それを恋と呼べなくても

恋と呼ぶには不確かで

 
 どちらも大切で、どちらもほしくて。
 これを何と呼ぶのか、自分でもわからない。
 
 
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 雨の日は嫌いだ。
 
 周囲の音をかき消すような雨音が耳障りで、憂うつに沈んでいく。紺色の傘の内側にある自分だけの空間にも、音は侵入してくる。

 どうしても、感傷的になってしまう。うぜーなって思っても、なってしまうもんは仕方ない。

 ひとりで帰るようになって、もうだいぶ経つ。毎回ひとりというわけじゃないにしろ、いつも隣にいた2人がいない帰り道もすっかりおなじみの景色だ。

 ――なんて、嘘だ。未練がましく、いまだ慣れていない。

 ふとしたときに隣に目をやって、そうだったと思い出す度に苦しくなる。虚しいったらない。

 オレから一緒に帰ろうと声をかけたとして、現実が期待したものと違ったらと思うと怖かった。そんなのをずるずると繰り返して、結局は今日もひとり。

 3人でいられなくなったのは、他でもない、オレのせいなのに。今さらどの面さげて会いに行けばいいんだ。
 
 赤信号で足を止めた。雨で視界がぼんやりしている。

 半年前、ここで同じように信号待ちをしていたときには隣にあいつがいた。

 ――『オレ、美雨(みう)と付き合う、ことになった』

 3人だと緊張するからと美雨には先に帰ってもらい、晴臣(はるおみ)と2人での帰り道。話があるなんて言っておきながら、なかなか切り出せずにいるオレを辛抱強く待っていてくれた晴臣。

 ようやく報告できて、ホッとしたのも束の間。

 ――『……良かったな』

 どうにか貼り付けたような晴臣の笑顔を見て、心臓をつかまれたような気分になった。程なくして、一緒に3人で帰る毎日から晴臣が消えた。

 くだらない話は散々してきたのに。オレも晴臣も好きなひとのことを話したことが一度もなかったから、そのときまで晴臣の気持ちを知らなかった。オレからは何となく恥ずかしくて話せずにいたのもある。

 晴臣が美雨を好きだとは思えなかった。気づこうとしていなかったのかもしれない。アホか。

 晴臣は同い年だけど、どっか兄貴みたいな安心感があって、美雨のことも妹みたいにかわいがってるって自分勝手に都合のいいように考えてたんだ。

 思い返して後悔するだけの、今日もまた無意味な作業だ。後悔したところで戻れるわけでもないから、もういっそ忘れたい。

 信号がちかちかして見える。目の奥が痛いせいかもしれない。はぁ、と深く吐いたため息は雨音にかき消された。

 晴臣のあの顔を見て気持ちに気づかないふりが、知らないふりが、できなかった。
 
 美雨を好きな感情があるのに、確かに好きだって思うのに、会うたびに晴臣に対して募っていく罪悪感。美雨にも悪いし、晴臣にも悪いことをしてるみたいで気持ち悪くて。そう思うことも、いいのか悪いのか。そんな自分も何だかよくわからなかった。

 美雨と会っても上の空のオレを、美雨はよく怒っていた。怒って、泣いていた。当然、美雨とうまくいくわけもなかった。

 ――『オレと友達に戻ってほしい。たぶん、オレとは友達のが美雨にとっても良いんじゃねーかな』
 ――『……わかってた。幸哉(ゆきや)、付き合い始めてからずっと変だったもんね。たぶん幸哉の気持ちは、恋じゃなかったんだよ』
 ――『それは違う。オレ、美雨のこと好きだよ……ほんとに。ちゃんと好きなんだけど、』

 その先を言って何になる。美雨を想う気持ちが恋なら、晴臣を想う気持ちは何だ。

 美雨が隣にいるだけじゃ足りなくて、いつものあの3人の空間が恋しい。晴臣がいないと、オレはいつも何か欠けている気持ちになるんだよ。

 オレにとって何より大事なのは3人でいることだって、晴臣がいなくなってからわかった。彼女である相手に、そんなことを言ったところで傷つけるだけだ。

 何よりも、理解してもらえるわけない。理解できねーだろ、普通はこんなこと。

 オレだって自分で自分がよくわかんねーんだから。

 ――『好きなら、何で? どういうことなの? 意味わかんないよ……っ』
 ――『ごめん。オレのせいだよ。どう思ってくれてもいい』
 ――『オレのせいって何?』
 ――『とにかく、別れよう』
 ――『もう……何なのっ、嫌いになったって言われる方が全然マシだよ!』

