チャイムが鳴った。後ろで机に顔を埋めていた櫂の頭を、すぐにばしばしと叩く。
「痛っ、起きてる! もう起きてるって!」
わめく櫂の腕を掴み引きずるようにして教室を出た。横並びになって階段を降りていると、こちらに向かって昇ってくる女の子と目があった。三澄さん、と声をかけられる。彼女はわたしが初めて観察対象においた一年の時の図書委員の女の子で、名は朝宮さんという。黒い髪をいつも後ろで束ねている、物静かな子だ。
「なんか雰囲気変わった? 最初誰か分からなかった」
踊り場のところで彼女はそう呟くと、すっと目を伏せた。
「うん。目標にしてる女の子がいてさ、その子みたいにしたから」
「そう」
「うん。じゃあね」
そのまま櫂の手を引いて過ぎ去ろうとする。だが、「あのさ」と呼び止められた。
「今月の本のことなんだけどいつ渡したらいいかな」
彼女とわたしは、一年の終わりから月初めにお互いのおすすめの本を貸し借りする仲だった。読み終えた後は、感想を言い合ったりする。わたしが初めて彼女を観察対象に置き、彼女に同化することで友達になったから。
「実はね、一昨日もLINEしたんだけど三澄さん既読つかなかったから」
確かにきていた。けれど、この一ヶ月はどうやって葉山美鈴のグループに自分を同化させるかで頭がいっぱいでそれどころでは無かった。
「先月貸した本まだ返して貰ってないし、私も返さなくちゃだからいつ渡したらいいかな?」
「ごめん。今それどころじゃないの」
無意識に言葉尻が強くなっていた。一瞬彼女の目に陰りがみえたが、わたしは「また連絡する」と櫂の手を引いて階段を降りていった。
食堂に着いてから受け取り口で待っていた時、「いいのかよ。さっきの子」と櫂がぽつりと呟く。
「なにが?」
「いや、あんな適当な感じで。なんか階段昇っていく背中が寂しそうだったけど」
「はーい、きつねうどんの方ー」
受け取り口から出てきた湯気が立ちのぼっているうどんをトレイに載せながら「いいのいいの」と背を向けた。空いている席を探そうと周りを見渡す。朝宮さんと話していたからか既に食堂内は生徒でいっぱいでいつも座る窓際の席は無理だった。内側のテーブル席に腰を下ろし、それから今日あった出来事を話した。全てを聞き終えたあと櫂はただひと言「くだらね」と言った。ばっさりと切り捨てられたのだ。その事実を受け入れられなくて一瞬呆気に取られてしまった。
「え、えっ? ちょっと待ってよ。こっちは緊急事態なんだけど」
「今聞いた話のどこに緊急事態になる要素があるんだよ」
櫂は今日醤油ラーメンを頼んでいた。言ってから麺を啜り、あっつ、と呟いている。
「だからわたしがきっかけだったの」
麺を啜る音が鼓膜に触れる。ずるずるっ、ずるずる。
「わたしがそのヘアブラシを知らないって言ったから女の子たちに馬鹿にされて結果美鈴が、葉山美鈴が怒っちゃってさ。なんな皆凄い険悪な雰囲気になっちゃって」
櫂は器から顔すらあげてくれなかった。ひたすらに麺を啜っている。少し、怒りが湧いた。
「ねえ、聞いてんの」
「聞いてるよ」
「じゃあもう少し相槌とかうってよ。こっちはまじで」
「緊急事態なんだろ?」
やっと目があう。明らかにさめた目を向けられている。櫂にこんな目をされたのは初めてだった。
「だからどこが? そのヘアブラシを知らなかった事? お前が原因でグループ崩壊になるかもって事?」
「……全部」
ため息をつかれた。「まじでくだらねえわ」と同じ事を言われる。
「そんなちいさな事でグループ崩壊とか嫌われたりするのなんてな、そもそも友達じゃねえよ」
「はあ? 女子は大変なの。空気感とか、ちょっとした発言とか、メイクや服装とかあと性格。何か少しでも誰かに合わないって思われたら一瞬でグループから外されんの。リップひとつでも皆のお気に入りを使ってなくちゃ嫌な目でみられたりするもんなの」
「そんなグループこっちから願い下げだわって言ってやれよ」
