自殺をするなら、マナーを守って


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僕は彼女のことをバカだと思っている。社会なんてものは気にしなくていいのに、そんなものを気にして自殺をためらうなんて。死にたいのならば、さっさと死ねばいい。

しかし、彼女の自殺の動機はわからないでもない。

死んでしまったらそれこそ全国ニュースになるような“主人公”のような存在がいる。そういう存在になる人は、18歳で成人するまでに頭角を現している。高校生になる頃には、自分が世界にとって価値のある存在なのかの察しがついてしまう。

きっと大多数の僕たちは、これから大学や専門学校に行ったにせよ、どこかに就職して、そこからはオルゴールのように毎日毎日同じようなルーティーンで働き、子供を作ったりはするかもしれないが、特に何もなさずに死ぬのであろう。
そのことに退屈さを感じて死ぬというのも別に悪くはない発想だと思う。それに彼女は一応、社会へ筋を通してから死のうとしているのだ。誰にも彼女を責める権利などない。

「あのね、先輩は私の彼氏役をやってね! お金持ちの両親に愛されて、欲しいものは何でも手に入るお嬢様。通っているのは格式ある私立高校で、彼氏も同じ学校の優秀で裕福な先輩……そういう設定でアカウントを動かしていこうと思うんだ」

自殺を手伝うことにした僕を、彼女は自分の彼氏ということにした。

放課後になると、僕たちは決まって小綺麗なカフェへ入った。ただ単に“割高である”という理由だけで選ばれた店で、メニューの中でも一番値の張るデザートを注文する。彼女はデザートと一緒に僕の制服の袖口や持ち物をわざとらしく写り込ませながら、

『彼氏と学校の近くのカフェでデート。彼氏は、地元の旧帝大を目指して頑張ってるみたい! 尊敬しちゃうな』

などと嘘の文面を添えて投稿した。僕は、受験勉強を頑張ってなんていない。指定校推薦で私立大学へ入学する予定の僕にとっては、失笑ものの設定だった。

ネットの海を漂う「彼女」は、気まぐれを装って、チェーン店の食べ物の写真を載せることもあった。そして『たった二千円なのに美味しい!大好き!!』と鼻持ちならない感想を添え、世間の反感を買うような言葉を定期的にばら撒いた。

またある時は、パンフレットに載るような校内の映えスポットで撮影した制服姿を投稿し、自分がいかに恵まれているか、どれほど世の中を舐め腐っているか、そしてどの街で生活しているかを――獲物に特定させるための手がかりを、着実にネットの底へ沈めていった。

ある日の放課後。立ち寄ったカフェで、彼女は一枚の紙切れを滑らせながらスマートフォンの画面を突き出してきた。そこには、こう記されていた。

『前回のテストで良い点を取れたので、彼氏がコンサートのチケットをプレゼントしてくれました! 二週間後にデートです! 当日はお気に入りのこのワンピースを着ていきます!』

画面を凝視したまま、僕は「とうとうか」と思った。一線を越えたのだ。
日時、場所、当日の服装。これだけの手がかりをネットに放流すれば、彼女を仕留めたいと願う通り魔にとって、獲物を特定するのは朝飯前だ。

「この日、ちゃんと空けておいてね? 通り魔さん、来るかな?私を見つけてくれるかな」

無邪気に笑う彼女から視線を落とし、僕はテーブルの上のチケットに目を留めた。SS席、価格は一枚で三万円近い。その額面を見た瞬間、僕の脳裏にふとした疑問が浮かび上がった。

「……君の両親って、どれくらいの年収があるの? 毎月、小遣いはいくら貰ってるの?」

「詳しくは知らない。でも、割と稼いでるほうだと思う。お母さんはずっと専業主婦だし、お父さんは開業医だから。お小遣いは、特に決まってないけど、毎月十万円は自由に使ってるよ。お兄ちゃんの予備校代も、半年で百万円とかしててびっくりしちゃった。予備校って高いんだね」

僕は頭の中で冷徹に計算を弾き出した。高校生の娘にマンションを買い与え、毎月十万の小遣いを湯水のように渡せる開業医。僕はさらに踏み込んで尋ねた。

「お父さんの年収、二千万円はある?」

「軽く超えてると思うけど……どうして?」

彼女は山盛りのフルーツパフェを興味なさそうにスプーンで崩しながら、小首を傾げた。

――だったら、君は今すぐ死ねるじゃないか。

喉元まで出かかったツッコミを、僕は押し殺した。

「……いや。なんとなく気になっただけ」

曖昧に笑って否定すると、彼女は「そう?」とあっさり興味を失い、再び画面へ視線を落とした。「見てみて。『親ガチャ成功しただけのゴミ』『金持ちはムカツク』『バカ私立』とか書かれてる。粘着質なアンチが順調に増えてきたよ」と満足そうに笑っている。
だが、僕の思考は完全に停止していた。