 目に涙を浮かべる美雨にひっぱたかれた。そうだよな。いっそのこと嫌いになったと嘘がつければ良かったんだ。

 何も言えずにいるオレに『どうして、いつも何も話してくれないの?』と、続けた美雨。オレはやっぱり、返す言葉が見つからなかった。

 美雨のこと、大事にしたかったんだ。すげー大事なんだ。今も変わらず、そう思ってる。

 だけど、晴臣のことも天秤にかけられないくらいに大事で。それが恋かと言われるとよくわからない。

 どちらも選びたくて、どちらかを選べず、どちらも傷つけてしまった。

 両方をうまく選べたら、違ったかな。……って、無理だな。選べるわけない。オレが選んだところで、2人に受け入れてもらえるはずがない。

 選ぶ側にいるなんて思うことも傲慢だ。こんな感情は最初からなかったことにしよう。

 好きとも違う、恋愛とも違うような。自分でも言語化できない感情なんて、いらなかった。

 何で、どうして、こうなったのか。答えが見つけられない。

 ようやく信号の色が変わった。横断歩道を渡ろうと、オレは足を踏み出す。

「ちょっと、幸哉っ!?」
 
 背中から聞こえた、自分を呼ぶ声。これは美雨だ、と思ったと同時に力いっぱい引っ張られて、持っていた傘が滑り落ちてしまった。

「わっ!?」

 ぐらり、バランスを崩して後ろに体が傾く。あ、ダメだ。自分ではどうすることもできないまま倒れかけて、ぐっと支えられた。

 見知った顔が見える。晴臣が受け止めてくれたらしい。

「もうっ、何で歩いて帰ってんの!」

 何が何やら意味がわからなかった。オレは体勢を整えて、美雨から傘を受け取る。うまく持てなくて、ひとまず畳んでしまった。

 どんよりとした曇り空が見えて、降りかかる雨は冷たかった。

 状況の把握に頭が追い付かず、濡れたままでいると「寒いよ」と、すぐに美雨が自分の傘の内側に入れてくれた。高さがあっていなくて腕がつらそうだ。

 オレが持とうかと手を伸ばすと、怒ったようにそっぽを向かれてしまった。何なんだ。
 
「あぶねーな。お前、何してんだよ」と、晴臣が脇に立ってくれている。雨のせいか体が重たい。

「何って、帰ってるだけだよ」

 顔を上げると視界に入った赤色。目の前をトラックが音を立てて通り過ぎていく。2人が止めてくれなければ、気づかず赤信号を渡ってしまうところだったみたいだ。

 ぼんやりする頭を押さえる。ずきずきと頭が痛くなってきた。何だこれ、こんなのオレに都合のいい夢じゃん。

「まあ、もういいや。とりあえず、俺ん家行くから来い」
「は? 何でいきなり。……え?」

 まだ理解ができていない。

「お前、熱あんだろうが。無理すんな。心配で帰りに教室寄ったら、幸哉はもう帰ったって聞いて、慌てて追いかけてきたんだよ」
「はっ、なに、何だそれ……」

 もう夢でいいよ。どういうことだか考えようとしても無理だ。2人から声をかけてくれるなんて、そんなのあるか。

 力が抜けて、オレはずるずるとしゃがみ込んだ。はは、と笑いが漏れる。

「ちょっ……幸哉だいじょうぶ!?」
「……オレのこと、心配してくれたのか」
「そりゃ、当たり前でしょー? もう幸哉とはクラス違っちゃったけど、どうしてるかなって気にしてるよ。今日だって、廊下ですれ違ったときの幸哉の様子がおかしかったねって、晴くんと話してたんだから」

