演劇班は連日、秋休み返上で七号館の教室に集まっていた。ユヅの指導の下、ステップを踏みながら練習を重ねていく。
まずは読み合わせだ。円弧上に並べた椅子に座り、各自プリントアウトした脚本を手に順番に台詞を読み上げていく。最初こそ棒読みだが、何度か繰り返しているうちに段々とイントネーションや声の強弱に変化がついてくる。ちょっとしたラジオドラマでも聴いているかのようだ。演じている方も次第にイメージが湧いてくるのか、手や上半身に動きが出てくる。
「よーし。読み合わせはこんなもんかな。じゃあ、明日からは少しずつ動きを入れながらやってみよう。最初は脚本片手でいいけど、なるべく台詞は覚えてきて。できればパートごとに集まって自主練することをお勧めするね」
ユヅがパンパンと手を叩いて練習の終わりを告げる。役者たちは席を立って椅子を教室の後ろに片付ける。明日からのためにスペースを空けるのだ。机は既にまとめて後方へと押しやってある。
何人かはさっそく連れ立って隣の教室へと移動していった。まだ早い時間なので自主練をするつもりなのだ。それを目で追いながらユヅが満足げな表情を浮かべる。
ツヤカはアジポンを伴って外に出た。秋らしい柔らかな木漏れ日が射している。頭上を見上げると、イチョウの葉がうっすらと黄色に染まり始めていた。
「ミルクって、基本的にワンシーンにしか登場しないんだな」
読み合わせにずっと付き合ってきたアジポンが意外そうな口ぶりで言う。
「最後に一人だけの出番があるけどね。台詞があるのはシーン②だけ」
「しかも掛け合う相手は主人公のみ。簡単じゃないか。お前、だから立候補したのか?」
「台詞が少ないからってのもあるけど、脚本読んだ時から、自分が演るならこれかなって思ってた。うまい具合に残っててくれたよ」
近隣住民らしき高齢の女性が手押し車と一緒に歩いてくる。もう少しすると、並木道はギンナン拾いの人々で賑わうことになる。のんびり散歩を楽しむなら今がちょうどいい。
「しかし、困ったな。自主練って言っても、キッカワは主役だから他の奴との掛け合いも多いしな。俺を相手にしてる暇なんかないんじゃないか?」
「自主練するなら、もっと大人数が出てくるパートを優先したいと考えるだろうな」
「かといって、一人でやってても、どっちがミルクでどっちが主人公か、わからなくなりそうだし」
「そうだよな」
そこでツヤカはふと立ち止まった。不敵な笑みを浮かべてアジポンを見る。
「何だよ」
「お前、音楽担当だよな?」
「ああ」
「ということは、選曲以外に本番まで大してやることないだろ?」
「まあ、そうかな。みんなの練習を見ながら、曲の構成をどうするかっていうイメージを膨らませるくらいか」
「じゃあ、練習相手になってくれよ」
「俺がか?」
「お前が主人公役をやってくれれば、俺はミルクに徹することができる」
なるほど、それならキッカワの手を煩わせることなくツヤカも練習ができる。自分はと言えば、取り立てて火急の用もない。アジポンは納得した。
「壁打ちテニスの壁のようなものか」
「聞きようによっては失礼な表現で申し訳ないが、まあ、その通りだ」
「いいぜ。俺は脚本を読むだけで、台詞を覚えたりはしなくていいんだろ?」
「ああ。全くの棒読みじゃなけりゃ何でもいい」
気がつくと道の中央を占めていた。手押し車の女性はとっくにどこかへ行ってしまっている。
「そうと決まったら、さっそくやってみるか」
「えっ、ここでか?」
「そうだな、さすがに恥ずかしいな。もう少し人目につかないところに行かないと」
「講堂の裏がいいんじゃないか?」
ツヤカたちは十一号館の脇を抜け、雑木林が茂る講堂の裏へと入って行った。
ユヅが見つけてきた脚本は、このところ玄人筋で名前が売れてきた新進気鋭の劇作家による最新作だ。ビルに囲まれた空き地を舞台に八つのシーンが展開される。
最初のシーンに登場するのはホステスA、B、Cの三人。場末のスナックに勤める彼女たちは、冴えない日々の愚痴を言い合いながら、それぞれの思いを託す種を空き地の地面に埋める。これをヨーコ、アーチャン、ジュンジュンが演じる。