「そんな単純な話じゃないだって!」
気付いたら机を叩きつけていた。
「男子はいいよね? お気楽な感じで楽しめたら俺たち友達、だもんね? でも女子はそんな単純じゃないんだよ。もっと複雑なの」
「そうかよ。じゃあ一生気にしてろよ。友達友達ってまるでこの学校にいる全員が同じ思考でいるみたいに……馬鹿じゃねえの。一人に嫌われたら全員に嫌われんのかよ。合う合わないがあるのは当然だろ? そいつらに嫌われたなら、合う奴とつるめばいい! この学校に合う奴がいないなら、他の学校、他の場所の奴とつるめばいい! ただそれだけの話だろ? 視野が狭すぎんだよお前は」
言い切ると、戻るわ、と櫂が席を立った。トレイを手にしそのまま行ってしまうかと思ったら、再び戻ってきた。
「これだけ言い忘れてたから今言っとくわ」
「なに」
目だけを向ける。
「お前が何度も言ってた緊急事態ってやつ。あの階段で会った子の方がよっぽど緊急事態だわ。借した本も返して貰えず、おまけにあんなに適当な対応されんだもんな? 正直あの時からちょっと苛ついてた。なんか、莉子らしくねえよ」
最後はそう吐き捨てて食堂から出ていった。わたしはひとり、テーブルに残された液体をみつめた。櫂のラーメンを溢してしまっていたことすら、今になって気付いた。食堂に響く生徒たちの笑い声や話し声がいやに鼓膜にこびりついて、よりむなしくなる。
櫂と喧嘩になったのは初めてじゃない。幼稚園から一緒なのだ。むしろ何度もある。他の男子となら絶対こうはならないが、兄妹みたいに育ってしまったからこそつい感情的になってしまう。言い過ぎてしまう。そんな時、いつも仲直りのきっかけは櫂だった。さっきはごめん。昨日はごめん。そんな言葉を投げかけてくれる。だからだって、改めて思う。努力をしなければ友達が出来ないわたしとは違って、櫂はいつも気付いたら友達を作り、輪のなかにいた。自然な感じで。なのに、わたしは。がりっ。わたしだけは。がりっ、がり。親指の爪で、人差し指の付け根を搔き続けた。
「痛っ、起きてる! もう起きてるって!」
わめく櫂の腕を掴み引きずるようにして教室を出た。横並びになって階段を降りていると、こちらに向かって昇ってくる女の子と目があった。三澄さん、と声をかけられる。彼女はわたしが初めて観察対象においた一年の時の図書委員の女の子で、名は朝宮さんという。黒い髪をいつも後ろで束ねている、物静かな子だ。
「なんか雰囲気変わった? 最初誰か分からなかった」
踊り場のところで彼女はそう呟くと、すっと目を伏せた。
「うん。目標にしてる女の子がいてさ、その子みたいにしたから」
「そう」
「うん。じゃあね」
そのまま櫂の手を引いて過ぎ去ろうとする。だが、「あのさ」と呼び止められた。
「今月の本のことなんだけどいつ渡したらいいかな」
彼女とわたしは、一年の終わりから月初めにお互いのおすすめの本を貸し借りする仲だった。読み終えた後は、感想を言い合ったりする。わたしが初めて彼女を観察対象に置き、彼女に同化することで友達になったから。
「実はね、一昨日もLINEしたんだけど三澄さん既読つかなかったから」
確かにきていた。けれど、この一ヶ月はどうやって葉山美鈴のグループに自分を同化させるかで頭がいっぱいでそれどころでは無かった。
「先月貸した本まだ返して貰ってないし、私も返さなくちゃだからいつ渡したらいいかな?」
「ごめん。今それどころじゃないの」
無意識に言葉尻が強くなっていた。一瞬彼女の目に陰りがみえたが、わたしは「また連絡する」と櫂の手を引いて階段を降りていった。
食堂に着いてから受け取り口で待っていた時、「いいのかよ。さっきの子」と櫂がぽつりと呟く。
「なにが?」
「いや、あんな適当な感じで。なんか階段昇っていく背中が寂しそうだったけど」
「はーい、きつねうどんの方ー」
