五限目が終わり、佐々木と土屋と話をしていると机の上に置いておいたスマートフォンが揺れる。
山田大翔、との名前に胸が跳ね上がる。昼に交換してさっそくラウントでメッセージをくれたのだ。
開くと「先に図書室へ行っていて欲しい」とだけ書かれていた。テスト期間が終わるまで、毎日一緒に勉強するつもりなのだろうか。
颯太自身、今日はやめておこうと思っていた。二人だけの空間は、自分にとって甘すぎる。テスト前だというのに、エンジンがかかったのは後半だった。
今更、今日はいい、とも言えない。それに何より、誘ってもらえたことが嬉しかった。
「おー、笑ってるぞ」
顔を覗いてくる土屋の顔から逃げる。
「違う、大翔から」
「なんだ、今日も勉強しようぜ、みたいな?」
「そう、それ」
「はー、英語が同じクラスになったらこんな仲良くなるもんかねー」
土屋はそう言いながら、首を傾げた。
「俺だって、仲良くなったよ?」
佐々木の言葉に「誰と?」と聞くと「ティティと」と笑っていた。
土屋は「えーまじかー」と頬杖をつく姿勢になる。颯太はスマートフォンの画面を見下ろし、「分かった」とだけ記入した。
「図書室、閉めるわよー」
エアコンが止まると微かに聞こえていた機械音が消えていく。ノートと教科書を閉じた颯太は、目の前の席を見た。本来なら大翔がいるはずの席は空席のまま。
こんなことなら学習部へ行ってティティと喋っていれば良かった。色々なことが重なり、舞い上がっていたのかもしれない。スクールバッグにペンケースなどをしまい、図書室を出た。
廊下はまだ明るいがスマートフォンの時刻は十八時を示している。ティティはもう食堂へ向かっただろう。
校舎を出ると中庭で飛び跳ねている女子生徒がいた。下級生だろうか。頬を赤らめ、周囲の友人はその様子を見て微笑んでいた。
好きな人と何か話でもできたのだろうか。颯太は羨ましいと思えた。
自分も本来なら、この時間は大翔とちょっとした話をしながら、勉強をしていたはずだった。
あんなに苦しかった心臓は、淋しさを訴えている。昼の出来事の落差がその胸の溝を深くしているのかもしれない。
メッセージを開く。いつまで経っても来ない大翔に対して、颯太が送った「大丈夫か?」というメッセージは、既読すらされず淋しそうだ。
何かあったのだろうか。それとも自分が何かしてしまったのだろうか。
「山田先輩、ありがとう、頑張るって言ってくれたの」
「えー、めっちゃ嬉しいじゃん」
「もー、超やばい。話があるって声かけて良かった」
颯太の足が止まった。夕方になると昼間よりは幾分涼しくなった風が背中を撫でていく。
ひんやり、とまではいかない風は後ろで話す声をご丁寧に届けてくれる。
「今年の野球部、絶対応援する! 告白は」
「あ、颯太だ! そーうーたー」
女子生徒の会話を掻き消すような大きな声。
颯太の背中に温かな体温がぶつかってきた。ティティだ。
今、告白、そう聞こえたような気がした。あの女子生徒とどうにかなってしまうのだろうか。
「今から帰るの? 一人?」
更に冷えていく心をティティが素手で掴み、食い止めるように後ろから抱きしめてくる。
「なら一緒に帰ろう?」
一気に心が温まっていく。俯く颯太はスマートフォンを持っていた震える手をもう片方の手で握りしめる。
「颯太?」
ティティが颯太の顔を覗き込む。
「どう、したの? ひどい顔してる」
「ごめ、俺。ちょっと今、女々しくなってる」
「め、めめしい? なにそれ、目が痛いの?」
ティティはスマートフォンを出して「女々しい」という言葉を探しているようだった。タイ語を喋りながら、めめしい、と呟いている。
「いや、違くて……なんでもない」
「あー、くよくよしてるのか。そうか、くよくよ。えっと、何か悩んでいるの?」
「いや、まじで、ほんと」
「もー、ほらコンビニ行こう」
手をティティに引かれて、学校内にあるコンビニにぐいぐい引っ張られていく。
いい、と言いながらティティの手を振り払えずにいた。
コンビニ前のベンチに座ると空は薄い桃色とオレンジ色を混ぜたような色をしていた。色を塗られた雲はどこか恋の色をしている。