 ね! と、隣に笑いかける美雨。そうだな、と優しくうなずく晴臣。

 オレだけが気まずくて離れたけど、2人の距離は変わっていなかったのかもしれない。

「幸哉は俺らのこと避けてたけどな。ほら、とりあえず、もうちょっとだけがんばれ」
 
 晴臣がリュックを持ってくれて「しんどいなら背負ってやろうか。幸哉なら……たぶん、ギリ背負える。たぶん」なんて、冗談か本気かわからないことを言われた。変わってないな。

「や、大丈夫。何ともないから、帰れるよ。そんなことより、晴臣は美雨と付き合ってんのか?」
「は? 付き合ってるわけねぇだろ。何勘違いしてんだ、はっ倒すぞ。言いたいことあんならそれも聞いてやるから、とりあえず俺ん家でいいだろ」

 付き合ってはないのか。安心したような、そうでないような変な気持ちだ。

 呆れたように笑った晴臣から差し出された手をつかむと、ひやりと冷たかった。たぶん、オレが熱いんだろう。

 のろのろと歩くオレを心配そうに覗き込みながら、一生懸命腕を上げて傘を支える美雨がかわいいなと思ってそのまま口にすると、ど突かれた。

「風邪引いてる幸哉ってうざーい。頭良いくせに、風邪ひいても気づかないおばかさんなところ相変わらずだよねぇ」
「悪かったな。色々、悪かったよ。……ごめん」
「謝罪はいらないから、ちゃんと言って。まーた“色々”とか濁さないの。病人なんだから、素直に言えるでしょ?」
「病人なら素直に言えんのか……相変わらずよくわかんねーな」

 ふっと笑ってしまうと「それが美雨だろ」と、晴臣もクスクス笑った。そうだった。このよくわからなさが美雨の通常運転だ。顔を合わせないようにしていたのに、会ってしまえば恐れていたような気まずさは感じなかった。
 
 ふわふわと足元がおぼつかない。これが夢だったと言われても、信じてうなずいてしまいそうなほど現実味が薄い。また3人でこんな風に笑える日が来るとは想像すらできなかった。オレが壊したものは、もう戻ることもないんだと思っていた。

 今、素直になったら、明日からもこうしていられるんだろうか。そんな期待をしそうになる。この胸の苦しさは風邪から来るものか、別の感情からか区別がつかない。

 晴臣の家に到着するなり、てきぱきと美雨と晴臣が動いてくれて、あっという間にベッドで休ませてもらうことになった。

「しんどかったら、このまま泊まってっても大丈夫だから」
「……ごめん。迷惑かけて」
「そんなん今さらだろ。って、迷惑だとも思っちゃねぇけど。いいから寝とけよ」

 うなずいて横になると、美雨が小さな子どもをあやすかのように布団をかけてくれた。目を閉じて、だるく感じていたのは風邪のせいかとようやく自覚した。

「美雨はどうする? このままここにいるなら、俺は麦茶入れてくるけど。ついでに何か食う?」
「ちょっとお腹空いたかも。おやつも準備よろしくねー!」

 バタンとドアの閉まる音。

「さて」と近くで美雨の声がして、ポンポンと掛け布団を軽くたたかれるような感覚があった。寝かしつけられているのではなく、これはどちらかというと起こされているのだろう。

 無視しようか迷ったものの、視線を感じる気がして落ち着かない。オレは観念してまぶたを上げた。

「美雨、それ以上近づいてくるなよ。移したくねーから」

 起き上がろうにも、しんどさが勝って難しかった。さっきまで何も感じていなかったのに、体調不良を自覚した途端に体が鉛のように重い。

「移るほど近くにいないよ。あ、ぎりぎりまでなら近づいていいってこと?」
「わざと言ってんだろ、それ」
「優しいねぇ、幸哉は」

 あはっと笑った美雨は掛け布団に置いていた手を引っ込めた。

「ほんとはお休みって言いたかったけど、寝られると困るからちょっと待って」
「休ませてくれんじゃねーのか……」
「だってー、さっきの気になるもん。寝ちゃって忘れられても困るから、今訊いちゃう」
「あー、何だっけ?」

 色々とか濁さないのと言われたあれのことだろうとは思いながら、ここは忘れたふりをしてみる。頭が回らない状態で伝えられそうなことじゃない。

「さっきのごめんについてだよ、って幸哉わかって言ってるでしょー。色々ってなぁに?」
「……言ってもわかんねーこと。だから、色々」
「言わなきゃ、もっとわかんないじゃんっ。気になるようなこと言っといて、教えてくれないのはずるいよ」
「ただ、ずっと謝りたかったんだよ。それだけ」

