エスタリオン帝国の王城にて。
何時間も前から、
ある一室からは女性の苦しむ声が聞こえてくる。
使用人一同も、血で濡れた布を持っては清潔な布に取り替えて再びその一室へと入る。
それが長らく続いた後…。
正午ぴったりとなった時に、
ある一室からは元気な産声が響き渡った。
「おめでとうございます…!
王子殿下でございます…!!」
扉の先にいる産婆のその言葉により、
扉の先で待っていた国王と王妃は、
勢いよく扉を開けて駆けつける。
「本当か…!?」
「はい…!元気な男の子でございます。」
それを聞いて扉の先から、
喜びの声が聞こえてきたのを私は扉の前で感じていた。
そして、花束を持つ手が僅かに強くなった。
私の住んでいる国アスタリオン帝国では
長らくの間王子が生まれずにいた。
そして今、待望の王子が生まれたのだった。
しかも、その王子は
姉であるベリエッタと彼女の婚約者から生まれた子。
つまりいずれ王の座につくものとなるのだ。
私は、シェリル・アステリオン。
名前の通り、王国の王女である。
…けれど、私は十七年間王女としてではなく。
王子として生きていた。
少しめくれた纏っているローブを直していると。
「シェリル。」
後ろから声がして振り向いてみれば、
そこには一匹の小さな幻竜がいた。
伝説上の生き物とされている、
私の相棒的な存在であるファルであった。
ファルは私の方へと近づいてくると
咥えていた花束を私に渡す。
「ありがとう。」
白い花でまとめられている
花束を受け取ってから止まっていた足を動かし始める。
今日は、大切な日だから。
裏口から出てから、小さく愛らしい容姿だったファルが
巨大なドラゴンへと変わる。
「乗れ、シェリル。」
私はファルの背中に乗り込み落ちないように掴まる。
空の上へと上昇し、王城が小さく見えるくらいの
高さになればファルは翼を上下に動かし始めた。
ファルと一緒に王城を抜け出し向かうは静かな丘の上。
そこには一年前に亡くなった妹の墓があった。
アリアナ・アステリオン
そう墓には書いてあった。
私の双子の妹で、明るくて前向きな子だった。
けれど病弱で身体が弱くて
十六という若さでこの世を去ってしまった。
そして今日、アリアナが亡くなって一周忌を迎えた。
私は墓の前にしゃがみこみアリアナの墓に
そっと花束を添えた。
「久しぶりね。アリアナ。」
何も返事は来ないが、
生前の時のように話しかける。
「今日ね、驚くことがあったのよ。」
墓石に触れながら私は小さく笑った。
「あなたの一周忌に王子が生まれたの。」
国王である父も王妃である母も、臣下達も
王子の誕生を喜んでいる。
まるで、アリアナの存在を忘れているように。
「あなたが生きていたら、今日はどんな反応をしていたのかしら?」
きっとあなたは笑顔になり
『王子様が産まれたんですね!』と祝福してくれると思う。
胸がじんわりと痛んだ。
「…私、あなたの分まで頑張ってきたわ。」
十七年間、病弱なアリアナの分まで背負って
剣を学び、武道を学び王国を守る王子として振舞ってきた。
それは、王子がアステリオン帝国にいなかったから。
けれどもうーー。
「私は王子として生きなくていいわよね?」
その言葉は一体誰に言っているのか自分でも不明であった。
しかし、その言葉は自分の胸の中にしまい込んでいた何かが
静かに解け始めていた。
「また、来るわね。アリアナ。」
そう言って立ち上がり、踵を返して
墓場から去っていった。
◻︎────────◻︎
そしてファルの背中に揺られながらも
私は昔のことを思い出していた。
それはこの世界に生まれた日のこと。
私はこの世界に産まれる前
日本という国で住んでいた人間だった。
けれど私の人生は幸せとは言いずらかった。
家庭環境は崩壊しており、この家を出ていきたいという精神で中学校を卒業したあと就職して、アパートを借りれるくらいのお金を手に入れやっと自分の人生を生きられると思った矢先に私は交通事故で呆気なくこの世を去った。
それから目覚めてアステリオン帝国へと転生していた。
目を覚ましときには見知らぬ女性に抱いていたが
その女性は母親であった。
いや、正確に言えばこの世界での母親だが。
そして隣には父である国王がいた。
しかし、彼は私を抱っこするなりぽつりと言った。
「また、王女か。」
その言葉はこの世界で十七年生きている今でも覚えている。
母が目を伏せたのも。
そして妹であるアリアナが苦しげに咳き込んでいたことも。
私はそこで赤ちゃんながらも理解してしまった。
この人達は私たちを望んでいない。
本当は王子が欲しかったのだと。
しかし、父と母は王子ではなかったとしても
育児放棄したりはしなかった。
お腹が空けばミルクをくれたし、寝かしてくれていた。
私やアリアナが自分自身「私」と認識できるほど、
自我が芽生え始めるまで。
その後は、アリアナと共に王宮の本殿から離れた
離宮へと移された。
理由は分かっていた。
私たちは王子ではないから。
アリアナは、王子ではないかつ病弱ではない理由で
いないものとして扱われるようになった。
公の場にでることもない。
名前を呼ばれることも少ない。
王族の一員でありながらもその存在を隠されるように
生活していた。
しかし私は、王子ではないが健康であった。
そのせいで。
「あなたは、王子として生きてもらいます。」
それから始まる。朝早起きしてやることとなるのは
剣術の訓練。
何度も、剣を握り振って失敗する。
けれど休みなど与えてくれなかった。
剣術が終われば、次は武道、礼儀作法
乗馬、政治、歴史、王族としての教養。
そして、言葉遣い仕草なども。
座り方、歩き方、食事の仕方、笑い方全て
男として自然に見えるように教育された。
髪の毛も、切ったりせずに伸ばしていた。
けれど、それは女として美しくするためではない。
後ろで一つ束ねておけば男として見られるからだ。
そうして、私の中にあった「女の子らしさ」は
少しずつ消えていった。
周りからは「王子」と呼ばれるようになっていた。
最初は、女なのに…。そう思っていたが
何度も聞いていたせいか慣れてしまっていた。
