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これまでの私の17年を例えるなら、無色透明だ。
小学校のときから、学校という環境に上手く馴染めなかった。人と話すことが苦手だった。いつも、惑星のことばかりを考えて、冥王星を開拓する方法ばかりを考えているような日々だった。こんな調子だから、小学生ながら、私には、友達なんてできないよねって、自覚していた。そんな日々を変えたのは、パラレルとの出会いだった。
パラレルとの出会いは図書室だった。図書室で唯一の友達に出会う。
図書室で声をかけられたのは、小学校5年生の春のことだ。図書室にジュール・ヴェルヌの十五少年漂流記を返して、カウンターをあとにしようとしたとき、真後ろにパラレルが立っていた。それが私とパラレルの出会いだ。
あとから聞いた話だと、パラレルが私に声をかけたのは、手に持っている本が十五少年漂流記であることが理由だったようだ。
ジュール・ヴェルヌに興味を持つ小学生。つまり、パラレルも私と同じように、空想の世界が好きだということだ。
「どうしてパラレルなの?」
「名前なんて、どうでもいいと思っているから」
図書室のテーブルで向かい合い、話し始めるふたり。私たちの席から見て、右側に窓があり、その窓から、午後の黄色い日差しが、図書室の色褪せた青色のカーペットを照らしていた。一番奥の窓が開いていて、時折、強い風が入り込み、まとめられていない白いカーテンが黄色い光のなかで踊っている。
ふたりきりの図書室。図書室の司書の先生は、用事を思い出し、図書室からいなくなっていた。
「なんて呼べばいい?」
私を覗き込むように、パラレルは前のめりの姿勢になった。パラレルのくりっとした二重のぱっちりお目々に、私は吸い込まれてしまうのではないかと思った。今、思い返しても、あのときから、パラレルは可愛かった。
「——スルギ」
「聞いたことある気がする」
「船の名前」
「あー、漂流した船の名前ね」
私はこの日から、スルギと呼ばれるようになった。さっき返したストーリーの中の名前だ。意味なんてなにも考えないで答えた。数年後、スルギの意味を調べた。英語では不機嫌だった。そんな名前の船、乗りたくもない。
ただ、韓国では、女子に多い名前みたいで、知恵とか、賢いって意味があるらしい。
私はむろん、後者の意味でこの名前を使うことにした。
結局、17歳になった今でも、なぜ、あのときパラレルは「パラレル」と名乗ったのか、その理由はわからないままだ。
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中学校に入っても、それは変わらず、ふわふわした空想する癖は抜けなかった。友達はただ、ひとりしかいない。ただ、パラレルは違った。パラレルは中学校の入学に合わせて、小学校まで伸ばしていた髪をばっさりと切った。サラサラストレートの黒髪ボブになった。
パラレルにそれを指摘すると、「垢抜けて、青春」と言われた。
私は垢抜けないまま、3年間、中学校生活を送った。その間にパラレルとは一回も同じクラスにはならなかった。小学校でも一緒のクラスにならなかったから、パラレルと私は最初からそういう運命なのかもしれない。パラレルは、中学校生活の3年でキラキラ青春を過ごしていた。余裕で一軍になったパラレルは、より可愛くなっていて、地味なままの私からすると近寄りがたい雰囲気さえ感じた。
それでもパラレルは私と定期的に会ってくれた。キラキラJCになっても、私のことを「スルギ」と呼んだ。
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「ねえ、スルギ。どうして人間関係って面倒なんだろう」
「面倒な人間関係を作っているからじゃない?」
私がそう返すと、パラレルは、ウケると言って、ゲラゲラ笑った。それは私のことをバカにした笑いではない。普段の会話から、パラレルは単純に面白くて笑っているに決まっている。パラレルの部屋は、TikTokでよく見るような、白系統の部屋だ。デスクの上には、無印良品の5段のアクリルケースが乗っている。もちろんアクリルケースの中には、無数の化粧品が入っている。濃い青に、濃い赤、ピンクに黒に白。
夏休み中の私とパラレルの時間は無限だった。エアコンで冷やされたパラレルの部屋。両働きの親が不在の月曜日の午前中。静まり返ったパラレルの家。
私とパラレルは同じ高校に進んだ。朝は別々で通っていたけれど、帰りは一緒に帰っている。