 ふるふると首を横に振る美雨。はあ、とオレの深いため息が部屋に響いた。とりあえず寝かせてほしい。

「具合悪いのに申し訳ないけど、ちゃんと話してくれるまでは寝かせてあげられない。このままだと、幸哉またあたしたちのこと避けるでしょ」
「避けねーって」

 言いつつ、確かにその自信はなかった。そんなに急に元通りには戻れない。だってオレが避けてたのに、仲良くなれそうだからって元に戻るのは虫が良すぎるだろ。

「ダメ、いいからとにかく教えて」

 このままだと本当に寝かせてもらえなさそうだ。頭がガンガンしてきた。仕方なく口を開く。

「美雨と晴臣がすげー大事で、大事にしたかったのに大事にできなかった。たぶん、2人のことが好きなんだ……ごめん」

 美雨の大きな瞳がいっそう大きくなって、面食らったような表情をしていた。ほらな、その反応。わかってる。頭おかしいって思うよな。オレも思う。

「もういいだろ」と、出てきた声が掠れてしまった。これ以上、美雨に話したところでさらに困惑させるだけだ。

「もうちょっとだけ待って。それって、言葉通りに幸哉は晴くんとあたしが好きってことでいいんだよね?」

 こっちは会話を終わらせたいのに、美雨は納得してくれなかった。

「そう。自分でもよくわかってねーけど、2人のことが好きだと思う。こんなの、おかしいのなんてわかって――」
「え、何で、おかしいの? あたしも幸哉と晴くんのこと好きだよ。2人とも、あたしにとって大事な人だもん」

 違う。美雨の言っているそれと、オレじゃ意味がまるで違う。美雨はきっと、今までみたいに3人仲良くってことだろう。

 オレのこれは、もうそうじゃない。仲良くいたいのはもちろんだけど、ただの友達というのとは違う気がする。恋に似ていて、恋ではないような。どちらかというと執着か。所有欲の類なのかもしれない。よくわからないのに、それが自分の中にあると気づいてしまった。わかってしまった。

 優しく頬に触れてくる美雨に苛立って、華奢な手首をつかんだ。まぶたが熱いのは、今の体調のせいだろうか。

「美雨のとは、同じじゃねーんだって。オレのは恋愛感情かっつーと微妙なんだけど、友達っていうのとも違って……ずっと、3人でいたいって思ってる」
「……あたしとか、晴くんに好きな人ができても3人でいるのとは違うんだよね? 他の人はいらなくて、あたしと幸哉と晴くんの3人だけでいたいってことであってる?」

 こくり、とうなずきながら美雨から手を離す。

「そっかぁ」と美雨の低めの呟きに、心臓が嫌な感じで脈を打った。

「もっと早く言ってくれれば良かったのに。ちゃんと好きだって言ってくれた言葉、嘘じゃなかったのに疑ったりしてごめんね」
「気持ち悪いとか、なんねーの?」

 恐怖心から、つい訊ねてしまった。思ってたとして、本人を目の前にして言えるわけないか。

「えー、気持ち悪いこと言ってた? まあ、ちょっとまだあたしにはよくわかんないけど。幸哉から好きだって思われてたのがわかって嬉しいよ」
「ほんとに?」
「言っとくけど、気を遣ってるんじゃないからね! ってか、晴くんもいるときに話せば良かったね。晴くん呼んでくるね」

 軽々と立ち上がった美雨。よしよしとオレの額を撫でたかと思えば「幸哉はバカだなー」と笑った。にやにやしている、が正しそうだ。

「何で晴臣まで……呼んでどうするんだよ」
「晴くんとも話してみなよ。あたしから言ってもいいけど、幸哉から伝えたほうが絶対いいもん。あたしたち、みんな結構似た者同士だと思うよ」

