「テストは十五分間です。では、始め」
先生の声と同時に、紙をペラッと捲る音がいくつも重なって響く。その後に、シャープペンシルを走らせる音が聞こえてくる。
教室は演奏会のように、紙とペンが出す音以外には何も響いていない。
私はやはり解き方がわからず、式を見てそれっぽい数字を書き込んでいた。
最後の欄に九十六と書いて、シャーペンを置いた。きっとこの答えも、間違っている。
顔を上げると、テレビに映されたタイマーは、まだ十分残っていることを示していた。
そのとき、風にあおられカーテンが揺れ、私のシャーペンはカーテンに押され床に落ちた。幸い、席のすぐ横ですぐに拾えそうだった。
外の景色を見ることができるから窓側にしたのに、とシャーペンを取ろうとする。
「オハラさん、自分で取らないで下さい。取りに行きます」
後ろから先生の声が響いた。誰も喋っていないので、先生の声がやけに大きく聞こえる。
床の方に下がっていた上半身を起こし、シャーペンを先生から受け取った。
「ありがとうございます」
クスクスと、どこからか笑い声が聞こえてくる。
なにも、あんなに大きい声で言わなくてもいいじゃないか。しかも、名指しなんて。
教卓へと向かう先生の背中を睨んだ。しかし、先生と目が合うのは嫌なので、先生が教卓に付く頃には、視線はテスト用紙にあった。
脳は嫌なことを忘れようとする習性があるのだろうか。テスト用紙の白い部分を見つめていると、あの綺麗な白い蝶を思い出す。確か、触角は太めで、先につれて細くなっていて、お腹はふわふわしていて......
教室に響くペンのリズムとは全く違う音を、私のペンは奏で始める。
そして、プリントには、社会の授業で見た「ナスカの地上絵」のような不可思議な生き物が描き上がった。やはり私の画力では、あの蝶を紙の上に生み出すことはできない。
採点中の先生が見たら、私のことを全問不正解のうえに、なにを描いているのかわからないほど酷い落書きを描く不真面目な生徒と思うに違いない。
でも、私はオール四の通信簿よりもずっと素晴らしいものに出会ったのだ。この事実は、全部のテストで九割以上を取ったって、変わることはない。
「十五分経ちました。まだ時間ほしい人はいますか?」
先生の声に頭を上げると、テレビには、リセットされたタイマーが映っている。
「誰もいませんね。では、後ろの人。回収してきてください」
しまった。数学のテストでは、列の後ろの人が回収するようにしていたのだ。
私は後ろから三番目の席。一番後ろの席の人は、もうすぐそこまで来ていた。
「オハラさん、まだ?」
友達の前では下の名前で呼びに合うのに、私の前ではいつも名字。これは、ほとんどの同級生に共通していた。
前の人たちが待っている、そう思い、震える手に握られたテスト用紙を差し出す。
後ろの人は、私の用紙を見た後、唇を少し歪ませる。そして、何事も無かったかのように前の席へ進みだした。
絶対に引かれた。この後絶対、クラス中に私の落書きが広まってしまう。
「では、こないだの授業の続きを......」
先生の声と、チョークが黒板に当たる音が耳に入ってきたが、脳はそれを跳ね返している。
嘘だ。これはきっと夢だ。
シャーペンを持つ手の感覚もほとんど感じず、黒板を行ったり来たりする先生を眺めていた。
授業の終わりを告げるチャイムが響く。「ありがとうございました」が教室に木霊した五分後も、私は机に白いノートを広げたままだった。



