見知ったはずの店内は、初めて来る場所のようだった。
真っ暗だからか、営業していないはずの時間だからか、他にお客さんが誰もいないからか。
あるいは……――。
「真っ暗で悪いんだけど、電気のスイッチ向こうだから、ちょっとここで待ってて」
「わかった」
「じゃあ、こっち」
「え? ……っわ」
三崎くんは、暗闇でまた俺の手を取ると、奥の席まで連れていって、椅子を引いて座らせた。
「こ、ここまでしてくれなくてもっ」
「暗闇で転んだりしたら危ないだろ?」
「……」
思い当たる前科があるから、何も言えない……。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってて! 何かあったら大声で呼べよー!」
そう言いながら三崎くんは、おそらくキッチンがあるであろう方向へ、あっという間に消えていった。
それからほどなくして電気が付けられたので、改めて店内を見回す。いつもと同じだけど違う場所。俺はここで、何を待っているのだろう……?
(三崎くん、奥で何してるのかな?)
何となく不安になりかけた頃、そう待たずして明るい声がかけられた。
「お待たせいたしました」
「……え?」
声のしたほうを見てみると――。
いつの間にか店の制服に着替えていた三崎くんが、完璧な立ち姿でトレーを持って佇んでいた。
「――」
「接客させてって言っただろ」
思わず見入っていると、ドリンクの載ったバランスの取りにくいトレーをカチャリとも言わさずに、慣れた所作で一歩ずつ近づいてくる。
(やっぱり、思った通り、すごく似合ってる。……ううん、思った以上に――)
目の前まで来ると、俺の正面のテーブルに、コトと品の良い音を立てて、優しい湯気の立ちのぼるホットコーヒーを置く。
そして、もうひとつ。
「閉店後だからこんなものしか出せないんだけど」
苦笑しながらコーヒーの横に置かれたのは……。
「すごい……! これ、アイス?」
青いガラスのプレートに丸くちょこんと盛られたバニラアイスクリーム。その上には、透明な雪の結晶を模した飴細工が載せられていた。
「この飴細工、新メニューのトッピングで俺が考案したんだ。今は即席でバニラアイスしか出せるものがなかったけど、一足先に見せたくて」
「綺麗……」
「冬になったら、季節のロールケーキに雪が降るってわけ。どうかな?」
「うん! すごく良いよ! 絶対かわいい!」
「よかった。それなら姫ちゃんにぴったりだ」
「?」
三崎くんは、俺の正面の席に座ると、……雪の結晶越しに俺の顔を見て、嬉しそうに目を細めた。あ、こんな顔もするんだ。
「どうしても雪のケーキが作りたかったんだ」
「? そうなんだ」
「うん。漢字は違うけどな」
「……?」
そこまで聞いて、言葉の意味を考えてみた。
……
……
……え? え、もしかして……?
「雪のケーキって……俺の……?」
「そう。だから世界一かわいいケーキにしないといけないんだ!」
「――!! ――!?」
まさか! 本当に!? 俺のことを考えてカフェの新メニューを作ったの……!?
