我妻の暴走は、インターネットという匿名性の泥沼の中で、最悪の形で加速していった。
高架下の一件から数週間、我妻は以前よりも『ステチェク』にのめり込んでいった。
教室では以前ほど大声で動画を流さなくなった代わりに、スマートフォンを覗き込んでいる時間だけが増えていた。
駆には、それが反省しているようには見えなかった。むしろ現実からネットの中へ、さらに深く潜っているように見えた。
十一月下旬の金曜日。深夜十一時。
駆は、自室のベッドの上でスマートフォンを開き、動画配信アプリの画面を見つめていた。
画面の中では、あの『ステータス・チェック』のロクが、おどろおどろしいBGMをバックに、いつにも増して下品な満面の笑みを浮かべている。
今夜の配信は、数日前からSNSで大々的に告知されていた生放送の特別企画だった。
『さあ始まりました、ステチェク緊急生配信! 題して【お前の偏差値はいくつ? 視聴者模試成績表ガチ格付け祭り】! 全国から送られてきた模試のスクショを、俺がリアルタイムで神かゴミか仕分けしていきまーす! ちなみに偏差値50以下のゴミを送ってきた奴は、その場で即ブロック&アカウント晒しだからな! 覚悟してかかってこい!』
コメント欄が「きたあああ」「神企画」「ゴミ処理班よろしく」といった、狂熱的なテキストで埋め尽くされていく。
駆は嫌な予感に胸を騒がせながら、画面の下部に表示される「格付けエントリー者」のハンドルネームを目で追った。
その時、一枚の成績表のスクリーンショットが画面に大きく映し出された。
『おっ、エントリーナンバー14番、ハンドルネーム【明鳳の王】さん。ほほう、県内トップの明鳳高校の2年生ですか。どれどれ、駿台全国模試の結果は……うおっ、マジか!?』
ロクがわざとらしく目を見開いた。
画面に映し出されたのは、見覚えのある明鳳高校の模試データだった。そこには驚異的な数字が並んでいる。
【総合偏差値:七十二】
【東大文科一類:A判定】
【校内順位:3位 / 302人】
『すっげえええ! 偏差値72! 東大A判定! 文句なしの「神」ステータス確定です! 【明鳳の王】さん、あんたみたいな本物のエリートがこのチャンネルを見てくれてるの、マジで誇らしいわ! これが本物の人間の脳みそ! コメント欄、崇め奉れ!』
画面は「リアルガチ天才」「かっけえ」「神降臨」という称賛の嵐に包まれた。
だが、駆の全身は、まるで氷水を浴びせられたかのように冷え切っていた。
(……何だこれ。おかしい)
駆は自分の学習机の引き出しを開け、先日の模試の成績表を取り出した。そして、スマホの画面に映る【明鳳の王】の成績表と見比べた。
点数の配置、受験科目の順番、そして、受験番号の下四桁。
それは、間違いなく駆自身の成績表だった。
だが、数字だけが巧妙に書き換えられている。駆の「偏差値五十二、筑波E判定、校内百八十位」という無様な現実が、画像編集ソフトによって「偏差値七十二、東大A判定、校内三位」という、完璧な天才の数字へと捏造されていた。
そして、【明鳳の王】という名前。
我妻だ。我妻が、学校で駆の成績表をこっそり盗み撮りし、受験番号だけを残して数字を偽造し、番組に投稿したのだ。
「何やってんだよ、あいつ……!」
駆は震える指で、我妻にLIMEの個人メッセージを送ったが、一向に既読がつかない。
画面の向こうでは、ロクが【明鳳の王】を絶賛し続けている。コメント欄の何万人もの人間が、偽物の数字を本物だと信じ込み、熱狂的な崇拝を捧げている。
その偽りの万能感の中心で、我妻は今、どんな顔をしてスマホを見つめているのだろう。
他者を見下す動画の思想に毒され、自分の「四十七」という現実から逃げるために、ついに一線を越えて「嘘の数字」で自尊心を満たす怪物になってしまった。
☆