寮生だろうか。Tシャツにジャージを着た女子生徒が空をバックに友人と写真を撮ったりしている。
颯太もスマートフォンを空に向けたくなった。
「お待たせー、はい、これ」
目の前に出されたのは、香ばしい香りがする唐揚げ。食欲をそそるそれを爪楊枝で取って口に入れる。出来立てだったのか、噛むことすらできずに口の中で唐揚げに空気を送る。
「あはは、熱かった?」
そう言いながらティティは、口の中に放り込むと熱くないのか、普通に咀嚼をしていた。
「ふー、それでさ、どーしたの?」
唐揚げが入っている紙の器が熱を持ち始めた。
口の中にいる唐揚げに歯を立てると柔らかな衣が裂け、弾力ある肉が舌に触れる。溶けていく旨味は、颯太の口を解していった。
「好きな人とラウント交換した」
「ふえ!? すごいじょん! あ、間違えた。すごいじゃん」
パァッと明るくなるティティの瞳はキラキラと輝いていた。
「え、でもじゃあなんで悩んでいたの?」
「その人と勉強してるんだけど、待っててって言われて、ずっと待ってたんだけど、来なかったんだ」
「うー……、まあ忙しかったんだろうね」
「好きな人じゃなかったらそう思ってたかもしれない。だけど、もう気を抜くと口から出ちゃいそうなくらい、好きでさ」
自分で言っていて、颯太は笑ってしまった。付き合ってもいないのに、束縛しようとしているのだ。
「外出たら、たぶんだけど後輩らしき人が話してて。その好きな人のこと……たぶん、その人と話してて来れなかったんだと思う」
「めっっちゃ好きじゃん」
「もうやばいよな。頭おかしくなりそうなくらい、好き過ぎるんだよ」
口元を抑えるティティの目元はニヤニヤしている。
「これがアオハシなんだね」
「アオハル、な」
「そう、それ! アオハル」
唐揚げに爪楊枝を刺して、ティティは口に放り込んでいく。
「僕さー……気づいちゃったっていうか。今の話で確信? 完全に分かっちゃった」
ごくり、と唐揚げを飲み込みティティは小声で「山田君が好きなんだ?」と言ってきた。
ここまで話せば、どう考えてもバレる。分かっていたことだ。知られたくなかったが、もうティティになら知られてもいいと思えた。
「いやー、いいねえ」
プラプラと足を振るティティは、颯太の肩に頭を置く。
「引かないのかよ」
「なんで?」
「いや……男が好きって」
顔を上げたティティが眉間に皺を刻む。背中に痛みが走った。
いって、と声を漏らせば「前に気にしすぎって言った」とティティはむくれ始めた。
「僕は引かないし、さっきも確信に変わったって言ったけど、なんとなくちょっと前から分かってたよ」
「……まじか」
地面を見下ろし、ヒビの入ったコンクリートと見つめ合う。
「なんで好きになったの? 前は、軽く教えてくれたじゃん? 今度はちゃんと教えてよ」
「……一年の頃、あんま喋る仲じゃなかったんだけど、佐々木がいない時に喋る奴って感じでさ」
颯太は体を起こし、手に持っている爪楊枝を指先で器用に転がす。言葉にできない感情が落ち着く気がした。
「野球頑張ってるの知ってて、その時はベンチ入れなくて、結局負けて。そしたらあいつ泣いてたんだよ。汗流して自分のことのように」
首元にかかったタオルの存在に気づいていないのか、服で顔を拭っていた大翔を颯太は思い出す。
「んで、そこでちょっと好きかもって思って。中庭で大翔を慰めることがあってそこで完全に……」
ティティを見ると口元をニヤつかせていた。
「国に帰って、ドラマ観たくなる~!」
「え?」
「僕、ボーイズラブのドラマ好きだよ。タイにいる時、よく観てた。きゅんきゅんするもん」
ティティの手が今度は優しく颯太の背中を叩く。
「颯太がもし、告白することがあって悲しいことになったら……僕のお腹、貸してあげるね」
お腹を貸す、という言葉に颯太は噴き出し、額に手を置いて笑った。
首を傾げたティティは分かっていないようだった。悲しいことになったら、と言われたのに最後の言葉が全てをひっくり返していく。
「お腹って、そこは胸だろー」
颯太の心は、空のようにピンク色を残しているのに、真昼のような青空が広がっていた。