けれど、そんな日常の中で
アリアナは私を王子とは呼ばずにお姉様と呼んで
隣にいてくれた。
「お姉様、お疲れでしょう?」
「…そうね。」
「お姉様が羨ましいです。」
「どうして?」
「私に持っていないものをお姉様は持ってますから。」
「そんな事ないわよ。」
汗をシャワーで流し、濡れた髪をタオルで拭きながら
アリアナの隣に座る。
「あなたには、私が持っていないものがある。」
「私が?」
「あなた、魔法を読むことができるでしょう?」
机の上を指させば、魔導書が置いてある。
アリアナは身体が弱くて、外に出たりすることができない分
魔導書を読んで分析したりするのが好きであった。
「今日は、遠隔魔法について分析してました。」
「あなたは、本当に魔法が好きね。」
「はい。いつかーー」
「世界中の魔法を見てみたいんです。」
「世界中の?」
「はい。この国の外には
きっと私が知らない魔法があります。」
「そうね。」
「でも、私は身体が弱くて行くことはできません。」
「その時は、私も一緒に着いていくわ。」
「本当ですか!?」
勢いよく立ち上がるアリアナ。
その目はとてもキラキラとしていたことをよく覚えている。
「本当に来てくれるんですか?」
「ええ。約束ね。」
小指をお互いに絡めて誓い合った。二人だけの約束。
「はい。約束です。」
私は、どれだけ雑に扱われても構わなかった。
私やアリアナに与えられるものが少なくとも
王城からいない扱いをされていたとしても
王子として厳しい教育を受けさせられていたとしても
アリアナとある日アリアナが召喚したドラゴンのファナが
いてくれれば私は幸せだった。
そう思っていたーー。
あの日までは。
いつものように剣術を磨いていた時であった。
「シェリル!」
慌ただしくファナがやってきた。
「どうしたの?」
「アリアナの容態が悪化した。」
「え?」
その言葉を聞いた瞬間、手にしていた剣を落とした。
庭に金属の音が響き渡る。
「どういうこと!?」
「患っていた風邪が悪化した。」
「…!!」
私は何も言わずに走り出した。
離宮までの距離は遠かった。
息が切れようが、足が痛くなろうが
そんなことはどうでもよかった。
「アリアナ…!!」
部屋に飛び込む。
ベッドには顔を真っ赤にしていたアリアナがいた。
「お姉様……?」
「アリアナ…!」
すぐさま駆け寄る。
額に触れれば、燃える炎のように熱く
呼吸も苦しそうであった。
「ねぇ、薬は!?」
近くにいた使用人に話しかけた。
「もう…ありません。」
使用人は静かに答えた。
「じゃあ、追加で配給してもらって…」
「それはできません。」
「なんで?」
「今月分の配給は済んでおります。」
「だから何!?アリアナがこんな状態なのに!!
薬を持ってきてよ!!」
私は怒りのあまり声を荒らげてしまった。
アリアナがこんな状態となっているのに…。
彼らは、何もしないというのが許せなかった。
「規定外の配給はできないと
国王陛下から言われております。」
「アリアナも王族なのよ!?」
「規定規定でございます。」
その言葉が私の胸に深く突き刺さった。
「くそっ…何なのよ…!!」
怒りで不穏を強く叩いた。
それをアリアナは横目で見る。
震えながらこちらへと手を伸ばしているのを見て
私はアリアナの手を握った。
「お姉様…」
「何…?」
「最後にお願いが…あります。」
「最後なんて言わないでよ…。」
「私、まだアリアナと一緒にいたいのに…っ」
弱々しく言った時自然と涙が零れる。
「一緒に約束したじゃない…っ。」
「はい…」
「覚えいますよ…お姉様…」
「だから…絶対にあなたを…」
「お姉様…」
アリアナは私の手を握る力を強めた。
絶対に聞いて欲しいというように。
「お願いがあります。」
「…何?」
「お姉様はお姉様らしく生きてください…」
「…え?」
「男の子として…生きなくていいんです。」
息をするのもやっとだというのに、アリアナは笑っていた。
「本来の姿で…生きてください。」
「そして笑ってください。」
「泣いてください。」
「怒ってもいいです。」
「そんなの…私にはできない。」
十六年間男として振舞っていたのに、今更女の子として生きていくなんて無理だ。
けれど、アリアナは首をゆっくりと横に振る。
「お姉様ならきっとできます…。」
そしてアリアナはいつも見せてくれた
円満の笑みで口にした。
「もう…国のために自分を犠牲にしなくていいんです。」
そうして私の手をゆっくりと握る。
アリアナの手から光の粒子が現れ始める。
「引き継ぎ」
そう呪文をアリアナが口にしたあと
私の頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。
魔法理論、魔術式、呪文、古代魔法、召喚魔法、精霊魔法、
アリアナが全て習得してきた魔法知識だった。
「…っ!」
頭の中が、魔法知識で覆い尽くされる。
「それを…使ってくださいね…」
「アリアナ…」
声が小さくなっているのを感じて
私は必死に手を握り返した。
「お姉様…大好きです…」
「私も…」
「私も大好きだよ…っアリアナ…」
それから、アリアナの手の力が抜けていく。
何度も、彼女のことを呼んだけれど返答はなく。
その日、私の大切な家族であったアリアナが
この世界から消えてしまった。
私の中にはーー。
アリアナの最後の願いと彼女が生きた証である、
膨大な魔法知識のみ。
私は初めて、王子としてではなく
王女シェリルとして泣いていた。
◻︎────────◻︎
アリアナの葬儀はひっそりと執り行われた。
参列していたのは私とファル、数人の使用人だけ。
国王である父や、王妃である母は
ベリエッタの婚約祝いをしているのだとかで
誰一人、アリアナの葬儀に姿は見せなかった。
私一人、アリアナの眠る棺の前へと出る。
「アリアナ…」
最後に、私は一輪の白い花を棺の上へと置いた。
「約束するから。」
あなたが残した魔法知識と願いを
絶対に捨てたりはしない。
「私は私らしく生きていくからね。」
その言葉を強く心に刻んだ。
そして一年間私は、誰にも知られないように
密かに魔法を磨き始めた。
