龍王の再愛

 目が覚めると、真っ白な天井が視界に映った。
 ここはどこなんだろう。私は、確か、死んだはず。
 状況が飲み込めないまま、ぼうっと天井を眺めていると、優しそうなお爺さんが視界に現れた。
「おお、やっと目が覚めたんじゃなぁ。良かった良かった」
「……あなたは」
「わしか? わしは——」
「もしかして閻魔様の使いの方でいらっしゃいますか?」
「はえ?」
 てっきり死後の世界に住む方だと思ってそう尋ねると、お爺さんは首を傾げた後、お腹を抱えて笑い出した。
「いやはや、なにを言い出すかと思ったら。おぬしは死んどらんよ。まあ、死ぬ寸前ではあったが」
「えっ? でも私は湖に落ちて……」
 状況を飲み込めず目を白黒させる私に、お爺さんは「ここは龍族の里じゃ」と告げた。
 私は驚きのあまり目を見開いた。
 龍族はもともと希少な種族だったが、龍を食らうと寿命が千年伸びるという迷信が広まり、人や他の霊獣に襲われて絶滅してしまったのだ。この国では龍の血を引く皇族以外、龍族はいないとされていた。
「我が里の者が湖に沈んだおぬしを助けての。おお、話をしていたら来おったわい」
 お爺さんが扉に目を向けると同時にガラリと開いた。
 戸口に立つ彼の姿に、私は自分の目を疑った。自分の視界に映るその光景が信じられなかった。
「見なされ。ついさっき目覚めたところじゃ」
 亡くなったと思った蒼真様が、そこにいた。
 言葉を失う私をよそに、蒼真様は顔色ひとつ変えずにお爺さんの隣に立ち、寝台に横たわる私を見下ろした。
 五年前より背が高くなり、顔つきも精悍になっている。芸術品と称されたその美貌は健在で、目が吸い寄せられる。
「蒼真、様……」
 目の前にいるのは本当に蒼真様なのか、確かめたくて呼びかけずにはいられなかった。
 けれど蒼真様は不審そうに眉をひそめた。
「なぜ、俺の名を知っている」
「……私を、覚えていらっしゃらないのですか?」
 声が震えてしまった。それくらいの衝撃だった。
 蒼真様が生きていると知った驚きが瞬く間に別の色で塗りたくられる。ぐちゃぐちゃになった心をなんと表していいかわからない。
 それきり黙りこくる私の様子に、お爺さんが「ふむ」と顎を撫でる。
「ひょっとすると、蒼真殿が記憶を失う前の知り合いかの?」
「……蒼真様は、記憶を失っておられるのですか?」
「五年ほど前だったかの。蒼真殿も、おぬしと同じように湖に沈んでいたところを、わしが助けたのじゃ」
「どうやって……霊蓬山の湖は底なしで、落ちたら絶対に引き上げられないはずです」
「なにも難しいことはない。なにせこの龍族の里は霊蓬山の湖の中にあるんじゃから」
「湖の、中?!」
「龍族は他の霊獣や人に狙われることが多いから、湖の中に結界を張ってそこに里を作って暮らしている」
 唖然とする私に、蒼真様が呆れた顔で付け足した。
「そういうわけじゃが、蒼真殿はひどい怪我のせいか、名前以外すっかり忘れてしまったみたいでの。帰る場所もわからんというので、今はわしの後継として里長の補佐をしてもらっておる」
「そう、なんですか」
 寿栄は、蒼真様の遺体をあの湖に沈めたと言っていた。
 でも、蒼真様は生きていたのだ。記憶を失っていても、命は失っていなかった。
 もう二度と会えないと思っていた蒼真様が、目の前にいる。
 言葉では表しきれない感情が胸にあふれて、鼻の奥がツンとした。
「そなたは記憶は失っていないようじゃが、その怪我では動けんじゃろ。しばらくここにいるといい」
「ありがとう、ございます」
 お爺さんの言う通り、鞭で散々叩かれたため、体がずきずきと鈍く痛んでいる。すぐに動けそうにはなかった。
「じゃがなぁ、ひとつ問題があって、龍族は人嫌いなんじゃ。蒼真殿は龍の血を引いておるから良かったものの、おぬしは生粋の人間じゃろ? 人間が里におることを良く思わん者も出てくるかもしれん」
「それならやはり私は出て行った方が……」
「そこでじゃ! おぬしを蒼真殿の嫁御ということにしようと思う!」
「は?」「え?」
 軽快に笑うお爺さんに対して、困惑する私と蒼真様の声が重なった。
「爺様、一体なにをバカなことを。どうして俺がこの女性を娶らねばならぬのです」
 蒼真様の眼差しに明らかな嫌悪が透けて見えて、ズキンと胸が痛んだ。
 でもお爺さんはそれを凌ぐ剣幕で、蒼真様に詰め寄る。
「蒼真殿がいつまで経っても嫁御を娶らんからに決まっておろう! おかげでわしは里中の娘から毎日蒼真殿の嫁になりたいと懇願されて、もういい加減うんざりなんじゃ!」
「その件では確かに爺様に迷惑をかけているとは思いますが……」
「じゃろじゃろ? だからこのおなごを嫁御にすれば万事解決じゃ! なに、本当に婚姻を結ばずともそういうフリをしていれば問題ない。しばらくしたら、嫁御は実家に帰って暮らすことにしたと言えば、皆も納得するじゃろ」
 そんなにうまくいくのかしら。
 私は半信半疑だったけれど、お爺さんは自信満々に胸を張って「これは里長命令じゃからな〜」と言い放つと、上機嫌に部屋を去っていった。
 視線を上げると、蒼真様が手で額を押さえていた。
「すまないな。爺様の言うことは気にしないでくれ」
「そ、そうなのですか?」
「ああ。あの人は思いつきで人を振り回すのが好きなお方だからな。俺は君を嫁として扱うつもりはない」
「はい……」
 蒼真様の妻になる未来をずっと夢見ていた。なのに、蒼真様自身に否定されてしまった。記憶を失っているから仕方ない。でも私が今までよすがとしていたものが無惨に破り捨てられるのは心に堪える。
「そういえば、おまえの名前を聞いていなかったな」
「……煌 朋里と申します」
「では朋里。ひとつ忠告しておく。君を客として迎え入れるが、我ら龍族に仇をなすような真似をするなら容赦はしない。ゆめゆめ忘れぬよう」
 明らかな敵意。五年前と同じ声で蒼真様が私を突き放す。緊迫した空気が私が呼吸をするのを許してくれない。
 蒼真様が衣を翻して部屋を出て行く。私は居た堪れなくて布団の中に顔を隠した。
「蒼真様が生きていてくださった……」
 でも蒼真様は私を覚えていない。
 絶望が吹き荒れて、心の中は真っ暗だった。
「それだけで、よかったはずなのに……」
 生まれた小さな嗚咽は布団の中で押し殺した。