 美雨が足早に部屋から出ていく。静かになった部屋には、外の雨音が響いていた。

「幸哉も麦茶飲めるか? あと、ゼリー食う? 冷却シートとかも探したらあったから、一応持ってきた」
「ありがとう。麦茶だけで、ゼリーはいいや。大丈夫」
 
 脚の低い丸テーブルにおぼんを置いてから、麦茶を手渡してくれる晴臣。ゆっくりと起き上がると、頭の中がぼやけているように感じた。晴臣のすぐ後ろから、落ち着かない様子の美雨がちらちらと目配せをしてくる。

 それには反応せず、オレは麦茶の入ったコップを口元に傾けた。ここで反応したら負けだろう。

「ねえ、さっきの続き。あたしと晴くんへの話は?」
「ぐっ、」

 麦茶がおかしなところに入りそうになって、声が漏れた。どうにか通常通り飲み込めたものの、喉の奥が苦しくてげほげほとむせてしまう。美雨のことだから言わずにはいられなかったとしても、せめて、もう少しくらい待っててくれたっていいだろ!?

 間一髪、こぼさずにいられたことを褒めてほしい。ついでに今すぐ美雨をこの部屋からつまみ出してほしくなった。

 なかなか治まらず、前屈みになってせき込んでいると、

「幸哉、大丈夫か?」

 晴臣が、スッと箱ティッシュを持ってきてくれて、手にあった麦茶をテーブルに戻してくれた。今まで一方的に避けてた感じの悪いやつに対して、ここまで優しいやつ他にいんのかな。他のやつのこと知らないけど。

 晴臣の優しさにオレは泣きたくなるほど嬉しかった。すぐそこまで涙がわっと押し寄せる。ティッシュで口元を拭う前に、こそこそと目元を拭った。

「……オレはさ、こうやって晴臣の優しさに甘えすぎてたよな」
「話はまったくわかんねぇけど、熱は結構ありそうだな。冷却シート持ってきたから、とりあえず貼っとけ」

 冷却シートの箱を隣へ渡す晴臣。美雨は箱を受け取りつつ「晴くん不器用だから、うまくできなさそうだもんね」と笑った。

 間違いなくこの場の適任は美雨だった。

「はーい、ちょっと前髪あげるね。冷たくても我慢してよー?」
「待っ、冷たっ!?」

 一気に勢いよく貼りつけられて、驚きと冷たさで動いてしまうと「前髪かかっちゃう」と美雨に押さえつけられる。オレに残された選択肢は呻くしかなかった。

 美雨の思い切りがいいところは長所でもあるが、今はそっとやってもらいたいところだった。一生懸命やってくれていることはわかるため、口には出さずヘッドボードに寄りかかる。

「ごめん、美雨ありがとう」
「ううん。思ったより熱ありそうだし、話すのは休んでからでもいいよ。幸哉がどうしたいのか、どうなりたいのか、さっきはあたしだけ聞いちゃったから晴くんにも教えてあげてね」

 美雨の言葉にオレは小さく首を横に振って、息を吐いた。休んでこの思考が回復したら、きっともう二度と戻れない。って、思えてるくらいには冷静なのかな。冷静がわからなかった。

 今なら熱でおかしなことを口走ったって、後から言い訳ができる、かもしれない。ここで言わなければ、また同じような状況にならないと言えそうにない。

 そんな偶然がそうそうあるわけない。これが最後のチャンスだと思ったほうがいいだろう。

「……もし、できるなら、許してもらえるなら、3人で一緒にいたい。美雨のことも晴臣のことも……好きで、いさせてほしい」

 体調のせいか、緊張か、少し声が震えてしまった。それでもどうにかこうにか、最後まで伝えた。どんな答えが返ってきても、オレはそれを受け止めるしかない。発してしまった言葉は戻せない。改めて言葉にしてみて、熱で変なことを口走ったという言い訳は無理だとわかった。

「幸哉ね、恋愛感情かまではわかんないけど、あたしと晴くんのことが好きで、一緒にいたいんだって」
「え、美雨だけじゃなくて……俺、も?」

 驚いたような、戸惑っているような晴臣の声。表情をうかがう勇気はなくて、淡いブルーのブランケットに目を落とす。

「や、やっぱ変だよな。もう、オレは2人に関わんのやめるから。安心してほしい」

 さっき美雨は優しさで聞いてくれたけど、聞いてくれただけだ。晴臣も聞いてはくれるかもしれないけど、引かれたのは間違いないだろう。一緒にいたいとか、好きでいさせてほしいとか、自分で言い出したくせに拒絶されそうな気配に指先が震えた。この体勢でいるのもそろそろしんどい。