昼間は今まで通りに王子として振る舞う。
けれど、夜になればアリアナから受け継がれた
魔法知識を紐解いていた。
「…これはこういう理論になるのね。」
今までは、全く理解できなかったものが
理解できていく。
アリアナが十六年間かけて集めた知識で。
魔法陣を描き、覚えた詠唱を唱え魔力を調整し
魔法を習得していく。
それは、国王たちに刃を向けるためではない
力を得たいだけでもない。
ただ、アリアナが叶えて欲しいという願いを叶えるため。
いつか、世界中を回って魔法を知りたい。
そう願っていた妹のために。
また、自分自身を強くさせるために。
それから一年という年月が経ってから。
私の知らないところで王城には大きな変化があった。
姉であるベリエッタは、婚約者と結婚をし祝福されてから
子を一人身ごもった。
けれど、私は生まれる直前まで知らされることはなかった。
そしてアリアナの一周忌が訪れる頃
私は密かに荷物をまとめていた。
いつまでも離宮にはいるつもりはないと考えていた。
アリアナが残してくれた魔導書。
旅に必要な衣服、少しばかりの金貨。
必要最低限のものを魔法で作った鞄の中に詰めていく。
「これで、いつでも出ていける。」
あの日以来既に決めていた。
私は、王城を出る。
王子として生きていくことも偽りの自分として生きていくことも全部終わりにする。
そして私らしく生きていくことにする。
そのために、ここを出て遠く地へと旅に出る。
そう誓った時だった。
「フェンリル様。」
「……。」
使用人が一人部屋に入ってきた。
「国王陛下がお呼びでございます。」
「私を?」
「はい。すぐに起こしいただきたいとのことです。」
「……。」
今まで会うこともなかったというのに
いまさら呼び出すとはなんなのか。
離宮を離れて王城へと入り
国王のいる執務室へと行く。
「来たか、フェンリル。」
「お呼びと聞きました。」
私はいつものように王子として振舞っていた。
「お前に伝えておくことがある。」
「なんでしょう。」
「ベリエッタが身ごもった。」
「……。」
一瞬時が止まったかのように感じた。
「姉上が?」
「ああ。」
「子供は来年の春頃に産まれる予定だ。」
「……春。」
「何か言いたいことでもあるのか?」
「いいえ。何も。」
そう言ってから、執務室を立ち去ったけれど
心の中に
思い浮かんだのは、アリアナの一周忌の日であった。
実はずっと願っていた。
どうかアリアナの命日と重なりませんように。
アリアナが亡くなった日に新しい命が生まれてくるなんて。
そんなことにはならないで欲しい。
そう願っていた。
なのにどうして。
春を迎えてーー。
アリアナの命日の日の朝慌ただしい様子である使用人達と
正午を迎えた時に聞こえてきた産声で察した。
今、どうしてアリアナの命日と同じ日なの。
もちろん、生まれてくる子供になんの罪もない。
そんなことは十分わかっている。
ただ。アリアナが死んだ日が新しい命の誕生の日に
塗り替えられていくような…。
産声を聞いた時に感じた。
◻︎────────◻︎
アリアナのお墓参りから帰ってきたあと。
私は侍女に呼び出された。
「フェンリル様、王子殿下とご面会してください。」
「……。」
姉の部屋へと向かい、扉を開ける。
そこに居たのはベリエッタのその夫。
そしてベリエッタの腕の中には
白いお包みの中で眠る赤ん坊。
私にとって、初めての甥になる。
「抱いてみる?」
ベリエッタに言われる渋々頷いたあと
ベリエッタから引き渡され静かにその子を抱き上げた。
小さくて温かい。
この子がこの国で望んでいた存在。
そしてーー。
もう、私が王子でいさせる必要をなくなった存在。
赤ん坊は私の腕の中で身動ぎする。
(どうか…強く生きてね。)
あなたには、どうか私と同じ重りを背負わないで。
あなたはあなた自身の人生を歩んで欲しい。
そう願ってから、ベリエッタに引き渡してから。
「失礼します。」
私は去っていった。
これで私の役目は終わった。
近いうちに私は王子である自分を終わらせて
ここから出ていこうと決めていた。
しかし。その日の夕方。
使用人がやってきては、国王から話があり玉座の間に来るよう言われた。
私は礼服を身に纏う。
机に置いてあった短剣を見て念の為
ポケットの中に入れておく。
そして使用人に案内されて玉座の間へと向かった。
重厚な扉が開く。
「フェンリル参りました。」
玉座の間には国王と王妃、
姉であるベリエッタ。
ベリエッタの腕の中には王子がいた。
隣には婚約者ーー今では夫である人が隣に立っていた。
「来たか。フェンリル。」
「…はい。」
「お前も分かっていると思うがーー。」
「ベリエッタが王子を産んだ。」
ベリエッタの方へと視線を向けた。
スヤスヤと眠っている。
この子がいずれ国王の座につくもの。
つまりーー。私は国王が
何を言おうしとているのか分かった。
「だからフェンリル。」
「お前はもう王子として生きなくていい。」
その言葉を聞いた瞬間胸の奥で何かが凍りつく。
「…今さら」
「今さら王女として生きていけというのですか。」
「そうだ。」
「十七年間、私はフェンリルとして生きていきました。」
「それは必要なことだった。」
あまりにも簡単に言い返された。
剣を無理やり握らせたことも、男としての言葉遣い、仕草
なども全て必要だったことというのか。目の前にいる人は。
「では、これから私はどうすればいいのですか?」
「フェンリルは既に亡くなってしまっていることにする。」
「……。」
「お前は、フェンリルの妹シェリルだ。」
「妹…はっ。」
思わず乾いた笑みが零れてしまう。
十七年間、フェンリルとして生きてきたというのに
今更その存在をなかったことにするのか。
「そして、シェリル
お前には縁談も組ませてもらう。」
「縁談?」
「そうだ。」
国王は当然かのように言う。
「安心しろ。お前にぴったりな相手を選んでおく。」
「私には拒否権はないのですね。」
そう言いながら国王を見つめる。
「少しは我慢をしろ。」
そして、ベリエッタも口を挟む。
「そうよ。あなたは我慢できていたでしょう?
