現の主人と影

現場へ向かう道中、私は羽月さんに今回の作戦について尋ねた。

「昨日は影がほんの少ししか姿を現さなかったからね。踏んで取り戻せる可能性は低かった。けれど、立花さんの声に反応して手を伸ばしたということは、なつきさん自身の意思がまだ残っているということなんだ」

羽月さんは続けた。

「影を取り戻すには、本来の主が直接触れるのが一番確実なんだよ。ただ、立花さんにはなつきさんの姿が見えないだろうから…瀬尾さん、手を貸してくれるかな?」

「はい…!」

「なつきさんが手を伸ばしたら、立花さんの手をそこへ重ねてほしい」

私は頷いた。

そして今、私と立花さんは、少し離れた建物の陰に身を隠していた。

「こんにちは〜。昨日ぶりですねぇ」

聞き慣れた明るい声が響いた。

「げっ…!」

高橋さんが露骨に顔をしかめる。

「昨日、次はないって言うたやろ? 今から返してもらうで」

「な、なに言ってっ!」

高橋さんが身構えるより早く、多田くんはその影を踏みつけた。

「…っ!?」

その瞬間、高橋さんの動きがぴたりと止まった。

「なつき…!!」

立花さんが隠れていた場所から声を張り上げる。

すると、高橋さんの足元から、一本の手がゆっくりと伸びてきた。

「……!」
私はすぐに立花さんの手を取り、伸びてきた影の手に重ねようとした。

けれど、

「この…っ! 勝手に動くなっ!!」

高橋さんが怒鳴った途端、伸びていた手がぴたりと止まった。

「ほんまに…。往生際が悪いなぁ」

多田くんの声から、先ほどまでの明るさが消えた。
その目つきが、すっと鋭くなる。
 
 どうしよう……。

なつきの手が、少しずつ引っ込んでいく。

 このままじゃ、届かない…!
 
そのときだった。

引き戻されようとしていたなつきの手を、別の影の手がそっと掴んだ。

「え…っ」

『りん、大丈夫だ』

「如月…!!」

その声に、私は再び立花さんの手を握り直した。

「立花さんっ!」

今度こそ、なつきの手へ。

そう思い、彼女の手を伸ばした、その瞬間…。

『なつき……!!!』

誰かが、彼女の名前を呼んだ。

一瞬、何が起こったのか分からなかった。

気づけば、立花さんが私のすぐ横に倒れ込んでいた。

「立花さんっ! 立花さんっ!」

慌てて呼びかけると、彼女はうっすらと目を開いた。

「…な、つ……き……」

かすれた声で、その名前を呼ぶ。

そして、自分の足元から伸びる影に気づいた瞬間、彼女の目から涙がこぼれ落ちた。

「なつ……き……っ、なつき……っ」

立花さんは震える声で、何度も名前を呼んだ。

「ごめんね……っ、うぅ……ごめんね……っ」

私はそっと彼女の背中をさすった。

その目の前で、影が彼女を包み込むように形を変えていた。

まるで、泣きじゃくる立花さんを優しく抱きしめているかのように。

 ああ、そうか。

さっき聞こえた、あの声。

きっと、なつきさんが立花さんを呼ぶ声だったんだ。

立花さんには届かなかったかもしれない。

それでも、なつきさんはずっと、彼女のもとへ帰りたかったんだろう。

言葉は交わせなくても、二人の想いは確かにつながっていた。

その姿を見て、私もようやく胸をなで下ろした。