「だから絶対食べに来いよ? ちゃんと俺がいる日にな!」
「…………ふふっ。うん、わかった。冬が来るの、楽しみにしてるね」
「よぉしっ! やっと約束ひとつ取り付けたー!」
子どものように無邪気に喜ぶ彼を見たら、……大人っぽい制服が台無しじゃんって思って、なんだか無性に愛おしくなって、また笑ってしまった。
よく知っている場所で、知らないことが次々と起こって。
なんだか魔法にかけられているみたいだ。
「やっと笑ってくれるようになったな」
「あはは……え? なにー?」
「俺、その顔がまた見たかったんだ」
「……?」
🕒
『阿誠、このリップの色どうー?』
『うん。かわいい』
『ねえみんな今日カラオケ行くでしょー?』
『阿誠も行くよね? じゃないとあたし行かないしー』
『そうだね〜』
『――あ、こら待って! そっち行っちゃだめ〜』
『……?』
『阿誠なに見てんのー? ……ん? アイツ誰だっけ?』
『あ〜、なんかいつもいじられて泣いてる奴』
『……』
『戻っておいで〜。……そう、こっちだよ〜。……よぉし、いい子!』
『……――!』
🕛
「……え?」
「たまたま中庭の横を通りかかった時、よく知らない男子生徒が必死になってちっさい黒猫の赤ちゃん追いかけてて、なんか興味引かれて見てたらさ」
「……」
「猫捕まえて安心して笑った顔が、もうめちゃくちゃ可愛かったんだよ! 毎日何人の女の子見てても、こんなかわいい子、1人も見つからなかった」
「え……あの、……え……?」
「だからどうしても話しかけたくて、みんなにはなんか適当言って先に帰ってもらって、こっそり1人で中庭に戻ったんだ」
今、目の前で三崎くんが話していることが、とても現実と思えなくて、おとぎ話を聞いているのかと、一瞬考えてしまった。
テーブルには綺麗な雪の結晶の載ったアイスクリームがあって、溶け始めているのが見えてるから、早く食べなきゃって思うんだけど…………思うんだけど、三崎くんの言葉に、言葉をまっすぐに伝えてくる眼に、釘付けになっしまっていて……少しも動くことができなくなってる。
「……でも、それまでは何もしなくても、みんな向こうから勝手に寄ってくるから、自分から歩み寄る勇気っていうのが、俺にはなくて。最初に一度話しかけて、間近で見て――もっと好きになって以降は、声かけるどころか近づくこともできなかったんだよ。ほんとは助けてやらなきゃいけないような時だってたくさんあったのに、何もできなくて本当にごめん」
三崎くんは、俺に向かって深々と頭を下げた。謝られるような覚えなんて何もないから、どうしていいかわからない。
「な、なんで謝るの。俺は救われたんだって、さっきも言ったでしょ」
「……ほら、そういうとこ」
「ん?」
「わからないならいいよ。……でも、そういうところが俺なんかには眩しすぎて、近づくことを最初から諦めてたんだ」
「諦めてた? 三崎くんが? 俺を?」
「そうだよ。……だから結局、1番かわいい子に告白する勇気がないから、向こうから来てくれるそこそこかわいい子たちと付き合って妥協するっていう、……最低なことをしてたんだよ」
「――」
予想もしていなかった言葉を受けて、今度こそ本当に混乱していた。
俺の代わりに、女の子たちで妥協していた……?
「でも、途中で気づいたから……。あの女の子たちはみんな、妥協なんかじゃなくて、真正面から俺にぶつかってきてくれてたのに、1番好きな人の代わりにしてたなんて、彼女たちになんて失礼なことをしているんだろうって」
「ほ、本当に……そんな……?」
「本当なんだって。俺は姫ちゃんが思ってたみたいにかっこよくなんかないんだよ。そう気づいたから、ちゃんとかっこよくなろうって思ったんだ」
アイスが溶けていく。せっかく1番美味しい状態で用意してもらったのに、どんどん原型がなくなっていってしまう。
雪の結晶だけが溶けることなく堂々と原型を保っているのが、なんだか現実離れして見えた。
「同じ高校に入るって決めたんだ。当時の成績ではほぼほぼ無理なレベルの学校に、何としてでも一緒に受かってやるって。まずはそれができたら、少しは恥ずかしくない自分になれるから。そこまで到達して姫ちゃんに告白するって。それが今の俺だよ」
「――」
誰よりもかっこいい、どう見たって1番かっこいい、俺なんかが触れることは一生許されないような人。
火傷したら痛いから、近づけずにいた。近づいてきたら必死に遠ざけていた。