それくらい我慢しなさい。」
その瞬間、胸の奥で何かがプツンと切れる音がした。
少し、我慢しろだと?
私が今までずっと耐えてきていたこと
アリアナが苦しんでいた時規定外だと言われ断れたこと
そのせいで最愛の妹が死んでしまったこと。
どれも辛く苦しいことなのに。
この人達にとっては「少し」なのか。
「……そうですか。」
私はゆっくりと礼服のポケットにある短剣を取り出す。
「ならばーーお断りします。」
「何だと?」
「お聞きになりませんでしたか?」
「お断りします。と言ったのです。」
「私は、あなた方に決められた人生を生きるつもりは
ありません。」
「フェンリル、何を考えている。」
「その名前は、もうここで捨てます。」
右手で短剣を持ちながらも
左手は男として伸ばしていた髪を掴んだ。
「何をするつもりだ!!」
周りが騒がしくなっているのを無視し
私は男として伸ばしていた髪をーー。
ジャキッ!!
バッサリと切った。
長かった髪が今は、肩につくくらいの長さになった。
王子として生きるために伸ばしてきていた長い髪を
私はしばらく見つめてから手放す。
パサッと音がした後床に落ちた。
「これで…フェンリルは死にました。」
驚いて皆、私の方を見る。
私は一歩、前へと進む。
「私の未来は私が選びます。」
「今までありがとうございました。」
深く頭を下げてから私は踵を返して
玉座の間を去っていった。
「待て!!シェリル!!」
背後から国王の怒声が聞こえてきた。
「誰が、お前をここまで育てたと思っている!!!」
育てたというよりも放置していたの間違いだと思うが、
私は振り返らずに歩みを進めた。
すると、国王の怒声に驚いたのだろう。
「ふぇ…」
小さな声が聞こえた。
ベリエッタの腕の中にいた王子が、身を震わせ
涙を浮かべ始める。
「ふぇ…うわぁぁぁん!!」
玉座の間が泣き声が響き渡った。
「よしよし…怖くないわよ…」
ベリエッタはあやしたものの王子は泣き止まなかった。
「うわぁぁぁん!!」
その泣き声だけが背中越しに聞こえていた。
まだ何も知らない王子。
ただ驚いて泣いているだけの赤ん坊の王子。
どうかーー。
あの子だけは私のような生き方をしなくて済みませんように。それだけが心残りであった。
玉座の間から出ていってから私は全力疾走した。
礼服のズボンがまとわりつく。
それでもひたすら自分の部屋を目指した。
後ろでは待ってくださいという言葉が聞こえたが
私は振り返ることはなかった。
私は自分の部屋へとついたあと
急いで中へと入り鍵をかけた。
荒い息を整えた後、部屋の奥からファルがやってくる。
「シェリル…?髪を切ったのか!?」
「ええ。」
長かった髪は既になく肩までしか長さがない。
ファルはしばらく私を見つめていたけれどやがて
ふっと笑う。
「似合っている。」
「…ありがとう。」
私は小さく笑い返したあと、身にまとっていた礼服を高速で脱ぎ捨ててクローゼットの中にしまっておいた、動きやすい衣服に着替えてからブーツを履く。
そして、クローゼットに収納しておいたローブを
魔法を使って呼び寄せて羽織る。
これで準備は完了だ。
その時だった。
ドン!ドン!と扉を強く叩く音がした。
「シェリル様!!扉を開けてください!!」
「国王陛下の命令です!!開けてください!!」
ファルが私に視線を向ける。
「どうする、正面から出れないぞ。」
「窓から出ましょ。」
「そうだな。」
あらゆるものを詰め込んでおいた鞄を手に取り、
私は窓を開けた。冷たい風が入ってくる。
下を見てみると案の定、兵士たちが構えていた。
「シェリル様を捕まえろ!!」
「はっ!!」
「やっぱり。」
国王は私を逃がすつもりはないらしい。
外の世界へ行き、私が言いふらすことを恐れて。
誰がそんなことするか。
王族として地位はここで捨てるというのに。
「ファル」
「任せろ。」
そう言ってファルは身を乗り出して兵士たちに炎を吹いた。
ゴォォォ!!
「熱ッ!!」
「何だこれは!!」
兵士たちは炎に当たり、慌てて後退する。
「今だ!シェリル!」
「分かった。」
私は窓枠に足をかけて、外へと飛び出す。
その瞬間、ファルの身体は光に包み込まれ
やがて巨大な翼が広がり、長い首と尾が現れる。
その姿はどこからどう見ても幻竜である。
「乗れ!」
私はファルの背中に
飛び乗り落ちないようにしっかりと鱗を掴む。
次の瞬間、ファルは翼を広げて大きく羽ばたく。
風が巻き起こり、ファルは空へと上昇していく。
「シェリル様!!」
下から、兵士たちの声が聞こえてくる。
そして王城を眺める。
十七年間過ごしてきた場所。
地獄のような場所でもあり
アリアナの過ごした場所でもある。
辛く苦しい時もあったけれど、それでも
大切な思い出があそこには残っている。
その場所へと私は告げた。
「…さようなら。」
私は前を向いて、ファルの背中へと
しっかりとしがみついた。
「行こう。ファル。」
「ああ!」
ファルは動き始めた。
王城は少しずつ小さくなっていく。
やがて見えなくなっていった時、
これからは、決められた人生を生きていたフェンリルとしてではなく誰からも縛られず決められずに
自分の力で未来をを選び、生きていく
シェリルとして生きていく。
こうして私は、王城を出ていき
まだ知らない場所へと旅立って行った。
死ぬ前に、託された願いを受け継いで
絶対に叶えてみせるのだから。
何時間も前から、
ある一室からは女性の苦しむ声が聞こえてくる。
使用人一同も、血で濡れた布を持っては清潔な布に取り替えて再びその一室へと入る。
それが長らく続いた後…。
正午ぴったりとなった時に、
ある一室からは元気な産声が響き渡った。
「おめでとうございます…!
