現の主人と影

「くそっ…なんで、なんでだよ…っ!」

悔しさと苛立ちから、高橋はその場に崩れ落ちた。

そんな彼に、羽月は静かに歩み寄った。

「君は、恵まれているんだよ」

「はぁ?」

「生まれたときから影を持っている。それは決して、当たり前のことではないんだ」

羽月は落ち着いた声で続けた。

「影を持つ人が大多数で、持たない人が少数だからこそ、自分が持っている当たり前のものに気づきにくいのかもしれないね」

高橋は何も答えなかった。

「けれど、君にとっての当たり前が、誰かにとっては、どれほど願っても手に入らないものかもしれない」

羽月は少しだけ間を置いた。

「影を持たずに生きるということが、どういうことなのか。一度、考えてみるといい」

それ以上は何も言わず、羽月はゆっくりと高橋に背を向けた。

高橋は何も言わなかった。ただ、地面に落とした視線を上げることもできずにいた。

羽月がその場を離れると、今度は多田が高橋のもとへ歩み寄った。

「昨日といい、今日といい。ほんま、なあ〜んも知らんのやな。影のこと」

高橋が顔を上げ、多田を睨みつけた。

その表情を見て、多田は小さく鼻で笑った。

「まぁ…、もう会うこともないやろうし、ひとつ教えたるわ」

そう言うと、多田は高橋の耳元へ顔を寄せた。

「生まれつき影持っとる人間がな、その影を持ったまま、別の影まで手に入れたら…」

そこで一度、言葉を区切った。

「一週間後、死ぬんやで」

「…っ!」

高橋の表情が凍りついた。

多田はそれを見届けると、何事もなかったかのように身を引いた。

「じゃあな〜」

小さく笑い、高橋に背を向ける。

彼は顔を強張らせたまま、動けずにいた。

「知らんことがあるっていうんは、怖いなぁ〜」

その言葉が高橋の耳に届いたかどうかも気に留めず、多田はその場を後にした。