俺は、太陽側がどんな思いで近づいてくれているのかを、知ろうともしていなかった。
「だから、最初から姫ちゃんが1番なんだよ。男子校も何も関係ない。どんな女の子よりも、どんなかわいい子よりも、よっぽど1番じゃん」
三崎くんが立ち上がる。俺も一緒に立ち上がってて、なんでだろうって思ったら、――いつの間にかまた手を取られていた。
テーブルを挟んでなんていられないから、どちらからともなくすっと横に移動して、すっかり馴染んだ距離に落ち着く。
「姫ちゃん、好きです。付き合ってください」
12センチ上から、はじまりが降ってきた。
□ □ □
「おまえよく寝坊しなかったな。食後のコーヒーまで飲んでる時間があるなんて、優雅なもんだ」
朝食の皿をシンクに置きながら兄ちゃんが感心したように言う。確かに昨日は睡眠時間が究極に短くなったけど、なんだかそわそわして早く起きてしまった。まだ家を出るまでに少し余裕がある。
「洗い物は俺がしとくから、置いたまま行っていいよ」
「そうか? じゃあ頼むな」
そのまますぐに出るのかと思ったら、「それにしてもさー」と話を続けた。兄ちゃんもまあまあ余裕じゃないか。
「あの子ほんとしっかりしてるよな」
「陣太?」
「うん。おまえが予想した通り、あの後謝りに戻って来たぞ」
「そうだったんだ」
「方やお前ときたら、そのまま夜遊びに行っちゃって遅くまで帰ってこないとか。ついに不良になってしまったかと思ったよ」
ついにって何だよ。
「そっか。じゃあ俺が帰ってきたのは陣太と完全に入れ替わりだったのか」
「そうだな。と、やば。遅れる。じゃあ俺先出掛けるから」
「うん。いってらっしゃーい」
兄ちゃんを見送りながら残りのコーヒーを一気に飲み干す。余裕といえども俺もそろそろ出かけないとな。
そういえば、昨日までテーブルの端に置いてあった壊れた時計はどこに行ったのだろうと思ったけど、そんなことを気にしていたら遅刻する。
□ □ □
「おはよう」
「わぁ、予想を上回るほどのいつも通り」
「……あぁ、昨日はごめん。急に怒鳴ってびっくりさせて」
「あ、いやいや! 子どもじゃないんだからそんなの謝らなくていいんだけどさ」
――でも、謝らなければいけないのは俺のほうかもしれないんだ。
なぜか三崎くんは教えてくれなかったし、ちゃんと話して俺が何をしてしまったのかを理解したい。
『なんか俺たち、みんな同じことで悩んでたんだな』
そういえば、あれって…………
……ん? もしかして…………?
「ねえ、陣太、俺――」
「姫ちゃん! おっはよー!」
「わあっ! 三崎くん!?」
びっくりした。急に肩に手を置かれるとは思わなかった。
「え、なに。今日から接触可になったの?」
「独特な解釈しないで俺の話をさ……」
「じゃあ僕は無粋なことはしない主義だから、先に学校行くよ。また後でね〜」
「おう。気遣わせて悪いな」
え、ちょっと、大事な話だったのに〜!
「もう、タイミング悪いよ」
「え、ごめん俺なんかした?」
「……ふふ。いっか、また今度で」
「? 機嫌直ったならいいけど」
陣太のことは置いといて、……こっちはこっちで話さないといけないことがあるんだ。
高校に入ってから、地味にずっと気になってること。
「あのさ、なんで俺のこと姫ちゃんって呼ぶの? 中学では姫路くんだったよね?」
「え? だって、それがいいと思って」
三崎くんは、さも当たり前のことみたいに言う。
「『姫ちゃん』は、おまえがかわいいっていう証の呼び名だから。もうからかわれたり馬鹿にされたりしてた姫路くんじゃなくて、みんなの憧れの的の姫ちゃんだろ?」
「みんなからはそれでいい。でも三崎くんは別だから」
今度はちょっと意表を突かれたようだ。
その顔は照れてる。今の俺にはわかるんだ。
「じゃあ、姫路くんに戻すよ」
「いや、そうじゃなくてさ……」
「……?」
「……」
「揺季」
「……うん」
「じゃあ、俺のことも――」
「それはまたの機会に!」
「!? なんでだよ! 呼べよ!」
□ □ □
「愛人くん、これほんとにもらっていいの……? 高かったんだろ?」
「心配しなくても、ちゃんと高校生でも手が出せるレベルのものにしました。逆に気を使わせたら仕方ないんで。その辺は抜かりないですよ」
「……ほんとにきみは大人よりしっかりしてるよ」
「ねえ宇深さん。そろそろ愛人くんって呼ぶのやめません?」
「ん……?」
□ □ □
シンデレラの結末を忘れていた。
あ、『本当は怖い〜』とかもあるけど、あれは今は関係なしね!
