ハッピーエンドバター

 わたしが葉山美鈴になってからというもの、クラスメイト達のわたしに対する扱いが良くなった気がする。高校二年になってから数カ月、これまでほとんど話したことが無かった女子に話しかけられたし、数人の男子からは「LINEとインスタ教えて」と言われた。每日葉山美鈴のインスタをチェックし、髪の毛先や爪の色、メイクの変化に至るまで細部までなりきった甲斐があったのだ。
 
 間違いなくわたしは今、人生で最高最上級の瞬間を生きている。あの動画をみてからというもの、わたしの人生はうなぎ登りだ。あの男性には感謝をしなければならない。合言葉は、ハッピーエンドバター。この言葉をみえないお守りにしてからわたしはついてる。

「ハッピーハッピー」

 教室でひとり無意識に呟いていて、さすがに恥ずかしくなる。誰かに聞かれてたらと思ったが、クラスメイト達は休み時間ということもあり各々自分の時間に夢中だった。ほっと胸を撫で下ろした時、「ハッピーってなに」と凪いだ海みたいな落ち着いた声が聴こえ、反射で振り返る。

「櫂(かい)、いたの」

 問いかけると、「いたのってなんだよ。人を幽霊みたいに」と長い前髪の隙間から目を向けてくる。枕にしていた左手が痺れているのか顔を歪めながら「寝てた」とぽつりと呟く。

「お前の変な呪文に起こされたけど」

 のっそり、のっそりとまるで大型の哺乳類みたいにゆっくり身体を起こしてる。わたしは、呪文、と繰り返した。

「ん、なんかハッピーがなんたらなんたらって言ってたじゃん」

 少年みたいにあどけなく笑う。左手を枕にしていたせいか頭の左側がちょっと跳ねてる。子供みたいでかわいくて、はねてるよ、と教えて上げる。櫂は「ああ、寝てたから」と気だるそうに腕を伸ばした。みながら、変わらないなと思う。櫂とわたしは幼稚園からずっと一緒だ。こんな事を言うと気持ち悪がられるかもしれないけれど、わたしは櫂の成長を櫂のお母さん並みに見守ってきた。好きな食べ物、嫌いな食べ物、性格、クセ、今の心境。全てが手に取るように分かってしまう。小学校、中学校、高校と、ずっと同じ屋根の下で学生生活を送ってきたからなのかもしれない。高一の時は違うクラスだったけれど、わたしと櫂の間には何か特別な結びつきがあるのか二年連続で違うクラスになることは小学校の時から無かった。

「腹減った。今何限だっけ」
「四限」
「じゃああと一時間か。長いな。今日は昼メシ食う? 昼、食堂いこうぜ」
「うん。何食べんの? あっ、待って当てるから」

 櫂(かい)は「当てたら凄いよ今日の俺は気分違うから」とにやりと笑った。

「いいよ。言って? じゃあせーのでいくよ」

 櫂(かい)がちいさく頷く。せーのっ、と声を合わせる。

「きつねうどん!」
「きつねうどん!」

 わたしは勝ち誇った顔をする。櫂はくしゃりと顔を崩し、「まじかよ。莉子には全部読まれてるな」と机に顔を伏せた。

「わたしは櫂ママと同じくらい櫂のこと分かってるから」
 
 胸を張ってみせる。櫂はうるせえよとまんざらでも無さそうに笑った。