翌週の月曜日。教室の空気は、これまで以上に歪んでいた。
我妻は、クラスの男子グループの中心で、見たこともないほど尊大な態度でふんぞり返っていた。
「いやさ、やっぱりネットの奴らってバカばっかだわ。ちょっと俺の本当のスペックを見せてやったら、一瞬で手のひら返し。ロクも完全にビビってたしな」
我妻が自慢げに話しているのは、もちろん金曜日の生配信のことだ。クラスの何人かは、その【明鳳の王】が我妻であることに気づいていた。
「我妻、お前マジで凄かったな。東大A判定とか都市伝説だと思ってたわ」
取り巻きの一人が感心したように言った。
「まあな。普段の学校のテストは適当に流してるだけだから。本気の模試ならこれくらい余裕だよ」
平然と嘘を重ねる我妻の姿に、駆は激しい吐き気を覚えた。
その嘘の土台に使われているのは、自分の、あのボロボロの成績表なのだ。
「嘘つき」
教室の最前列から、冷徹な声が響いた。
雫だった。彼女は冷ややかな目で我妻のスマートフォンを見つめていた。
「何だと、藤崎」
我妻の顔が、一瞬で怒りと焦燥に強張る。
「あんたが金曜日の配信に送ったあの画像、校内順位3位って書いてあったわね。先月の駿台模試で、明鳳の2年で東大A判定が出たのは、1位の私と、2位の理系の特進クラスの生徒だけ。3位の生徒の偏差値は68で、文一はC判定のはずよ。データが完全に矛盾してる」
雫の圧倒的な正論に、我妻の取り巻きたちがざわつき始めた。
「え、マジ……?」
「我妻、それ本当なの?」
「うるせえ!」
我妻が激昂し、机を強く叩いた。彼の目は血走り、額には青筋が浮かんでいる。
「お前が何を知ってるんだよ! 模試のデータなんて、個人によってバラつきがあるに決まってんだろ! 俺を誰だと思ってる、明鳳の生徒だぞ! Fランのゴミどもとは違うんだ!」
「哀れね」
雫はため息すらつかず、ただ冷たく言い放った。
「数字に怯えて、ついに自分についた数字まで偽造し始めたのね。そんな偽物のステータスで着飾って、何が楽しいの?」
「黙れ、黙れ、黙れ!」
我妻は狂ったように叫び、近くにあった駆の胸ぐらを突然掴み上げた。
「おい、長谷部! お前は知ってるよな!? あの成績表が本物だって! お前だって、あの配信を見てスカッとしただろ!? 俺たちが上の存在だって、証明されたんだよ!」
我妻の顔は、完全に崩壊していた。
その目は、溺れかけた人間のように、必死に駆の「同意」を求めていた。ここで駆が「本物だ」と言ってくれれば、彼の世界はギリギリで繋ぎ止められる。
駆のポケットの中で、スマートフォンが微かに重みを持っている。
我妻の言う通り、動画を見て安心していた自分は、あいつと同罪だ。ここで我妻を庇えば、自分も「上の側」の虚構の中に居座り続けられるのかもしれない。
だが、駆は、我妻の握る手をそっと、けれど明確な力で振り払った。
「……もうやめろよ、我妻」
駆の声は、小さく震えていた。
「あの成績表、俺の受験番号だよ。お前が書き換えたんだろ。……そんなことしても、俺たちの偏差値は一ミリも上がらないよ」
教室内が、水を打ったように静まり返った。
我妻の動きが、完全に止まった。彼の顔から、あらゆる感情が抜け落ち、信じられないものを見る目で駆を凝視した。
「お前……裏切るのかよ、長谷部……」
その日の放課後、我妻は誰とも言葉を交わさず、荷物をまとめて教室を飛び出していった。
残された駆の元には、誰も近づいてこなかった。
偽造を見破った正義の味方としても、クラスの仲間としても扱われない。ただ、狂った友人を告発した、不気味な傍観者としての視線だけが、駆の背中に突き刺さっていた。
駆は、夕闇に染まる教室で、一人スマートフォンの画面を開いた。
画面には、依然として軽快に他者を嘲笑い続ける『ステータス・チェック』の動画が流れていた。だがその声は、もう駆の耳には、何の慰めにもならなかった。