続いてがミルクの登場するシーン。ガマの油売りの練習をしている主人公のキッカワの背後でおやつの菓子パンを食べていたミルクは、食べ過ぎであることを気にかけ、残りの半分を主人公に食べてもらう。唐突な展開と噛み合わない二人の台詞が、どこか非日常の雰囲気を醸し出す。トモダチ役のムグルマが現れたところで、ミルクは入れ替わりに舞台を去る。
次なるシーンではトモダチが主人公に口上や殺陣の稽古をつける。トモダチは小道具の木刀とともに、なぜか靴のチラシを見せ、主人公に購入するよう勧める。気乗りのしない主人公に痺れを切らしたトモダチは、腹が痛くなったと言って舞台袖に消える。
そこにいわくありげなオトコとオンナが飛び込んでくる山場のシーン。ここから物語が大きく動き出す。
彼らを追いかけてブチョウとジチョウも現れ、右へ左へと入り乱れての大立ち回りとなる。ラスボスのようなセンムも登場し、呆気に取られている主人公たちと絡む。
その最中、オトコが主人公から木刀を奪いセンムに切りつけるが、返り討ちに遭いオンナとともにナイフで刺されてしまう。台詞の端々から、どうやらヤクザ同士の揉め事らしいことが見えてくる。
恋仲と思しきオトコとオンナを演じるのはナイトーとユツキ。手下のブチョウとジチョウをニコラとサクライ、センムはカトーが演じる。
オトコとオンナがブチョウとジチョウに担がれて退出した次のシーンでは、刃傷沙汰の目撃者となった主人公たちの口を封じようと、センムがダジャレ交じりの脅迫に訴える。頑として拒否する主人公だったが、恐れをなしたトモダチがガマの油と引き換えに口止め料をもらうことに同意してしまう。
続いてのシーンは主人公の最大の見せ場だ。恐怖に負けた自分を正当化して去っていくトモダチ。一人残された主人公は、惨事を目の当たりにしながら止められなかった無念さを滲ませ、滔々と長台詞を語る。その頭上から雪のような紙吹雪が舞い落ちる。
一転して、再びホステス三人娘のシーン。スナックを解雇された彼女たちは、ベンチで眠る主人公に種を託し、それぞれの故郷へと旅立っていく。
最後のシーン。誰もいない空き地にやって来たミルクが、いつもと同じようにおやつのパンを食べる。それぞれに傷ついた登場人物たちの中で、ミルクだけが何も変わらない。説明のない居心地の悪さに包まれたまま、唐突に劇は終わる。
まずは読み合わせだ。円弧上に並べた椅子に座り、各自プリントアウトした脚本を手に順番に台詞を読み上げていく。最初こそ棒読みだが、何度か繰り返しているうちに段々とイントネーションや声の強弱に変化がついてくる。ちょっとしたラジオドラマでも聴いているかのようだ。演じている方も次第にイメージが湧いてくるのか、手や上半身に動きが出てくる。
「よーし。読み合わせはこんなもんかな。じゃあ、明日からは少しずつ動きを入れながらやってみよう。最初は脚本片手でいいけど、なるべく台詞は覚えてきて。できればパートごとに集まって自主練することをお勧めするね」
ユヅがパンパンと手を叩いて練習の終わりを告げる。役者たちは席を立って椅子を教室の後ろに片付ける。明日からのためにスペースを空けるのだ。机は既にまとめて後方へと押しやってある。
何人かはさっそく連れ立って隣の教室へと移動していった。まだ早い時間なので自主練をするつもりなのだ。それを目で追いながらユヅが満足げな表情を浮かべる。
ツヤカはアジポンを伴って外に出た。秋らしい柔らかな木漏れ日が射している。頭上を見上げると、イチョウの葉がうっすらと黄色に染まり始めていた。
「ミルクって、基本的にワンシーンにしか登場しないんだな」
読み合わせにずっと付き合ってきたアジポンが意外そうな口ぶりで言う。
「最後に一人だけの出番があるけどね。台詞があるのはシーン②だけ」
「しかも掛け合う相手は主人公のみ。簡単じゃないか。お前、だから立候補したのか?」
「台詞が少ないからってのもあるけど、脚本読んだ時から、自分が演るならこれかなって思ってた。うまい具合に残っててくれたよ」
近隣住民らしき高齢の女性が手押し車と一緒に歩いてくる。もう少しすると、並木道はギンナン拾いの人々で賑わうことになる。のんびり散歩を楽しむなら今がちょうどいい。
「しかし、困ったな。自主練って言っても、キッカワは主役だから他の奴との掛け合いも多いしな。俺を相手にしてる暇なんかないんじゃないか?」
「自主練するなら、もっと大人数が出てくるパートを優先したいと考えるだろうな」
