流星群II

 教卓脇のパイプ椅子に腰掛けていた准教授は、腕時計に目をやると、読んでいた文庫本を閉じておもむろに立ち上がった。

「はーい、そこまで。では、一番後ろの人、答案用紙を回収してきて」

 ガタガタと席を立つ音がして、最後列の学生たちが動き出す。静まり返っていた空間が一斉に雑談で満たされていく。教卓に答案用紙が積み上がると、准教授は枚数を確認することもなくそれらを黒い鞄に突っ込み、そのまま教室から出ていった。

 廊下側の席だったツヤカも立ち上がり、窓際のアジポンとイケに歩み寄っていく。

「お疲れ。これで試験は全部終わりだな」
「夏学期はレポートもないしな」
「明日からは秋休みか。ついこないだ夏休みが終わったばっかりなのに、なんだか得した気分だなあ」

 ツヤカたちが通う大学は二学期制を採用している。前半の四月から九月までを夏学期、後半の十月から三月までを冬学期と呼ぶ。夏学期の授業は四月中旬から七月上旬までで、夏休みを挟んで九月上旬が試験期間となる。その後は秋休みに入り、冬学期の授業再開は十月下旬となる。

「今日はこの後、ホームルームだろ?」
「てか、打ち合わせな」
「そうそう。そろそろ銀杏祭の出し物を決めないとね」

 一号館の窓から見える木々の葉が強い陽射しを受けてキラキラと輝いている。夏はまだしばらく終わりそうにない。



 前列中央の机に腰掛けたノトリエを取り囲むように、三十人ほどの学生たちが思い思いの場所に陣取っていた。椅子に座っている者もいれば、机に座る者もいる。立っている者や壁に寄り掛かる者など、その姿勢も各人各様だ。

「では、我らが文科九組としては、慣例に則って演劇と模擬店の二本立てということで。みんな、異論ないね?」

 教室のあちこちから「いいんじゃない」「さんせーい」などと声が飛ぶ。

 ノトリエは席を立って黒板に向かうと、チョークを手に取って右上に「げき」、その下に多少の間隔を空けて「みせ」と大きな字で書いた。

「それじゃ、一人ずつやりたい方に自分の名前を書いてって。あんまり偏るようなら調整するけど、基本は希望制にしよう」

 学生たちが三々五々、黒板の前に集まってくるが、すぐには決められない者も多いようで、半数以上が遠巻きに眺めている。

 十一月に開催されるこの大学の学園祭は、キャンパスの真ん中を貫くメインストリートの街路樹に因み、銀杏祭という愛称で呼ばれていた。
 教養課程の文科系はクラス単位での参加が恒例となっており、演目は伝統的に演劇や模擬店が多い。特に演劇は参加クラスが一堂に会する「文科劇場」として集中開催され、ここにしかない名物となっている。過去にはこれを母体としてプロの劇団を立ち上げた連中もいるという。

「お前はどう見ても演劇だよな」

 ツヤカを上から下まで眺め回すとアジポンは言った。ツヤカはイギリスのパンクバンドの女性ヴォーカルの顔が描かれた長袖のTシャツに、別のパンクバンドのアルバムの曲名が柄として刻まれたスリムなジーンズを合わせている。長い黒髪は束ねてキャスケットの中に収めている。男にしてはウエストが細く、ちょっと見には性別不明だ。

「そうだな。役者なんて、この先の人生で二度とやることなんかなさそうだし。せっかくの機会を逃す手はない」

「俺は模擬店だな。子供の頃はお店屋さんごっこが好きだったんだ」

 そう言うと、イケはフライパンでチャーハンを炒める素振りをしながら黒板に向かっていった。厚い胸板と逞しい二の腕は、いかにも厨房仕事に向いていそうだ。

「お前はどっちにするんだ?」
「うむ」

 ツヤカの問いかけに、アジポンは人差し指でメガネを押し上げ、腕組みをした。

 黒板が徐々に名前で埋まっていく。概ね、演劇と模擬店が二対一といったバランスだ。これなら調整の必要はなさそうに思える。

 イケとツヤカが戻ってきても、アジポンは依然として考え込んでいた。

「なんだ、まだ考えてんのか」
「うむ。いや、よし」

 やにわに立ち上がると、アジポンは黒板の上半分に残された僅かなスペースに、小さく「あじ」と書いて戻ってきた。すかさずツヤカがツッコミを入れる。

「随分と控え目なことで」
「目立つのは性に合わないからな」
「矛盾してるな。大勢の観客の前に出るんだぜ?」
「演劇なら裏方の仕事があるだろ。大道具とか音響とか、役者以外にも何かと人手が要るんじゃねえか?」

 全員が名前を書き終えると、ノトリエは黒板全体、演劇だけ、模擬店だけと、何回かに分けてスマホで写真を撮った。

「今日はひとまずここまでかな。明日からは班ごとに分かれての活動だね」

 自主ホームルームはようやく解散となった。