高架下の一件から数週間、我妻は以前よりも『ステチェク』にのめり込んでいった。
教室では以前ほど大声で動画を流さなくなった代わりに、スマートフォンを覗き込んでいる時間だけが増えていた。
駆には、それが反省しているようには見えなかった。むしろ現実からネットの中へ、さらに深く潜っているように見えた。
十一月下旬の金曜日。深夜十一時。
駆は、自室のベッドの上でスマートフォンを開き、動画配信アプリの画面を見つめていた。
画面の中では、あの『ステータス・チェック』のロクが、おどろおどろしいBGMをバックに、いつにも増して下品な満面の笑みを浮かべている。
今夜の配信は、数日前からSNSで大々的に告知されていた生放送の特別企画だった。
『さあ始まりました、ステチェク緊急生配信! 題して【お前の偏差値はいくつ? 視聴者模試成績表ガチ格付け祭り】! 全国から送られてきた模試のスクショを、俺がリアルタイムで神かゴミか仕分けしていきまーす! ちなみに偏差値50以下のゴミを送ってきた奴は、その場で即ブロック&アカウント晒しだからな! 覚悟してかかってこい!』
コメント欄が「きたあああ」「神企画」「ゴミ処理班よろしく」といった、狂熱的なテキストで埋め尽くされていく。
駆は嫌な予感に胸を騒がせながら、画面の下部に表示される「格付けエントリー者」のハンドルネームを目で追った。
その時、一枚の成績表のスクリーンショットが画面に大きく映し出された。
『おっ、エントリーナンバー14番、ハンドルネーム【明鳳の王】さん。ほほう、県内トップの明鳳高校の2年生ですか。どれどれ、駿台全国模試の結果は……うおっ、マジか!?』
ロクがわざとらしく目を見開いた。
画面に映し出されたのは、見覚えのある明鳳高校の模試データだった。そこには驚異的な数字が並んでいる。
【総合偏差値:七十二】
【東大文科一類:A判定】
【校内順位:3位 / 302人】
『すっげえええ! 偏差値72! 東大A判定! 文句なしの「神」ステータス確定です! 【明鳳の王】さん、あんたみたいな本物のエリートがこのチャンネルを見てくれてるの、マジで誇らしいわ! これが本物の人間の脳みそ! コメント欄、崇め奉れ!』
画面は「リアルガチ天才」「かっけえ」「神降臨」という称賛の嵐に包まれた。
だが、駆の全身は、まるで氷水を浴びせられたかのように冷え切っていた。
(……何だこれ。おかしい)
駆は自分の学習机の引き出しを開け、先日の模試の成績表を取り出した。そして、スマホの画面に映る【明鳳の王】の成績表と見比べた。
点数の配置、受験科目の順番、そして、受験番号の下四桁。
それは、間違いなく駆自身の成績表だった。
だが、数字だけが巧妙に書き換えられている。駆の「偏差値五十二、筑波E判定、校内百八十位」という無様な現実が、画像編集ソフトによって「偏差値七十二、東大A判定、校内三位」という、完璧な天才の数字へと捏造されていた。
そして、【明鳳の王】という名前。
我妻だ。我妻が、学校で駆の成績表をこっそり盗み撮りし、受験番号だけを残して数字を偽造し、番組に投稿したのだ。
「何やってんだよ、あいつ……!」
駆は震える指で、我妻にLIMEの個人メッセージを送ったが、一向に既読がつかない。
画面の向こうでは、ロクが【明鳳の王】を絶賛し続けている。コメント欄の何万人もの人間が、偽物の数字を本物だと信じ込み、熱狂的な崇拝を捧げている。
その偽りの万能感の中心で、我妻は今、どんな顔をしてスマホを見つめているのだろう。
他者を見下す動画の思想に毒され、自分の「四十七」という現実から逃げるために、ついに一線を越えて「嘘の数字」で自尊心を満たす怪物になってしまった。
☆
翌週の月曜日。教室の空気は、これまで以上に歪んでいた。
