唇のしたは、きみだけが知っていて

「…………卵を乗せればなんでも月見って言い張れる季節になってしまったァ」
「なにいってんの、」

 文化祭です。当日です。そうです。すんごく飛びました。一ヶ月以上飛びました。夏休みも、もぅ、終わりました。紅葉も紅葉してます。青々も見当たりません。

「はあぁぁぁぁあ」
「やめろっ、ちゃんと仕事しろっ!」

 長テーブルとの一体化を目論んている俺の脳天に肘を入れ込んでくるつぅ。的確に肘の中でもとんがっている部分を脳天に突き刺してくる。執念を感じた。

「体育館なうえに、こんなガラの悪い輩がふたりもいるところにわざわざ受付になんか来ねぇよ。実際に、さっきから人ひとり来ねぇじゃねぇか」
「うるさいなぁ、バレたら後々ねんどくせぇんだよ。こういうのって連帯責任なんだから、おまえもしゃんとしろよ」
「しるかっ」

 学校の正面と後面にそれぞれ設置されている受付。学校外の人が入ってくるときにする受付なんだが。体育館に設置されているここの受付は人が来ない。正面玄関に設置されている受付は当たり前だが相当忙しい。ひっきりなしに来て休みがないから誰もやりたがらない。
 そこに、航がいる。本当にあの日から一度も俺に触れようとしてこない。

「はぁぁぁぁあ」
「はぁ、」

 先生も先生だ。どうせサボるだろとか言って俺らを受付にしやがった。なんもやらないだけでサボるわけじゃないのに。

「いやん。先生のいけじっ!」
「文脈ねぇなぁ。お前に至っては行動無視でもあるな」
「行動無視ってなに?」
「しらん」

 こちらをちらりとも見ずに投げ捨てるかのように言う言い草に、ピキりとする。

「……牛は牛連れ、馬は馬連れって言葉、しってる?」
「類は友を呼ぶと言えばいいものを、わざわざあそっちで言うんですねぇ。水神さんは」

 やっとこっちを見たかも思えばなんだその顔は。顔の上半身だけにしわを寄せて見下してくる。みおろすじゃない、みくだすだ。名前をゆっくりと呼ぶな。

「ちぃ」
「舌打ちを声に出さないでくださぁい」
「ちっ」
「ガチの舌打ちじゃん、」

 語尾を溜めるな。なんでつぅはゆっくり言ったり溜めなりするんだ。

「むりいき、みた?」「みたぁぁぁぁ!! ふたりが幸せそうで、俺もすんごい幸せだった!!」
「それはそれはよかったですね」

 昨日、〈夢裡に生きないで〉のスペシャルドラマが配信された。ふたりがちゃんと幸せになって欲しい。なんて言葉が制作陣に届きまくったんだろう。もう殺伐とした雰囲気はなく、ただただ幸せそうだった。
 それも合わさって俺はこんなんになってるんだけど。

「むりいきもそうだったけどさ、薔薇ドラマとかでたまにこっちを視点に作品展開してくるヤツあるじゃん。あれはなんでなの。薔薇で主人公のふたりに憑依したいとか考えなくない? うん。壁になりたい」
「確かに。事が終わった朝にこっち視点なんだっ、とは思った」
「そうでしょ! あれはふたりがイチャイチャしてんのを神の目線から見せてよぉ」

 むりいきは航と一緒に見た。いつものあのバックハグの体勢で見たんだ。ちょっといい香水に、胸元がゆるゆるな、航の青みがかったグレーの服を着て。
 ……なんもなかった。

