きみが俺を好きなのはここが男子校だからでしょ?

「かわいい」
「……ねえ」
「姫ちゃんが一番かわいい」
「ねえ、それさ、」

 特別な意味がある言葉だって、わかってる?

「ん?」
「…………」

 ……ううん、わかるわけない。誰もが簡単に使える言葉だもんね。たった4文字だけの、簡単な言葉。

「なんだよー?」
「みんなに言ってるんでしょ?」
「え」


🕒

『三崎くんみたいにかっこよかったら、こんなふうに毎日みんなに笑われたりからかわれたりしないで済んだのに。……あーあ、俺ってなんでこんななんだろうね』
『なに言ってんだよ! かわいいのはいいことだろ!』
『――……!』

🕛


「……ごめん、なんでもない! じゃあっ!」
「え! おい、ちょっと、待って!」

 今日も逃げた。また逃げた。俺だんだん足速くなってない?
 ……なんで言っちゃったんだろう。思ってても言わないようにしてたのに。
 びっくりしてたよね。そりゃそうだ。……ほんと、最低だ。
 俺は確かに『かわいい』に救われたのに。救ってくれた人にこんな酷いことするって、意味わかんない。


  □ □ □


「そう思うなら、素直に受け入れればいいのに」

 簡単に言ってくれるよなぁいつもいつも。しかし陣太に毒づいても仕方ない。
 昼休みの学食は毎日座席争奪戦だ。本日の敗者となった我々は、購買のパンだけ買って中庭に出た。
 今日はどうしてもカレー南蛮が食べたかったからなかなか諦めがつかなかったが、有難いことに購買に「カレー南蛮パン」があったのでコイツで手を打つことにした。

「あ……これ失敗かも」
「だからそれ変だって言ったじゃん」

 冷静に考えれば当たり前だ。上手くいかないことがあった日は何から何までことごとく上手くいかない。

「晩ごはん何かなぁ」
「あ、そういう思考になるのね。今日も宇深さんが作るの?」
「そうだよ。相変わらずうちは共稼ぎだからねー」

 言っててちょっと情けなくなる。両親が忙しい分、一応家事は兄ちゃんと俺とで分担しているんだけど、やっぱり一番負担が大きいのは料理だと思う。俺はその料理が壊滅的にだめなもので、なるべく他の分野で補おうとはしているのだけど、あんまりフェアにはなってないだろうと自覚している。
 そういえば、陣太はカフェのバイトで最近積極的にキッチンに入りたがっているようだ。ってことは調理もできるのか? なんか俺より陣太が弟なほうが兄ちゃんの役に立ちそうだな。

「俺だってもうちょっとは役に立ちたいって思ってるんだからね? あーあ、せめて時計の修理でもできたらいいのに、さすがにそんな技能持ってないし」
「時計の修理は身につけなくていいよ」
「え? なんで?」
「ん〜……似合わないから」
「なんかよくわからない種類の悪口言われた?」

 そんな話をしているところで予鈴が鳴った。
 俺に修理屋は似合わないのか。じゃあ何が似合うんだろうなぁ。


  □ □ □


 なんで今日が発売日だって思い出しちゃったんだよ。
 晩ごはんも済んで、さて風呂にでも入ろうかと思ったところで、読みたかった漫画の発売日が今日だったことを急に思い出してしまった。思い出さなければ明日でもよかったのに、思い出してしまったからにはもう風呂になど入っていられない。
 時刻は21時近いというのに、漫画1冊のために閉店間際の書店まで走ることになってしまった。


 ほんとに、なんで今日が発売日だって思い出しちゃったんだよ。
 おかげで閉店間際の書店に飛び込むために夜の街を激走して、暗闇に紛れて見えなかった黒猫が飛び出してきたことに驚いて、飛び上がって膝で着地したのが今である。

「うーわー……やったよこれ」

 擦りむいた、なんていうレベルではないな。少なくとも絆創膏なんかでは全く歯が立たない事態になっている。

「痛たたたた……」

 ここから家までは徒歩約10分強。この足ではちょっとばかり遠すぎる。

(……あ、この辺りって、陣太のバイト先のカフェの近くじゃなかったっけ?)