王子殿下でございます…!!」
扉の先にいる産婆のその言葉により、
扉の先で待っていた国王と王妃は、
勢いよく扉を開けて駆けつける。
「本当か…!?」
「はい…!元気な男の子でございます。」
それを聞いて扉の先から、
喜びの声が聞こえてきたのを私は扉の前で感じていた。
そして、花束を持つ手が僅かに強くなった。
私の住んでいる国アスタリオン帝国では
長らくの間王子が生まれずにいた。
そして今、待望の王子が生まれたのだった。
しかも、その王子は
姉であるベリエッタと彼女の婚約者から生まれた子。
つまりいずれ王の座につくものとなるのだ。
私は、シェリル・アステリオン。
名前の通り、王国の王女である。
…けれど、私は十七年間王女としてではなく。
王子として生きていた。
少しめくれた纏っているローブを直していると。
「シェリル。」
後ろから声がして振り向いてみれば、
そこには一匹の小さな幻竜がいた。
伝説上の生き物とされている、
私の相棒的な存在であるファルであった。
ファルは私の方へと近づいてくると
咥えていた花束を私に渡す。
「ありがとう。」
白い花でまとめられている
花束を受け取ってから止まっていた足を動かし始める。
今日は、大切な日だから。
裏口から出てから、小さく愛らしい容姿だったファルが
巨大なドラゴンへと変わる。
「乗れ、シェリル。」
私はファルの背中に乗り込み落ちないように掴まる。
空の上へと上昇し、王城が小さく見えるくらいの
高さになればファルは翼を上下に動かし始めた。
ファルと一緒に王城を抜け出し向かうは静かな丘の上。
そこには一年前に亡くなった妹の墓があった。
アリアナ・アステリオン
そう墓には書いてあった。
私の双子の妹で、明るくて前向きな子だった。
けれど病弱で身体が弱くて
十六という若さでこの世を去ってしまった。
そして今日、アリアナが亡くなって一周忌を迎えた。
私は墓の前にしゃがみこみアリアナの墓に
そっと花束を添えた。
「久しぶりね。アリアナ。」
何も返事は来ないが、
生前の時のように話しかける。
「今日ね、驚くことがあったのよ。」
墓石に触れながら私は小さく笑った。
「あなたの一周忌に王子が生まれたの。」
国王である父も王妃である母も、臣下達も
王子の誕生を喜んでいる。
まるで、アリアナの存在を忘れているように。
「あなたが生きていたら、今日はどんな反応をしていたのかしら?」
きっとあなたは笑顔になり
『王子様が産まれたんですね!』と祝福してくれると思う。
胸がじんわりと痛んだ。
「…私、あなたの分まで頑張ってきたわ。」
十七年間、病弱なアリアナの分まで背負って
剣を学び、武道を学び王国を守る王子として振舞ってきた。
それは、王子がアステリオン帝国にいなかったから。
けれどもうーー。
「私は王子として生きなくていいわよね?」
その言葉は一体誰に言っているのか自分でも不明であった。
しかし、その言葉は自分の胸の中にしまい込んでいた何かが
静かに解け始めていた。
「また、来るわね。アリアナ。」
そう言って立ち上がり、踵を返して
墓場から去っていった。
◻︎────────◻︎
そしてファルの背中に揺られながらも
私は昔のことを思い出していた。
それはこの世界に生まれた日のこと。
私はこの世界に産まれる前
日本という国で住んでいた人間だった。
けれど私の人生は幸せとは言いずらかった。
家庭環境は崩壊しており、この家を出ていきたいという精神で中学校を卒業したあと就職して、アパートを借りれるくらいのお金を手に入れやっと自分の人生を生きられると思った矢先に私は交通事故で呆気なくこの世を去った。
それから目覚めてアステリオン帝国へと転生していた。
目を覚ましときには見知らぬ女性に抱いていたが
その女性は母親であった。
いや、正確に言えばこの世界での母親だが。
そして隣には父である国王がいた。
しかし、彼は私を抱っこするなりぽつりと言った。
「また、王女か。」
その言葉はこの世界で十七年生きている今でも覚えている。
母が目を伏せたのも。
そして妹であるアリアナが苦しげに咳き込んでいたことも。
私はそこで赤ちゃんながらも理解してしまった。
この人達は私たちを望んでいない。
本当は王子が欲しかったのだと。
しかし、父と母は王子ではなかったとしても
育児放棄したりはしなかった。
お腹が空けばミルクをくれたし、寝かしてくれていた。
私やアリアナが自分自身「私」と認識できるほど、
自我が芽生え始めるまで。
その後は、アリアナと共に王宮の本殿から離れた
離宮へと移された。
理由は分かっていた。
私たちは王子ではないから。
アリアナは、王子ではないかつ病弱ではない理由で
いないものとして扱われるようになった。
公の場にでることもない。
名前を呼ばれることも少ない。
王族の一員でありながらもその存在を隠されるように
生活していた。
しかし私は、王子ではないが健康であった。
そのせいで。
「あなたは、王子として生きてもらいます。」
それから始まる。朝早起きしてやることとなるのは
剣術の訓練。
何度も、剣を握り振って失敗する。
けれど休みなど与えてくれなかった。
剣術が終われば、次は武道、礼儀作法
乗馬、政治、歴史、王族としての教養。
そして、言葉遣い仕草なども。
座り方、歩き方、食事の仕方、笑い方全て
男として自然に見えるように教育された。
髪の毛も、切ったりせずに伸ばしていた。
けれど、それは女として美しくするためではない。
後ろで一つ束ねておけば男として見られるからだ。
そうして、私の中にあった「女の子らしさ」は
少しずつ消えていった。
周りからは「王子」と呼ばれるようになっていた。
最初は、女なのに…。そう思っていたが
何度も聞いていたせいか慣れてしまっていた。
けれど、そんな日常の中で
アリアナは私を王子とは呼ばずにお姉様と呼んで
隣にいてくれた。
「お姉様、お疲れでしょう?」
「…そうね。」
「お姉様が羨ましいです。」
「どうして?」