我妻は、クラスの男子グループの中心で、見たこともないほど尊大な態度でふんぞり返っていた。
「いやさ、やっぱりネットの奴らってバカばっかだわ。ちょっと俺の本当のスペックを見せてやったら、一瞬で手のひら返し。ロクも完全にビビってたしな」
我妻が自慢げに話しているのは、もちろん金曜日の生配信のことだ。クラスの何人かは、その【明鳳の王】が我妻であることに気づいていた。
「我妻、お前マジで凄かったな。東大A判定とか都市伝説だと思ってたわ」
取り巻きの一人が感心したように言った。
「まあな。普段の学校のテストは適当に流してるだけだから。本気の模試ならこれくらい余裕だよ」
平然と嘘を重ねる我妻の姿に、駆は激しい吐き気を覚えた。
その嘘の土台に使われているのは、自分の、あのボロボロの成績表なのだ。
「嘘つき」
教室の最前列から、冷徹な声が響いた。
雫だった。彼女は冷ややかな目で我妻のスマートフォンを見つめていた。
「何だと、藤崎」
我妻の顔が、一瞬で怒りと焦燥に強張る。
「あんたが金曜日の配信に送ったあの画像、校内順位3位って書いてあったわね。先月の駿台模試で、明鳳の2年で東大A判定が出たのは、1位の私と、2位の理系の特進クラスの生徒だけ。3位の生徒の偏差値は68で、文一はC判定のはずよ。データが完全に矛盾してる」
雫の圧倒的な正論に、我妻の取り巻きたちがざわつき始めた。
「え、マジ……?」
「我妻、それ本当なの?」
「うるせえ!」
我妻が激昂し、机を強く叩いた。彼の目は血走り、額には青筋が浮かんでいる。
「お前が何を知ってるんだよ! 模試のデータなんて、個人によってバラつきがあるに決まってんだろ! 俺を誰だと思ってる、明鳳の生徒だぞ! Fランのゴミどもとは違うんだ!」
「哀れね」
雫はため息すらつかず、ただ冷たく言い放った。
「数字に怯えて、ついに自分についた数字まで偽造し始めたのね。そんな偽物のステータスで着飾って、何が楽しいの?」
「黙れ、黙れ、黙れ!」
我妻は狂ったように叫び、近くにあった駆の胸ぐらを突然掴み上げた。
「おい、長谷部! お前は知ってるよな!? あの成績表が本物だって! お前だって、あの配信を見てスカッとしただろ!? 俺たちが上の存在だって、証明されたんだよ!」
我妻の顔は、完全に崩壊していた。
その目は、溺れかけた人間のように、必死に駆の「同意」を求めていた。ここで駆が「本物だ」と言ってくれれば、彼の世界はギリギリで繋ぎ止められる。
駆のポケットの中で、スマートフォンが微かに重みを持っている。
我妻の言う通り、動画を見て安心していた自分は、あいつと同罪だ。ここで我妻を庇えば、自分も「上の側」の虚構の中に居座り続けられるのかもしれない。
だが、駆は、我妻の握る手をそっと、けれど明確な力で振り払った。
「……もうやめろよ、我妻」
駆の声は、小さく震えていた。
「あの成績表、俺の受験番号だよ。お前が書き換えたんだろ。……そんなことしても、俺たちの偏差値は一ミリも上がらないよ」
教室内が、水を打ったように静まり返った。
我妻の動きが、完全に止まった。彼の顔から、あらゆる感情が抜け落ち、信じられないものを見る目で駆を凝視した。
「お前……裏切るのかよ、長谷部……」
その日の放課後、我妻は誰とも言葉を交わさず、荷物をまとめて教室を飛び出していった。
残された駆の元には、誰も近づいてこなかった。
偽造を見破った正義の味方としても、クラスの仲間としても扱われない。ただ、狂った友人を告発した、不気味な傍観者としての視線だけが、駆の背中に突き刺さっていた。
駆は、夕闇に染まる教室で、一人スマートフォンの画面を開いた。
画面には、依然として軽快に他者を嘲笑い続ける『ステータス・チェック』の動画が流れていた。だがその声は、もう駆の耳には、何の慰めにもならなかった。



