唇のしたは、きみだけが知っていて


 時計の針が天に指し示される一歩手前、いや二歩手前か。やたらと鳴り響く生乾きの木肌と冷たい鉄が規則正しく刻まれる音。そこに半歩ずれるように二分の一時計台、みたいな大きさの時計がストーキングしてくる。しかしそれ以上に、歯の隙間に糸を通したかのような呼吸音と、水を欲している犬のような呼吸音が鳴り響いていた。

 やっぱり彼シャツか? 王道中の王道だよな。

「水神くん?」

 いやいや、身長差はあるけど体格差というか、胴の長さは別に変わんねぇか。モロ見えかもな。きちぃ。きしょくわりぃ、ひくわぁ。

「み、水神くん、?」

 俺がメイド服とかレースのエロい下着つけてもただただ気持ち悪いだけだもんな。ぱっと思いつく誘惑が何ひとつ通用しねぇ。殺したくなるだけ。

「……水神くん、」

 いつもは上目遣いで「お願いっ!」ってうるうるさせれば大体いけるんだけど、今回は泣けばイチコロな感じじゃなさそうなんだよな。どうしよ。

「……水神くん……」

 いっそのこと襲うか? 誘うのがダメそうなら襲えばいいんじゃねっ! って、漫画でもないんだしダメか。だめだめ。恋人とか関係ねえ。犯罪犯罪。

「はあ、「…………みずかみくん」


「ひやぁ!! てんちょ、う」

 決してか細くない。生きたいと、生命に縋るような悲鳴だった。消え入りそうな悲鳴だったらまだよかったかもしれない。しかし、助けを呼ぶにしては俺の悲鳴は図太すぎた。

「本当はいやだった? 夜勤。ごめん。ごめんなさい。成人したとはいえまだ高校生の水神くんに夜勤はどうかと思ってたんだけど、そんなこと考えていられないほど人手が足りなくて……。でも泣くほどつらいなら、耳が聞こえなくなるくらいつらいなら、相談してくれてもよかったのに…………あっ、こういうのって上司に相談とかそんなの易々とできることじゃないよね。ごめん。本当に配慮が足りなくて、ごめんなさい。ぼくはほんとうに、こういうところがダメなんだよほんと。あのときもそうだったよね、「違いますっ!! ちょっと考え事しながら切ってたから余計に玉ねぎが染みただけです!! こちらこそ仕事中に考え事なんてしてごめんなさい。次からはしませんし、もう、ゴーグル持ってきてゴーグルつけながら玉ねぎ切りますっ!!」

 あの夜。俺が近所迷惑をぶっぱなした夜にしたくて頑張って頑張ってもできなかった五感停止。それが今、こんなことでできていたらしい。自分の思考で脳のメモリーをパンパンにして停止を目論んでいたのだが、きょう、できた。ぜんぶ航のせいじゃん。
 涙を流してきたことにも気がつかなかったし、そもそも無意識で玉ねぎを切っていた。聴覚視覚嗅覚触覚。五分の四。コンプリートだった。でも店長もガン無視していたらしい。
 自覚した途端、この空間にいる玉ねぎの粒子が一斉に俺を攻撃してきて目が痛い。思わず目を押さえるが、その手も玉ねぎ粒子だらけで余計に、いっったぁっ!!

「水神くんっ!! 何料理初心者が陥るような、子どもがやっちゃうようなミスしてんの!? はやく目、あらって、はやくっ!!」

 「ごべんなさい゛〜」と謝りながら目をこすり続けるしかなくて、でも洗っても洗っても痛かった。鼻水をすする。

「ずっとおかしかったんだよ今日。首傾げて悩んでる顔したかと思ったら、頭振って眉間にしわ寄せて、人ひとりでも殺してしまいそうな怖い表情するし、そしたらいきなり泣きそうな顔もする。そんで極めつけにはなんか覚悟決めた顔するもんだからもうダメだと思って、たすけなきゃいけないって、おもって、もぉう」
「すみませんでした」

 髪から顔面から滴りすぎる水滴どものことなど気にすることなく、頭を下げる。直角九十度。分度器を持ってきてもらっても構わなかった。ぼたぼたと滴り続ける水滴どもが響いてしまうほどの空間ではなくてよかった。誠意が伝わる気がする。申し訳なかった。申し訳ない。

「そんなっそんなっ!! ちがう!! 注意をしたいわけじゃなくて、いやな気分に、苦しい気分にさせてないかなって。水神くんが」
「店長、」
「人に嫌な気持ちになんてさせたくないし、ましてや自分たちの店で働いてくれてる人たちには余計にさせたくない。ぼくがきにしぃなだけかも知れないけど、」

 店長は存在がありがたい。もはやなんか御利益とかありそう。
 バイト自体初めてで、ほんとになんにもできなかった俺をいちから育ててくれたのはもちろん店長だし、俺が航との色々でバイトをドタキャンしても、ちゃんと怒ってくれた。あまりにも人として出来すぎている。