――超過累進課税――

詳しく知っているわけではないが、日本の税制は所得が増えるほど苛烈な税率が課される仕組みになっている。年収が一千万円、ましてや二千万円を超えるような高所得者世帯は、国から受ける社会保障や行政サービスを遥かに上回る額の税金を毟り取られる「払い損」の筆頭なのだ。

年収二千万円を優に超える彼女の父親は、娘を育てる過程で公金をいくらか受給したところで、それを何倍も上回る途方もない額の税金をすでに国へ納め続けているはずなのだ。
彼女の言う「二千五百万円の負債」など、父親の納税額の前にはとっくに一括清算されている。最初から彼女は、社会に一円の借りもないのだ。恩返しと称して通り魔を殺す理由など、欠片も存在しなかった。

その事実を教えてやれば、きっと彼女は喜ぶのだろう。しかし、僕は不思議なことにそれを言いたくなかった。満足そうにパフェをいじっている彼女をただ眺めていることしかできなかった。

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――どう転んでも、最高に面白いことになるはずだったのだ。

帰宅した自室のベッドの上で、僕は一人、天井を見上げながら回想に浸っていた。彼女の狂気に付き合うと決めたあの日、僕と彼女の間にはいくつかの具体的な取り決めが交わされていた。

「通り魔のことは、先輩の好きな方法で殺していいよ。刺してもいいし、殴り倒してもいい」

近隣で若い女性を狙う通り魔。彼女の筋書きはこうだった。まず自分を襲わせて顔を傷つけさせる。そこへ「偶然通りかかった彼氏」である僕が駆けつけ、血を流す恋人を見てパニックに陥り、逆上した勢いで犯人を返り討ちにしてしまう――という、いかにもありふれた正当防衛のシナリオだ。
その後、顔に消えない傷を負った彼女は「こんな顔じゃ生きていけない」と絶望し、自殺をする。社会的な同情を集めながら綺麗に幕を下ろす。両親も責められない。完璧な流れになるはずだった。

「だが、もし相手が君の挑発に乗らなかったり、君に接触することなく警察に捕まったらどうする。また次の獲物を探すのか?」

密談の最中、僕はそう尋ねた。犯人を無力化すること自体には揺るぎない自信があった。人間の急所の知識なら頭に入っているし、身体も鍛えている。人間など呼吸を止めれば簡単に絶命するのだから、動転したふりをしてコンビニ袋でも顔に被せ、無理やり気道を塞いでしまえば過失に見せかけられるだろう。

僕は相手に数秒で致命傷を負わせられる。
唯一、懸念があるとすれば、彼女が本当に計画通り通り魔を誘き寄せられるか、その一点だけだった。

「そのときは仕方ないから……普通に一人で死ぬよ」

彼女があまりにあっけらかんと答えたため、僕は拍子抜けしてしまった。

「なんだ。それなら、最初から犯罪者を殺そうなどと回り道をせず、今すぐ死ねばいいだろう」

「うーん、そういうわけにもいかないの。だって、借金が気になるし」

彼女は指先で黒髪を弄びながら、もっともらしく首を傾げてみせた。

「だからね、犯罪者を殺さずに死ぬのは最悪のケース。もしそうなっちゃった時は、私、先輩に賭けてみたいんだよね。先輩はきっと将来有望だし。先輩が立派な大人になって、私の分も社会貢献してよ」

「僕が君の尻拭いをするためにどうして出世しないといけないんだよ」

呆れて言い返すと、彼女は満足そうに目を細めて笑った。

「ただ尻拭いだけさせるわけじゃないよ。ちゃんと相応の対価を払うの。グロテスクなものが大好きな先輩のために、最高の演出で死んであげる。私の命を賭けた自殺ショーの観覧チケットが、二千五百万円。私の死を見届けた対価として、私の借金を背負って生きていってね」

「……どんな酷い死に方をさせてもいいのか?」

「もちろん。その代わり、ちゃんと社会で活躍してね。ニートにでもなったら化けて出るから」

彼女は不敵に笑った。

完璧なWin-Winの関係だと信じて疑わなかった。彼女は望み通り幕を下ろすことができ、僕は完全に合法的かつ正当な理由のもとで、生身の人間を殺害する感触を味わえる。万一犯人を殺せなかったとしても、彼女が用意してくれる極上の自死を最前列で鑑賞できるのだ。

どちらに転んでも、僕の退屈な世界は一変するはずだった。

僕も彼女と同じく、この先の平坦で安全な人生に心の底から飽き飽きしていたのだ。
だが、人を殺したり自殺を鑑賞できたりしたらどうだろうか? 最低な経験を奥に秘めながら、周囲には完璧な善人の仮面を貼り付けて有名なカウンセラーに成り上がる――その想像は、何物にも代えがたい甘美な毒となって僕を酔わせた。