「かいちゃんって、バットエンドが好きなんだと思ってた」
「あぁ、それは完全にお母さんの影響。別にバットエンドは好きじゃないしむしろ苦手」
「そうなん!?」

 肘を立てて、最終駅の拳にほっぺたを置いていたつぅが思わず肘を長テーブルから外した。ガタッと豪快な音を立てて、肘を抑え見たがるつぅ。

「でも最終的に絶対にふたりが幸せになるなら辛くてもいいってだけ。ドロドロが好きなわけじゃない」

 「OK…」ってか細い声が聞こえる。

「むりいきはBのLだからくっついたんだなっていうのじゃないから好き」
「ん?」

 まだ、か細い。引っかかってる音がする。

「ほらっあるじゃん。これはBのLだからくっついたんだなって話。あれなんか、いやだなぁ……」
「え? 珍しい! 嫌まで行く? かいちゃんがそこまで言うなんて!! 相当嫌いじゃん!!」

 弾んでいる声に対抗するように長テーブルとの一体化を解除した。すんごいうれしそうじゃん。つぅ。痛みも弾んで飛び散った?

「いやっ、嫌いまでじゃないよ! ちょっとムカってくるだけ」「いやいや相当でしょ。かいちゃんがいやまで言うんだから。……まぁ、分からんでもないけど。無理くりとってくっつけた感じある作品もあるからねぇ」

 アサリの味噌汁を飲んだ時みたいなしみじみさを感じる話し方で共感してくれるつぅ。

「……そう。あぁ、きっとこれが現実の話だったら、このふたりくっつかなかったなって思っちゃうと、かなしい」

 そう。おれは、いま、かなしいんだ。


「――朝津 津? ……水神 海翔。終わりだ」

 背後からぬるりと出てきた見たことのない先生が俺たちの名前を呼ぶ。不自然に止まったつぅの笑顔を見ながら、決まったセリフを言うため、つぅの肩を拝借して立ち上がった。

「せんせぇ。つ、……じゃなくてつぅです。あさづ つぅ」
「つぅ?」

 口に指さしながら発音を教える。顎に置かれた指が口の動きとともに動く。つぅの発音をすると口を尖らせることになるから、かわいこぶっているように見えることだけが難点だった。

「三重県の県庁所在地は『津』じゃないですかぁ? 『津市』。現地での発音は『つぅ』と2音節になんですよ。うちはそれを採用してるんで、それでお願いしまぁす」
「??おぉう、」

 面を喰らいつつもきちんと受け取ってもらえる人でよかった。疑問符は止まらないみたいけど。

「ダサいでしょう。センスないんですよぉ、うち。普通、人の名前一文字にしますぅ? しかも同じ漢字。だから、お願いします。朝津って呼んでください」
「わかった、」

 間髪入れないつぅの追伸に、狼狽えながらも威厳を保とうと返事をする様はかわいかった。

「とりあえず水神、……朝津。終わりだ」
「「はぁーい」」


♬


「ラッキーだったね。ちょっと早く終わって、文化祭の最後の催しは見れるよ」
「ありがとね、」
「なにが?」

 俯きがちに語りかけられた感謝の意味は、小学生の頃から知っている。久しぶりだったけど、変わらずに、やわらかい感謝だった。

「ひとやばっ。ちょっと帰りたいかも」
「おいおい、結局文化祭を感じられるものってこれくらいしかないぞ? 我慢しろよ」
「わかってるけどさぁ」

 生徒数が多いから当然、ここにいる人も大人数。前のスクリーンが結局見えない。第二体育館にパンパンに敷き詰められた人を見て、踵をすり減らしたかった。

「おぉとか言ってるから、多分なんかやってんだよね」
「多分ね。なんだっけ? 文化祭の思い出? みたいなの」
「ないなぁ、おれには」
「おれにも」

 前で文化祭の思い出? が発表されているらしいけど、人だかりと俺たちの見る気のなさも相まって何ひとつ見えない。
 俺はずっと航をその気じゃないけど、俺に触れさせようと奮起してたし、つぅもつぅで受験勉強頑張ってたし。高校三年生ということも相まって、正直、思い出と呼べるものはなかった。

「帰ってもバレないんじゃね。仕事終わったし、」
「だよなぁ。帰っちゃう?」
「帰っちゃう??」

 それならそうと、どうやって抜け出そうとふたりで合作していると、どよめきが、ざわめきが、空間に広がった。それが少しずつ少しずつこちらに向かってくる。
 見たことがあるような視線で、嫌な感じが、たまらない。