「てんちょ〜うぅ」
「うわっ! 濡れちゃう、濡れちゃうから!!」

 そう言いながらも俺の抱擁をちゃんと、受け止めて背中に腕を回してくださる。
 背中にぬくもりを感じない抱擁が、どれほどさみしくてむなしいものかを知ってしまっている俺にとっては、身長が伸びるくらいうれしかった。
 人間が冷やしてはいけない心臓とお腹は十分に温まっているのに、寒いのだ。さむい。つめたい。

「お仕事頑張りますぅ〜。夜勤もバンバン入れてくださぁい〜〜!!」
「それは、ちょっと。ちゃんと頑張ってそこは調節します」
「あはぁ〜ん!!」


♫


「もうあの量は終わらないかと思ったけど終わってよかった〜。あの量がドレッシングになるって考えたらなんか、怖いけど。てか、玉ねぎくさっ」

 魔女の鍋くらいデカいボウル三つ分の玉ねぎを切るという大仕事をこなしてきた。本当はこのあと、あれをミキサーにかけて恐ろしいくらいの油と酢と他にもなんやらいっぱい香辛料やらスパイスやらを入れて特製ドレッシングを作るまでするつもりだったが、八時間をゆうに越えそうになったからあがった。
 仕込む度にあんな量消費するかとか考えるんだけど、店長の店だけではなく他の系列店にも真空して届けるから本当にすぐ無くなる。セントラルキッチン? だっけ? そんな名前だった気がする。

「香辛料とスパイスって同じ意味だっけ? まぁいっか。今店長は特製ドレッシング作ってんだよな。マジ大変。てか、真空もしなくちゃじゃん!? やっぱ残った方がよかったくさくね。でもそうしたらさらに休憩入れなくちゃいけないし、拘束時間が……、でもなぁ、」

 もし残っていたとしたら店長の身体的な、体力的な部分はすごく助かっていたかもしれない。でもきっと、心情的な、心身的な部分はどのすごく負荷がかかっていたと思う。
 店長はほんと、人に頼るのが苦手というか、頼るくらいなら自分でやるみたいなタイプだからなぁ。だから今回ちょっと残ってくれない? って言われたとき、めっちゃくちゃうれしかったんだけど、それって伝わってんのかなぁ。
 今さら考えてもどうにもならないことを考えてしまうのが人間で、そうやって心を酷使したら身体が止まってしまうのも人間だ。俺は温かい色なのに温かくない街灯に照らされながら立ち止まった。
 立ち止まると、電源を付けていないとただただ邪魔なだけの鉄の板の存在が重く感じた。

「航、心配してるかな。うげっ、これ全部航? 着信やばっ、」

 帰るなら連絡くらい入れとおこうと電源を入れると、おびただしい量の着信履歴。テスト前とかに配られる、ひたすら計算式が書かれた数学の課題のプリントを見た時みたいな反応をしてしまった。
 あれほど日本を感じるものはない。強制じゃないですよぉ、とうたいながらちゃっかり回収するもんだからやるしかない。暗黙の了解、空気読み。クソ喰らえだ。

「やばいやばい? 何がやばいの? しぬ?」

 大量の着信履歴の下に埋もれるようにラインがいた。最初はただメッセージだけだったが段々と電話が入り、最後の方は電話しか掛けてきていない。人間が限界を迎える瞬間がここで垣間見えた。
 その中で一等に輝く目に入るつぅからのメッセージ。

 つぅがしぬなんて言葉を使うなんて。

 俺もそうだかつぅも生死に関わるような言葉をそんなホイホイと使うオタクの文化をそこまで好いているわけではなかった。
 自分の中に抑えきれない、溢れ出てはたまらない気持ちをなんとか言語化しようと考え抜いた結果だということは重々承知だ。言葉を大きくしてなんとか伝えきろうとしているのだろう。気持ちはわかる。でもそれにしたって、そんな言葉を悠々と。ってタイプだ。

「あ↑さ↓づ→さぁ~ん?」


「……ぇ゛、くたばっちゃう!!??」

 意地でもその言葉は出さなかったが、同義語と言われても仕方がない質量だった。

「かいとっ!!!!」
「?!?!ひかるっ!!!!」

 首元がゆるっゆるで、一般的には三軍、もしかしたら四軍レベルのくたびれた黒いロングTシャツを着た航がかけてくる。もはや羽織っているのかもしれない。

「ひーちゃっ」

 あっ、ぜんぜん黒じゃないじゃん。ぐんぐんと向かってくる航が街灯の光を浴びる度に見えてくる本来の色。めちゃくちゃグレーだった。こんな服あったっけ? 少し青みがかったグレーだ。好みだ。
 体をジャンプさせながら手をブンブンと振っていたのを思わずやめてしまった。
 これなら彼シャツできるんじゃないか? ほとんど忘れかけていた作戦が、年季が入りくぐもった色しか発せられない街灯に照らされて思い出した。あれなら下着とかは見えないし、ちょうどギリ萌え袖くらいになるんじゃないか? ガッツリ見える太ももに、キスマークとかつけられちゃったりして!?


