現の主人と影

多田くんが相談所へ戻ってきた頃には、立花さんはすでに帰宅していた。

私たちは、多田くんから先ほど高橋くんと交わした会話について聞かされた。

「力のある影、か…」

羽月さんが小さく呟いた。

「まぁ…、そんなことやとは思いましたけどね」

多田くんは小さく息を吐き、呆れたように笑った。

私は二人の話を聞きながらも、先ほど立花さんが口にした言葉が気になっていた。

「早めにかたをつけたほうがよさそうだな」

羽月さんの声に、私は顔を上げた。

「そうですね」

多田くんも静か呟いた。


その後、今日のところは解散となり、帰り支度を済ませ、相談所を出ようとしたときだった。

「瀬尾さん」

背後から羽月さんに呼び止められ、私は足を止めた。

「え、あ…はい」

突然呼び止められ、思わず戸惑った声が出た。

「何か…気になっていることがあるみたいだけど、話せることかな…?」

「あっ…、えっと…」

どう答えるべきか迷い、言葉に詰まる。

けれど、一人で考えていても答えは出ない。

「さっき、立花さんが言っていた『忘れたくない』という言葉が、ずっと引っかかっていて…」

私はぽつぽつと話し始めた。

「昨日、仰っていましたよね。影との契約が解消されても、新しい影と契約しない限り、記憶は消えないって…」

「確かに、新たな影と契約を交わさない限り、以前の影との記憶が失われることはない」

「ただ、私たち人間が覚えていられることには限りがある。どれほど大切な記憶でも、時が経つにつれて少しずつ薄れていくものなんだ。そして、その間にも新しい出来事が記憶として積み重なっていく」

羽月さんは一度言葉を区切った。

「…だから、契約を交わさなければ絶対に忘れない、とは言い切れないんだよ」

「そう、なんですね…」

だから、立花さんはあんなにも…。

胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

それなら、如月も同じなんじゃ…。

ふと、考えたくもないことが頭をよぎった。

私が如月と一緒にいる間にも、如月の本当の主は、少しずつ彼のことを忘れていってしまうのではないだろうか。

そう考えると、胸の奥がざわついた。

「だからこそ、私たちは影と人間、その双方を大切にしたいと思っている」

羽月さんの声に、私は顔を上げた。

「出会えたことも、一緒に過ごした時間も、かけがえのないものだからね」

羽月さんは穏やかに続けた。

「どちらか一方だけを救うのではなく、双方が幸せになれる道を探したいんだ」

羽月さんの言葉に、私は小さく頷いた。

如月にも、本当の主にも、幸せになってほしい。

そう願う気持ちに嘘はない。
けれど、胸の奥に芽生えた不安は、まだ消えずにいた。