「……なに? すんごい見られてるじゃん」
「ほんと……なに?」

 つぅがこのざわめきの原因を探ろうと、ジャンプをしていると、音が急に変わった。トントンって感じの軽快な音がドスンと重いものへと変わり、腕を引っ張られた。

「なにっな「かえろう、かいちゃッ――――」



『水神と架谷、ゲイなんだってぇぇぇぇ!!!! おまえそうなんだっっっっ!!!!』

 ざわめきを断ち切る叫び声がした。そしてすぐにまた溢れ出すざわめき。少しざわめきが大きくなって、ひとつの塊になっていくのを感じた。それに首元をなぞられ首根っこを持ってかれるが、いかなきゃ。
 「かいちゃんっ!!」って静止するつぅの声が聞こえてくるけど、ごめん、振り切らせてもらうね。
 ひかるが、なかに、いるから。

「すいーまーせんねぇー」

 モーゼにでもなったらしい。水の神で、海を翔べる人間だけど、陸でもそんな要素って作用してくれるんだ。歩くところが不自然に開いていった。

「やっぱ路チューってしちゃダメなんだぁ。まあこれは路地じゃないけど、」

 スクリーンにどデカく映し出される俺らふたりのキスシーン。そやできを見た、あの日のキスだった。
 油断した。学校から相当離れていて、誰も来ないようなところだったから大丈夫だと、そう踏んだ過去の自分の浅ましさが表情として浮き彫り出す。

「誰が撮ったのぉ? 盗撮にしては上手く撮れてるじゃん」

 少し背伸びをしながら微笑んでいる俺と、まぶたを少し開けて、今から俺を享受しようとしている航の姿が綺麗に映し出されていた。ドラマのワンシーンに見えなくもない。ドラマにしては欲が全面に出ているけれど。

「今さら、俺らじゃないって言っても無理だもんなぁ。ひかる」

 作為的に空いている航の空間歩みを進めると、『きゃーここであれ再現しないでくださいよぉ』なんていう野次が聞こえてきたから、再現してやった。
 俺は満面の笑みだし、航は表情が抜け落ちてたけど。

『『『『『ぎゃぁぁぁぁあああ゛あ゛』』』』』

 ざわめきが一瞬で鎮まり、今度は体育館が揺り動いた。北半球が南半球になったかもしれない。それほどの大絶叫だった。ふたりでこの場を掌握できたような気分がして、ほんのちょっと諦めの色が薄くなっていく。
 これが本当の近所迷惑なのかもしれない。近隣住民から学校に騒音の連絡が来たとしてもおれらはぜったいに対応はしない。先出しジャンケンしとく。
 悲鳴も歓声もごちゃまぜな声ってこんなにうるさいんだ。

『えっえっ、お前らどっちがどっち??』

「うーん。……今日「ころすぞ」かもっ!?」

 顎に人差し指を当てながらぶりぶりしていた俺の手を取り、俺を後ろに隠して航が言う。航が絶対的に言わないであろう言葉を聞いて第二体育館がまたしても静寂に包まれた。
 苛立ちを隠さずにかき乱す髪が色っぽい。瞳と表情も何もかも俺のだから見せたげない。俺ケチだから。

「俺の彼氏がご機嫌斜めだから帰るねぇ? ばいはぁーい」

 俺と航ふたりでモーゼだったのかもしれない。今度は不自然ではなく、自然と道が作られていく。
 航の架け橋で、俺の海を一緒にわたってくれるから。俺は翔んで、航はわたって。だから俺たちはふたりでひとつなんだ。