 見回すと、少し先に見知った看板。あそこまでならなんとかこのままでも歩けそうだ。多分今日も陣太はラストまで働いているだろう。ちょうど1人で店を閉めている時間じゃないか? 迷惑になるけど、ちょっとだけ入らせてもらって簡単に手当をして、歩いて帰れる状態にしていこう。
 とっさにそう考えて、黒猫に見送られながら『カフェ Grim』へと負傷した足を引きずって行った。


「陣太〜? ごめん急に。ちょっとわけありで、中入れてもらうことできる?」
『……え?』

 ドアの向こうから予想以上に驚いた声が聞こえたと思ったら、――今度は俺が驚く番だった。

「姫、ちゃん?」
「え――」

 開いたドアの向こうで目を丸くしているのは、帰り支度を整えて学校の制服に鞄を背負った三崎くんだった。

「なんで姫ちゃんがここに……って、え!? どうしたんだよそれ!」
「あ……あの、えっと、そこで転んじゃって……」

 まさかの展開に頭が真っ白になっていく。今日の遅番は陣太じゃなくて三崎くんだったのか……。彼もここで働いているのだということを、なぜ忘れていたんだ俺は。

「こっち! 店の裏に洗い場あるから、まずそこで傷洗うぞ」
「え……あ、ちょっと――」

 と、何を返す間もなく腕を捕まれ、――すごい力で店の裏手まで連れていかれた。


「じ、自分で洗えるから!」
「そう? じゃあ、ちゃんと綺麗になるまで洗い流すんだぞ。タオル持ってくるから」

 それだけ言うと有無を言わさず店内へ走り去ってしまった。
 残された俺は、まだまとまっていない頭を持て余して、ぼんやりと誰もいなくなった暗がりを見つめていたが、なんとか靴と靴下を脱いで洗い場の蛇口を捻るところまで来られた。

「…………」

 考えることはいろいろある。まずこんな迷惑をかけてしまって申し訳ないとか、せめてさっさと傷を洗って帰らなきゃとか、明日学校で会ったら何かお詫びをしなきゃとか、いろいろあるのに……。

(…………手……)

 今さっきまでこの腕を掴んでいた手の感触が、他の何も考えられなくする。
 痛いほど強く掴まれて、くい込んだ指の一本一本から必死さが伝わってきた。
 ずる剥けになって血を流している右膝の痛みが、今はもうよくわからない。

(なんで……こんな…………)

 誤魔化すように、もっと強く蛇口を捻る。余計な気持ちを全部洗い流さなきゃいけないと思った。

「お待たせ。これ、使って」

 そんなことなどお構いなしで、三崎くんはすぐに戻ってきた。綺麗に畳まれた清潔そうなタオルを手渡される。

「あ、でも……お店の使っちゃったら血が付くから……」
「大丈夫。店のじゃなくて俺のだし」
「いや、それだって」
「気にしないでいいんだって」

 そう言うと、今度は笑いかけてきた。……安心させてくれる笑顔。ねえ、さっきから忙しい。

「……ありがとう。洗って返すけど、どこまで落ちるかな」
「別に返さなくてもいいけど、せっかくだから楽しみに待っとく」
(楽しみに!?)

 借りたタオルを自分の鞄に仕舞って靴下を履き終えると、……え?
 ――三崎くんが、俺の靴を持って待っていた。

「……あの、それ、履くんだけど」
「うん」
「置いていいよ?」
「どうぞ、このまま」

 ……いや、あの、これじゃまるで…………。

「……王子様かよ」

 ガラスの靴には程遠い、走ることに特化したメンズのスニーカーを、……跪いた彼の手から履かされる。

「姫ちゃん、好きです。付き合ってください」

 ……あーあ。なにこれ。ほんとずるい。

「だめです。ごめんなさい」
「うそだろ! これでもだめ!?」

 触れられたのって、これで二回目だよね。
 離れなきゃいけないのに。
 なんで一度目よりも、もっと好きにならなきゃいけないんだよ。