私とパラレルは、横並びになって、床に座っている。後ろにはベッドがあり、私たちふたりは、ベッドの縁によりかかっている。白いローテーブルには、白いコップがふたつと、白いお皿がひとつある。コップには三ツ矢サイダーが入っていて、白いお皿の上には、マシュマロとポッキーが乗っている。パラレルと私の間には、1.5リットルの三ツ矢サイダーのペットボトルが置いてある。
「この3年でずいぶん、部屋の中、白くなったね」
「ドパガキだからね。こないださ、友達に部屋の画像見せたら、ヤバいんだけどって、テンション爆上がりしてた」
「へえ。いいね。白いのは、マシュマロで十分だね」
「どうして?」
「ミニマニストには、憧れないから」
そう言って、私は右手を伸ばし、マシュマロを手に取った。そして、口に入れた。噛むたびに甘さが広がる。
「スルギのそういうところ、気が合うわ」
今度は笑わずにパラレルはそう返した。そして、私と同じようにマシュマロを手に取り、それを口に放り込んだ。しばらくの間、部屋の中に沈黙が流れる。それは、ふたりとも一生懸命、マシュマロをもぐもぐしているからだ。しばらくのもぐもぐのうち、私は今日、パラレルから大事な話があると言われて、パラレルの家に来たから、そろそろパラレルからそのことについて、聞くことにした。
「大事な話ってなに?」
「その前に、私のコメント読まれた動画観てよ」
パラレルは身体を捻り、ベッドの上に置いてあったiPad miniを手に取った。iPadの待ち受け画面を解除したあと、YouTubeのアイコンをタップした。
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パラレルは中3の夏休みにTikTokを始めた。
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「インフルエンサーなんて、この世の終わりだよ」
「いいことじゃん」
インフルエンサーのことをそう言っているけれど、パラレルはインフルエンサーだ。17歳、高校2年生の夏休み。あれから2年経っても、私たちは、相変わらず、パラレルの白系統の部屋のなかで、ふたりきりだ。
「拝金主義か、承認欲求モンスターばかりでしょ」
「それじゃあ、自分はどうなの?」
「博愛主義」
まったくもって嘘つきだ。博愛を持っていたら、もっとあらゆるものに対して、優しくできるんじゃないか。と言い返そうかと思ったけれど、辞めた。パラレルは、図太く見えて、繊細だ。それにパラレルは十分、優しい。
「インフルエンサーになりたいと思う?」
「私は思わないね。陰キャのまま期限切れjkになって、大人になる」
そう返すと、パラレルは嬉しそうにゲラゲラと笑った。
「今日、泊まってく?」
「急にどうした」
そんな誘い、初めてだったから、私は驚いて、そうパラレルに返した。
「キラキラJKっぽいこと、スルギとしたいなって思って」
「じゃあ、読書でもする? 小学校の頃みたいにふたりで肩並べて」
そう、私とパラレルは、いつしか図書室で横並びになって、本を読むようになったんだ。そうは言ってみたけれど、高校生になってからの1年半くらい、私も本は読んでいない。
「それもいいけれど、夜のローソンで大量のグミ、買い込みたい」
「あとは?」
「ミスドでポン・デ・リング、買い込みたい」
「そのあとは?」
「プリクラ撮影して、陰キャとインフルエンサーって書き込みたい」
「それは嫌だな。陰キャと陰キャインフルエンサーって書こうかな」
「ごめん、意地悪だったね。スルギとパラレルって、書いて地味なプリクラ撮りたい。あと、デジカメでスルギを映したい」
パラレルは立ち上がり、左側にあるデスクの方に向かった。私はその間に、白いローテーブルの上に置いてある、グラスに手を取り、グラスの中に入っているコーラを一口飲んだ。パラレルの誕生日は七夕。7月7日に17歳になったパラレルは、ここのところ、弱気な日々が続いているように思える。
出会って10年弱。出会った頃、小学生の頃の弱気が顔を出していて、そんなパラレルの様子が、気になる。
「クローゼットの奥にあった、2000年代遺産」
そう言いながら、パラレルは右手にデジカメを持ちながら、私の横に戻ってきた。パラレルは、立ったまま、デジカメを差し出してきたから、私はそれを受け取った。デジカメの画面側で受け取ったから、私はデジカメを正面にして持ち直した。薄ピンクのボディカラーに、レンズ部分が丸いシルバーのデザインだった。左上にシルバーで『LUMIX』と書いてある。