♬


 あの体育館の中に、俺らの後を着いて行けるほどの心臓に釘が生えた強心臓の人物はおらず、ふたりっきりで、手を繋いで、コツコツとローファーを鳴らしていた。

「――――お忘れもんじゃないですかっ? おふたりさん?」
「つぅ!!」

 俺たちふたりのバックを持ってかけてきてくれたつぅが執事のように言う。前髪が少し上がっているのを見て、走ってきてくれたんだってわかる。

「ごめんごめん……え?」

 両手をひょいと上げて、俺らのカバンを取らせないようにするつぅ。顔が何かを企んでいる顔をしていて、「いま?」ってなりながらも見続けるしかできない。

「なんで?」「知ってる? 王道の恋愛の物語にはねぇ、二番手がいるもんだよ。主役を食っちゃうほどに魅力的な脇役が。そういうやつは決まって結ばれない。だから魅力的なんだよ。……でも、結局お前らは王道でもなんでもなかったし、そもそも物語じゃなくて現実の話だしね。だから残念ながらそんな脇役はいなかった。いればもっと面白かったのにねぇ。お前を助け出して掻っ攫ってキスして、それで結局奪われてしまう。そんな可哀想な奴」

 俺らのカバンを肘のくぼみに持っていき、俺を指さしながらケタケタ笑う見たことのないつぅを見て、さっき見たスクリーンより動揺した。

「つぅ?」「知ってる? 中学の時にお前が倒したボスいるじゃん? あの人、当時付き合ってた恋人と海外で結婚したらしいよ。たしかオランダだっけ? 初めて同性婚を認められたところだからってそこで結婚したらしいよ」
「はっっ??」「えっ??」

 さすがの航も無表情を保つのが無理だった。あの人が、あの方と……。
 ボスには悪いが、治安の悪いあの学校を生き抜くために利用をしている、みたいな感じだったからとてもじゃないが愛し合っているようには見えなかった。実際に俺に負けたボスを捨てたってきいてたんだけど……。

「え? 何がどうやってそこに着地したの」
「なんやかんやあったんだって、」
「そのなんやかんやをしりた「知ってる?」「くたばれよ」

 こっちの返事なんてはなからいらないのだろう。ドンドコと神輿のように進む話をもう、垂れ流しにする。

「俺が汗っかきなのは秋田出身だからだよ」「絶対関係ねぇだろ」「それはっ、どうだろ~~」

 え、関係あるの? 汗のかきやすさが、出身地に??

「知ってる? おれ、留学行くんだっ」「「ぇ゛!?!?」」
「どこにどこにいついつ????」
「朝津……」

 垂れ流しできない言葉が耳の横を横切ってきた。さすがに呆れた声を出す航と、ただただ困惑と悲観が混じった声を出すふたりで、さっきの体育館を越えられるだろうか。

「イギリス…………だから、ベース預かってくんない?」
「え?? もってかないの、イギリスに」
「うん、」

「…………やめるの? ベース」

「まぁ」「えぇ~~、なんでっっ!! ベースってつぅにぴったりだと思うんだよね。なんでもかんでも支えようとしてくれる、それがないと成立しない。ほんっとに、つぅにぴったりだよ。最初は消去法だったかもしんなっ「ちがうちがう。完全にやめるわけじゃないから、」
「そうなの?」

 いつの間にか俺らのカバンを盾にして俺を押さえ込んでいたつぅが吐き出すように言う。

「俺って将来何したいんだろって考えたときに、音楽が真っ先に出てこなかったんだよ」
「え、」
「確かに音楽はめちゃくちゃ好きだけど楽しいけど、仕事にしたいなって言われると違うのかもなって。だから一旦音楽から離れてみて、本当に俺自身が音楽を欲しているのか知りたくて。だからやめるわけじゃない。ちょっとの間離れるだけ。俺が主人公の曲もまだ書けてないし」
「…………そう。」

 正直、ベースで生きていかないつぅの姿はいまは検討もつかない。ベースを弾きまくっている姿をずっと見てしまっているから。
 でも、つぅなら、そんなのも吹き飛ばすようなものになる気がする。だからかなしいし、かなしくない。

