【青春BL小説】見返りを君に after story 4 「同じ月の下で」

「あのさ、饗庭。話があるんだけど」
 昼休み、いつもの史学準備室。
 有里が深刻な顔をして、隣に座る俺の方を向いた。
 ――来たか。
 俺は内心ゴクリと唾を飲んだ。
 九月の末。高校三年生の卒業後の進路がはっきりと固まり始める時期だ。進学組は志望校が決定し、就職組は面接を受け始め、友人達もクラスメイトも皆、卒業後のことが現実的になってきている。
 俺――饗庭透琉も、先日正式に近所の漁港への就職が決まったところだった。
 そんな中、俺には一つ疑問に思っていることがある。それは有里の進路だ。
 ちょうど一年前、初めて話した頃の有里は、高校を卒業したら家を出て働くのだと言っていた。今はあの頃とは家族との関係も変わっていると思うのだけど、まだ高校を卒業したら有里家から離れて生きて行こうと思っていたりするのだろうか。
 進学するつもりなら今頃受験勉強に必死にならないといけないはずだが、有里にそんな様子は無い。かといって就職活動をしている様子も無い。
 ――どうするつもりなんだろう。
 俺は内心首を傾げていた。
 勿論、有里は全てを俺に報告しなければならないわけでは無い。だから別に、言う必要は無いのだけど。
 だが、有里は過去から未来に至るまで、自分の全てを俺に話そうとしているようなところがある。小さい頃に親へ向かうはずだった「自分を見てほしい」という気持ちが、今俺に全力でぶつかってきているというか。
 だからその有里が自身の進路について俺に何も言ってこないのが、俺には少し不思議だった。
 まあ、何も言ってこないということはつまり、有里には進路に関して俺に報告したいことも相談したいことも無いということなのだろう。俺はそう理解していたのだけど。
 この時期にこうして真剣な瞳で俺を見つめてくる理由なんて、まだ話していない進路の話以外にありえない。
 俺はいよいよ有里から告白されるのだと、真剣に彼を見返した。
「うん」
 俺が真顔で有里に向き合うと、彼も真剣に俺の顔を見つめてくる。そんなに重大な決心を固めたというのだろうか。
「あのね、昨夜、父さんと母さんに言われたんだ」
「うん」
「十月の十七・十八の土日で、旅行に行かないかって」
 有里は深刻そうに瞳を伏せる。
「俺、家族旅行ってしたことないの。ほら、父さんが基本三連休とか無いから。それがなんか、病院の内装工事があって外来完全に休むことになったらしくて。それで父さんに連休が出来て、せっかくだから皆で旅行に行こうって言ってくれて。――中学の時もこういうことあったんだけど、そのときは俺、『三人で行ってきて』なんて言って断っちゃったんだ……。だから俺、四人の旅行って今回が初めてで……」
「りょ、旅行?」
 俺が目をぱちくりさせると、有里は俺を見て暗い顔で頷く。
「うん、ごめんね。でも俺ももう高三だし、これから何回そういう機会あるのかなって考えたら、行きたいなって思って。誘ってもらえてすごく嬉しいし、これを逃したら次いつになるか分かんないし――」
「え、行けよ。普通に」
 俺が言うと、有里は申し訳なさそうにしていた表情を一転、ムッとした顔をした。
 俺は有里がムッとする意味が分からなくて、ハテナを浮かべながら聞いた。
「旅行でしょ? お父さんお母さんと紗綾ちゃんと四人で。いいじゃん、絶対楽しいでしょ」
「だって、饗庭の誕生日に被っちゃう」
 有里が言って、俺は初めて十月十八日、日曜日が自分の誕生日であることを思い出した。
「はぁ? どうでもいいよ、そんなの」
 俺が呆れて言うと、
「そんなのって!」
 有里は怒り混じりに大声を上げた。
「俺、どうやって祝おうかずっと考えてたのに」
「どうって」
「ちょうど土日でしょ? 土曜日うちでパーティーして、そのまま泊まってもらってさ。零時ぴったりに布団の中で『おめでとう』って言ってあげようかなとか……そういうの考えてたのに」
「俺、誘われて無いけど」
「これから誘う予定だったの!」
 有里は憤慨して鼻で大きく息を吸った。
 俺は冷静に言葉を返す。
「いや、お前んち泊まったら日曜バイト間に合わないし――」
 俺が言い掛けると、有里は目を丸くした。
「なに高校生が誕生日まで働こうとしてんだよ! バイト入れんなよ⁉」
「いやもう出れるって言っちゃったし。別に誕生日だからって予定も無いし……」
「だから! うちでお泊りして、日曜はそのまま出掛けてもいいかなって思ってたの! ――休みにしてると思った、当たり前に。こういうのって普通、十八日は俺に空けといてくれるもんじゃないの?」
 有里はしゅんと俯く。