――シンデレラは、王子様と結婚して幸せになるんだった。
魔法が解けたあとも、永遠にずっと。
ほんと、なんで忘れてたんだろうな。
「なんだっていいから早く行くぞ! もう授業始まるって!」
「ちょっと待ってよぉ! 歩幅が全然違うんだってば〜!」
終
真っ暗だからか、営業していないはずの時間だからか、他にお客さんが誰もいないからか。
あるいは……――。
「真っ暗で悪いんだけど、電気のスイッチ向こうだから、ちょっとここで待ってて」
「わかった」
「じゃあ、こっち」
「え? ……っわ」
三崎くんは、暗闇でまた俺の手を取ると、奥の席まで連れていって、椅子を引いて座らせた。
「こ、ここまでしてくれなくてもっ」
「暗闇で転んだりしたら危ないだろ?」
「……」
思い当たる前科があるから、何も言えない……。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってて! 何かあったら大声で呼べよー!」
そう言いながら三崎くんは、おそらくキッチンがあるであろう方向へ、あっという間に消えていった。
それからほどなくして電気が付けられたので、改めて店内を見回す。いつもと同じだけど違う場所。俺はここで、何を待っているのだろう……?
(三崎くん、奥で何してるのかな?)
何となく不安になりかけた頃、そう待たずして明るい声がかけられた。
「お待たせいたしました」
「……え?」
声のしたほうを見てみると――。
いつの間にか店の制服に着替えていた三崎くんが、完璧な立ち姿でトレーを持って佇んでいた。
「――」
「接客させてって言っただろ」
思わず見入っていると、ドリンクの載ったバランスの取りにくいトレーをカチャリとも言わさずに、慣れた所作で一歩ずつ近づいてくる。
(やっぱり、思った通り、すごく似合ってる。……ううん、思った以上に――)
目の前まで来ると、俺の正面のテーブルに、コトと品の良い音を立てて、優しい湯気の立ちのぼるホットコーヒーを置く。
そして、もうひとつ。
「閉店後だからこんなものしか出せないんだけど」
苦笑しながらコーヒーの横に置かれたのは……。
「すごい……! これ、アイス?」
青いガラスのプレートに丸くちょこんと盛られたバニラアイスクリーム。その上には、透明な雪の結晶を模した飴細工が載せられていた。
「この飴細工、新メニューのトッピングで俺が考案したんだ。今は即席でバニラアイスしか出せるものがなかったけど、一足先に見せたくて」
「綺麗……」
「冬になったら、季節のロールケーキに雪が降るってわけ。どうかな?」
「うん! すごく良いよ! 絶対かわいい!」
「よかった。それなら姫ちゃんにぴったりだ」
「?」
三崎くんは、俺の正面の席に座ると、……雪の結晶越しに俺の顔を見て、嬉しそうに目を細めた。あ、こんな顔もするんだ。
「どうしても雪のケーキが作りたかったんだ」
「? そうなんだ」
「うん。漢字は違うけどな」
「……?」
そこまで聞いて、言葉の意味を考えてみた。
……
……
……え? え、もしかして……?
「雪のケーキって……俺の……?」
「そう。だから世界一かわいいケーキにしないといけないんだ!」
「――!! ――!?」
まさか! 本当に!? 俺のことを考えてカフェの新メニューを作ったの……!?