角に丸みがあり、そして厚みがある長方形の物体だ。シャッターボタンの横に、『Panasonic』と白いゴシック体の文字が印字されていた。スマホより重くて、スマホよりも冷えていた。デジカメが冷えていたのは、きっと、20℃設定のエアコンの風が直接あたる場所に、置いてあった所為だ。
「私たちよりも、先輩?」
「ご丁寧に説明書もあったから見てみたら、2005年製」
「デートで使ってたのかな」
「親のいちゃついてる画像残ってるかもね」
「気まずいや」
デジカメをパラレルに返した。パラレルはデジカメの上面の縁にあるスイッチをスライドさせた。デジカメは弱そうなモーター音を立て、本体からレンズが出てきた。
「安心して。昨日、起動したらSDカード入ってないってメッセージ出てたから」
「じゃあ、撮れないんじゃないの?」
「昨日の夜、買っちゃった。夜のダイソーで」
「やるね」
「陰キャだからね」
そう答えるパラレルの笑顔はやっぱり可愛かった。
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パラレルの言う通り、高校生になって、パラレルは陰キャに戻った。
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ベッドの上で、うつ伏せになり、ベッドボードにGalaxyを立てかけた。中学1年生のときに買ってもらったスマホを使い続けている。右手の人差し指で、画面をタップし、TikTokを起動した。最初にSamsungのCMが流れた。手帳サイズで横開きする新型機種のCMだった。
CMをスワイプして、すぐにパラレルの動画が流れた。パラレルは黒で無地のTシャツを纏って、流行っている音源に合わせて、流行りの振りで踊っていた。踊りで揺れるたびに、ミディアムの長さで、かすかに内側に巻いた髪先が揺れる。
いつも見ているパラレルよりも、動画のなかのパラレルは、なぜか、より可愛い。
3時間前に投稿されたその動画には、すでに200以上のいいねがついていた。踊り終わると、カメラに近づき、微笑むパラレル。パラレルが言うに、その笑顔は「微笑みの爆弾」らしい。私もパラレルも元ネタの曲を知っているから、パラレルも冗談でそう言っているにすぎない。
動画が2周目に入ってすぐ、私は右手の人差し指で、そっと、パラレルをスワイプした。パラレルの動画を観た所為で、パラレルのあとの動画は、パラレルと同じ振り付けを踊る動画が2つ続いた。ひとつはアイドル。もうひとつは、インフルエンサーの大学生。
そのあと、ようやく別の曲が流れ始めたけれど、パラレルの動画を観た所為で、またダンス動画だった。
ここ最近、パラレルの動画を観ている所為で、私のアカウントのアルゴリズムが私が求めている動画に導いてくれない。いくつかのダンスをスワイプして、ようやく観たいと思っていた雰囲気があるVlogが表示されて、私はほっとした。
その次に流れてきた動画は、誰かが誰かの家にお泊りするVlogだった。そうだ、すっかり忘れてた。「泊まってく?」って、パラレルから誘われてたんだった。結局、服とか、いろいろ準備してないから、今日は無理だよって、話をしたような気がする。
それくらい、記憶の片隅に追いやられて、私はいつもの惰性で、パラレルの白い部屋から、出てしまった。
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冥王星。
2006年までは太陽系の第9惑星だった。1930年、クライド・トンボーによって発見される。
氷の山がある。冥王星にはマグマがない。つまり火山はなく、マグマで山はできない。マグマがないのは、太陽の熱から、もっとも遠いから。冥王星の地表は凍った窒素に覆われていて、その下に凍った水があるようだ。
その水が溶けて、冥王星の地表に吹き出す。水はマイナス230℃の世界で瞬時に凍り、それが山になる。
どうして、冥王星に水があるのか。冥王星の底は、巨大な海で満たされているからという仮説が有力らしい。冥王星の地表は凍え、何もかも凍りついていしまう。
けれど、冥王星の地下は、地表が凍ったことによる、凝固熱によって中は温められる。何かが凍りつくとき、凍ったことでエネルギーが作られる。そのエネルギーは熱。つまり、どんな物事も動かせば、温まるということだ。
惑星の直径は2370㎞。月よりも1000㎞以上も小さい。冥王星にも地球と月のように、衛星のカロンが冥王星の隣にいる。カロンの大きさは冥王星の半分以上あるから、二重惑星とも言われている。