「オレから話しといて何だけど体がすげーだるくて――ごめん、寝る……」

 このまま話をする気力を今はとても持ち合わせてない。言い逃げを許してほしい。これ以上は無理だ、頭がパンクしそう。

 横になって2人に背を向ける。ぎゅっと目を閉じると「ゆっくり休めよ」と晴臣の声が聞こえた。振り向くことができずにオレは「ありがとう」とだけ伝えた。

「別に関わんのやめる必要はねぇよ。俺と美雨のこと、すげぇ大事に想ってくれてるってことなんだろ。それが変かはよくわかんねぇけど、離れる理由になんねぇだろ」

 ポンポン、と肩のあたりを叩く大きな手。これは晴臣の手だろう。

「そうだよ。関わるのやめるとか言われたらさみしいんだからねー。そういうこと言うと晴くんがいじけて泣いちゃうよ」
「さすがにいじけねぇし泣かねぇわ」
「そうかなー。晴くん結構すぐ泣くじゃん……って、そろそろ出てかないとうるさいよね。幸哉はゆっくり休んでね」

 小さな手のひらがオレの頭を撫でる感覚。美雨の手だ、とすぐにわかった。ぼんやりした頭でこれが自分の妄想じゃないことを願った。

 理解できないからといって、拒絶されたわけではない。望んだ関係性にはなれなかったとしても、これから先も2人と友達でいられる可能性は、信じてもいいだろうか。そんなのは、さすがに甘えすぎか。

 静まった部屋で、小さく鼻を啜る。それから、あっという間に眠りに落ちてしまった。

 
 まぶたを上げると、部屋が薄暗かった。だんだんと意識がはっきりしてくる。

 さっきのできごとはぜんぶが夢だったんじゃないかと疑い始めた頃、今いる場所がオレの部屋ではないことに気がついた。何度か訪れたことがある、晴臣の部屋だ。

 そうだ、美雨と晴臣はどこにいるんだろう。まだだるさは残っているし、熱もありそうだ。それでも、さっきよりはだいぶマシになって、立ち上がれるくらいには回復していた。

 部屋を出て、以前来たときの記憶を頼りにリビングへと向かう。途中、美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。2人はキッチンにいるのかもしれないと思ってそのまま歩いていくと、開いているドアの向こうに並んでいる2人の背中を見つけた。

 お似合いの2人。付き合ってないと言ってたけど、実はオレが知らないだけでもう少しってところだったりするんじゃないだろうか。だとすれば、オレはものすごく余計なことを言った。浅はかすぎて自分を殴りたい。もっと今の2人を知ってからものを言うべきだった。

 付き合ってないの言葉に安心して、優しさに甘えて、2人の邪魔をしただけのやつ。最低だ、そんなの。

 すぐに声をかけられず、オレはそっと様子をうかがう。

「ちょっと、ネギがそんな繋がって切れることってあるの?」
「これがそうなんだから、あるんじゃねぇの。やっぱ美雨がやってくれって。俺がやるより、幸哉も喜ぶから」
「2人でやったって言ったほうが喜ぶでしょー。たぶん、幸哉のことだからまた色々気にするだろうし、大丈夫なんだよってことは態度でも示さないと」
「……わかったよ。とりあえずこれはもうキッチンばさみで切って鍋入れとくか」

 振り向いた晴臣にだるまさんがころんだをしてるかのように、ピタリと固まってしまった。晴臣の視線は手元に注がれてこちらは見えていないらしい。と、安堵した瞬間。顔を上げた晴臣とばっちり目が合ってしまった。

「起きたか。今うどん作ってるよ。食欲ありそう?」

 こちらに歩いてきた晴臣から「味は美雨に任せるから心配すんな」と微笑みかけられて胸が痛む。理解できないだけでは、離れないと言ってくれた2人。その言葉があれば、もう充分だ。

「もうだいぶ楽になったから、オレは帰るわ。今日は、ほんとに助かった。ありがとう」

 お辞儀をすると、まだ頭の痛みを感じた。さっさと帰って、よく寝ることにしよう。

 熱に浮かされて変なことを口走ったことにしたら、撤回できるだろうか。そんな言い訳は無理だと既にわかりきっているけど、それ以外乗り切る方法が今のオレには思いつかない。