「かといって、一人でやってても、どっちがミルクでどっちが主人公か、わからなくなりそうだし」
「そうだよな」
そこでツヤカはふと立ち止まった。不敵な笑みを浮かべてアジポンを見る。
「何だよ」
「お前、音楽担当だよな?」
「ああ」
「ということは、選曲以外に本番まで大してやることないだろ?」
「まあ、そうかな。みんなの練習を見ながら、曲の構成をどうするかっていうイメージを膨らませるくらいか」
「じゃあ、練習相手になってくれよ」
「俺がか?」
「お前が主人公役をやってくれれば、俺はミルクに徹することができる」
なるほど、それならキッカワの手を煩わせることなくツヤカも練習ができる。自分はと言えば、取り立てて火急の用もない。アジポンは納得した。
「壁打ちテニスの壁のようなものか」
「聞きようによっては失礼な表現で申し訳ないが、まあ、その通りだ」
「いいぜ。俺は脚本を読むだけで、台詞を覚えたりはしなくていいんだろ?」
「ああ。全くの棒読みじゃなけりゃ何でもいい」
気がつくと道の中央を占めていた。手押し車の女性はとっくにどこかへ行ってしまっている。
「そうと決まったら、さっそくやってみるか」
「えっ、ここでか?」
「そうだな、さすがに恥ずかしいな。もう少し人目につかないところに行かないと」
「講堂の裏がいいんじゃないか?」
ツヤカたちは十一号館の脇を抜け、雑木林が茂る講堂の裏へと入って行った。
ユヅが見つけてきた脚本は、このところ玄人筋で名前が売れてきた新進気鋭の劇作家による最新作だ。ビルに囲まれた空き地を舞台に八つのシーンが展開される。
最初のシーンに登場するのはホステスA、B、Cの三人。場末のスナックに勤める彼女たちは、冴えない日々の愚痴を言い合いながら、それぞれの思いを託す種を空き地の地面に埋める。これをヨーコ、アーチャン、ジュンジュンが演じる。
続いてがミルクの登場するシーン。ガマの油売りの練習をしている主人公のキッカワの背後でおやつの菓子パンを食べていたミルクは、食べ過ぎであることを気にかけ、残りの半分を主人公に食べてもらう。唐突な展開と噛み合わない二人の台詞が、どこか非日常の雰囲気を醸し出す。トモダチ役のムグルマが現れたところで、ミルクは入れ替わりに舞台を去る。
次なるシーンではトモダチが主人公に口上や殺陣の稽古をつける。トモダチは小道具の木刀とともに、なぜか靴のチラシを見せ、主人公に購入するよう勧める。気乗りのしない主人公に痺れを切らしたトモダチは、腹が痛くなったと言って舞台袖に消える。
そこにいわくありげなオトコとオンナが飛び込んでくる山場のシーン。ここから物語が大きく動き出す。
彼らを追いかけてブチョウとジチョウも現れ、右へ左へと入り乱れての大立ち回りとなる。ラスボスのようなセンムも登場し、呆気に取られている主人公たちと絡む。
その最中、オトコが主人公から木刀を奪いセンムに切りつけるが、返り討ちに遭いオンナとともにナイフで刺されてしまう。台詞の端々から、どうやらヤクザ同士の揉め事らしいことが見えてくる。
恋仲と思しきオトコとオンナを演じるのはナイトーとユツキ。手下のブチョウとジチョウをニコラとサクライ、センムはカトーが演じる。
オトコとオンナがブチョウとジチョウに担がれて退出した次のシーンでは、刃傷沙汰の目撃者となった主人公たちの口を封じようと、センムがダジャレ交じりの脅迫に訴える。頑として拒否する主人公だったが、恐れをなしたトモダチがガマの油と引き換えに口止め料をもらうことに同意してしまう。
続いてのシーンは主人公の最大の見せ場だ。恐怖に負けた自分を正当化して去っていくトモダチ。一人残された主人公は、惨事を目の当たりにしながら止められなかった無念さを滲ませ、滔々と長台詞を語る。その頭上から雪のような紙吹雪が舞い落ちる。
一転して、再びホステス三人娘のシーン。スナックを解雇された彼女たちは、ベンチで眠る主人公に種を託し、それぞれの故郷へと旅立っていく。
最後のシーン。誰もいない空き地にやって来たミルクが、いつもと同じようにおやつのパンを食べる。それぞれに傷ついた登場人物たちの中で、ミルクだけが何も変わらない。説明のない居心地の悪さに包まれたまま、唐突に劇は終わる。