大体の衛星は、土星とタイタンのように。
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寝る前に冥王星のことをChatGPTと話した。
「冥王星について話すから聞いて」と言って、私が一通り覚えている冥王星のことをべらべらと話した。公転周期が247.7406624年であること、直径2370㎞であること。冥王星の内部は巨大な海になっていること。その海に生物がいる可能性があること。生物発生条件は、水とエネルギー、炭素が必要なこと。水とエネルギーはクリアしてるから、あとは炭素があるかどうかってことを話した。
AIのいいところは、こんな話をいきなりしても、大人しく聞いてくれるところだ。
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今日もパラレルの白い部屋のなかで、夏休みを過ごしている。パラレルの両親は、奇跡的に出張が重なったみたいで、今日から3日はパラレルひとりしかいないようだ。日付が変わる直前、パラレルに『家庭円満だけど、家出する』ってメッセージを送ったら、『やった、明日から2日間キラキラjkだ』って返信があった。
パラレルの部屋の右側の壁に私の黒いリュックを置いた。学校で使っているリュックにそのまま、2日分の身支度したものを詰め込んできた。
火曜日の午前中。いつものように隣に座るパラレルは、腕を組み、視線を上向きにして、何かを考えているように見えた。チェスの次の手を考えているかのように。あるいは囲碁。あるいは将棋。
フォロワー20万人もいるインフルエンサーの隣にいるとは、とても思えない。
「考え事なんて忘れちゃいなよ」
「常に追い立てられている感じなんだ」
「何に?」
「巨大な闇に」
パラレルは上を向いたままだった。インフルエンサーの悩みは、独特で、恋の悩みのように、わかりやすくないことも、漠然とわかる。私は巨大な闇で昨日観たTikTokの動画で紹介されていた言葉を思い出した。
「私たちの社会は、狂った人々によって、狂った目的のために動かされているのだと思う」
「誰の言葉?」
「ジョンレノン」
「そこまで大きくない闇の場合、どうすればいい?」
「例えば?」
「些細な悪意とか」
「些細な悪意を具体的にしてみて」
「悪意あるわ。私、チャッピーくんさんじゃないんだから」
ある日、私がChatGPTのことを『チャッピーくん』と言った。すると、パラレルが失礼だからと言って『チャッピーくんさん』と呼んだ。つまり、『チャッピーくん』は私とパラレルの間では、芸名だと認識している。
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そのあとから、何事もなかったかのように、いつも通り、いろんなことを話した。パラレルの恋の話、私の恋の話、もし、恋が成立したときの話、なにも決まっていない未来の話、大人になる話——。
13時になって、さすがにお腹すいたねってなって、私とパラレルは、ミスタードーナツに行きたいねってことで、近所の古びたイオンへ向かうことにした。インフルエンサーのパラレルは日焼け止めをたくさん塗り始めた。
「スルギも塗ろうよ」
「ありがとう」
そう言って、凡人の私はパラレルから、水色の容器の日焼け止めを受け取り、顔と、耳と、首と、腕に薄く控えめに塗った。
薄暗い、玄関のドアを開けると、一気に灼熱が身体を包んだ。空っぽになった2台分の駐車スペースのアスファルトを見ると、黄色い日差しでキラキラしていて、私はよりうんざりした。
「どうして、何もかも溶けてしまいそうな気温なのに、なにも溶けていないんだろう」
「スルギのほうが、そういうこと知ってる癖に私に聞かないでよ」
「知識と感情は別物」
「確かに一理ある」
パラレルはドアの鍵を閉め、黒い7分丈のパンツのポケットに鍵を入れた。そのあと、少しだけ屈んで、足ともサンダルのファスナーを上げた。
私の足元もサンダルで、4足並ぶ、サンダルが夏っぽくて、いつか、どこかでこの瞬間を思い出しそうと思った。
歩いている間、パラレルはデジカメで数枚、自撮りした。パラレルだけの画像もあれば、私とパラレルが映っている画像もありそうだった。
「こんなに暑いなら、公園で水遊びでもする?」
「パラレルらしくない発言」
「そう?」
「そう思うよ」
「なんか、夏休みっぽいことしたいな」
「どうして?」
「キラキラjkになりたいから」