「だから、旅行になっちゃって申し訳無いなって、行ってもいい? って、饗庭に許可貰おうと思ったのに……」
「いやいや、許可とかいらんて。絶対行った方がいいじゃん。せっかくの機会なんだから」
「……」
 有里は不服そうに黙る。
「何、俺、止めた方がいいわけ?」
「そうじゃないけど……」
 有里がいじけたように俯いて、俺はやれやれと息を吐いた。
「有里がそんな風に考えてくれてたなんて思わなかった。そのこと自体はすごく嬉しいよ。泊まらせてもらうのだって、本当にできたらきっと楽しかったと思う。でも、いいから行ってこいよ。別に誕生日なんて当日じゃなくていいし、そもそもお祝いなんて無くてもいいし」
 有里はまだまだ不満そうな顔で俺を見つめている。
「俺は、有里が家族と仲良くしてるのが嬉しいから」
 俺が言うと、有里の顔が少し綻んだ。
「だから、当日に拘ってお祝いしてくれるより、全力で旅行を楽しんで来てくれた方が嬉しいの」
「はー、お前って本当に」
 有里はニヤニヤした顔を誤魔化すように首を振った。
「なんだよ」
「基本デリカシー無いのに、たまにいいこと言うよな」
「うるせぇわ」
「まあでも饗庭君がそう言うなら、仕方ないね。俺、ちゃんと旅行楽しんでくるよ」
 有里は嬉しそうに、からかうように言う。
「あー、でも残念だなぁ。また添い寝してあげようと思ったのになぁ」
「頼んでないんだけど」
「十八歳になった饗庭君を大人にしてあげようと思ったのにぃ」
「あー、はいはい」
 有里が調子に乗り始めて、俺は心の中で息を吐く。
 有里が一転楽しそうに旅行の予定について語り始めたのを、弁当を食べながら相槌を打ちつつ聞いた。


 十月十七日の夜。酔って帰ってきた母を布団に寝かしつけて、俺は息を吐いた。
 母がこんな時間に帰ってくるのは珍しい。仕事や誘いがあれば朝まで帰ってこないのが常だし、そのまま何日も帰ってこないこともある。
 こんな、母からすれば「早い時間」に帰ってきたのは、俺が明日誕生日を迎えるから――では勿論無い。
 どうやら連れの男とモメたらしくて、俺に対してよく分からない不満をぶつけるのを、なんとか宥めて眠らせた。
 おかげでいつもなら寝ているはずのこの時間に、全く眠たくない。
 スマートフォンを見てみると、時刻は二十三時五十分。もうじき日付が代わって、俺は十八歳になる。
 まあ別に、誕生日だからって何も無いし、意識する必要は無いんだけど。 
 ――こういうのって普通、十八日は俺に空けといてくれるもんじゃないの?
 ふと、有里の落ち込んだ声を思い出した。
 ――そういうものなのかな、普通。
 うん、そうなのかもしれない。
 普通、少なくとも子どもというのは誕生日を楽しみにしているものだ。
 友人達を見ていても、テレビやネットの中で起こる出来事を見ていても、そうなのだと思う。
 でも、俺にとっての誕生日は当たり前に楽しみにできるものじゃなかった。
 幼い頃は確かに、期待していたと思う。
 母がおめでとうと言ってくれる年もあった。プレゼントがあった年もあった。でも、それは母の気まぐれで起こることで、毎年当たり前にあるものでは無かったから。
 今日だって酔って帰って来た母は、明日が俺の誕生日であることなんて、恐らく全く覚えていない。
「……」
 別に、不満は何も無い。祝ってほしいと思っていないし、これが、家の当たり前だし。
 ――俺は親と旅行に行くことなんて、今までもこれからも、きっと一生無いだろう。
 だからこそ、家族と旅行ができる有里には、それをめいっぱい楽しんでほしいと思うのだ。
 俺は旅行中であろう有里に想いを馳せた。
 彼はもう寝ただろうか。旅館だって言ってたな。
 お父さんとお母さんと紗綾ちゃんと、枕を並べて寝るのはもしかしたら初めてなのかもしれない。
 俺の誕生日なんて本当にどうでもいいことで、そんなことは気にせずに有里家の初めての家族旅行が良い思い出になってほしいと思う。
 ――そういえばあいつ、結局進路はどうするんだろう。
 棚上げになっていた疑問を、俺はふと思い出す。
 ――もし何も考えていないなら、漁港で一緒に雇ってもらえるようにお願いしてみようか……
 いやしかし、あのモヤシが肉体労働できるとは思えない。じゃあ事務仕事とか……は、パートさんたちで十分回ってて人手も要りそうにないし。じゃあ食堂で働くくらいならできるか? でもあいつ、料理できそうに無いんだよな……
 それに漁港の朝は早い。朝弱い有里が、毎日朝五時前から働けると思えない。
 そもそも葉山からでは、始発で出ても始業に間に合わないし。
 ――じゃあそのときは、漁港の近くに家を借りて一緒住むとか?