 …………〈粗野なるものの耽溺〉にもあったな!! そんな場面!! うひゃ〜たのしみっ、たのしみぃぃ〜〜!!
 海翔、海じゃないけど翔べますっ。

「こんっっつっなっっ!! 時間までっ!! 遅くなるなら連絡してよっっっっ!!!!」
「やばくない? ヤバくない!? 〈粗野なるものの耽溺〉映画化だって!!」
「へっ?」

 息を殺しながら血気迫る航に両肩を押さえつけられながらそう答える。そう。なんと映画化が決定したのだ。何がどうしてあんな昔の薔薇漫画を映像化しようとなったのか、それはまっったくもっってわからないけど、決定に踏み込んでくださったどこかのお偉いさん。ありがとう!!!!

「しかもしかもっ、昔の絵柄でやってくださるみたいなのっっ!!」
「……そうなんだ、」
「さすがにデジタルだとは思うけど、どんくらいの質感で描いてくださるのかなぁ。もうっ! 想像しただけで……、お母さんに連絡しよっ」
「ちょっとちょっと、夜だよ?」

 自分の後ろ姿を鷲掴みにする航。指の間からちょうどパーカーのフード部分が見えていた。
 俺の待ち受け画面は、航の後ろ姿だ。
 えらいものすごくカップルっぽい。実際にカップルだけど。
 ちなみに航の待ち受けは満面の笑みの俺の写真だ。ちなみにちなみに、一か月に一回変わる。前月に撮った写真の中で一番いいものを待ち受けにするのだ。小っ恥ずかしいといったらありゃしないけど、思った以上にうれしいものだった。
 航も俺の待ち受けに恥ずかしがっているが、定期的に待ち受けが変わっていないか覗いていることを俺は知っている。かわいい。

「どこにいるかわかんないけど、たぶんあっちは朝でしょ」
「それにしても、でしょ」
「じゃあ航のお母様に連絡す「あいつらに!? 持ってんの連絡先!!」「持ってない」


「はぁ、」

 俺の両肩が余計に重くなった。心底疲れましたって顔をしながら歯の隙間からため息を押し出す航。九連勤したときの俺みたいだった。

「いたたたた」

 めり込んでいく。手の跡がついたら、つぅになんて言い訳すればいいんだろ。多分無意識でやっていることだから俺がやめてって言えば航はやめる。でも航は俺に怪我とか痕とか、体にも心にも傷をつけたくないのだ。目に見える身体に関してはより一層注意している。心情に気を配っていないわけでは、もちろんないけど。
 多分、そういう雰囲気になっても痕なんて一切つけないんだろうな、この堅物野郎は。やってやってって、こっちが熱望したとしてもしない。
 だからなんかちょっとうれしい気がする。痛いのが好きだとかじゃないけど、高二の時に航につけられた唇の下の痣も、なんかかっこいい気がするから好きだった。お花に見える気がする。花びら。
 でも航は見る度見る度に顔をしかめるから色つきリップは必需品だった。航だけじゃない。見て別にいい気分になるわけではないから、学校でもどこでもつけまくっていた。

「…………バイトお疲れ様、」
「うん、疲れたよぉ」

 人目も気にせずに抱きつく。気にする人目がないんだけど、航はこうすると喜ぶから。


 ――――俺が航の連絡を返す前にそやできの情報を見たいたことに、その情報源がつぅだって気がつかせないために。


〜♬〜

【5月17日:バイト先に野球部で理系で地球人の新人が入ってきた。そやできがそやできだった。見返した。】
『新人さん? よろしくねっ。水神、海翔です』
『よろしくお願いします! 先輩さん!! 野球部です。理系です。地球人やってます』
☆意図せずに生唾を飲んだ。酸素が薄くなった気がするから、新人さんは地球人ではないのかもしれない。結局、名前は教えてくれなかった。明日もシフトが入っているので店長に聞いてみようと思う。

「情報が濃いぃ〜〜!! そやできが、そやできがっ!! 新人さんくらい濃いぃ〜〜〜〜!!!!」
★航が買っていたリメイク版三巻までを読んだ。そやできがそやできだった。そやできが、氷室先輩が妖しかった。腰まである銀髪がちゃんと銀髪だった。

【5月18日:ポルチーニ3世。金欠。】
『……ポルチーニ三世? ……うちにあるポルチーニパスタを見て決めたわけではない?
『え? 店長はちゃんと本当の名前知ってるんだよね?』
『え?店長、ちゃんと面接したんだよね?』
『え? てんちょ、なんで教えくんないの?!』
☆とりあえず、チーニって呼ぶことにした。てんちょはなにひとつおしえてくれなかった。