「だから絶対食べに来いよ? ちゃんと俺がいる日にな!」
「…………ふふっ。うん、わかった。冬が来るの、楽しみにしてるね」
「よぉしっ! やっと約束ひとつ取り付けたー!」
子どものように無邪気に喜ぶ彼を見たら、……大人っぽい制服が台無しじゃんって思って、なんだか無性に愛おしくなって、また笑ってしまった。
よく知っている場所で、知らないことが次々と起こって。
なんだか魔法にかけられているみたいだ。
「やっと笑ってくれるようになったな」
「あはは……え? なにー?」
「俺、その顔がまた見たかったんだ」
「……?」
🕒
『阿誠、このリップの色どうー?』
『うん。かわいい』
『ねえみんな今日カラオケ行くでしょー?』
『阿誠も行くよね? じゃないとあたし行かないしー』
『そうだね〜』
『――あ、こら待って! そっち行っちゃだめ〜』
『……?』
『阿誠なに見てんのー? ……ん? アイツ誰だっけ?』
『あ〜、なんかいつもいじられて泣いてる奴』
『……』
『戻っておいで〜。……そう、こっちだよ〜。……よぉし、いい子!』
『……――!』
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「……え?」
「たまたま中庭の横を通りかかった時、よく知らない男子生徒が必死になってちっさい黒猫の赤ちゃん追いかけてて、なんか興味引かれて見てたらさ」
「……」
「猫捕まえて安心して笑った顔が、もうめちゃくちゃ可愛かったんだよ! 毎日何人の女の子見てても、こんなかわいい子、1人も見つからなかった」
「え……あの、……え……?」
「だからどうしても話しかけたくて、みんなにはなんか適当言って先に帰ってもらって、こっそり1人で中庭に戻ったんだ」
今、目の前で三崎くんが話していることが、とても現実と思えなくて、おとぎ話を聞いているのかと、一瞬考えてしまった。
テーブルには綺麗な雪の結晶の載ったアイスクリームがあって、溶け始めているのが見えてるから、早く食べなきゃって思うんだけど…………思うんだけど、三崎くんの言葉に、言葉をまっすぐに伝えてくる眼に、釘付けになっしまっていて……少しも動くことができなくなってる。
「……でも、それまでは何もしなくても、みんな向こうから勝手に寄ってくるから、自分から歩み寄る勇気っていうのが、俺にはなくて。最初に一度話しかけて、間近で見て――もっと好きになって以降は、声かけるどころか近づくこともできなかったんだよ。ほんとは助けてやらなきゃいけないような時だってたくさんあったのに、何もできなくて本当にごめん」
三崎くんは、俺に向かって深々と頭を下げた。謝られるような覚えなんて何もないから、どうしていいかわからない。
「な、なんで謝るの。俺は救われたんだって、さっきも言ったでしょ」
「……ほら、そういうとこ」
「ん?」
「わからないならいいよ。……でも、そういうところが俺なんかには眩しすぎて、近づくことを最初から諦めてたんだ」
「諦めてた? 三崎くんが? 俺を?」
「そうだよ。……だから結局、1番かわいい子に告白する勇気がないから、向こうから来てくれるそこそこかわいい子たちと付き合って妥協するっていう、……最低なことをしてたんだよ」
「――」
予想もしていなかった言葉を受けて、今度こそ本当に混乱していた。
俺の代わりに、女の子たちで妥協していた……?
「でも、途中で気づいたから……。あの女の子たちはみんな、妥協なんかじゃなくて、真正面から俺にぶつかってきてくれてたのに、1番好きな人の代わりにしてたなんて、彼女たちになんて失礼なことをしているんだろうって」
「ほ、本当に……そんな……?」
「本当なんだって。俺は姫ちゃんが思ってたみたいにかっこよくなんかないんだよ。そう気づいたから、ちゃんとかっこよくなろうって思ったんだ」
アイスが溶けていく。せっかく1番美味しい状態で用意してもらったのに、どんどん原型がなくなっていってしまう。
雪の結晶だけが溶けることなく堂々と原型を保っているのが、なんだか現実離れして見えた。
「同じ高校に入るって決めたんだ。当時の成績ではほぼほぼ無理なレベルの学校に、何としてでも一緒に受かってやるって。まずはそれができたら、少しは恥ずかしくない自分になれるから。そこまで到達して姫ちゃんに告白するって。それが今の俺だよ」
「――」
誰よりもかっこいい、どう見たって1番かっこいい、俺なんかが触れることは一生許されないような人。
火傷したら痛いから、近づけずにいた。近づいてきたら必死に遠ざけていた。
俺は、太陽側がどんな思いで近づいてくれているのかを、知ろうともしていなかった。
「だから、最初から姫ちゃんが1番なんだよ。男子校も何も関係ない。どんな女の子よりも、どんなかわいい子よりも、よっぽど1番じゃん」
