「恋人になって欲しい」とライバルに頼まれたので



 すべての試合が終わり、体育館の空気がふっとゆるむ。
 けっきょく宮原は準々決勝で勝ちをおさめ、準決勝へ進出することになった。
 さすがは宮原。俺のライバル。……まあ、あっちは俺をライバルとは思ってないだろうけど。
 座席から立ち上がり、階段へ向かう。

「田村、俺、ちょっといかないといけないところがあるから。先にいっててくれ」
「いかないといけないとこってなんだよ。バスにおいていかれても知らねーぞ」

 インターハイは四日間続く。会場は東京から遠く離れた奈良県のため、インターハイ中は近くの旅館に泊まることになっている。

「なるべく早くいくから」

 俺は田村に軽く手を振ると、体育館の裏手へ向かった。


 体育館をぐるっと回って裏手へいくと、そこには誰もいなかった。
 ほっと息をつく。
 試合に夢中で忘れていたけど、俺はこれから宮原の言うことをなんでも聞かないといけないのだ。

 いったい宮原は俺になにをさせるつもりなのか。
 宮原が無茶苦茶なことを言い出すとは思えないが、なにを言われるのか見当がつかないので緊張する。
 落ちつかない気持ちで半径一メートルをうろうろしていると、足音が聞こえてきた。
 音の方向へ目をやると、私服に着替えた宮原が立っていた。

「待たせたかな」
「宮原!」

 駆けよって宮原の前に立つ。

「今日、すごかったな! 準決勝進出おめでとう! こうなったら優勝するしかないな。がんばれよ!」

 勢いこんでい言うと、宮原はめずらしくちょっと驚いたみたいだった。
 驚いた顔が、ふっと笑顔に変わる。
 今度は俺が驚く番だった。宮原が驚くのもめずらしいが、笑顔もめずらしい。勝とうが負けようが、淡々とした態度を崩さないのが宮原なのに。
 準決勝に進めて機嫌がいいのかもしれない。インターハイは大会の中でも特別だし。

「日向はどこまでも日向だな」

 宮原はよくわからないことを言った。
 そんなのは誰だってそうだ。人が途中から別人になる、なんてあるわけないんだから。

「今朝の約束」

 宮原に切り出されて、心臓がどくっと跳ねた。
 宮原が俺になにをさせるつもりなのかわからないが、約束は約束だ。よっぽどの無茶――空を飛べだとか、おにぎり百個を一気食いしろだとか――を言われないかぎりは従うつもりだ。

「負けたほうが勝ったほうの言うことをなんでもひとつ聞く、って言ったの、憶えてる?」
「憶えてるに決まってるだろ。いいぜ、なんでも言ってみろよ。俺も男だ。命にかかわらないことなら、なんでも聞いてやるよ」

 胸を張って答えると、宮原の笑みが深まった。
 滅多に見られない笑顔を、ついまじまじと見つめてしまう。準決勝に進めたのがよっぽどうれしいみたいだ。

「なんでも?」
「ああ、なんでもだ」

 俺は男らしく請け負った。考えなしに言ったわけじゃない。宮原は人にひどいことをさせたりしないと信じているからだ。
 一拍の間があった。

 息を呑む。

 宮原の目つきがすっと変わった。
 試合のときとはちがう、だけど、同じくらい気迫を感じさせる目つき。
 目を逸らせずに、宮原と見つめあってしまう。唇がゆっくり動く。
 宮原の雰囲気が変わった理由がわからず、喉がごくりと上下する。

「俺の恋人になって欲しい」
「――――――?」

 言葉の意味がわからない。いや、わかる。わかるんだけど、宮原がそんなことを言い出した理由がわからない。
 恋人って……恋人のこと? 恋に人って書く恋人?
 ひょっとして、濃い人、とか、鯉人のほう? いや、濃い人ってなんだよ。鯉人とかもっと意味がわかんないし。

 宮原はまっすぐに俺を見つめている。面越しにしか見たことのない、熱を帯びたまなざしで。俺の好きな目つきで。
 心臓のあたりがざわざわする。大きな波がせり上がって、なにもかも呑みこんでいきそうな、不穏な予感が湧き上がる。
 恋人ってどういう意味で言ってるんだよ。言う相手をまちがってないか。それとも俺が意味をとりちがえてるのか。
 なにをどう言っていいのかわからないまま、なにか言わなくちゃと口を開きかけたときだった。

「あっ、宮原、こんなところにいたのか。もうバスが出るぞ」

 体育館の角から江藤がひょっこり姿を現した。なかなかもどってこない宮原を探しにきたらしい。
 俺がいるのに気づいた江藤は、なんでこいつが一緒にいるんだ、という顔で俺を見てきた。

 江藤がいる前で、
「恋人ってどういう意味なんだ。なんで俺が宮原の恋人になるんだ」
 などと訊くのもためらわれて、俺はなにも言えなかった。

「すぐにいくよ。日向、」

 名前を呼ばれて、肩に力が入る。
 宮原はポケットからスマホを取り出すと、俺に差し出してきた。

「LINE交換して」
「えっ、あ、うん」

 慌ててスマホを取り出して、LINEの画面を開く。

「また今度、連絡するから」

 じゃあね、と手を振って、宮原は俺の前から立ち去った。
 宮原の姿が見えなくなっても、俺はスマホを握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。