 不意に心がワクワクとした。
 働くようになったら、いつか家を出たいとは思っていた。それがもし有里との二人暮らしなら、とても楽しいのではないだろうか。
 別に、有里の仕事は漁港じゃなくてもいい。どこか、二人ともが仕事に行くのに困らない場所に一緒に住めたら……
 そんなことを考えている内に日付が代わった。零時を迎えた瞬間、有里から『お誕生日おめでとう』とコメントが付いた、可愛らしいジンベエザメのスタンプが送られてきた。
 俺が『ありがとう』とジンベエザメのスタンプを返すと、すぐに次のメッセージが来た。
『起きてるの?』
『うん』
『通話できる?』
 俺は母の方を伺い、起きる様子が無いことを確認する。
 そっと家を出て、海の方へ歩きながら返信した。
『できるよ』
 ほんの少しの空白の後で、有里から着信があった。
「――はい」
「饗庭、誕生日おめでとう」
 開口一番、有里の弾むような声が聞こえた。
「ありがとう……」
 いつの間にか忘れていた「誕生日を祝われるのが嬉しい」というくすぐったい感覚がした。
「ごめんね、明日早いのに」
「大丈夫、全然。そっちこそ大丈夫なのか? どこにいんの?」
「部屋のバルコニーみたいなとこ、出てきちゃった。ちょっと寒いけど、気持ちいいよ。お月さま出てる」
「こっちからも見えるよ」
 俺は歩きながら空を見上げた。
 半月よりも少し細い月が、頼り無げに空に浮かんでいる。
「遠くにいるのにおんなじ月を見てるなんて、なんだかロマンチックだね」
 はしゃぐように言う有里に同調するのが照れ臭くて、俺は曖昧に相槌をうった。
「うん……」
 有里が溜め息を吐いた。
「はー、ここで『月が綺麗ですね』くらい言えないもんかねぇ」
「お前、そういうのは知ってんだよな」
 なんというか、高校二年の半ばまで授業をサボりまくっていたわりには教養があると思う。
「まあいいよ、饗庭はそれで」
「なんだよ」
「これ以上モテられても困るしな」
 からかっているのか本気なのか分からない調子で言った有里は、続けて執り成すように楽しげな声を上げた。
「ね、なんか無いの。抱負とか」
「ほうふー?」
「十八歳の抱負!」
 そんなもの考えたこともない。無いけど、さっきふと思い描いた二人暮らしの話が頭を過ぎった。
 “就職して有里と一緒に暮らすこと”って、結構いい目標じゃないか?
「あのさ」
「うん?」
「有里って、高校卒業したらどうするの?」
「えっ……」
 有里は虚を突かれたように言葉を止めた。彼にしては珍しいことだった。
 意外な反応に俺はなんとなく焦って、言い訳のように言葉を続けた。
「いや、前は就職するって言ってたじゃん? でも、あの頃とは状況違うのかなって……っていうか、就職活動してる風が無いからさ。どうすんだろうと思って」
「……」
 有里は黙っている。沈黙を埋めたくて、「うちの漁港で雇ってもらう?」「一緒に住む?」と、言おうかどうか迷った。その時。
「あのね、饗庭」
 有里が静かに、少し緊張した声を出した。
「俺、父さんと母さんには相談してたんだ、進路のこと」
「うん」
 俺は立ち止まって、有里の言葉に耳を澄ませた。
「二人はね、なんでもしていいって言うの。応援するって言ってくれて。それで俺、将来何やりたいかって真剣に考えて、思ったんだ。――子どもに関わる仕事がしたいなって」
「子ども?」
 意外な言葉に俺は瞬く。
「うん。自分が小さい時みたいな、そういう境遇の子を助けてあげられる仕事……。つまりさ、例えば養護施設の職員とか、学校にいる相談員の先生とか。そういう人になって、何か問題を抱えてる子どもたちをサポートしてあげたいなって思ったの。――俺みたいに、歪んで育たなくていいようにね」
真剣に話していた有里は、最後は少し茶化すように笑った。
「それに、饗庭みたいな環境の子もきっといると思うんだ。俺ずっと、もっと小さい頃の饗庭に会いたかったって、それで何かしてあげたかったって、思ってて。とはいえ子どもの俺にはきっとなんにもできなかったけど……。でも、大人の俺なら、ちゃんと勉強してそういう仕事に就けば、饗庭みたいな子のことも、自分みたいな子のことも、助けてあげられるのかなって、思って」