「え゛!? 結構ていうかだいぶそうじゃん!?!? うひょ〜〜〜〜!!!! そやでき!!」
★リメイク版、結局全巻買った。航が買ってた三巻分も、結局買った。シフトめちゃくちゃ入ってるのに金欠だ。悲しいことになくなった部分も多かったけど、新たに入った部分もよかったからよかった。めちゃくちゃ金欠だけど。そんなこと航に言ったら貢がれるから言わない。

【5月29日:航から身体が震えることをされた。長髪銀髪・細腰・フェロモン。】
『なんも塗ってませーーん。元の色がこんなに鮮やかでかわいいだけですぅーー』
『そんなはずないだろっ』
『せんせっやめてよっ!! 触んないで!! お触り禁止です!! うちそういうサービスやってません!!!!』
『~~みずかみぃ!!』
『っ先生!! ぼくから注意をしておきますのでっ、』

『……かいと、』
『――いやん、いけじ』

☆あれで抱かれようはおかしい。「変なことはしないからっ! 手は出さない!! ぜったいに!!」と言い部屋に連れ込んで、本当に手を出さないくらいおかしい。

「……動いてる。……色ついてる。…………喋ってるぅ!!」
「かいとっ?!」
★いいにおいがした。

【6月11日:ちなみに高校は偏差値高いとこ、らしい。予告。】
『二、三グラムの誤差なら大丈夫だ『ダメです! 理系なんで!!』
『……そう、』

『葉物だから『刃物ですね! 気をつけます!』
『……刃物じゃなくて、葉物ね』
☆頭は、いいらしい。人間、やっぱり容姿じゃない。たぶん。

「…………しねない。これ観るまでしねないっ!!!!」
「観ても死なないでよ。ふたりでやりたいこといっぱいあるし。……夏休み、忘れてないよね?」
★予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。矛盾。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。予告。お母さんごめん。部屋入った。

【6月24日:ライブ】
『……んっ、リップ。移っちゃうよ?』
『いいよ。にあう?』
『似合う。……でも、人来ちゃう。見られちゃうかもよ?』
『いいよ。本望』
『ふふ、本望ってッ『――』
☆ライブした。きもちよかった。最近買った新しいブルーのシャドウ、当たりだった。散々汗かいても落ちなかった。おちなかった。きもちよかった。航から貰ったコルセット風の洋服もチョーカーも好評だった。さすがだった。歌ってても苦しくなかった。きもち、よかった。

【7月4日:半年記念】
『記念日にケーキとか作っちゃうとか、記念って感じだね』
『そうだね』
『そうだねじゃないでしょ。航、なんもしてないじゃん』
『……そうですね』
☆お荷物。お荷物を抱えながらで五時間かかった。ワンチャン一曲くらいはつくれる。ケーキ作れるのって、何力なんだろ。

【7月14日:映画公開前日】
「……なんでまじまじと広告見てるの? スキップ、もう出てるけど……」
「無料で見るのは申し訳ないので、広告は飛ばさずに見てます」
「……そうですか、」
★お金はきちんと下ろした。予告は三十+α回、見た。お母さんの分のグッズも買う。朝イチ。起きろ。しぬな。

~♫~

「はあ゛ぁぁぁぁぁぁあ」

 さいっっっっこう、だった。いきてたわ。存在してた。スクリーンってやばっ。

「ほんと、色々すごかったね。原作読んである程度抗体できたかと思ってたのに、全然だった。すごかった」

 本当にしみじみと滲み語る航にニマニマしてしまう。さすがになくなった表現も多かったが、それでもよかった。大満足。令和版にアップデートされたそやできもそやできだった。声も演技も想像通りで、そやできの世界が確かにそこにあった。

「まだ夢なんじゃないかって思うもん。確かに観たのにこの時代に『生徒会長×留年先輩』『黒髪メガネ執着攻め×長髪細身の生意気受け』が存在するなんて……。ちゃんと拘束してたし、拘束してたし、」
「ほっぺた摘もうか?」「おねがい」

「え?」

 冗談で言っただろう言葉を意気揚々と咀嚼して吐き出した。冗談を冗談と認識できる部分は映画で焼き切れた。
 くいくいと頬を突き出す。無駄に膨らませたりもせずに、本当にただただ突き出した。そろそろと震える指で摘むだなんて言えない力加減で触れてくる航を感じながら、「放置しすぎたな」と思う。
 最後にちゅーしたのって、いつだっけ? ライブ??
 少し触れるだけで熱をきつく認識してしまうくらいには放置してしまった。

