小さい頃から、いつもまわりから、陰口を叩かれていた。
「こっち来んなよ。菌がうつる」
「キモい」
いつもこんな調子で避けられているから、学校では机が定位置だった。
だが、狭い教室の中では、ひそひそと聞こえてくる噂話も、ふざけあっている笑い声も、全てが私に向かって来ているように思えた。
いつしか私には、定位置が無くなって、校庭を意味もなく彷徨うようになっていた。
白い校舎は、陰口にまみれた垢だらけの同級生を包み隠している。まるで、「うちの生徒は嘘なんてない」と言いたげだ。
サッカーゴールの前には、サッカー部と思わしき人たちがボールを蹴っている。サッカー部のクラスメイトには、班行動のときに露骨に嫌がっている態度をとられたので、眺めているのは、ゴールとほぼ真反対の桜が植わっているところだ。
サッカーゴールのある方に大きくて、普段使っている正門がある。学校の構造に一定のルールがあるのかは知らないが、この中学校の正門の反対側にも、高い柵で隔てられた先にプールがあった。
この柵には一つ大きな欠点があり、それは、プール専用の更衣室と柵の間に、人一人が通れる隙間があることだった。夏のある日、プールの授業が嫌で仕方なかったときに、ふと見つけたのだ。
これのお陰で、一人になりたいときはプールサイドに逃げ込むことができる。
今日は数学の確認テストがあり、今日も現実逃避のためにプールサイドに座り込んだ。
もう来年の夏になるまで使われないプールは濁っていて、虫の死骸はたゆたんでいる。
もう少し秋が深まれば、トンボの細い影が見えるのだろうか。
そんなことを考えながら、校舎から見えないように柵に沿って歩く。すると、小さな白い何かが高速で身じろぎしているのが目に止まった。
羽のようなものを必死で動かす得体の知れない白に恐怖を覚える。
だが、これが怖いもの見たさ、というものなのだろうか。足はなぜか、溺れかけの小さな白に向かっていた。
近づいていくと、段々とそれがどんなものなのかが、見えてきた。
手のひらくらいの大きさで、尻尾のような部分に赤い線のはしる、白い蝶だ。
濁り一つない白い蝶は、遠くからだと緑に見えるほど濁った水から脱け出そうと、必死に羽ばたいていた。
その必死な様子から、こんなに綺麗なのに、可哀想、そう思って、羽を摘まむ。いつしか抱いていた恐怖は引っ込んでいた。
蝶を持つときは、片方の羽を摘まむと、鱗粉が少し付くだけで、どちらにも被害は出ない。そう小学校の先生は言っていたはずだ。
仮にこの摘まみ方をして、この綺麗な白い羽が破けてしまっても、それは先生のせい。そう思いたくなるほど、この羽は簡単に破けてしまいそうだった。
更衣室と柵の間を慎重に通り抜け、誰にも気付かれない桜の木の下で、そっと羽を摘まむ指を、離した。
蝶は一瞬落ちて、もう死んでしまったのか、と心が一瞬、重く沈む。だが、その重りはすぐに羽のように軽くなった。
影以外に黒のない白い羽は、ときどき体の赤い線を見せながら、重力に逆らって羽ばたいてゆく。
蝶は「綺麗」という言葉をよく思い浮かべるけれど、この蝶は「美しい」の方がしっくりきた。色鮮やかなアゲハ蝶と比べて、白と少しの赤だから、大人びた雰囲気があるのだろうか。
学校と町を隔てる、木よりも高い柵を越えようと飛んでいく白い蝶を、いつまでも見つめる。
―――――――
「キーンコーン......」
昼休みの終わりを叫ぶスピーカーで、視線は校舎の方へと百八十度、急回転した。
次は数学のテストだ。
心の中の私は、転げ回りながら悲鳴を上げる。行きたくない、行きたくない。
いっそのこと、このままサボってしまおうかと思った。だが、一ヶ月前、不良らしき人がサボって大騒ぎになっていたのを思い出す。
大事になったら、もっと陰口が酷くなって、最悪の場合いじめになる。
それは何としてでも避けなくては。
もうテストは適当な数字を入れるしかない。テストを隠すも親に見つかり、怒られる未来を想像しながら、私は下駄箱に向かって駆け出した。