誰にも暴かれない致命的な秘密を抱えて生きる日常は、どれほど刺激的で、痛快なものになるだろう。

しかし……それなのに、どうしたことだろうか。
いざ舞台が整うにつれ、僕はあんなに渇望していたはずの計画を、進めたくないと思い始めている。
僕は――彼女に、愛着を抱き始めてしまっていた。

空回り。巨大で、滑稽なまでの空回り。
今の彼女の状態を形容するなら、まさにその言葉に尽きる。

おそらく彼女はプライドが高く、それと同時に底なしの自己否定に苛まれているのだ。通り魔を正当防衛で殺害し、国に三千万円の利益をもたらして帳尻を合わせるという破滅的な大事業。何者にもなれない彼女が、人生の最後に世界へ筋を通すための、命がけの「物語」を必死に捏造しようとしている。
だが、そもそもの前提が狂っているのだから、すべては喜劇でしかない。彼女の父親が納めた税金の前では、彼女の背負う「負債」など最初から存在しないのだから。

でも、その空回りに僕は愛着を持っている。

「ねぇ、先輩。死ぬときはね、特大のビニール袋をすっぽり被って飛び降りようと思うんだよね」

ある時は、彼女は真顔でそんなことを言ったものだった。地面に叩きつけられた拍子に肉片が飛び散ったら清掃員のトラウマになるから、あらかじめ全身をゴミ袋で包んでおいて墜落するのだという。

「遺書の筆跡が丸文字だと死後まで舐められそう。でも、いかにも達筆すぎても畏まりすぎててダサいし……」

そう言って、わざわざ美文字練習帳を買ってきてボールペンで丁寧になぞり書きをしていたこともあった。

「飛び降りるときの服って、何がいいかな。やっぱり制服? それとも、お気に入りのワンピースのほうがいいと思う? でも、死に装束に気合を入れすぎてると思われるのも恥ずかしいし……」

画面に映る服をスクロールしながら、真剣な顔で相談してくる彼女。
どれもこれも悪趣味で、正気の沙汰ではない。それなのに、彼女とそんな下らない問答を交わしている時間が、僕は堪らなく楽しかったのだ。

僕のほうも、秘蔵の拷問史や凄惨な処刑器具の仕組みを嬉々として彼女に語って聞かせた。「そんな無駄に痛そうな死に方は絶対に嫌」と彼女が心底迷惑そうに顔をしかめるのを眺めるのは、楽しかった。

惨たらしい話や残酷な事件を知るたび、僕の脳裏には真っ先に彼女の顔が浮かぶようになっていた。

おそらく僕と彼女は、どこか似た者同士なのだ。社会を冷笑し、非日常に焦がれ、どうにかしてこの退屈な日常を脱出したいともがきながら、その出口を見出せないでいる。

『自殺なんてやめろ』

本当のことを言えば、僕は彼女にそう告げたくなっていた。けれど、同時に分かってしまうのだ。ここから先の人生に、彼女の息を吹き返すような幸福など待っていないことくらい。大人たちは競うように青春を賛美し、十代の「今」こそが人生の頂点なのだと無責任に歌い上げている。

青春が最高なら、いま何も持たない僕たちには、この先に何があるというのだろうか?

そして、「似ている」という事実は時に残酷だ。世間はよく「似た者同士が一番うまくいく」などと説くが、本当にそうだろうか。同じ欠落しか持ち合わせていない者同士では、「つらいね」「嫌だね」と傷を舐め合うことはできても、同じ空洞を抱えているがゆえに、相手が渇望する心の穴を埋めることは永遠にできない。

何より、彼女が口にした「四秒」という損得勘定の説得力を、僕は否定しきれない。これから何十年も続く緩慢な苦痛に耐え忍ぶくらいなら、たった四秒の激痛を耐えて幕を下ろすほうが、理にはかなっている。

そして――僕は、怖いのだ。

今、彼女と過ごすこの時間がこれほど愛おしく楽しいのは、そこに「終わり」という絶対の期限が定められているからではないか。桜が散り際の刹那にこそ息を呑む美しさを放つように。もしもあの花が年中咲き誇るプラスチックの造花だったなら、誰一人として足を止めはしないはずだ。

彼女の自殺を止め、この歪で特別な共犯関係が、世間によくある凡庸で退屈な青春の残骸へと成り下がってしまうことが、僕はどうしようもなく恐ろしい。

それならば――いっそ約束通り、僕の手で彼女を綺麗に終わらせてやるべきなのかもしれない。永遠に色あせない喪失と名残惜しさを抱いたまま、完璧な幕切れを迎えるために。僕たちの関係が、ありきたりなものに堕ちていくくらいなら。