「ふっ、」

 そやできを見て、努力をせずともわかり合える関係が本当の恋人関係と言うのかもしれない、と思った。そんな感傷的になる映画でもなんでもないんだけど、なんか、思った。俺がそやできを、づきむろを好きなのは、結ばれるべくして結ばれているふたりだから好きなんだと思う。
 おれらはふたりはたぶん、そうじゃないから。
 王道だとか、そんなことをつぅは言ってくれるけど、たぶん、運命ではないから。これを運命とか、言えない。歪すぎる。
 づきむろのふたりの関係を恋人だと言うのならば、俺らのこの歪で形どれないものは世間体的には恋人関係とは言いきれないものだ。だってお互いが努力を怠わればすぐに悪い方向に行ってしまうから。
 形どれる綺麗な円が世間一般的な綺麗な恋人関係だとしたら、俺らのはぐにゃんぐにゃんに変形していて。それをふたりで何とか力いっぱい引っ張って、なんとか円に見えるようにしていたのだけど、それはどっちかが力を向いてしまえば歪さがすぐに垣間見えてしまう。
 だからやめたんだ。そんな疲れること。
 歪な形をなぞりながらさらに歪にした。おれは、それがすき。だいすき。
 世間が欲する幸せを幸せと呼べないのであれば、さらに歪めて歪めて俺たちだけのものをつくってしまえば、世界でひとつ、ふたりだけのものになる。
 だから、歪をもっと歪にするために俺らは努力をしなければいけない。話し合わなければいけない。

「かいと、今夜さ『よかったわぁ!』
『あたしは大人すぎてよくわかんなかったよぉ』

 交わり爆せていた花火を不意に握りつぶされた。重めで低めな舌打ちが聞こえてきてきちんと肘をお見舞いしたが、本当はその唇を自分の唇で塞ぎたくなっていた。俺は航と違って常識人だしそんなことはしないけど。
 でも、今日つけてきたティントをいつもライブ用でつけているリップにすればよかったなとは思った。ポップコーンを隙間という隙間に入れ込みたかったから落ちないやつにしちゃった。

『今日致死量の平成を浴びた気がする。いやっ! 平成というか、平成アングラ感を浴びた気がするっ!!』
『平成アングラ感ってなんですかぁ?』
『重厚で少し背徳的な文学風なBLだと思わせておいて「黒髪メガネ執着生徒会長×長髪細身の生意気先輩」という平成の王道プロットが怒涛の熱量で展開される構成は、当時の同人誌や文庫の空気感そのものだったし、』
『無視ィ?』
『なによりなにより、学校内の上下・立場逆転の構造の中で、互いに引き返しがつかないほど肉体と感情に溺れていくドロドロの依存関係がっ、たまんないっっ!!』
『先輩、一応ここ公の場ですよぉ』


「――――……おれたち?」

 微動だにしない航だが、同じことを思っていると思う。同じ視界状態をつくっているのが何よりの証拠だろう。とてつもないデジャブ感に攫われた。
 メガネにおさげ髪。人を容姿で判断するのは嫌だがどう考えてもオタクだと形容される容姿だった。その方は言わずもがな俺で。その横にギャル。白? 小麦? ギャル? の方。何もかもがバッチバチでかっこよかった。もちろん、航。
 容姿が似ているわけでも雰囲気が似ているわけでもない、ただただ言ってることもやってることも俺たちすぎた。

「きょう、メイクしてこればよかったなぁ」「今のままでも十分かわいくてかっこよくてきれいで最高だけど、気分的にはやってきた方がもっとテンションが上がったってこと? それともあの方を見て、自分自身で比較してそう思った? それなら違うよって否定するけど」
「怒涛だなぁ」

 恋人になったから似てきたのか、ずっとそばにいるから似てきたのか、そもそもの性質が似ているのかわかんないけど、今日はとにかくデジャブが多かった。

「よく唾飛ばないね。そういうところも好きだよ?」
「…………ほっんとに話聞かないね」
「航にだけは言われたくない」

 せっかくだし照れ顔でも見ようとふたりから視線を逸らすと、残念。手でガードされていた。鉄壁なガードだ。隙間ひとつも見当たらない。この場合は手が大きいのか、顔が小さいのか、はたまたその両方なのか。どれにしろ、航は、この先ずっと隣にいる人、俺の身にもなってみたらいいと思う。

『でもっ、……二次元だからいいのよ、ぉ!! 現実にああいう人たちがいてみてよ。厳しいでしょ、ぉ。だから実写化、見れないの、……よ、……』
『…………せんぱ、ぃ?』

 異常に上げるメガネに、目薬をさしたあとにする量の瞬き。前歯に当たった声。そして、無意識の後退りに意地でも合わせない視線。
 一目見ただけでは決してわかりっこない量の情報を、わかってしまった。ということは、そういうことだ。

「ひかちゃん」

 「ひかちゃ~ん」と再度しっかりとした甘い声を出すとやっとそろそろとこちらを、見た。
 寄ったしわというしわを揉み込んでやる。なくならなくていい。ただ、浸透して消えてくれればいい。こっちを見続けてくれるだけでいい。