「こっち来んなよ。菌がうつる」
「キモい」
いつもこんな調子で避けられているから、学校では机が定位置だった。
だが、狭い教室の中では、ひそひそと聞こえてくる噂話も、ふざけあっている笑い声も、全てが私に向かって来ているように思えた。
いつしか私には、定位置が無くなって、校庭を意味もなく彷徨うようになっていた。
白い校舎は、陰口にまみれた垢だらけの同級生を包み隠している。まるで、「うちの生徒は嘘なんてない」と言いたげだ。
サッカーゴールの前には、サッカー部と思わしき人たちがボールを蹴っている。サッカー部のクラスメイトには、班行動のときに露骨に嫌がっている態度をとられたので、眺めているのは、ゴールとほぼ真反対の桜が植わっているところだ。
サッカーゴールのある方に大きくて、普段使っている正門がある。学校の構造に一定のルールがあるのかは知らないが、この中学校の正門の反対側にも、高い柵で隔てられた先にプールがあった。
この柵には一つ大きな欠点があり、それは、プール専用の更衣室と柵の間に、人一人が通れる隙間があることだった。夏のある日、プールの授業が嫌で仕方なかったときに、ふと見つけたのだ。
これのお陰で、一人になりたいときはプールサイドに逃げ込むことができる。
今日は数学の確認テストがあり、今日も現実逃避のためにプールサイドに座り込んだ。
もう来年の夏になるまで使われないプールは濁っていて、虫の死骸はたゆたんでいる。
もう少し秋が深まれば、トンボの細い影が見えるのだろうか。
そんなことを考えながら、校舎から見えないように柵に沿って歩く。すると、小さな白い何かが高速で身じろぎしているのが目に止まった。
羽のようなものを必死で動かす得体の知れない白に恐怖を覚える。
だが、これが怖いもの見たさ、というものなのだろうか。足はなぜか、溺れかけの小さな白に向かっていた。
近づいていくと、段々とそれがどんなものなのかが、見えてきた。
手のひらくらいの大きさで、尻尾のような部分に赤い線のはしる、白い蝶だ。
濁り一つない白い蝶は、遠くからだと緑に見えるほど濁った水から脱け出そうと、必死に羽ばたいていた。
その必死な様子から、こんなに綺麗なのに、可哀想、そう思って、羽を摘まむ。いつしか抱いていた恐怖は引っ込んでいた。
蝶を持つときは、片方の羽を摘まむと、鱗粉が少し付くだけで、どちらにも被害は出ない。そう小学校の先生は言っていたはずだ。
仮にこの摘まみ方をして、この綺麗な白い羽が破けてしまっても、それは先生のせい。そう思いたくなるほど、この羽は簡単に破けてしまいそうだった。
更衣室と柵の間を慎重に通り抜け、誰にも気付かれない桜の木の下で、そっと羽を摘まむ指を、離した。
蝶は一瞬落ちて、もう死んでしまったのか、と心が一瞬、重く沈む。だが、その重りはすぐに羽のように軽くなった。
影以外に黒のない白い羽は、ときどき体の赤い線を見せながら、重力に逆らって羽ばたいてゆく。
蝶は「綺麗」という言葉をよく思い浮かべるけれど、この蝶は「美しい」の方がしっくりきた。色鮮やかなアゲハ蝶と比べて、白と少しの赤だから、大人びた雰囲気があるのだろうか。
学校と町を隔てる、木よりも高い柵を越えようと飛んでいく白い蝶を、いつまでも見つめる。
―――――――
「キーンコーン......」
昼休みの終わりを叫ぶスピーカーで、視線は校舎の方へと百八十度、急回転した。
次は数学のテストだ。
心の中の私は、転げ回りながら悲鳴を上げる。行きたくない、行きたくない。
いっそのこと、このままサボってしまおうかと思った。だが、一ヶ月前、不良らしき人がサボって大騒ぎになっていたのを思い出す。
大事になったら、もっと陰口が酷くなって、最悪の場合いじめになる。
それは何としてでも避けなくては。
もうテストは適当な数字を入れるしかない。テストを隠すも親に見つかり、怒られる未来を想像しながら、私は下駄箱に向かって駆け出した。