「私に持っていないものをお姉様は持ってますから。」
「そんな事ないわよ。」
汗をシャワーで流し、濡れた髪をタオルで拭きながら
アリアナの隣に座る。
「あなたには、私が持っていないものがある。」
「私が?」
「あなた、魔法を読むことができるでしょう?」
机の上を指させば、魔導書が置いてある。
アリアナは身体が弱くて、外に出たりすることができない分
魔導書を読んで分析したりするのが好きであった。
「今日は、遠隔魔法について分析してました。」
「あなたは、本当に魔法が好きね。」
「はい。いつかーー」
「世界中の魔法を見てみたいんです。」
「世界中の?」
「はい。この国の外には
きっと私が知らない魔法があります。」
「そうね。」
「でも、私は身体が弱くて行くことはできません。」
「その時は、私も一緒に着いていくわ。」
「本当ですか!?」
勢いよく立ち上がるアリアナ。
その目はとてもキラキラとしていたことをよく覚えている。
「本当に来てくれるんですか?」
「ええ。約束ね。」
小指をお互いに絡めて誓い合った。二人だけの約束。
「はい。約束です。」
私は、どれだけ雑に扱われても構わなかった。
私やアリアナに与えられるものが少なくとも
王城からいない扱いをされていたとしても
王子として厳しい教育を受けさせられていたとしても
アリアナとある日アリアナが召喚したドラゴンのファナが
いてくれれば私は幸せだった。
そう思っていたーー。
あの日までは。
いつものように剣術を磨いていた時であった。
「シェリル!」
慌ただしくファナがやってきた。
「どうしたの?」
「アリアナの容態が悪化した。」
「え?」
その言葉を聞いた瞬間、手にしていた剣を落とした。
庭に金属の音が響き渡る。
「どういうこと!?」
「患っていた風邪が悪化した。」
「…!!」
私は何も言わずに走り出した。
離宮までの距離は遠かった。
息が切れようが、足が痛くなろうが
そんなことはどうでもよかった。
「アリアナ…!!」
部屋に飛び込む。
ベッドには顔を真っ赤にしていたアリアナがいた。
「お姉様……?」
「アリアナ…!」
すぐさま駆け寄る。
額に触れれば、燃える炎のように熱く
呼吸も苦しそうであった。
「ねぇ、薬は!?」
近くにいた使用人に話しかけた。
「もう…ありません。」
使用人は静かに答えた。
「じゃあ、追加で配給してもらって…」
「それはできません。」
「なんで?」
「今月分の配給は済んでおります。」
「だから何!?アリアナがこんな状態なのに!!
薬を持ってきてよ!!」
私は怒りのあまり声を荒らげてしまった。
アリアナがこんな状態となっているのに…。
彼らは、何もしないというのが許せなかった。
「規定外の配給はできないと
国王陛下から言われております。」
「アリアナも王族なのよ!?」
「規定規定でございます。」
その言葉が私の胸に深く突き刺さった。
「くそっ…何なのよ…!!」
怒りで不穏を強く叩いた。
それをアリアナは横目で見る。
震えながらこちらへと手を伸ばしているのを見て
私はアリアナの手を握った。
「お姉様…」
「何…?」
「最後にお願いが…あります。」
「最後なんて言わないでよ…。」
「私、まだアリアナと一緒にいたいのに…っ」
弱々しく言った時自然と涙が零れる。
「一緒に約束したじゃない…っ。」
「はい…」
「覚えいますよ…お姉様…」
「だから…絶対にあなたを…」
「お姉様…」
アリアナは私の手を握る力を強めた。
絶対に聞いて欲しいというように。
「お願いがあります。」
「…何?」
「お姉様はお姉様らしく生きてください…」
「…え?」
「男の子として…生きなくていいんです。」
息をするのもやっとだというのに、アリアナは笑っていた。
「本来の姿で…生きてください。」
「そして笑ってください。」
「泣いてください。」
「怒ってもいいです。」
「そんなの…私にはできない。」
十六年間男として振舞っていたのに、今更女の子として生きていくなんて無理だ。
けれど、アリアナは首をゆっくりと横に振る。
「お姉様ならきっとできます…。」
そしてアリアナはいつも見せてくれた
円満の笑みで口にした。
「もう…国のために自分を犠牲にしなくていいんです。」
そうして私の手をゆっくりと握る。
アリアナの手から光の粒子が現れ始める。
「引き継ぎ」
そう呪文をアリアナが口にしたあと
私の頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。
魔法理論、魔術式、呪文、古代魔法、召喚魔法、精霊魔法、
アリアナが全て習得してきた魔法知識だった。
「…っ!」
頭の中が、魔法知識で覆い尽くされる。
「それを…使ってくださいね…」
「アリアナ…」
声が小さくなっているのを感じて
私は必死に手を握り返した。
「お姉様…大好きです…」
「私も…」
「私も大好きだよ…っアリアナ…」
それから、アリアナの手の力が抜けていく。
何度も、彼女のことを呼んだけれど返答はなく。
その日、私の大切な家族であったアリアナが
この世界から消えてしまった。
私の中にはーー。
アリアナの最後の願いと彼女が生きた証である、
膨大な魔法知識のみ。
私は初めて、王子としてではなく
王女シェリルとして泣いていた。
◻︎────────◻︎
アリアナの葬儀はひっそりと執り行われた。
参列していたのは私とファル、数人の使用人だけ。
国王である父や、王妃である母は
ベリエッタの婚約祝いをしているのだとかで
誰一人、アリアナの葬儀に姿は見せなかった。
私一人、アリアナの眠る棺の前へと出る。
「アリアナ…」
最後に、私は一輪の白い花を棺の上へと置いた。
「約束するから。」
あなたが残した魔法知識と願いを
絶対に捨てたりはしない。
「私は私らしく生きていくからね。」
その言葉を強く心に刻んだ。
そして一年間私は、誰にも知られないように
密かに魔法を磨き始めた。
昼間は今まで通りに王子として振る舞う。
けれど、夜になればアリアナから受け継がれた