 2人の言葉が嬉しかったから、それ以上のことは望まないようにする。オレが打ち明けたことはなかったことにするのが最善だと思う。

「どうせ明日休みなんだし、まだ顔色悪いから泊まってけよ。父さんは出張だし、母さんコンサートで大阪とか言ってたから今日は帰ってこないし」

 美雨も泊まるって、と当然のように付け足した晴臣。いやいや、なおさらオレがいたらダメだろ。

「いや、悪いからいいよ。2人の邪魔もしたくねーし。また学校で」
「お前、それまだ言ってんのか。勘違いなんだから、いい加減にしろ。いいから、こっち来いよ」

 ほら早くと晴臣から急かされ、中へと足を踏み入れる。勘違い? ほんとに?

 小さく「美雨のこと好きなんじゃねーの?」と訊ねる。

「普通に好きだけど、幸哉が言ってんのとは違う。でなきゃ、さすがに泊められるわけねぇだろ」
「え……けど、じゃあ、何で付き合ってるって話したときショック受けたみたいな顔したんだよ」
「3人でいるの楽しかったから、これからはそうもいかねぇなってちょっとさみしくなったんだろ。わざわざ言わすな、わかれよ」

 ポカンとしてしまうと、背中を叩かれた。全然知らなかったし、そうだとは考えもしなかった。そうだったのか。口元を手で押さえるも、みるみる顔に熱が集中していくのがわかった。

「うわ、オレすげー勝手に空回って……ごめん」
「バカだな。もっと早く言えば違うって答えたのに何も言わねぇから。ほら、わかったらさっさと座っとけ」

 晴臣の言ったことが、ちゃんと本当のことかわからない。だけど、晴臣は美雨を恋愛感情で好きなわけじゃない。それが晴臣の答えだ。追及したところで変わらないだろう。

 美雨が何の違和感もなく泊まるくらいだし、晴臣に対する信頼の厚さは間違いなかった。もう訊くのはやめにしよう。

 うなずいたオレが言われた通りソファーに腰かけると、晴臣と入れ替わりでやって来た美雨からうどん出汁の味見を頼まれた。

「ここにうどん入れるにはちょっと薄い気もするんだよね」

 小皿を受け取って口に流し込む。

「確かに、ちょっと薄いかな。このままでも美味いけど。味付けは美雨担当?」
「そりゃ、晴くんには任せられないもん。幸哉はちょっと甘めが好きだよね」
「うん、そうだな」

 うなずくと、美雨は誇らしげに口角を上げた。

 オレ好みの味付けにしてもらったうどんを3人で食べ終えて、キッチンで洗い物をしている晴臣と美雨を眺める。準備も後片付けも、晴臣からは「病人は大人しくしろ」と言われ、美雨からは「幸哉は座ってるのが仕事!」と言われて、ソファーから動かず大人しくしていた。

 お茶を持ってきてくれたり、冷却シートを取り換えてくれたり。至れり尽くせりだ。オレが言ったことが普通ではない自覚はあるのに、あまりにも変わらない晴臣と美雨。きちんと意味が通じなかったのかもしれない。

 それならそうでいいや。たぶん、そっちのほうがいい。食後に座ってるだけだと、だんだんまぶたが重くなってくる。また寝かせてもらおうかな。

「さっき話してたんだけど、幸哉が言ってることわかるようでちゃんとはわかんないから、とりあえず一緒にいてみるのはどうかな」

 ハッとして目を開けば、横に座った美雨がオレを見つめている。眠気が引っ込んで、いきなり現実に引き戻された。

「――え?」
「今のところ、3人の空気も悪くないなーって思うんだよね、あたしは。友達の延長線って感じではあるけど、ものすごい信頼はしてるし」

 さっきの意味が通じていなかったわけではないらしい。美雨なりにかみ砕いて、理解できないままにするのではなく、オレに寄り添おうとしてくれたんだ。なかったことにしても良かったのに。