「あっ、これさいごの曲ね。ごめん。結局最後まで作れんかった。断片的に歌詞書いたし、なんか適当に付け足して、題名もかいちゃんが適当に決めて。ベースだけちゃんと弾くからっ!!」
「え?」

 カバンと共に押し付けられる歌詞カードをこぼさないように抱え込む。

「つぅ!!」
「なんかあったら公衆電話で連絡して、イギリスから飛んでいくから。あっ!! 主演はおまえらバカップルかもしれねぇけど、主人公はおれだからっっ」

 捨て台詞を吐き捨ててピースしながら手を振るつぅが遠ざかっていく。いつもはピンとしているつぅの背中が少し丸まって見えた。いつもならもうとっくの間に目を隠されているのに隠されないのは航もつぅを真っ直ぐ見ているから。その顔が、

「……それってなんの顔。喜怒哀楽のどこにも属さない顔しないで。ごめん。まだ、受けとめられるくらいの技量、持ってないわ。ちょっとまって」


♬


「おれ、ひかるのことがすきだよ」

 あからさまに上がった視線と気温を見つめながら続ける。

「例えば、俺より身長高いのに上目遣いになるとこ、好き。俺と同じ目線になろうとしてくれてるからだよね」

 航の瞳が緩み始める。だから、頬を掴んだ。

「他にも前髪! 俺が前髪長いの好きだって言ったから生徒会なのに校則ギリギリの前髪してくれてるんだよね?」

 航の眉も緩み始める。だから、そっと撫でた。

「次は声。航、ずっと羨ましくて、かっこよくて、……いまは、愛おしい。俺しか知らない声色をずっときいていたい」
 
 航の口元も緩み始める。だから、溢れ出す前に塞いだ。

「……他にもいっぱいいっぱいあるよ。航の匂いも好きだし、考え方も好き、仕草だっていちいちきゅんとするし、航の抱きしめ方も好き、キスも、……たぶん、それ以上のも。…………ひかるっていう存在が、すき、」
「かいと、」


「だから、……今からひどいこと言うね」


「………うん」

 痛々しい声に身体に、存在に、やめてしまいたくなるけど、それは俺たちにとってよくないことだから。

「つぅがさ、腹をくくってくれたみたいたがら俺もちゃんというよ」

 つぅと俺が呼ぶ度にそんな顔をさせてしまってしまっていたのか。航の瞳にそっと口付ける。

「歌詞カード、見たでしょ? あれは、おれのことだよ、ぜんぶ。つぅは、俺のことを好きでいてくれてたんだね」
「……しってるよ、そんなことくらい。同じなんだからっ、いやでも気づくよ」

 ついに溶け出してしまった航の形を保たせるために身体中にキスを落とす。抱き潰す。

「……たぶん、おれの初恋はつぅだったよ」
「しってるよ、そんなことっ!!」

 咆哮にちかい声を耳元に感じながら航の存在をたしかめる。声が、息が、匂いが、そばにいるのはひかるだって、おしえてくれる。

「はじめての恋も、…………キスも、つぅだったけど。でもっ、これからのはじめてはぜんぶひかるのものだから。今こうしてここにいるのがすべてでしょ? あげるからあげるから、だから、ちゃんと受け取ってよ。俺もこんなことしかできないの。ひかるのこと、あいしてるの」