「行ってどうすんのよ、」
「文句を、……いう」

 無意識に踏み出している足に足をぶつけた。そして、手を取って目を見させて、いう。すぐにあっちにハンドルを切る視線をこっちに。手で遮るという物理を使って。

「そう、行って文句を言う。それで何になるの?」
「……なんも、ならない」
「そうでしょ? じゃあわざわざ行かなくてもいいじゃん。どうしたの」
「だって……」

 失望の色は漆黒だ。ギャルさんの瞳はカラコンで青みがかったグレーなのに、漆黒だった。ひかりもなにもかも通さない色だ。こんな色が落ちてしまったらひとたまりもない。あまりにも強すぎて一滴だけでもダメなんだ。ほんのちょっと垂れるだけでもダメ。元には戻らないし、修復もできっこない。その色に染まり続けることしかできない。
 でもそれを乗り越えなければいけないんだ。おれたちは。
 その色を含めた自分たちだけの色を作るのか、それとも漆黒をも超越するような新たな色を作り出すのか。その他にもたくさんいっぱいあるとは思う。でもどれにしろなににしろ、大変なことには変わりない。
 複雑骨折の中、全力疾走できるかって話。おれたちはできる。そういうこと。
 だから、正解を教えたらダメなんだと思う。
 航は多分、文句という名の俺たちの模範解答を見せに行こうとしているのだと思う。全力疾走で走り抜けたと思えば、目の前で思いっきりずっこけられたらそりゃ手を差し出さずにはいられないでしょ。でもだめ。無責任でしょ。
 安易に大丈夫だよなんて言える度量は持ち合わせちゃいけない。

「はぁ、そもそも行って何を言おうとしてんのよ」「ただ、大丈夫だって」
「マルチの勧誘かしら?」
「え?」

 ふざけた音色を奏でる航に詰め寄る。

「仮初の安心を与えたそのあとは? 目に見える壁も目に見えない壁も色んな障害があるんだよ? たくさんね。知ってるでしょ? そんなことぐらい。それを教えないで、手だけ振ってそれでさようなら? 久しぶりに連絡よこしてきたかと思ったらマルチ勧誘でした、みたいなもんだよ。最初から、『ああ久しぶりの連絡、……マルチか』ってなれるわけじゃない。一丁前にウキウキして思い馳せて、時間かけて、蓋開けてみたらマルチ勧誘でした。それをしようとしてんのよ」

 視覚化ができる障害が多いあっちと、視覚化ができない障害が多いこっち。どっちが大変かなんて議論にあげる時点でもう終わってるけど、言えないことはこっちが圧倒的に多いから。
 視覚化ができるということは、ある程度、型にハマった模範解答があるということだ。航があのふたりに提示してこようとしていたものがあるということ。それにハマりに行くのかは人ぞれぞれだけど、その型にハマって断罪されるなんてことはない。しかし、残念ながらこっちにはそれが少ない。てかない。
 でもそれを言えるわけでもない。
 それなのに仮初の模範解答だけチラつかせてわかった気にさせるなんていいはずがない。

「でも、」
「すれ違いの先輩すぎるからどうにかしたいんでしょうけど、ふたりでどうにかするしかないの。それが、ふたりの正解でしょ? 俺たちの正解を見せて、それで、…………それで?」
「…………、」

 目と目が合う。音楽は……、残念ながら流れた。


「もうっ、」

『せんぱい。それほんとに言ってます?』

 手を取ってドシドシとわざと足踏みを踏み散らかすが映画館のカーペットで全部吸収された。しかし、気配は消せない。四つの眼がこちらを向いた。深い。失望の中に悲哀を感じ取れてしまった。
 悲哀は海だ。深くてふかくて、手を伸ばしてしまったらこっちまで引きずられてしまいそうな、そんな飄々としている海。でも、おれは海翔だから。海を翔ぶ人間だから、だいじょぶ。

「ちょっといーい?」
『見てわかんない? 取り込み中なんだけど。ナンパなら間に合ってるから、』

 軽いのに口で転がすには重すぎる声で声掛けた。帰ってきたものはもうギャルさんだなんて言えない口調だった。高いヒールを履いていても、それを殴り捨ててでも追いかけ回すタイプだ。丹念がしっかりと根を張っている。
 勝手に安心した。今からしようとしていることが多分確実に、いい方向に行くという安心と、引きずり回してまでも手を離さないであろうギャルさんの安心。
 ほんのちょっと向きだけ一緒にしてあげればどこまでも、例え世間と真逆を言っていたとしてもふたりで走り抜けそうだった。