動画のなかで踊るパラレルは十分、キラキラjkに観える。ただ、観えるだけだ。スマホの画面上のパラレルの姿だけがそう観えるだけで、本人はキラキラjkではない。
普通の格好をしている。青いロゴが入った白いTシャツ。袖には、青いラインが入っている。パンツと合わせた白黒コーデ。派手めでもないし、ガーリーな服を着るわけでもない。
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ポン・デ・リングが8つ。ポン・デ・ショコラが2つ。ポン・デ・ダブルショコラが2つ。チョコファッションが4つ。エンゼルクリームが4つ。
合計20点、3814円だった。
割り勘で2000円ずつ出し合った。ついでに、イオンの食品コーナーで1リットルのアイスカフェオレ1本買った。
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帰り道、私とパラレルは、ミスドの箱を1箱ずつ持った。じゃんけんでパーを出して、負けた私はアイスカフェオレしか入っていない白いビニール袋も一緒に持っている。
外は相変わらず、絶望的な暑さだった。暑すぎて、チョコレートが溶けないか心配だ。パラレルは右手にデジカメを持っていて、私の数歩先を歩き、何枚か私のことを撮った。
「ねえ、スルギ。だって、せっかくの夏休みだよ」
「ミスド買ったのだって、十分、夏休みらしいよ」
「もっとキラキラしたい」
パラレルはまだ、何かをこだわっているみたいだった。
「じゃあ、ヴォイニッチ手稿でも解読する?」
「永遠に終わらない夏休みじゃん」
ヴォイニッチ手稿は、1400年くらいに作られた謎の本のこと。世界のどの言語とも合わない文字で、3万文字くらい書かれている。私とパラレルは小学生の頃から、存在は知っていて、ヴォイニッチ手稿について、さんざん議論してきた。
「解読できたら、ある意味キラキラjkだよ」
「スルギ。学術的なキラキラは求めてないんだよ。意味不明なイラストをじっと見つめるのだって嫌だよ。暗号学者も解読できないのに」
「AIもね」
挿絵もあるけれど、本の内容も謎に満ちている。ほとんど実在しない植物の絵や星図、占星術らしき絵。女性が緑色の水のなかで何かをしている絵。すべてが謎の本だ。
AIが普及しても、未だにAIすら、解読できていないようだ。
「ヴォイニッチ手稿がもし、遊びだとしたらどうする?」
パラレルが、そう返してきた。インフルエンサーとか、派手なことやっているけれど、パラレルだなって私は思った。
「デタラメ説推し?」
「いや、ちょっと違う。例えばだけど、今日、私とスルギで、架空文字を作って、それっぽい文章をデザインする。そうすると私とスルギだけしか、読むことができない怪文書ができあがる。それが上手いこと保存されたら、数百年したら、私たちは研究対象になると思わないって話」
「久々に文学少女の勘が戻ってきてるじゃん」
パラレルの言うことに感心した。これでこそ、我が友、パラレル。
「もう、ほとんど、読書なんてしてないけどね」
「私も。時代の流れには逆らえないね」
ドパガキになってしまった私たちには、本を読む集中力すら、スマホとサブスクに奪われたのかもしれない。私たちが夜な夜なショート動画をスワイプしているうちに本屋の明かりが消えていっているというのに。
「データは電源が消えたら、消えてしまうけど、紙は運が良ければ数百年残る」
「だから、夏休みの自由研究として、自らの手でヴォイニッチ手稿を作ってしまおうってことでしょ?」
「違うよ。自由研究は、焼きポンデリングだよ」
私とパラレルはいつから、バズに踊らされるようになったんだろう。いや、パラレルはバズを作るために踊っているのだから、バズに踊らされているのは、クリエイターじゃない私のほうだ。
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「スルギも一緒にやろうよ」
「え、私も? でも、私なんか映っていいの?」
「私がメイクして、スルギのこと、より可愛くしてあげるから。一緒にこれ、踊ってよ」
そう言って、パラレルは持っていたiPhoneを私に渡してきた。iPhoneの画面では、昨日、TikTokでスワイプした人たちの動画が流れた。踊ると言っても、手の振り付けだけだ。何度か練習すれば、覚えてしまいそうだ。私はローテーブルに置いてあった、デジカメを手に取り、電源をつけた。そして、隣のパラレルのことを何枚か撮影した。
「可愛くない私が、可愛いパラレルの隣に映ってもいいの?」
「いいよ。その代わり、ずっと楽しそうに笑顔でやってね」