 まだ俺の泣く番じゃない。泣く番じゃないのに泣けてくるのはやっぱり、航のことが大好きだから。
 恋は盲目というが、俺たちには恋は失明の方があっていると思う。


――エンドロールのあとに、続きがあることをあなたはしらない。
 うん。しらなかった。
――先に愛やら恋やらを教えていれば隣にいるのは絶対に私だったのに。
――私のものになんかならなくていいから、あいつのものにはならないでほしかった。
――さいごにキスをしてと言っても、あなたはキスしてくれないでしょ。そういうところがすきなの。
 うん。しない。
――あの日、燃やし尽くしきれずに燻っていたものがやっと、燃やし尽くせる。やっと、楽になる。
 ありがとう。
――いつまで経っても隣に来ないカバンに、もしかしたらと思うのはやめにするよ。
――わざわざ傘を隠して相合傘をする権利が欲しかった。
――あなたと私の心音が同じ刻み方ではないことが何よりの証拠で。そのことにも気がついていないんでしょう?
 ごめん。 
――後ろ姿の変化に目を背けなくなってきた。
――いつか死ぬとわかっていても、毒に犯されたままがよかったの。だから解毒薬を与えないで。心が洗われちゃう。袖すら掴ませてくれなくなって。手摺が憎くて憎くて。夜にしがみつく。情けなくて清々しい。
 おれにもそんな夜があった。でもそれを与えたくれたのはひかるだから。
――忙しないあの電話は私とあなたしか知らない。
 うん。
――あなたに歌ってもらってやっと、


 断片的にしか見れない歌詞を、もう、なぞることは俺にはできないから。この曲が完成したらしぬまで歌うよ。

 つぅ。おれの人生、つぅがいないとだめだった。つぅのベースが、ギターが、声が、存在が、なかったら、おれ、消えてなくなってたと思う。ちゃんとおれをとどめといてくれてありがとう。ほんと、ありがとう。ごめんね。

「だから、ひかるもおしえて? ちゃんと、おしえてよ。航が好きなのものを好きって、航が嫌いなものを嫌いって、心の底から思える自信はないけど、言い切れる自信はあるから。一緒に生きていきたい。ずっと、一緒に」


 ちゃんと、くるしませてよ。


「……ほんとうは歌わないで欲しい。…………あんな姿、他の人には見せたくないし、なにより魂削ってるからくるしくなる。でも、羽根をもぎ取るなんてできない。来世も一緒にいれなくなるからっっ」

 肩にめり込んでいく航が、かるく感じる。

「誰にもだれにも見せたくないっっ。でも好きを制限させた結果がどんなのかはいやってほどわかってるし、もうあんなことしたくない。バカ正直にあんなやつらに従って、海翔の好きを奪おうとした。好きなことしてるかいとが好きなのにっっ、」

 ひどいかおだった。垂れ流されたものはきれいだなんで言えないけど、キスがしたかった。すきだから。

「かいとのことになるとぼくはいっつもっ!! なんっっもうまくいかない。むしろやればやるほど悪い方向に行く。だからちゃんと学んだよ。ちゃんとひとりでっ「ひとりでやるからだよ。ふたりで、でしょ? ふたりで、ずっと一緒に、学んでいこうよ。ひとりで学ぶから結ばれるのにこんなに時間かかったんだ。……でも、もうそんなことはないよ。ふたりだから。うまくいかなかったから、今の俺たちがいるじゃんか」
「でもでもっほんとうに自分の欲求を満たそうと努力を重ねる度に悪い方向に行くんだ。ほんとに今度はまちがえたくない。だから逆の方にして。ぜったいに終わりたくないから。だからっ、」

 うれしい。航か絶対なんて言葉を使ってくれている。
 癇癪を起こした子どものように言葉を重ねる航に触れる権利が俺にだけあると考えると、俺のせいでこんなことになっていると思うと、うれしい。

「航」

 特別珍しくもない名前。ひかる。航。読み方は珍しいかもしれないけれど、俺は航以外のひかるを知らないからノーカンということで。
 その名前を自分ができる精一杯のやさしい声で呼んだ。幼稚園児に優しい声をかけようとして号泣されてしまっているからあっているかはわからないけど、伝わると思う。だっておれしか知らない顔してる。
 なにも怖くないって、つらくないって、くるしくないって。なにもかもうれしいって、しあわせだって、つたわれっ!!って、呼んだ。
 俺の中では特別で愛おしいって伝わったみたい。唇をついばまれて実感した。