「……なるほど」
 考えてもみなかったけど、話を聞いてみれば確かに、彼が目指す職業として納得がいった。
「だから、児童心理とか、そういうのを学んで資格を取るために、大学に行こうと思うんだ」
「いいじゃん」
 俺が言うと、電話の向こうで有里が「へへっ」と照れ笑いをした。
「でさ、どこの大学がいいのかって、父さんと母さんと一緒に調べてて……。それで、俺、多分ちゃんとやったら勉強、もうちょっとできると思うんだよね。だから今の学力でレベルの低い学校に行くのは勿体ないんじゃないかって、父さんに言われて。俺も正直そう思ってて」
「うん」
 俺もそう思う。有里は勉強が出来ないわけじゃない。本当はめちゃめちゃ頭のいい奴だ。ただ、小学生の頃から授業をサボりまくっているツケが回って、必要な知識と学力が付いてない状態のまま高校三年生になってしまっている。
「だから、来年一年、本気で勉強して、それから受験してちゃんとした大学に行こうって話になって」
「いいと思う」
 俺は頷く。
 どうするつもりなんだろうって、一人で勝手に心配して、少し夢も見ていたことを恥ずかしく思った。
 有里は自分の人生を自分でちゃんと考えているし、彼にはきちんとした知識のある保護者がいるのだ。
「それでね、考えてる進学先なんだけど」
「うん」
 有里は、少し躊躇うように空白を開けた。
「……大阪の大学なんだ」
 ――大阪。
 有里の記憶にうっすらとあるという、彼の産まれた土地だ――真っ先にそう思った。
「別に関東にだって学べる場所はあるんだけど……。でも俺、大阪っていうか、一度関西圏で暮らしてみたいって気持ちがあって」
「うん」
 きっと有里は、本当ならば生きていたかもしれない街を、実際に暮らして感じてみたいのだろう。
「饗庭。俺、再来年から四年間関西に行ってこようと思う。勿論大学に受かったらだけど。――本当はちょっと前から考えてたんだけど、なかなか饗庭に言えなくて。ごめん」
 有里は真剣な声音で言い、
「ねぇ、いいかな。離れちゃっても。俺、なるべくたくさん帰ってくるよ。そのときは会ってくれる?」
 と、懸命そうに言った。
「勿論」
 俺は頷く。
「いいじゃん、すごくいいと思う。俺も遊びに行くよ」
 有里が安心したように息を吐いたのが聞こえた。
 そんな、駄目なんて言うわけないのにな。
「せっかくだから大阪でたくさん友達も作ってさ。大学生活楽しみなよ」
 応援するつもりで言ったのに、有里は急にぶっきらぼうな声になった。
「友達はいらない」
「お前はまたそういう……」
「饗庭抜きでできる気しないし」
 できるって――と言いそうになったのを止めて、俺はハァと息を吐いた。
「まあ、いいんじゃない? 作ろうと思って作らなくても。今のお前なら普通にしとけば上手くやれるよ、きっと」
「……そうかな」
 有里は少し照れたように笑った。
「うん、絶対大丈夫。――じゃ、そろそろ部屋戻んなよ。寒いでしょ」
 俺が切り上げようとすると、
「あー! 待って待って、ちょっと待って!」
 有里が慌てた声を出した。
「うん?」
「もう一個用事ある」
「なんだよ」
「母さんがさ、次の週末ケーキ用意しようかって」
「え?」
 俺は瞬く。
「饗庭が誕生日なんだって、言ったの。そしたらさ、土曜日うちでパーティーして、泊まっていってもらったらって、言ってくれたんだけど……」
 有里は窺うようにおずおずと言う。
「でも、もうアルバイト入れちゃってるよな……?」
 俺は息を吐いて笑う。
「空けてるよ」
「え」
「空けてるよ。有里が祝ってくれるんだろうと思ったから」
「饗庭君……!」
 パァァと明るくなった有里の顔が、目に浮かぶようだった。
「ありがとうな」
「ううん、楽しみ、すっごく!」
「お母さんにもお礼言っておいてね」
「分かった。――期待しとけよ」
 何か企むようにいたずらっぽく笑う有里におやすみを告げて、通話を切った。
 俺はひとり空を見上げる。
 月がとても美しく見えた。