背中文字のカムトープ


 分類ごとに整理された図書室は、薄いカーテンがエアコンによって揺れている。
 紙のページが捲られる音と微かに聞こえてくる小さな話し声。「図書室ではお静かに」という張り紙がいろんな所に貼られている。
 颯太は向かい合わせになって座っている大翔の手元を見る。
 シャーペンを走らせる手の先にあるノートが気になったのだ。筆圧が全く違い、やはり輪郭が整っている文字は知的な雰囲気がある。

「あれ、お前またこのスペル間違ってるぞ」

 大翔の指がノートの文字に触れる。

「あ、本当だ」
「……人のノートばっか見てんなよ、変態」
「へ!?」

 ばっ、と口元を大翔の手によって覆われてしまう。

「バカ、静かにしないと出禁くらう」

 大翔の硬い手の内側が唇に触れている。息を吸えば小指が鼻下にあり、どうやって呼吸すればいいのか分からなくなってしまう。
 震える手でその手を外す。

「ごめん」

 俯き、間違っている英語のスペルを直していく。

「いや、俺も悪かった」

 小テストの範囲とアラン先生が指示した範囲から出題される予定だ。暗記すらままならない。
 颯太は特別、塾には通っていなかった。英語以外は、赤点は取ったこともない。
 大翔のために頑張っているのに、大翔のせいでクラスが落ちる可能性が見えてきた。
 人のせいにしてはいけない、というがこればかりは自分のせいではない気がしてならない。

「なあ、颯太」
「なに」
「なんであいつらといる時みたいに、笑ってくれなくなった?」

 颯太は「好きだからだよ!」と声を大にして言いたかった。

「なんだよ、急に」
「一年の時は、もっとフランクだっただろ」
「フランクってそりゃあ……なあ」

 ペンケースに眠っていた海の絵が描かれたボールペンを取り出す。
 銀のノックを押せばカチ、という音と共にペン先が出てくる。ノートの端に「2」と書く。インクが残りわずかなのか薄い。
 
「二年の時、俺と大翔ってさ、あんまっていうか全然話さなかっただろ」

 修学旅行はハワイだった。
 いくつもある選択肢の中で、大翔と被ったのだ。しかし、スマートフォンのフォルダーの中には、佐々木と土屋、それにクラスメイトとの写真しかない。

「確かに。修学旅行もせっかく同じだったのにな」

 大翔は野球部のメンバーと共にいた。
 遠くからビーチではしゃぐ野球部の中に大翔がいたのは、記憶に残っている。

「まあ、そういうこと。久しぶりに会った友達には緊張するんだよ。大翔も地元に帰れば同じ経験するだろ? 寮に入ってんだから」

 自分で言っていて、胸にのし掛かる重みに耐えられなかった。ノックを再び押せばボールペンのペン先は再び記憶の奥底へと眠りにつく。

「ってか、お前もそれ買ったんだな」
「は?」

 急に何の話だ、と大翔の手元を見れば同じボールペンがあった。しかもまだ封を開けていない。
 透明の袋が開けられ、大翔によって出されたボールペンは長い眠りから目覚めたようだった。
 よく寝たと言わんばかりにノックを一回押され、出てきたペン先は先ほど自分が書いた「2」の上を滑っていく。
 濃くなった文字は、反対側から書いたせいか、いびつだ。なのに、なぜかハワイの波のような揺らぎがあった。

「やっぱ使うの勿体ねーな」

 そう言って、大翔はボールペンを再び透明な袋に入れ、ペンケースの中に仕舞う。
 波のように揺れたのは文字だけではない。自分の心臓もだ。
 きっと顔が赤い。それになぜか目の奥すらも痛い。
 顔を隠すように額に手を置いた颯太は、シャーペンを持とうとしたが手が震えて床に落としてしまった。急いで取ろうと体を斜めにすれば大翔の長い腕によって、先に取られてしまう。

「顔、あっか。なんでだよ」

 笑う大翔はシャーペンを渡してくる。受け取りながら「知るかよ」と返事をすることしか出来なかった。
 むに、と頬が大翔によって摘まれる。

「なに」
「いや、なんだろーなー。同じ男なのに、可愛いなって」
「……っ!?」

 数日前に書いた「すき」という背中文字。結局、「やき」と文字を足して誤魔化してしまったが、今なら簡単に口から出てしまいそうだ。

「あのさ、俺……」
「ねえ、あそこ」

 チラチラと大翔の右斜め後ろの席からこちらを見てくる女子二人がいた。ばっ、と大翔の手を振り払う。
 自分達の雰囲気がおかしかったのだろうか。
 揺らいだ胸の波が一気に静かになっていく。この間、続きを読むのをやめてしまった「青と春色」のシーンが脳裏に浮かぶ。
 告白しようとしたが女子二人の声によって、言うのをやめてしまったシーンだ。
 状況は違うが、どこか似ていた。

「あのさ、何?」

 だが、そんなこと知る由もない大翔は平然とした顔で続きを要求してくる。

「なんでもない」
「本当に?」
「うん」

 小テストの用紙を見下ろす。ザルになっていた脳がその穴を塞いでいき、どんどん記憶が溜まっていく。
 大翔の手元が止まって、背もたれに寄りかかる音がした。

「続き、やろ」

 そう声をかけながら、視線が大翔の顔へと自然に向かう。

「……ああ、そうだな」

 付箋を貼られた教科書を手にする大翔の視線は自分へと向いていなかった。安堵の息を漏らし、右斜め後ろの席に目を向ければ女子二人はもういなかった。
 空席となった場所は椅子がしまわれることなく、そのままになっている。まるで逃げたような跡だ。
 図書室に常駐しているメガネをかけた年配の先生が椅子を直していく。

「……颯太」
「あ、うん、ごめん」

 紙を捲る音にシャーペンの音。それは図書室が閉まるまで続いていた。