魔法知識を紐解いていた。
「…これはこういう理論になるのね。」
今までは、全く理解できなかったものが
理解できていく。
アリアナが十六年間かけて集めた知識で。
魔法陣を描き、覚えた詠唱を唱え魔力を調整し
魔法を習得していく。
それは、国王たちに刃を向けるためではない
力を得たいだけでもない。
ただ、アリアナが叶えて欲しいという願いを叶えるため。
いつか、世界中を回って魔法を知りたい。
そう願っていた妹のために。
また、自分自身を強くさせるために。
それから一年という年月が経ってから。
私の知らないところで王城には大きな変化があった。
姉であるベリエッタは、婚約者と結婚をし祝福されてから
子を一人身ごもった。
けれど、私は生まれる直前まで知らされることはなかった。
そしてアリアナの一周忌が訪れる頃
私は密かに荷物をまとめていた。
いつまでも離宮にはいるつもりはないと考えていた。
アリアナが残してくれた魔導書。
旅に必要な衣服、少しばかりの金貨。
必要最低限のものを魔法で作った鞄の中に詰めていく。
「これで、いつでも出ていける。」
あの日以来既に決めていた。
私は、王城を出る。
王子として生きていくことも偽りの自分として生きていくことも全部終わりにする。
そして私らしく生きていくことにする。
そのために、ここを出て遠く地へと旅に出る。
そう誓った時だった。
「フェンリル様。」
「……。」
使用人が一人部屋に入ってきた。
「国王陛下がお呼びでございます。」
「私を?」
「はい。すぐに起こしいただきたいとのことです。」
「……。」
今まで会うこともなかったというのに
いまさら呼び出すとはなんなのか。
離宮を離れて王城へと入り
国王のいる執務室へと行く。
「来たか、フェンリル。」
「お呼びと聞きました。」
私はいつものように王子として振舞っていた。
「お前に伝えておくことがある。」
「なんでしょう。」
「ベリエッタが身ごもった。」
「……。」
一瞬時が止まったかのように感じた。
「姉上が?」
「ああ。」
「子供は来年の春頃に産まれる予定だ。」
「……春。」
「何か言いたいことでもあるのか?」
「いいえ。何も。」
そう言ってから、執務室を立ち去ったけれど
心の中に
思い浮かんだのは、アリアナの一周忌の日であった。
実はずっと願っていた。
どうかアリアナの命日と重なりませんように。
アリアナが亡くなった日に新しい命が生まれてくるなんて。
そんなことにはならないで欲しい。
そう願っていた。
なのにどうして。
春を迎えてーー。
アリアナの命日の日の朝慌ただしい様子である使用人達と
正午を迎えた時に聞こえてきた産声で察した。
今、どうしてアリアナの命日と同じ日なの。
もちろん、生まれてくる子供になんの罪もない。
そんなことは十分わかっている。
ただ。アリアナが死んだ日が新しい命の誕生の日に
塗り替えられていくような…。
産声を聞いた時に感じた。
◻︎────────◻︎
アリアナのお墓参りから帰ってきたあと。
私は侍女に呼び出された。
「フェンリル様、王子殿下とご面会してください。」
「……。」
姉の部屋へと向かい、扉を開ける。
そこに居たのはベリエッタのその夫。
そしてベリエッタの腕の中には
白いお包みの中で眠る赤ん坊。
私にとって、初めての甥になる。
「抱いてみる?」
ベリエッタに言われる渋々頷いたあと
ベリエッタから引き渡され静かにその子を抱き上げた。
小さくて温かい。
この子がこの国で望んでいた存在。
そしてーー。
もう、私が王子でいさせる必要をなくなった存在。
赤ん坊は私の腕の中で身動ぎする。
(どうか…強く生きてね。)
あなたには、どうか私と同じ重りを背負わないで。
あなたはあなた自身の人生を歩んで欲しい。
そう願ってから、ベリエッタに引き渡してから。
「失礼します。」
私は去っていった。
これで私の役目は終わった。
近いうちに私は王子である自分を終わらせて
ここから出ていこうと決めていた。
しかし。その日の夕方。
使用人がやってきては、国王から話があり玉座の間に来るよう言われた。
私は礼服を身に纏う。
机に置いてあった短剣を見て念の為
ポケットの中に入れておく。
そして使用人に案内されて玉座の間へと向かった。
重厚な扉が開く。
「フェンリル参りました。」
玉座の間には国王と王妃、
姉であるベリエッタ。
ベリエッタの腕の中には王子がいた。
隣には婚約者ーー今では夫である人が隣に立っていた。
「来たか。フェンリル。」
「…はい。」
「お前も分かっていると思うがーー。」
「ベリエッタが王子を産んだ。」
ベリエッタの方へと視線を向けた。
スヤスヤと眠っている。
この子がいずれ国王の座につくもの。
つまりーー。私は国王が
何を言おうしとているのか分かった。
「だからフェンリル。」
「お前はもう王子として生きなくていい。」
その言葉を聞いた瞬間胸の奥で何かが凍りつく。
「…今さら」
「今さら王女として生きていけというのですか。」
「そうだ。」
「十七年間、私はフェンリルとして生きていきました。」
「それは必要なことだった。」
あまりにも簡単に言い返された。
剣を無理やり握らせたことも、男としての言葉遣い、仕草
なども全て必要だったことというのか。目の前にいる人は。
「では、これから私はどうすればいいのですか?」
「フェンリルは既に亡くなってしまっていることにする。」
「……。」
「お前は、フェンリルの妹シェリルだ。」
「妹…はっ。」
思わず乾いた笑みが零れてしまう。
十七年間、フェンリルとして生きてきたというのに
今更その存在をなかったことにするのか。
「そして、シェリル
お前には縁談も組ませてもらう。」
「縁談?」
「そうだ。」
国王は当然かのように言う。
「安心しろ。お前にぴったりな相手を選んでおく。」
「私には拒否権はないのですね。」
そう言いながら国王を見つめる。
「少しは我慢をしろ。」
そして、ベリエッタも口を挟む。
「そうよ。あなたは我慢できていたでしょう?