「かいとっ」
「ひかる、」

 飽きなんてこないからずっとキスをしよう。唇がなくなっちゃうか、唇しか見えなくなるくらいにキスをしよう。

「……ぼくには、もう、性愛以外に明け渡せる愛情表現がない。本来使うことのない部分を使ってまでも、体を変化させても、かいとと繋がりたいってことを伝える以外に、以上に、ぼくにはもう、愛を伝える手段がなにもかも残ってないんだ。こんなに好きなのに愛してるのに、それはぼくの言葉だけじゃもう、伝わらないんだろっっ。ぼくがそうさせてしまったんだ行動で。だったら行動で返すしかないっ。せめて、元通りにしたかった。かいとの羽根をもぎ取る以外にかいとを自分の元にとどめておく方法が思いつかないぼくが、やっっと他に思いついた方法なんだっ!! 頼むからうけとめてくれよっっ!!!!」

 いたい。いたいなぁ。

「いつまで経っても当たり前を当たり前に扱わないかいとの当たり前になりたいんだ。だからっっ、おねがいっっっっ、」

 どのことを言っているかわからないほど航に傷つけられたし、俺も傷つけた。でもきっと、

「あのときのこと、気にしてるの? どっちもどっちってなったじゃん。足元ちゃんと見なかった俺も悪いし、いきなり掴みかかったお前も悪かった。これで、仲直り。喧嘩両成敗って。……引きずりすぎ。唇もほらっ、かわいいでしょ? 花びらみたい」

 きっと落ちてしまった唇を指さして微笑む。そして、航はさらに泣く。嗚咽混じりが再来した。

「航、聞いて?」

 落ちてしまった顔を拾い上げて囁く。

「歌も全部ひかるのため。俺の歌で好きを自覚してくれたからそんなこと思ってくれてるんだよね?」
「うん、」

 中学三年生の最後のライブの時、俺は鼻血を垂れ流しながらエクステのついた髪をぶん回して歌っていた。それで俺の好きを、自覚した。馬鹿な航。かわいくてたまらない。

「じゃあ、気にしなくていいよ。ぜんぶひかるのために歌ってるから」

 航に光が入っていく様が綺麗で、「でもっ」

「ひかる。……正直わからない。自分が同性愛者とかゲイだとかそういうのも、ありえないくらいに当事者のくせにほんとにわかんない。あんなこと学校でしたのに。たらればとかも、よくわかんない。俺がお前が女性だったらとかも思ったこともないし、想像できない。男だったからお前のことを好きになったのかとかもわかんないし、性別関係なくお前だから好きになったのかもわかんない。でもぜったいに言えるのは、俺はお前のことをエロい目で見てるってこと。抱ける。めちゃくちゃ抱けるよ。正直後半はもう意地だった。なんであんなに抱きたいって顔で見てきてるくせに抱かないのかって、なんかあるんだろうなって思ったら抱けなかった。姉ちゃんが帰ってきた日に確信したよ。だって、好きだから。大好きだから愛してるから。もしかしたら、世間にとってはこれは愛とかそんなもんじゃないのかもしれない。でも俺は航からこれが愛だって教えてもらって、これが愛だって思うようになったの。だから愛なの。ふたりでこれを愛だと呼ぼうって覚悟したんじゃん。だから俺はずっーーーーと航のことが好きだし。愛してる。お前だってそうだろ?てかそうであれ。名前なんて重たいプレゼントをあげといてやっぱナシとかになったら殺すからな。愛してるの。だからおれも、おまえが、ひかるが、本当にやりたいほうをしてほしかったの。でも考えてみれば別にこんな役割ってのに囚われる必要なんてなかったんだよ。そういうのに囚われないことが俺たちみたいな人たちの、だけのものだから。だからどっちもやればいいしやらなくてもいいし。なんでもいい」

「どうしたい?」

「…………したい、」


 この姿の俺を独り占めできるのは航だけだよ。リップは頑固なのにしたから。でもちゃんと落ちるよ。だから、落としてね。ちゃんと。俺の唇のしたは、航だけが知っていて。