たとえば私がいないほうが。

 開いたドアの隙間から入ってきたのは、お母さんだった。
 私の記憶しているお母さんよりも少しだけ小さくて、くたびれて見える。

 そういえば、まともに顔を見るのはいつぶりだろう。
 ある頃から、話しかけられても背中で返事をすることが増え、同じ家に暮らしていながら、顔を合わせない日すらあった。

「お母さん、顔色良くないけど大丈夫?」
 咄嗟に口から出てしまったけれど、久しぶりに自分からお母さんに声をかけた気がする。
「……はぁ」

 母が盛大なため息をつき、私の方を見ることなく机に進んで行く。
 ポケットに手を入れて、取り出したスマホに充電ケーブルを挿し込んだ。

「ちょっと、それ私のスマホ!」

 明るくなった画面には、メッセージアプリの受信を知らせるバナーが表示されている。
 受信件数714件。とんでもないことになっている。

「すごい。未読スルー記録でギネス登録できるかも」

 どうでもいい冗談を言ったが案の定、完全無視されてしまった。

 壊した記憶もないのに割れている画面にお母さんの荒れた指先が触れると、パスコードを入力する画面に切り替わる。

「勝手に見ないでよね」

 お母さんの隣に立って、一緒に画面をのぞきこむ。
「パスコードがわからないんだもの。見られるわけがないのよ」
 相変わらず私のことを捉えてくれない瞳が揺らぎ、また小さなため息が洩れる。

「見られないようにロックかけてるんだから当たり前でしょ」
「……こんなことなら無理にでも番号を聞いておくんだった」
「聞かれても教えるわけないじゃない」
「お母さん、あなたの友だちをひとりも答えられない。……情けないわね」

 絶妙に会話が咬み合わない。やはり、私の姿は見えていなくて、私の声は聞こえていないんだ。

「お母さん、ごめんね」

 重い沈黙が、部屋の真ん中に居座る。

 喧嘩したとき『早く自立してちょうだい。お母さん、ひとりになりたいわ』って言ってたよね。
 学費とか進学費用とか、私にかけるお金がなくなれば生活はきっと楽になる。
 私がいなくなったら、自由になれるよ。