私の彼女は怪異を連れて…………

 そんなふざけた対処法に対して小さい声でグチグチ言っていると、遮断機が上がり、私の活路である家への道がすぐそこへ見えた。
 希望を見ると、同時に恐怖も思い出してしまい、すでに悲鳴をあげているふくらはぎにまたしても思い負荷をかけてしまう。
「うきゃっ」
 運動不足が効いているようだった。
 すぐそこを曲がれば家なのに、遠い。
「もっ……うっ……うっ……もうっ……やだぁ……っ…………」
 その場にうずくまって顔をぬらしまくった。
 なんで私がこんな思いしなきゃダメなの……。
 突然鳴り響くプルルルル、という着信音が余計に私を小さくした。
「…………私……メリーさん……今……パン屋さんの前にいるの……(プツッツーツーツー)」
 パン屋さん……ちょっとかわいい。
 声、というよりも恐怖という概念を音にしたような声から発せられたものにしては可愛らしさを持った言葉にほんの若干癒されると、立ち上がって再び歩き出した。
 ここらへんでパン屋さんといえば踏み切りの向こうだ。それも学校にほど近い。
 まだ余裕がある。これまでの速度ならば、まだ三十分くらいは準備期間があるはず。
 それまでになんとしてでも家で引きこもる。そうすればメリーさんだって諦めてくれるだろう。
 道を曲がり、息を切らして走りながらカバンから家の鍵を取り出す。
「……はあっ……はあっ……」
 愛しの玄関の前で両手を地面につき、荒い息を落ち着かせながら鍵をすぐさせるように持ち替えた。
 緊張と疲労から来る荒い息を抑えて立ち上がり、玄関の鍵を開けたところで手が止まる。
 夏にしては珍しいような気がする強風にあおられ倒れそうになるくらい現実から乖離して思考をしていた。
 もしかして、この先に人形が立っている、などということはないか。
 思えば、応答してもいない電話が勝手に通じるなんて話はメリーさん云々で聞いたことがない。
 私の知識が足りていないだけかもしれないが、そんなオリジナリティを持っているメリーさんがまたしてもオリジナリティを発揮して私を先回りする、なんてことがあり得ないとも言い切れないのではないか。
「……でも……でもでもっ、入らなくちゃ……私の、安寧の地…………っ」
 目を閉じたまま勢いよく開いて、ゆっっっくりと目を開く。
 …………。
 …………。
 …………誰も、いなかった。
「はぁ〜……。よかったぁ…………」
 っと、まだ安心できないんだった……。
 急いで家の中に飛び込むと、すぐ鍵を閉めてドアロックまで掛ける。
 せめてマンションだったらご近所さんに頼れたかもしれないのに…………。というか、頼れる友達を一人くらい作っとくべきだった。
 偉い子ちゃんな私はこんな状況でも真っ先に手洗いうがいを済ませると、家中の窓という窓を全て閉め、我が愛しのベッドがある部屋にこもって鍵がかけられるドアというドアの鍵を閉める。
 そしてベッドに潜り込み、スマホを遠ざけて着信音が聞こえないようにすると現実逃避を始めた。

 メリーさんはどこかで迷っているのか、ただ現実逃避に心血を注ぎすぎて電話に気が付かなかったのか、次電話がかかってきたのは二十分ほど経ったあとのことだった。
 恐怖、さらに夏なのにベッドでこもったことなんかが原因の汗を拭いながら、現実逃避に二十分も時間をもらえたおかげで思考がいつの間にかほんわかしていたらしく普通にその電話に出てしまう。
「あたしメリーさん。あなたの家の前に……いるの(プツッツーツーツー)」
 メリーさん、もしかして私が電話に出ないから苛ついてる?
 あまりに切るのが早い電話に、そんな呑気なことを考える。
「って違う! もう……家の前に……!?」
 上半身を勢いよく起こすと、居ても立ってもいられずに部屋を出てしまった。
 そうだ……帰ってきたのがいつかは分からないけど、もう二十分は経っている、匍匐前進で来たってもうそろそろ着く頃合いだ。
 汗の内容物が一瞬で変化し、とりあえずそれを拭こうと洗面所に行ってタオルを取り出した。
 どうする……どうするっ……?
 汗を拭いながら家の前にいる災厄をいかに対処するかを考えた。
 いっそ居留守でもしてしまおうか……。
 そういえば、出入り口以外から逃げれば問題ないって書いてあったような……。
 でっでも、勝手口って出入り口判定……? 外に出れる窓は全部玄関から見えるような位置だし……。
 確か後ろにまわられても振り返らなければオーケーとも書いてあったはず。背中を壁に付ければ大丈夫とも……。
「やっ……やってやる……メリーさんを……諦めさせればいいんだ……」
 タオルをそこら辺にほかって玄関まで心を鼓舞しながら歩く。
 ゾクゾクとした恐怖の感情に呑まれないように、ゆっくり歩く。
 シンとした空気を掘り進めるように、ゆっくりとゆっくりと歩く。
 玄関にたどり着いたが、そこからドアまでの道さえも長い長い道のりに見えた。
 土間に乱雑に置かれたサンダルを履いてドアロックに手をかける。すりガラスの奥に人影はない。
 震えながらドアロックを外すのに要した時間が如何ほどか、鍵に手をかけた時点でもう分からなくなっていた。
 鍵を開ける。
 先には誰もいない。
 背中を壁につけることなんか忘れていた。

 プルルルル

「あたし……メリーさん……。今……あなたの後ろにいるの……」

 プツッ

 それは、私の意識が途絶えた音だった。
 メリーさんが後ろに立っていたかは、分からない。
 倒れる前に思い浮かべた景色は、表情(カオ)を見たことがないあの子の笑顔だった。