受け取り口から出てきた湯気が立ちのぼっているうどんをトレイに載せながら「いいのいいの」と背を向けた。空いている席を探そうと周りを見渡す。朝宮さんと話していたからか既に食堂内は生徒でいっぱいでいつも座る窓際の席は無理だった。内側のテーブル席に腰を下ろし、それから今日あった出来事を話した。全てを聞き終えたあと櫂はただひと言「くだらね」と言った。ばっさりと切り捨てられたのだ。その事実を受け入れられなくて一瞬呆気に取られてしまった。
「え、えっ? ちょっと待ってよ。こっちは緊急事態なんだけど」
「今聞いた話のどこに緊急事態になる要素があるんだよ」
櫂は今日醤油ラーメンを頼んでいた。言ってから麺を啜り、あっつ、と呟いている。
「だからわたしがきっかけだったの」
麺を啜る音が鼓膜に触れる。ずるずるっ、ずるずる。
「わたしがそのヘアブラシを知らないって言ったから女の子たちに馬鹿にされて結果美鈴が、葉山美鈴が怒っちゃってさ。なんな皆凄い険悪な雰囲気になっちゃって」
櫂は器から顔すらあげてくれなかった。ひたすらに麺を啜っている。少し、怒りが湧いた。
「ねえ、聞いてんの」
「聞いてるよ」
「じゃあもう少し相槌とかうってよ。こっちはまじで」
「緊急事態なんだろ?」
やっと目があう。明らかにさめた目を向けられている。櫂にこんな目をされたのは初めてだった。
「だからどこが? そのヘアブラシを知らなかった事? お前が原因でグループ崩壊になるかもって事?」
「……全部」
ため息をつかれた。「まじでくだらねえわ」と同じ事を言われる。
「そんなちいさな事でグループ崩壊とか嫌われたりするのなんてな、そもそも友達じゃねえよ」
「はあ? 女子は大変なの。空気感とか、ちょっとした発言とか、メイクや服装とかあと性格。何か少しでも誰かに合わないって思われたら一瞬でグループから外されんの。リップひとつでも皆のお気に入りを使ってなくちゃ嫌な目でみられたりするもんなの」
「そんなグループこっちから願い下げだわって言ってやれよ」
「そんな単純な話じゃないだって!」
気付いたら机を叩きつけていた。
「男子はいいよね? お気楽な感じで楽しめたら俺たち友達、だもんね? でも女子はそんな単純じゃないんだよ。もっと複雑なの」
「そうかよ。じゃあ一生気にしてろよ。友達友達ってまるでこの学校にいる全員が同じ思考でいるみたいに……馬鹿じゃねえの。一人に嫌われたら全員に嫌われんのかよ。合う合わないがあるのは当然だろ? そいつらに嫌われたなら、合う奴とつるめばいい! この学校に合う奴がいないなら、他の学校、他の場所の奴とつるめばいい! ただそれだけの話だろ? 視野が狭すぎんだよお前は」
言い切ると、戻るわ、と櫂が席を立った。トレイを手にしそのまま行ってしまうかと思ったら、再び戻ってきた。
「これだけ言い忘れてたから今言っとくわ」
「なに」
目だけを向ける。
「お前が何度も言ってた緊急事態ってやつ。あの階段で会った子の方がよっぽど緊急事態だわ。借した本も返して貰えず、おまけにあんなに適当な対応されんだもんな? 正直あの時からちょっと苛ついてた。なんか、莉子らしくねえよ」
最後はそう吐き捨てて食堂から出ていった。わたしはひとり、テーブルに残された液体をみつめた。櫂のラーメンを溢してしまっていたことすら、今になって気付いた。食堂に響く生徒たちの笑い声や話し声がいやに鼓膜にこびりついて、よりむなしくなる。
櫂と喧嘩になったのは初めてじゃない。幼稚園から一緒なのだ。むしろ何度もある。他の男子となら絶対こうはならないが、兄妹みたいに育ってしまったからこそつい感情的になってしまう。言い過ぎてしまう。そんな時、いつも仲直りのきっかけは櫂だった。さっきはごめん。昨日はごめん。そんな言葉を投げかけてくれる。だからだって、改めて思う。努力をしなければ友達が出来ないわたしとは違って、櫂はいつも気付いたら友達を作り、輪のなかにいた。自然な感じで。なのに、わたしは。がりっ。わたしだけは。がりっ、がり。親指の爪で、人差し指の付け根を搔き続けた。

