自習のために四時半まで開いている図書室に、リュックで少し重い足を踏み入れた。
国語の授業以外で入ったことのない図書室は、厳かに見える。夕日がカーテンから漏れていて、少し橙に染まっているせいか、神秘的にも感じた。
受付の横を通って本棚に近づく。どれも分厚いものばかりで、読むのに何日かかるのだろう。
あの蝶が載っていそうな本を探そうと、本の題名を指でなぞっていく。
「碧毒刺蛾」、「蜉蝣」......
それらしい本が見つからない。というより、漢字が難しいものが多く、どんな本か見当もつかない。
「何か探してる?」
横から突然した声に思わず後退りをする。見ると、図書室を運営している先生がいた。ショートヘアに丸い眼鏡が、いかにも、かつては文学少女だった雰囲気を醸し出している。
「ええっと、ちょ、蝶を調べたくて......」
あまり人と喋らないせいか、たどたどしい喋り方だった。しかし先生は、うんうん、と丁寧に相づちを打っている。
「調べものなら、図鑑コーナーがいいと思うよ。ほら、あそこの」
先生が指さした方を見ると、角の方に「動物」や「植物」と、私でも読める漢字が書かれた分厚い本が何冊も並べられている。
図鑑の並べられている棚には、「図鑑」と書かれたラベルが貼られている。
今見ていた本棚に目を移すと、「日本文学」とラベルには書かれていた。なんて事だ、探す棚を間違えていたなんて。
グラフィック本はああで、と丁寧に教えてくれる先生の親切さを前に、まず棚を間違えていたという初歩的な間違いに、私は真っ赤になっていた。
「すいません。ありがとうございます!」
私の声が、図書室に響いた。先生はびっくりした様子で、固まってしまう。
なんで私はこんなに失敗してばかりなんだ。
ぐるぐると悩みながら、私は図鑑コーナーに早足で向かった。そして、もう話しかけられないように、「昆虫」と書かれた図鑑を手にし、近くの椅子に座って机に本を開いた。
図鑑の二ページを開くと、そこは見開きで目次があった。これならあの蝶を簡単に見つけることができそうだ。
チョウ目は百十四ページから書かれていて、開くとアゲハ蝶や、青く輝く蝶が大きな写真で載っていた。
更にページをめくると、羽を広げた蝶たちが並べられ、下には名前や大きさが書かれている。
この中からあの蝶を探すのか。
蝶のページは少なくとも五ページはある。そして、一ページには大体十匹くらいの蝶が載っていた。
これがゴキブリやムカデじゃなくて、綺麗な蝶なだけマシだ。
そう自分に言い聞かせつつ、色鮮やかな蝶に目を通していった。
「ない」
蝶のページをもう三周はしているはずなのに、あの白い蝶は載っていない。
もしかしたら、あの蝶は珍しい種類で、この図鑑には載っていないのかもしれない。
せっかくここまで探したのに、最後まであの蝶の名前がわからないなんて、もどかしさが一層増した。
あまり見慣れない活字を長時間見ていたせいか、目の奥が痛い。
あの蝶の名前を知っていたら、どこに住んでいるかもわかって、また見れると思ったのに......
重い図鑑をそっと閉じる。猫背になっていた背を背もたれに寄りかからせ、反り返った。
窓の外からは、ポンッというボールを跳ね返す音と、明るい話し声が聞こえてくる。校舎のすぐそばにテニスコートがあったと思うから、テニス部が練習中らしい。
さっきまでは蝶を探すのに集中しすぎて耳に届いていなかったが、この図書室は一階にあり、テニス部の声がよく聞こえてきた。
「なあなあ、ナガサワが言ってたんだけどさ、これ聞いた?」
「え? 何のこと?」
声に聞き覚えがあった。直接は話したことはないけれど、授業中も給食中も、よく聞く声だ。
「今日の数学テストだったじゃん? オハラがさ、プリントにぐっちゃぐちゃの意味わからんやつ書いてたって言っててさ」
「まじか。あいつ頭おかしすぎだろ」
「それな」
私を逃げるように図鑑へと向かわせたその言葉は、語尾に大量の「w」が付いていた。
嘘でしょ、もうそんなに広まっていたの。うそ、うそ。
「おわった......」
小さく呟いたそのとき、びゅうっと強い風が吹き、ページは風に押されてすごい早さでめくれていった。
ここは室内なのに、何で風が。そう思い、まわりを見回すと、先生が窓を閉めていた。換気のために窓を開けていたのだろう。
ふう、と一息つくと、風のおかげで吹き飛んでいた気持ちが戻ってきた。
「まじかwあいつ頭おかしすぎだろww」
私の気持ちを逸らしてくれる風はもう吹いていなかった。ただ逃げたい一心で図鑑に目を戻すと、そこには蝶とよく似ている虫が大きく写っていた。
けれど、蝶をステンドグラスと例えるなら、この虫たちは「モナリザ」のような絵画だろうか。どこか堂々とした鮮やかな色は、私の目を惹き付けた。
左上の文字が見えないまでは、素直に綺麗、と思えていた。
「ガの模様」
「蛾」という言葉を脳が理解した瞬間、私は、気付かなくていいことに気付いてしまった自分を恨んだ。
国語の授業以外で入ったことのない図書室は、厳かに見える。夕日がカーテンから漏れていて、少し橙に染まっているせいか、神秘的にも感じた。
受付の横を通って本棚に近づく。どれも分厚いものばかりで、読むのに何日かかるのだろう。
あの蝶が載っていそうな本を探そうと、本の題名を指でなぞっていく。
「碧毒刺蛾」、「蜉蝣」......