「なんだっけ。『二次元だからいい、現実にいたら厳しい』だっけ?」

 大袈裟におさげさんが肩を突き出し、首を引っ込めた。前に戦いてくるギャルさんはさっきまで口論をしていた顔とは違う顔をしていた。

『なに? なんが言いた「おれたち、付き合ってんだけど。やっぱり厳しい?」
『はっ、?』

 下顎が痙攣してしまったのではないかと心配してしまうくらいには震えていた。それが嫌悪からではないただの驚嘆からの震えの時点でおさげさんはボロが出てると思うけど。

「ごめんごめん。聞く気はなかったんだけど耳に入ってきちゃってさぁ。……無理すか? 俺もこいつもそれなりなもんだと思うんですか」

 顔を突き出し、航の前髪をかきあげて顔を見せつける。サラッサラすぎてかきあげ未遂が起きた。何束かは逃げ出してしまったけど、まぁ、顔は見えるでしょ。
 航は落ち着いた青のシャツにしわひとつないスラックス。シャツの裾を数回折り曲げで軽率に腕を見せていくスタイルだ。メガネなことも相まって聡明さが滲み出ている。しかもノーセットだ。こんなもん見たら振り替えざる負えない。学校では手が届かないあの人の休日、私服! ってなるやつだから。
 かと言う俺は、フェニックス期の雷様(俺が好きなバンドのボーカル)の髪型に落ち着いた青のテーラードジャケット。その中に無地白ニットとスラックス。スラックスは航よりほんのちょっと細めだ。若干オソロっちを狙った。
 キレイめカジュアルと言われるものだろうから無難で嫌われる格好ではない、はず。

『いや、その…………すみません』

 綺麗な九十度。言い訳をするわけでもなく素直に頭を下げるおさげさんを見るギャルさんの瞳の変化に、お節介言うのはここまでにしようと思った。本来、その顔は他人が見ちゃいけない気がするから。

「傷つくひと、……たちがいるからさ。しかもこんな場所で」
『……はい。すみません』

 しおしお絞れていくおさげさんを見て、それにときめきを感じてしまっているギャルさんを見て、

「ふふ、実写化もいいよ。俺のおすすめは〈夢裡に生きないで〉。見終わったあと題名を見て、うぉぉおおって叫びたくなるよ」
『『え?』』

 これは、綺麗なユニゾンでしょ。

「端的に言っちゃえば記憶喪失モノなんだけど。玻璃(はり)が朔夜(さくや)が結婚する夢を見てショックで記憶喪失になるの。実際には結婚どころか付き合ってる人もいないだよ朔夜。だって玻璃のことが好きだから。両片思いなんだよ? それなのに記憶喪失になっちゃって。もちろんそれだけが理由じゃないし、もっと深いわけがあるんだけど……」
『『ん?』』

 これはオクターブが違う、綺麗なユニゾンかなぁ?

「結局ふたりは心中したのかなぁ。『人間は死ぬ瞬間が一番快感を感じられるらしい』って言うくらいだし……って、このままだとネタバレになっちゃう。まぁ、原作は小説だからもしかしたら身近じゃないかもしれないけど、ほんといいからほんと読んでみて。深夜帯に見るのをおすすめするよ。穴という穴から液体が出るよ。心臓も穴ぼこになるし。実写化も小説だからこその心理描写が豊富で見応えがよしすぎるしさ、さいっこう。よくドラマにしたなぁって思うよ。こういうのって映画の方が向いてるんじゃないかって、原作読んでたこともあって俺も思ってたもん。でもドラマにした意味がやっぱりあったよ」
『……あの?』

 四つの眼が一緒になってこちらを見ている。

「ふっ、ごめんごめん。ばいばーい」

 指を全力で開いたばいばーい、だ。航の肩を拝借して曲がれ右をした。長居するもんじゃない。百合の間に挟まるほど罪なことってないらしいから。
 俺が立ち去ったあとから一斉に話し始めた、微かに聞こえる、ことの着地点を知りたくないわけではないけど、まだ行動のお節介は残っていたから踵は返した。

「結局なんも喋ってないですやん、あんた」

 肩に乗っていた腕を首に回してヘッドロック。それでも何にも言わないでただただ腰に腕を回して抱きついてくるだけなんだからほとほと呆れる。その体勢きついでしょ。

「人に見られてまぁーす。隅に移動させてくださぁーい。通行の邪魔になりまぁーす」

 頭をポンポンしながらそう諭すと、「しぶしぶ」と実際に口に出しながら腰に回っていた腕を離し、起き上がる。

「もうここならいいでしょ」

 引っ張っる腕に前に行く背中に見惚れていたからどこに来たのかはわからないけど、とにかくどこかの隅に来たらしい。そのまま今度を真正面で抱きしめられた。

「かいと、」
「はいはい」

 潜める声が大きくなる前に帰りたいけどそうはいかなそうなほどの力加減だった。映画館からできるだけ引き付けたこの視線は、爪先で膝を少しずつ少しずつ触られているかのような気分にさせられる。
 気になって見ちゃう。でも失礼にあたるから見ちゃいけない。視線を引っぺがす。でもやっぱり気になる。そんなんを繰り返してつくり出される変な緊張感。そんな空気。
 居心地はよくない。無意識につくり出される見えない、透明な壁は俺たちを守ってくれるわけではない。
 好奇心とか嫌悪の目で全員が全員、見ているわけではないと思う。だってこんな熱烈な抱擁を見たら性別関係なく気にはなるでしょ。でもそれが同性間だとよりいっそう倍増されるってだけで。

