現の主人と影

ふいに、目の前に誰かがいる気配を感じた。
身体が強張る。

ゆっくりと目を開けると、視界の端に、誰かの足元が見えた。

いや、影が見えた。

(なんで、雨なのに…)

胸が、どくんと鳴った。

帰らなくては。

反射的にそう思い、私は俯いたままそっと立ち上がろうとした。

「……すまない」

突然声をかけられ、身体がびくりと強張る。

「驚かせてしまったかな」
穏やかな声だった。

私は返事をすることができず、ただ俯いたまま立ち尽くす。

「……もし嫌でなければ、ひとつ聞いてもいいだろうか」

その言葉に、恐る恐る顔を上げた。
目の前に立っていた影は、私よりもずっと背が高く、すらっとした体格をしている。

「……きみは影を持っていないのか」

その言葉に、息が止まった。
胸が、どくんと大きく鳴る。

私は答えられないまま、影を見つめた。

すると彼は、私の様子を見て、少し困ったように微笑んだように見えた。

「答えたくなければ、無理に答えなくていい」

責めるような声ではなかった。
むしろ、こちらを気遣うような声音だった。

「ただ……」
男性は一度言葉を切る。

「君も、私と同じなのかなと思ってね」

「…え」
(わたしと同じ…?)


「君は、影が取引に使われていることを知っているか…?」

突然の問いに、私は瞬きをした。

「……取引?」

「ああ」

影は静かに頷いた。

「影は、決して安いものではない。高額で売買されることもあるし、中には違法な方法で契約を結び、影を手に入れようとする者もいる」

聞いたことはあった。けれど、自分とは関係のない、遠い世界の話だと思っていた。

「……聞いたことは、あります」

「そうか」

それから、少しだけ間を置いて話を続ける。

「では、影を持たない者に、影を与えようとしている機関があることは?」

「……そんなところが、あるんですか?」

「ああ。世間では、とても評判のいい機関だよ」

男性の声には、ほんの少しだけ皮肉が混じっていた。

「影を持たない人々を救うための機関。そう認識されている」

「……違うんですか?」

「表向きは、ね」