それくらい我慢しなさい。」
その瞬間、胸の奥で何かがプツンと切れる音がした。
少し、我慢しろだと?
私が今までずっと耐えてきていたこと
アリアナが苦しんでいた時規定外だと言われ断れたこと
そのせいで最愛の妹が死んでしまったこと。
どれも辛く苦しいことなのに。
この人達にとっては「少し」なのか。
「……そうですか。」
私はゆっくりと礼服のポケットにある短剣を取り出す。
「ならばーーお断りします。」
「何だと?」
「お聞きになりませんでしたか?」
「お断りします。と言ったのです。」
「私は、あなた方に決められた人生を生きるつもりは
ありません。」
「フェンリル、何を考えている。」
「その名前は、もうここで捨てます。」
右手で短剣を持ちながらも
左手は男として伸ばしていた髪を掴んだ。
「何をするつもりだ!!」
周りが騒がしくなっているのを無視し
私は男として伸ばしていた髪をーー。
ジャキッ!!
バッサリと切った。
長かった髪が今は、肩につくくらいの長さになった。
王子として生きるために伸ばしてきていた長い髪を
私はしばらく見つめてから手放す。
パサッと音がした後床に落ちた。
「これで…フェンリルは死にました。」
驚いて皆、私の方を見る。
私は一歩、前へと進む。
「私の未来は私が選びます。」
「今までありがとうございました。」
深く頭を下げてから私は踵を返して
玉座の間を去っていった。
「待て!!シェリル!!」
背後から国王の怒声が聞こえてきた。
「誰が、お前をここまで育てたと思っている!!!」
育てたというよりも放置していたの間違いだと思うが、
私は振り返らずに歩みを進めた。
すると、国王の怒声に驚いたのだろう。
「ふぇ…」
小さな声が聞こえた。
ベリエッタの腕の中にいた王子が、身を震わせ
涙を浮かべ始める。
「ふぇ…うわぁぁぁん!!」
玉座の間が泣き声が響き渡った。
「よしよし…怖くないわよ…」
ベリエッタはあやしたものの王子は泣き止まなかった。
「うわぁぁぁん!!」
その泣き声だけが背中越しに聞こえていた。
まだ何も知らない王子。
ただ驚いて泣いているだけの赤ん坊の王子。
どうかーー。
あの子だけは私のような生き方をしなくて済みませんように。それだけが心残りであった。
玉座の間から出ていってから私は全力疾走した。
礼服のズボンがまとわりつく。
それでもひたすら自分の部屋を目指した。
後ろでは待ってくださいという言葉が聞こえたが
私は振り返ることはなかった。
私は自分の部屋へとついたあと
急いで中へと入り鍵をかけた。
荒い息を整えた後、部屋の奥からファルがやってくる。
「シェリル…?髪を切ったのか!?」
「ええ。」
長かった髪は既になく肩までしか長さがない。
ファルはしばらく私を見つめていたけれどやがて
ふっと笑う。
「似合っている。」
「…ありがとう。」
私は小さく笑い返したあと、身にまとっていた礼服を高速で脱ぎ捨ててクローゼットの中にしまっておいた、動きやすい衣服に着替えてからブーツを履く。
そして、クローゼットに収納しておいたローブを
魔法を使って呼び寄せて羽織る。
これで準備は完了だ。
その時だった。
ドン!ドン!と扉を強く叩く音がした。
「シェリル様!!扉を開けてください!!」
「国王陛下の命令です!!開けてください!!」
ファルが私に視線を向ける。
「どうする、正面から出れないぞ。」
「窓から出ましょ。」
「そうだな。」
あらゆるものを詰め込んでおいた鞄を手に取り、
私は窓を開けた。冷たい風が入ってくる。
下を見てみると案の定、兵士たちが構えていた。
「シェリル様を捕まえろ!!」
「はっ!!」
「やっぱり。」
国王は私を逃がすつもりはないらしい。
外の世界へ行き、私が言いふらすことを恐れて。
誰がそんなことするか。
王族として地位はここで捨てるというのに。
「ファル」
「任せろ。」
そう言ってファルは身を乗り出して兵士たちに炎を吹いた。
ゴォォォ!!
「熱ッ!!」
「何だこれは!!」
兵士たちは炎に当たり、慌てて後退する。
「今だ!シェリル!」
「分かった。」
私は窓枠に足をかけて、外へと飛び出す。
その瞬間、ファルの身体は光に包み込まれ
やがて巨大な翼が広がり、長い首と尾が現れる。
その姿はどこからどう見ても幻竜である。
「乗れ!」
私はファルの背中に
飛び乗り落ちないようにしっかりと鱗を掴む。
次の瞬間、ファルは翼を広げて大きく羽ばたく。
風が巻き起こり、ファルは空へと上昇していく。
「シェリル様!!」
下から、兵士たちの声が聞こえてくる。
そして王城を眺める。
十七年間過ごしてきた場所。
地獄のような場所でもあり
アリアナの過ごした場所でもある。
辛く苦しい時もあったけれど、それでも
大切な思い出があそこには残っている。
その場所へと私は告げた。
「…さようなら。」
私は前を向いて、ファルの背中へと
しっかりとしがみついた。
「行こう。ファル。」
「ああ!」
ファルは動き始めた。
王城は少しずつ小さくなっていく。
やがて見えなくなっていった時、
これからは、決められた人生を生きていたフェンリルとしてではなく誰からも縛られず決められずに
自分の力で未来をを選び、生きていく
シェリルとして生きていく。
こうして私は、王城を出ていき
まだ知らない場所へと旅立って行った。
死ぬ前に、託された願いを受け継いで
絶対に叶えてみせるのだから。