三崎くんが立ち上がる。俺も一緒に立ち上がってて、なんでだろうって思ったら、――いつの間にかまた手を取られていた。
テーブルを挟んでなんていられないから、どちらからともなくすっと横に移動して、すっかり馴染んだ距離に落ち着く。
「姫ちゃん、好きです。付き合ってください」
12センチ上から、はじまりが降ってきた。
□ □ □
「おまえよく寝坊しなかったな。食後のコーヒーまで飲んでる時間があるなんて、優雅なもんだ」
朝食の皿をシンクに置きながら兄ちゃんが感心したように言う。確かに昨日は睡眠時間が究極に短くなったけど、なんだかそわそわして早く起きてしまった。まだ家を出るまでに少し余裕がある。
「洗い物は俺がしとくから、置いたまま行っていいよ」
「そうか? じゃあ頼むな」
そのまますぐに出るのかと思ったら、「それにしてもさー」と話を続けた。兄ちゃんもまあまあ余裕じゃないか。
「あの子ほんとしっかりしてるよな」
「陣太?」
「うん。おまえが予想した通り、あの後謝りに戻って来たぞ」
「そうだったんだ」
「方やお前ときたら、そのまま夜遊びに行っちゃって遅くまで帰ってこないとか。ついに不良になってしまったかと思ったよ」
ついにって何だよ。
「そっか。じゃあ俺が帰ってきたのは陣太と完全に入れ替わりだったのか」
「そうだな。と、やば。遅れる。じゃあ俺先出掛けるから」
「うん。いってらっしゃーい」
兄ちゃんを見送りながら残りのコーヒーを一気に飲み干す。余裕といえども俺もそろそろ出かけないとな。
そういえば、昨日までテーブルの端に置いてあった壊れた時計はどこに行ったのだろうと思ったけど、そんなことを気にしていたら遅刻する。
□ □ □
「おはよう」
「わぁ、予想を上回るほどのいつも通り」
「……あぁ、昨日はごめん。急に怒鳴ってびっくりさせて」
「あ、いやいや! 子どもじゃないんだからそんなの謝らなくていいんだけどさ」
――でも、謝らなければいけないのは俺のほうかもしれないんだ。
なぜか三崎くんは教えてくれなかったし、ちゃんと話して俺が何をしてしまったのかを理解したい。
『なんか俺たち、みんな同じことで悩んでたんだな』
そういえば、あれって…………
……ん? もしかして…………?
「ねえ、陣太、俺――」
「姫ちゃん! おっはよー!」
「わあっ! 三崎くん!?」
びっくりした。急に肩に手を置かれるとは思わなかった。
「え、なに。今日から接触可になったの?」
「独特な解釈しないで俺の話をさ……」
「じゃあ僕は無粋なことはしない主義だから、先に学校行くよ。また後でね〜」
「おう。気遣わせて悪いな」
え、ちょっと、大事な話だったのに〜!
「もう、タイミング悪いよ」
「え、ごめん俺なんかした?」
「……ふふ。いっか、また今度で」
「? 機嫌直ったならいいけど」
陣太のことは置いといて、……こっちはこっちで話さないといけないことがあるんだ。
高校に入ってから、地味にずっと気になってること。
「あのさ、なんで俺のこと姫ちゃんって呼ぶの? 中学では姫路くんだったよね?」
「え? だって、それがいいと思って」
三崎くんは、さも当たり前のことみたいに言う。
「『姫ちゃん』は、おまえがかわいいっていう証の呼び名だから。もうからかわれたり馬鹿にされたりしてた姫路くんじゃなくて、みんなの憧れの的の姫ちゃんだろ?」
「みんなからはそれでいい。でも三崎くんは別だから」
今度はちょっと意表を突かれたようだ。
その顔は照れてる。今の俺にはわかるんだ。
「じゃあ、姫路くんに戻すよ」
「いや、そうじゃなくてさ……」
「……?」
「……」
「揺季」
「……うん」
「じゃあ、俺のことも――」
「それはまたの機会に!」
「!? なんでだよ! 呼べよ!」
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「愛人くん、これほんとにもらっていいの……? 高かったんだろ?」
「心配しなくても、ちゃんと高校生でも手が出せるレベルのものにしました。逆に気を使わせたら仕方ないんで。その辺は抜かりないですよ」
「……ほんとにきみは大人よりしっかりしてるよ」
「ねえ宇深さん。そろそろ愛人くんって呼ぶのやめません?」
「ん……?」
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シンデレラの結末を忘れていた。
あ、『本当は怖い〜』とかもあるけど、あれは今は関係なしね!
――シンデレラは、王子様と結婚して幸せになるんだった。
魔法が解けたあとも、永遠にずっと。
ほんと、なんで忘れてたんだろうな。
「なんだっていいから早く行くぞ! もう授業始まるって!」
「ちょっと待ってよぉ! 歩幅が全然違うんだってば〜!」
終