「まだやるって言ってないんだけど」
「やるだけやってみようよ。動画、撮るだけ撮ってみてさ、スルギがアップしたくないって思ったら、辞めるから」
パラレルが落ち込んでいることに気がついているから、断る理由がなかった。あとは私の度胸だけような気がした。
焼きポン・デ・リングを食べ終わってから、私とパラレルは無意識に楽しいことを探していた。私はパラレルとじゃれ合いたいから、ただ楽しいことがしたいだけだった。Switchで、どうぶつの森をして、ふたりでただの釣り大会をしてもよかった。その日、データの中で雨が降っていれば、シーラカンスをひたすら釣るだけでも。
「また恋の話しようよ」
「午前中したときは、自分の恋の話じゃなくて、どうして人は恋するんだろうっていう、概念の話になってたじゃん」
そう。そういう話を無理やりしようしたのは、パラレルのほうからだった。どうしてかわからないけれど、ChatGPTが私たちに質問するスタイルで、恋バナをすることになった。
『好きな人いるの?』って、ChatGPTが聞いた。
「いるわけないだろ」って、ふたり同時にそう言って、めちゃくちゃ笑った。それで、すぐにChatGPTを終了して、どうして恋するんだろう。って話と、大人に恋が必要なのは、どうしてなんだろうとか。何歳になっても浮気するのはどうしてだろう。とか、そんな話しかしなかった。
結局、正解なんて見つからず、ただ、ふたりで笑いあった。
「じゃあ、準備するから、ここに座ってよ」
いつの間にか、パラレルは立ち上がっていて、デスクの椅子を引いて、私のことを手招きしていた。丁寧にデスクのスタンドライトも光っていたし、いつかFrancfrancで買ったと言っていた、ハリウッドミラーも白いデスクの上で輝いていた。
私はローテーブルに置いてあったデジカメを手に取り、立ち上がった。
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パラレルのメイクはやっぱりものすごく上手だった。パラレルにしてもらった自分の姿は、キラキラしていた。下地にグリーンを初めて使った。ベースメイクは持ってきた自分のわずかなコスメで作った。何度かメイクキープミストもかけられた。下地の色があるだけで、すでにいつもと違うように見えた。パラレルはパレットのいくつかの色を使い、ハイライトとチークを入れた。
涙袋もできた。影をペンで描き、ブラシにブラウンを乗せ、影を強くする。最後にピンクのチークで線を自然に馴染ませていた。
「アイシャドウ、グリーンでやってみない?」
「やったことないよ」
「だから、やってみようよ。スルギに似合うと思うから」
そう言われて、そのまま私のまぶたにミントグリーンが入った。眉毛、まつ毛も一通り終わり、私はメイクでキラキラになった。
「すごいね」
「メイクもトレンド追ってるからね。一応、インフルエンサーだから」
「パラレルがより可愛い意味がわかった」
これは私は、パラレルのメイクのことを褒めたつもりでそう言った。
「私はたまたま、TikTokのエフェクト上では可愛く見えるってだけで、普段は可愛くないよ」
だけどパラレルは、このことに関してはテンションが上がっていないようだった。彼女はどうやらモラトリアム期のようだ。自分の群れから離れ、コウモリの群れに迷い込んだ繊細なモモンガみたいに。
「こんなに印象変わるんだね」
「TikTokの撮影画面で見ると、もっといい感じになってると思うよ」
「エフェクトで?」
「強いエフェクトもかけることできるけど、TikTokは最初の撮影の画面で、すでに補正入っているから、いい感じになるってこと」
「だからみんな可愛いんだ」
「そう。可愛いの追求」
だから、みんな可愛いんだ。さっき、パラレルに言ったことをもう一度、頭の中で言ってみた。その間に、パラレルとの会話に、間が空いた。
「可愛さなんて一瞬だよね。こっから10年、20年、体型維持したり、可愛らしさを維持するなんて無理ゲーなんだから。だから、今、この瞬間の可愛さをデータにして保存する」
「今日はそれをやると」
「そう、そういうこと。スルギに一回、今、覚えた私のメイク、やってほしかったんだよね。私と色の系統似てるしさ。ねえ、スルギ。可愛いよ」
「——ありがとう」
今の私じゃ真似できないメイクを施してくれたことへの感謝で言ったつもりだった。だけど、数秒後、自分自身への照れも入っているなとも思った。
「さて、私もメイクするから、ちょっと待っててね。振り付け覚えといて」