「グッズまだ買ってないのに、なくなったらどうしてくれるんですかぁ? わざわざこんな遠い映画館に来た意味がなくなっちゃうじゃないですかぁ」
「ごめん」

 これはほんとに長くなる。琴線に触れた部分はなんとなくわかるけど、いつも以上だなと思う。そのくらい俺が我慢をさせてしまったんだなって、やっぱり反省。記念日になんもないのは、やっぱり、だめだったか。
 忘れてないよ。もちろんつぅの誕生日も、あの約束も、もっともっと前の、あの約束も。
 そんな気持ちを伝えるための前段階で俺も抱き返した。

「ごめんね。今夜ちゃんと話そうか?」

 航によって立ち上がった俺の前髪が目に刺さる。でもどうせ目を閉じるから関係なかった。

 やっぱ、ちゃんと落としてくれるリップにすればよかった。


♬


「抱かれたいんだっけ? おれに」
「まぁ、…………はい」

 なぜか正座をしている航と、その前に仁王像している俺。傍から見たらただの説教光景だか、もちろん怒っているわけではない。ただの話し合いだ。

「なんで?」
「なんでって、……海翔ってそんなに抱かれたかったの?」
「別に。どっちでもいい」
「え?」

 豆鉄砲じゃなくて大砲だし、鳩でもなくて人間だけど、そんな顔だった。なんでって顔に書いてやろうかな。俺ちっちゃい頃習字ならってたし。

「じゃあなんで」
「そっちこそなんで」

 押し問答になったら俺が絶対に負けないことを知っている航は、バイトの退勤前にギリギリを粘る俺のような仕草をして、観念した。

「――……性別関係なく受け入れる側には負担がかかるだろ」
「そうだねぇ」
「ましては僕たちは男同士。無理くり出口を入口にしなくちゃいけない」
「うん。そう」
「だから僕がやるんだよ。より体格が良くて体が丈夫。それに極め付きは健康良児。この場合は僕が適任でしょ。これが理由」

 言ってやった。みたいな顔してるけど、前もって用意してた回答だろうな。なんでって聞かれたらこう返す、っていうのを作っておいたんだ。
 何十年一緒にいると思っているんだ。これは本当の理由じゃない。

「……じゃあ、両方やろうよ。そうだよ。何を固定概念に縛られてたんだ。そんなの俺たちの特権じゃないか。抱かれる方も抱く方も両方しちゃえばいいんだっ!」
「それはっ、」
「それは?」

 歯の隙間に何かが挟まったときのように口ごもる。しかしやっぱり観念して話し出した。

「…………、だめだよ」「なんで、」

 デート前に自作の参考書の作って予習復習反省なんてする航が、想定もしていない質問に答えられるはずがなかった。突っ走って周りが見えてない限りは。

「はぁ、」

 ちがうじゃん。これは、ちがうじゃん。

「……『ネットの情報だけではなく、きちんと本などの文献も使って試している最中だ』だっけ?」
「え?」
「『男性同士の性交渉のために作られた文献ではないから、これが合っているのかはわからない。本当に手探りな状態だ。しかし、確かに日々前進しているのを感じている。安心してくれ。ネットの情報と本の情報を何とか掛け合わせながらどちらの負担にもならない方法をきちんと模索している』だよね?」
「……かいと、?」

 持っていたスマホを下げて航の表情を垣間見ると、少し怯えを孕んでいた。でも、ごめん。ごめんね。やめない。

「『俺が海翔を受け止めるまでの時間を……』。それっていつまで? どこまで進んだ? 今、ここで、俺が航のこと抱ける? もうだいじょうぶ?」
「…………ぃ、」「いやでしょ」

「ちっがう」

 完全な怯えに入った航を見下ろす。
 いわせてる。言わせてる。でもでも、

「じゃあ見せてよ。進捗情報知りたい。つぅの誕生日の日にするんだよね? それならひとりでしてるとこ、準備してるとこ、みせてよ」
「~~~~ッ」

 こんな種類の泣きそうな顔ってあるんだ。
 知らず知らずのうちに後ずさっている航を追いかける。

「ほんとうの理由を教えて貰えないうちはっ、」


 邪魔が入った。「またお前かっ!」、って、


「つぅ?」




「――――…………むりいき、スペシャルドラマ化あぁぁあ゛あ?!?!」
「……はっ、」

 息を潜めた航を背後に、今度は俺が逃げられる側だということを悟った。窓に反射する自分の顔を見て、「そりゃあ嫌われるわ」って、思った。

 こういうところで、まだ、歪に振り切れていないんだ。おれは。