それらしい本が見つからない。というより、漢字が難しいものが多く、どんな本か見当もつかない。
「何か探してる?」
横から突然した声に思わず後退りをする。見ると、図書室を運営している先生がいた。ショートヘアに丸い眼鏡が、いかにも、かつては文学少女だった雰囲気を醸し出している。
「ええっと、ちょ、蝶を調べたくて......」
あまり人と喋らないせいか、たどたどしい喋り方だった。しかし先生は、うんうん、と丁寧に相づちを打っている。
「調べものなら、図鑑コーナーがいいと思うよ。ほら、あそこの」
先生が指さした方を見ると、角の方に「動物」や「植物」と、私でも読める漢字が書かれた分厚い本が何冊も並べられている。
図鑑の並べられている棚には、「図鑑」と書かれたラベルが貼られている。
今見ていた本棚に目を移すと、「日本文学」とラベルには書かれていた。なんて事だ、探す棚を間違えていたなんて。
グラフィック本はああで、と丁寧に教えてくれる先生の親切さを前に、まず棚を間違えていたという初歩的な間違いに、私は真っ赤になっていた。
「すいません。ありがとうございます!」
私の声が、図書室に響いた。先生はびっくりした様子で、固まってしまう。
なんで私はこんなに失敗してばかりなんだ。
ぐるぐると悩みながら、私は図鑑コーナーに早足で向かった。そして、もう話しかけられないように、「昆虫」と書かれた図鑑を手にし、近くの椅子に座って机に本を開いた。
図鑑の二ページを開くと、そこは見開きで目次があった。これならあの蝶を簡単に見つけることができそうだ。
チョウ目は百十四ページから書かれていて、開くとアゲハ蝶や、青く輝く蝶が大きな写真で載っていた。
更にページをめくると、羽を広げた蝶たちが並べられ、下には名前や大きさが書かれている。
この中からあの蝶を探すのか。
蝶のページは少なくとも五ページはある。そして、一ページには大体十匹くらいの蝶が載っていた。
これがゴキブリやムカデじゃなくて、綺麗な蝶なだけマシだ。
そう自分に言い聞かせつつ、色鮮やかな蝶に目を通していった。
「ない」
蝶のページをもう三周はしているはずなのに、あの白い蝶は載っていない。
もしかしたら、あの蝶は珍しい種類で、この図鑑には載っていないのかもしれない。
せっかくここまで探したのに、最後まであの蝶の名前がわからないなんて、もどかしさが一層増した。
あまり見慣れない活字を長時間見ていたせいか、目の奥が痛い。
あの蝶の名前を知っていたら、どこに住んでいるかもわかって、また見れると思ったのに......
重い図鑑をそっと閉じる。猫背になっていた背を背もたれに寄りかからせ、反り返った。
窓の外からは、ポンッというボールを跳ね返す音と、明るい話し声が聞こえてくる。校舎のすぐそばにテニスコートがあったと思うから、テニス部が練習中らしい。
さっきまでは蝶を探すのに集中しすぎて耳に届いていなかったが、この図書室は一階にあり、テニス部の声がよく聞こえてきた。
「なあなあ、ナガサワが言ってたんだけどさ、これ聞いた?」
「え? 何のこと?」
声に聞き覚えがあった。直接は話したことはないけれど、授業中も給食中も、よく聞く声だ。
「今日の数学テストだったじゃん? オハラがさ、プリントにぐっちゃぐちゃの意味わからんやつ書いてたって言っててさ」
「まじか。あいつ頭おかしすぎだろ」
「それな」
私を逃げるように図鑑へと向かわせたその言葉は、語尾に大量の「w」が付いていた。
嘘でしょ、もうそんなに広まっていたの。うそ、うそ。
「おわった......」
小さく呟いたそのとき、びゅうっと強い風が吹き、ページは風に押されてすごい早さでめくれていった。
ここは室内なのに、何で風が。そう思い、まわりを見回すと、先生が窓を閉めていた。換気のために窓を開けていたのだろう。
ふう、と一息つくと、風のおかげで吹き飛んでいた気持ちが戻ってきた。
「まじかwあいつ頭おかしすぎだろww」
私の気持ちを逸らしてくれる風はもう吹いていなかった。ただ逃げたい一心で図鑑に目を戻すと、そこには蝶とよく似ている虫が大きく写っていた。
けれど、蝶をステンドグラスと例えるなら、この虫たちは「モナリザ」のような絵画だろうか。どこか堂々とした鮮やかな色は、私の目を惹き付けた。
左上の文字が見えないまでは、素直に綺麗、と思えていた。
「ガの模様」
「蛾」という言葉を脳が理解した瞬間、私は、気付かなくていいことに気付いてしまった自分を恨んだ。



