイクをしていた。私はすでに知っているけれど、ついじっと見入ってしまった。
「うん、昨日ね。もう千いいね突破したんだ」
「まあ、莉子がバズらない日なんてないんじゃない?」
口では悪態を付きつつ、ハートマークは赤色になっていた。いいね押したんじゃん、と思ったけど、口には出さないことにする。
莉子ちゃんは、今年度が始まってからSNSの活動を始めたらしい。最初こそミナトのグッズ購入やコラボカフェの記録ばかりだったけど、あるとき顔出しでバズってからは、踊ってみたのような、彼女メインの投稿が多くなっている。
「そのうちミナトにも認知されたりするのかなあ」
「フォロワー二万いったらしいし、もう認知されてるかもよ?」
「うえっ!?」
思わぬ言葉が返ってきて、素っ頓狂な声を上げてしまう。香織は、すぐに「冗談冗談」と否定したけれど、なんだか心臓に悪い。
「でも、ほんとにそうなったら小春的にはどうなのよ」
「私的には……」
ちらりと莉子ちゃんの方を見る。
実は、莉子ちゃんにミナトを布教したのは、他でもなく私だ。話の流れで教えてしまったけど、あんなにハマってしまうとは思っていなかった。
数年前から推していた私よりも早く認知されるかもなんて、羨ましくはあるけれど……。
でも、莉子ちゃんなら。
一拍おいて、口を開く。
「……莉子ちゃんなら、いいかも」
驚いたように、香織が目を見開いた。
「へえ、普通は推しにファンが近づくの、ちょっと嫌だと思うけど」
確かに、私だってあまり良くは思わない。
けど、かっこいいミナトと、可愛い莉子ちゃんが絡むのは少し見てみたい気もするのだ。
「教えなければよかった、って思うことないの?」
香織が、怪訝そうな顔で私を覗き込む。
「まあ、たまに思うことはあるけど……」
それでも。
……ううん、私だって。
なんとも言えないもやもやが湧き上がってきて、慌てて心に蓋を閉じる。
「って、莉子ちゃんが認知されるなんて決まったわけじゃないし!」
確かにね、と笑った香織は、ようやく納得したように頷いた。
「それに、小春の方が案外認知されているかもしれないし」
「えっ」
「だって小春、わりと古参でしょ?意外と覚えてくれてるかもよ?」
そのあと、「私この前、レンにコメント読んでもらったし」と付け加えた。嬉しさが抑えきれていないように、笑みを浮かべている。
そういうことかと理解すると、一瞬でもどきっとした私がバカみたいに思える。
「それ香織が自慢したいだけでしょー!」
私はコメントなんて読んでもらったことないのに、と膨れてみせると、おかしそうに香織が吹き出した。
「あははっ、ばれた?」
「もー!帰った帰った!」
へらへらと笑う香織の背中を、後ろにある彼女の席の方へ押しやる。
「はいはい、またあとでねー」
私に追いやられた香織は、ちょうど登校してきたクラスメイトに話しかけに行ったようだ。談笑するのを見届けてから、背を向けて頬杖をつく。
……いいなあ、香織。
私だってミナトに呼んでもらいたいよ。
はあ、と大きくため息をついてから、横目で莉子ちゃんを観察する。
筋の通った綺麗な鼻、上を向いた長い睫毛、すっきりしたフェイスライン。正面ももちろん可愛いけれど、横顔だと美人さがさらに引き立つ。
手許では、スマホの下の方に取り付けられたミナトのキーホルダーが小さく揺れていた。
『もう認知されてるんじゃない?』
唐突に、香織の言葉が頭によぎる。
されていてもおかしくないし、確かに素敵だと思って「莉子ちゃんならいい」と言ったのだけれど。
でも、本当になっちゃったら、それでもちゃんと喜べるのかな。
スマホを見つめる莉子ちゃんの目が、少し見開かれたような気がした。……なにに驚いたんだろう。
考えを巡らせていると、口許が微かに動いた。
『ミナト』
確かめるように、私も口の動きだけで反芻する。
ミナト。……やっぱり、ミナトだ。
彼女の目が、今度はふっと細くなる。
まさか、ね。
きっとミナトの動画を見ているだけだ。
悪い想像が掻き立てられて、振り払おうと莉子ちゃんから視線を外す。それでも蝕んでくるものに、私は抗うことはできなかった。
もし、莉子ちゃんが、ミナトに認知されたのだとしたら、どうして。
……やっぱり、可愛いから?
三つ編み姿で踊る彼女が、頭の中でループする。
可愛いから、バズって、人気になったの?
彼女から答えはもらえないけれど、代わりに数字が教えてくれるから。
最近でいちばん伸びた投稿を思い返す。
百万再生、五万いいね、コメント二千件。
……やっぱり、そうだよね。
可愛いって、正義だ。
私も莉子ちゃんみたいになれたら。
そう、強く、つよく思った。