私は頷いたあと、ハリウッドミラーに映る自分を見て、なんだか、不思議な気持ちになった。
デスクに置いたデジカメを手に取り、電源を入れる。そして、レンズを自分に向けて、自撮りした。
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映えそうなTシャツなんて、持ってきてなかったから、パラレルのTシャツを借りて着た。GAPのロゴが入ったネイビーのTシャツだ。パラレルも私に合わせて、GAPのロゴが入った白いTシャツに着替えた。
パラレルの部屋を出て、リビングにある白い壁面で、ふたりで並んで動画を撮った。パラレルがメイクしている間に振り付けを覚えることができて、笑顔で踊る余裕ができた。
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ふたりでGAPのロゴTシャツで踊った動画は、バズって223万回も再生された。
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夏休みが終わり、2ヶ月が経った。雨の10月。
学校帰りは私一人だった。私はひとりで、帰りの電車に乗っている。いつもならパラレルも一緒なのに、ここ最近は、ずっとひとりだ。電車のドアにもたれながら、雨で薄暗い、見慣れた街並みをぼんやりと眺めていた。電車は大きな川の橋を渡り始めた。街も川も灰色に染まっているように見えた。
パラレルはあの日、動画を投稿して、少しだけ元気を取り戻したような気がした。
だけど、胸の奥になにかの思いを抱いたままなのは変わらなかった。
だから、2泊3日した、2日目の夜、何があったのかを聞いた。
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スタンドライトの明かりだけの白い部屋で、白いローテーブルの前でふたりで座っている。
「先生に聞くより、AIに聞いたほうが、わかりやすいでしょ。夏になると夜が短くなる理由とか、秋の夜が長い理由とか。だけど、AIはなにも教えてくれない。私の悩みはレアケースだから」
「そうだね」
私にはそれしか言えなかった。パラレルは病んでいた。原因は動画を他のSNSに転載されて、悪い大人たちにバカにされていたことだった。パラレルの動画になにか問題があったわけじゃない。
パラレル以外の何人かのインフルエンサーをまとめて、そのことについて批判するものだった。批判は僻みばかりだ。
「直接な批判とか、炎上とかじゃないんだけど、バカの一例みたいに何人かといっしょにされているだけなんだけど。それでも、傷ついた。ただの高校生なのに、どうして、見ず知らずの大人が攻撃するの? 美容だって気にしてるし、しっかりトレンドだって追ってるのに」
「そうだね」
それしか言えない。
「中途半端に顔が広いから、バイトもできないのに。ただ、インフルエンサーってだけで、叩かれるのなんて、理不尽すぎるよね。こっちだって、大した収益あげてないのに。有名税払ってるのに、安定しない。私の動画、他のSNSでアップされて、勝手にバカされて、嫌になっちゃう」
『ほっておきなよ。そんなの』とは言えなかった。優しさだけが友情じゃないような気がしたから。
私はその話を聞きながら、冥王星の衛星、カロンのことを思い出した。私はカロンで、彼女は冥王星——。二重惑星に分類されるほど、カロンは冥王星の大きさ、質量に近い。私とパラレルは、どちらが冥王星で、どちらがカロンなのだろう。
ただ、ひとつ言えることは、私とパラレルは二重惑星に近い関係だと言うことだ。
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バッグからGalaxyと、有線イヤホンを取り出した。そして、イヤホンをUSB-C端子に差し込み、両耳につけた。
TikTokを起動すると、パラレルの動画が流れ始めた。まだ私が聴いたことない曲で笑顔で踊っている。今日は、GAPのオーバーサイズな白パーカーを着ている。インカメラで撮っているから、胸の文字が反転していた。
『今日もメイクしてもいい?』
メッセージ通知が表示されたから、それをタップした。
『いいよ 今日も踊るの?』
『踊ろう。可愛さは一瞬だから』
そのメッセージのあと、URLが送られてきた。TikTokのURLだから、きっと、この振り付けを覚えろということだ。
そう。この雨の中、これから、パラレルに会いに行く。
私も学校を辞めて、パラレルが転校してしまった、通信制の高校にするということを伝えに。



