龍王の再愛

 そう思っていたのに。
 
「剣は捨てた。今すぐ朋里を離せ、寿栄」
 私の目の前で、蒼真様が剣を床に放り投げた。
 すると私の頭上から「ハッ」と嘲笑うような声が聞こえた。蒼真様の側近であったはずの寿栄が、私の首元に剣を当てながら満足げな笑みを浮かべている。
「いけません! 蒼真様!」
 縄で全身を縛られたせいで、寿栄に捕まったまま一歩も動けない私は、そう叫ぶことしかできない。
 黒装束で全身を包んだ呪術師が、蒼真様を取り囲んだ。彼らの詠唱により、たちまち黒いもやが立ち込める。それはだんだんと刃の形になって、何本もの黒い刃が蒼真様の体に突きつけられる。
「やめて……」
 どうしてこんなことになってしまったんだろう。
 皇帝陛下が崩御されて喪に服していた私は、寿栄に「陛下の遺言がある」と呼び出されたのだ。蒼真様の宮に着いて馬車を降りた後から記憶はない。再び目を覚ました時には、私は寿栄に捕えられていた。
 震える私とは裏腹に、蒼真様は恐ろしいほど冷静な表情で寿栄を冷たく見据えていた。
「なにが目的でこのような真似をする」
「目的? そんなのおまえのような獣を玉座から引きずり下ろすために決まっているだろう! 毛の生えた低俗な生き物が我々高尚な人間を統治するなど、あってはならぬのだ!」
「俺や陛下を欺き、その座を狙っていたというわけか……」
 呪術の構えを取る蒼真様。呪術師たちがざわめくが、寿栄は殊勝の笑みを浮かべている。
「いいのか? 今ここで呪術を繰り出せば、この娘の首を掻き切るぞ」
「私のことなど構わず戦ってください、蒼真様!」
 しかし私の叫びは聞き入れられず、蒼真様は構えを解いてしまった。すかさず呪術師たちが、蒼真様の体を拘束術で縛り上げる。
「蒼真様!」
「ふははは! この小娘がそんなに大事か? なら小娘の命と引き換えに玉座を俺に差し出せ!」
 蒼真様が歯を食いしばるようにして寿栄を睨む。
 やめてほしい。私にそんな価値なんてない。それよりも蒼真様がこの国を守る方が重要だ。なのに——
「わかった。皇帝の座はお前に譲る。だから、朋里を離せ」
 うなだれる蒼真様を見て、寿栄が高笑いをしている。
 なにもできない自分が悔しい。悔しくて、涙が込み上げてくる。
「先ほどのこやつの言葉を聞いたな。今日からこの俺が皇帝だ。皆の者、帝の命令だ。この穢らわしい獣を殺せ!」
「やめて……やめて!!」
 無力な私は涙を流しながら懇願することしかできなかった。
「こやつが死して、ようやく長らく続いた蛮獣の支配からこの国が解放されるのだ!」
 寿栄が高らかに宣言する。同時に、蒼真様を取り囲んでいた黒い刃が一斉に彼を貫いた。
 刃にその身を貫かれた蒼真様が口から真っ赤な血を吐く。信じたくない光景を前にして、私は目を見開いた。
「蒼真様! 嫌、死なないで、蒼真様ぁ!!」
 顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、私は必死にそう叫ぶ。
 その時、血の気を失った蒼真様が私に笑いかけ、私は動きを止めた。
「生きろ……朋里……生きて、幸せに……」
 
 倒れる間際の蒼真様のその言葉は、その表情は、今でも鮮明に脳に焼きついている。
 
 意識が暗転して目を開くと、ところどころ隙間の空いた木目の天井が目に入った。
「夢、か……」
 今日は幸せだった時の夢も一緒に見たから、ぽっかり空いたままだった心の穴がより広がった気分だった。
 蒼真様を失って五年。いまだにこうしてあの日の夢を見る。
 まばたきをすると、顔の横を涙が伝った。また視界が滲んでくるけれども、無理やり涙を拭う。
 気だるい体を起こし、私はへたった枕の下に隠していた腕輪を手に取った。
 美しい蒼玉の腕輪。蒼真様の妻だという証。今の私には付ける資格のない物――
 
 五年前、皇帝陛下が亡くなり、蒼真様も寿栄の手によって命を落とした。
 国の頂点に立ったのは寿栄。
 そして私は、寿栄の後宮に妃として入内を命じられた。
 両親は反対しようとしてくれたけれど、寿栄に逆らえばなにをされるかわからない。私はおとなしく入内を受け入れた。
 寿栄の妃にはなるものの、そこで死ぬまで蒼真様を想って生きる。そう思っていた。
 けれども私を待ち受けていたのは、想像以上に過酷な現実だった。