 表情に出さないよう努めつつ「何だよいきなり」と言った。口元は緩んでしまった。

 一緒にいようとしてくれている。そのことでこんなにも満たされるのなんて知らなかった。

 後ろから頭をポンと叩かれた。振り向く間もなく隣に晴臣が腰を下ろす。

「幸哉に言われたこと、2人で真面目に考えたんだけど、ただ一緒にいられるだけだと幸哉がしんどいだろ。だから、俺らは幸哉に言われたことを意識して、ちゃんと考えようって思った」
「3人でいることもできるかもしんないし、他に好きな人ができるかもしれないし……どうなるかわかんないけど、幸哉が話してくれたことにちゃんと向き合わせてほしいの」

 幸哉も晴くんのことも大事なのは一緒だもん、と美雨が笑いかけてくれる。

 オレは何も言葉が出てこなかった。まさか、前向きな話が出てくるとは予想もしていなかった。2人が優しいことは知っていた。まっすぐなことも、真面目なことも。それでも、向き合った上で一緒にいてくれる選択をしてくれるとは。

 少し照れたようにはにかむ2人に目頭が熱くなって、溢れ出る前にぐっと堪える。風邪で涙腺が緩んでるのかもしれなかった。

「とりあえずになって悪いけど、幸哉はどう思う?」
「一緒に、いられたら……っ、嬉しい」

 息を吐いて、力を込める。まっすぐ顔を上げて、自分の正直な気持ちを告げた。

「うん、一緒にいよう!」と、美雨が明るい声で言う。

「あたしは今みたいな感じでずっといられるなら、結構いいなって思ってる」
「美雨はしんどくならない?」
「えー、わかんない。一緒に川の字で寝てもこの2人なら安心して寝られるなって感じなんだけど、そのあたりは安心してもいい?」

 もちろんの声が晴臣と重なった。大事にしたい人であって、欲求の先じゃない。それは絶対的に違うと断言できる。

 オレが好きな人と寝ることに緊張感を持つかはまた別の話なので、オレの安眠は微妙かもしれない。

「安心できるように努力もする」
「俺は美雨にゲームで勝てるようにする」
「あははっ。安心できそう!」

 晴くんが勝つのはいつかねぇ。目を細めた美雨は、覚悟を決めたように大きくうなずく。

「あたし、本気で幸哉が運命の人だと思ってたんだけど、その幸哉が言うなら晴くんもそうなのかなぁ」
「や、オレは運命の人とは言ってないけど。そもそも運命の人って1人なんじゃねーの?」

 そんなに簡単に増やしていいものなのか。

「もともと、運命の人って1人だけってもんじゃないと思うんだよね。何人かいて、その中に幸哉と晴くんがいるかもーってだけ。そう思ったほうがロマンチックでしょ?」

 さらりと何てことないように言った美雨に、オレは「すげーやつだな」と月並みの言葉しか出てこなかった。

「ほんと、美雨ってすげぇよな。俺は最初よくわかんねぇし、幸哉があんま触れてほしくなさそうだったから、もうそっとしとこうって思ってたんだよ」

 だけど、と晴臣がまっすぐオレを見据える。

「美雨と話してるうちにそうだよなってことが色々あって、こうなった。大事なのは今で、今の俺は2人といたいなって思った」
「だって、わかんない、理解できないで投げるのは簡単だもん。いつでもできるでしょ。よくわかんないで終わらせたら、幸哉はもう二度と自分のこと話してくれない」

 どちらもオレのことをよくわかっている。満たされた気持ちで胸がいっぱいになった。いつか、やっぱり理解できないと離れられるときが来てもいい。

 こうして、オレのことを考えて、受け入れようとしてくれた今があるんだから。そのことはきっと、この先も一生忘れないだろう。

「ありがとう。これからも、よろしく」

 よろしく、と2人の口から同じ言葉が返ってきた。
 
「あっ! もし大人になっても一緒にいたら、指輪はちょうだいね。そこだけは絶対やって。憧れだから!」

 突然閃いたように美雨が手を打つ。

「え、指輪って話早すぎね? さすがにイメージすらできねぇよ」
「美雨の脳内、先行き過ぎてんな。オレもそこまでは全然わかんねーわ」

「大事なことでしょー」と口を尖らせた美雨がクスクス笑い始めて、やがて伝染したように晴臣とオレも笑った。