流星群II

 銀杏祭に向けて文科九組の拠点となった感のある七号館一階の教室では、ユヅが黒板を背にして立っていた。右手に白いチョークを持っている。

「じゃあ、みんな、脚本はざっと読んできたと思うので、まずは配役から決めていこう。これ演ってみたいっていう希望がある人は遠慮せず立候補して」

 互いに顔を見合わせて様子を窺う。駆け引きではないが、少しは相手の出方を見たいと思うのが人情だ。先陣を切るのは何かと気が引ける。

 あまり居心地のよくない時間が続く中、キッカワが最初に手を上げた。

「誰も行かないんなら、主人公で」

 彼には高校の同級生で芸能人になった友だちがいる。自らが主題歌も歌う映画の主演としてデビューしたのが数年前のことだ。そんなこともあり、キッカワも以前から演技には多少興味があった。

「おい、ちょっと待て。俺も今、主人公にしようかと考えてたとこだ」

 キッカワの隣でムグルマが目を剥く。

「早いもん勝ちじゃないの?」
「そういう問題じゃないだろ」
「いいぞ。やれやれ」

 けしかけるユヅは楽しそうだ。

「じゃあ、じゃんけんするか?」
「いや、せっかくだから、みんなに決めてもらおうじゃないか。キッカワと俺、どっちが主人公にふさわしいか」

 しかし、ムグルマの思惑に反して、ほとんど全員がキッカワを指差した。

「なんでだよ」

 ムグルマの喋り方は鷹揚だ。方言なのかイントネーションも少し変わっていて、どこかユーモラスに聞こえる。それが判断に影響を与えた可能性は高い。もっとも、本人は自分が話しているのは標準語だと固く信じているのだが。

 ユヅが黒板に大きく「主人公」「キッカワ」と書く。納得がいかないという顔のムグルマにキッカワが声をかける。

「じゃあ、お前は主人公の相方のトモダチをやれよ」

 ユヅが「主人公」「キッカワ」の隣に「トモダチ」「ムグルマ」と書く。

「おいおい」
「いいじゃないか。仲良くやろうぜ」

 ユヅがチョークを置いて振り返る。

「女子からも声が欲しいな」

 女性陣は困った様子で顔を見合わせていたが、まずはヨーコが意を決して手を上げた。

「じゃあ、あたし、ホステスA」

 触発されたアーチャンとジュンジュンも続く。

「それなら、あたしはホステスB」
「ホステスCにしとこっかな」

 焦ったのはユツキだ。次々に立候補され、もうあまり役が残っていない。

「あと何が残ってるんだっけ? そうだ、オンナね。あたし、オンナやるわ」

 男性陣も立候補が相次ぎ、配役は大枠が固まってきた。

 窓の外では初老の男性が犬を散歩させながらのんびりと歩いている。近隣住民と思しき中年女性の二人連れが、色づき始めたイチョウを見上げていた。



 二日間にわたる銀杏祭当日、文科劇場となるのは十一号館一階の大教室だ。広い教壇が舞台となり、すり鉢状に広がっている聴講席が観客席となる。教壇の横にあるドアは楽屋となる隣の教室につながっている。

 大教室は楽屋教室を挟んで二つあり、本番ではそれらを交互に切り替えて使用することになる。一方の大教室で上演している間に、もう一方の大教室で次の演劇のセットを設営するのだ。これにより入れ替えのための待ち時間をなくし、切れ目のない一時間毎のプログラムが可能となる仕組みだ。

 照明やスピーカーなどの大掛かりな機材は共用で、実行委員会の面々がボランティアとして手配や操作をしてくれるが、セットや小道具などは参加クラスがそれぞれ個別に準備しなければならない。衣装やメイクも同様だ。

「じゃあ、ノトリエは美術監督な。音楽はフミエちゃんとアジポンにお願い、と」

「頼むから、工作するときはみんな手伝ってくれよ。さすがに一人じゃ無理だ」
 ノトリエが万歳のポーズをすると軽い笑いが起こった。今や全員が黒板の前に集まり、ワイワイと賑やかに話し合っている。

「制作はジョウノさんね。衣装は役者が各自用意すると」
「これで役割分担は大方決まってきたな。となると」
 チョークを手にしたカトーが振り返って一同を見渡す。

 腕組みをしながらそれを見つめていたユヅは。つかつかと輪の中に割って入ると黒板の前に立ちはだかり、その中央辺りを指でトントンと叩いた。

「問題はここか」

 配役の最後に「ミルク」と役名だけが書かれ、その下は空欄になっていた。

「女子で誰かいない? 一応、ヒロインっぽい役どころなんだけどな。さっきは別の役にしたけど、やっぱりこっちっていうのでもいいよ。スタッフから代わってくれる人がいるなら、それでもいいし」

 ユヅが呼びかけるが、女性陣はみな難しい顔をしていた。首を左右に振り、拒否の意思を示す者もいる。

「脚本を読んでみたけど難しくって、どう演じたらいいのかイメージが湧かなかった」
「立ち位置っていうの? 微妙よね。この子が何を目指しているのかもわかんないし」
「うーん、そんなに難しく考えることもないと思うんだけど」

 ユヅも困惑していた。無理に誰かを指名したところで上手くいくとも思えない。立候補の方が思い切り演ってもらえるし、自分のイメージと違ったとしても、それはそれで演出の仕方がある。これまでの経験から、そう学んでいた。

 男性陣の反応も似たようなものだった。掛け合いの相手となる主人公役のキッカワも、ミルクのことはよくわからないと言う。ここまで順調に進んできただけに、最後の最後で思わぬ暗礁に乗り上げてしまったことに、誰もが戸惑いを隠せないでいた。

 そんな時。

「ミルクってさ」

 窓際の一番後ろで全体を見渡していたツヤカが、ふと思いついたように声を上げた。

「女じゃなきゃダメなの?」

 全員が一斉に振り向く。ツヤカはキャスケットを取り、束ねていた長い黒髪をゆるりと胸元に垂らした。

「それって」
 アーチャンが絶句する。

「俺が演ろうか? 誰も演らなかったら、話が前に進まないだろ?」

 そう言うと、ツヤカは涼しげな顔で髪を掻き上げた。



 南館一階、食堂に併設するカフェでは、打ち合わせを終えた女性陣が昼下がりのティータイムと洒落込んでいた。テーブルの上には大ぶりのパフェやフロートが所狭しと並んでいる。壁が全面ガラス張りなので、隣接する公園の木々の緑と一体化し、まるで森の中にいるような感覚に包まれる。

「最初に聞いた時はびっくりしたけど、ツヤカくんのミルクって良くない?」
「見た目だけなら、まんま女の子だもんね」
「女性の役を男性が演じるって、なんだかアングラっぽい感じがする」
「他のクラスと間違いなく差別化できるよ」

 口々に感想を語り合う。みな軽く興奮しているようだ。ブレイクスルーポイントを発見した研究者のように、ワクワク感が冷めやらない。

「最優秀女優賞とか、狙えるんじゃない?」
「男が女優賞ってことはないでしょう」
「じゃあ、男優賞?」
「それも変だよね。女の役なのに」
「宝塚は女が男役やるよね」
「なんか違う気がする」

 話に花が咲き、パフェがなかなか減らない。ソーダフロートのアイスが溶けて、珊瑚礁の海のような色になっていた。