終わった後、賢一は「せっかくだから江の島水族館に行こう」と車を走らせた。賢一は水族館で楽しそうにしているが、順平には痛々しく見えた。見終えた後、順平は自販機で炭酸ジュースを買いに戻ると、賢一は海辺の階段に座って夕暮れの海をじっと見ていた。何か言おうかと思ったが、持っていたコーラを賢一の首につけた。
「つめた!」
「ほら、お前の分も買ってきたぞ」
「あぁ。ありがとう」
賢一と順平は同じタイミングで、プルタブを開けた。すると、ブシューとコーラが噴き出て二人の顔に直撃する。びしょびしょになった二人はお互いを見た。
「福内君。もしかして、振った?」
「いや、なんか凄い勢いよく自販機から出てきた」
「落ち着いてから開けようとは思わなかったの?」
「いやイケると思ったが、ダメだった」
順平は濡れたままでもゴクゴクとコーラを飲んだので、賢一も後に続く。ほろ苦く甘くてしゅわしゅわしていた。賢一は大きく息を吸って、潮風を肺いっぱいに入れる。同じ海なのだが、北海道の潮風とは違った感じがした。大きく吐いて、カモメが飛ぶ空を見る。
「実は、僕、叔母さんの子供なんだよね」
「叔母さんって、お前の父親が車を見せようとしていた人か?」
「うん。叔母さんが学生の時に付き合ってた人との子供なんだ」
賢一は、他人事のように話し始めた。
「切っ掛けは、スペイン人だった爺ちゃんの友人が日本の大学に合格したんだ。それでホームステイ先に爺ちゃん家が選ばれたんだって。そこで、高校生だった叔母さんと出会って、付き合い始めた」
「それが、お前の実の父親か」
「うん。大学卒業してから結婚しようとしたらしいんだけど……」
「けど?」
「叔母さんが、僕を出産した直後にフっちゃったんだって!」
ケラケラと賢一は笑う。
「どうしてだよ!」
「『なんか無理!』ってなったらしい。それならと僕の親権を取ろうとしたけど、叔母さんがあまりにも拒絶するから、僕の父親も渋々承諾したんだって」
「それで、お前の実の父親はどうなったんだ?」
「無事に卒業して、向こうで翻訳家の仕事してるらしいって、死んだ爺ちゃんから言ってた」
賢一は、ぐびぐびとコーラを飲んでいく。
「それなら、どうしてお前は叔母さんの子供にならなかったんだ?」
「うちの農園、16年前に金融危機の影響で倒産しかかったんだよ。その時、副業でホステスしていた叔母を見染めた富豪の一族がいてね。農園を援助する代わりに、ある条件を出した」
「まさか……」
缶を置いた賢一は、目を細めて夕日が落ちていく様子を見ていた。
「僕を養子に出すことだってさ」
日が落ち切って暗くなった海岸に強い潮風が二人に吹き付ける。順平は口を開いたまま驚くしかなかった。賢一は、薄く笑う。
「叔母はすぐに了承して、実の父親のところに行こうとしたけど、向こうもすでに再婚していた。だから親父たちのところに僕を養子にするように迫ったんだよね。爺ちゃんと親父は勿論怒ったけど、お袋だけは受け入れた」
「どうして?」
「お袋も僕の父親のことが好きだったみたい」
賢一の話によると、実の父親が家に来た時、賢一の母親は既に結婚していた。しかし、若くて魅力的だったその男に、賢一の母親は叔母同様に夢中になっていたらしい。その後、賢一の実の父親が叔母と別れ、本国に帰ってしまって、魂が抜けたようになっていたそうだ。しかし、まさか彼の子供を育てられるとは思わなかったのだろう。しかも髪色も目の色もそっくりな子供を、賢一の母親は我が子同様に愛していた。
「じゃあ、お前、母親に溺愛されてたってことか?」
「お袋に溺愛されたというわけじゃないけど、明らかに自分は特別だと思う時はあったね」
「たとえば?」
「進学校の高校に入れられたことかな。他の兄貴たちは、みんな農業関連の学校に行ってた」
順平は、入学したての頃の賢一を思い出した。明るく笑っていたけど、心の中では家族から疎外されていることに気が付いていたのだ。車を勝手に借りたのも、両親や叔母に対する反抗心だったのかもしれない。
「まぁ、こうして福内君と出会えたわけだから全てが悪いことじゃないよ」
それでも賢一は明るく振舞い、順平の肩を抱いてゆらゆらと揺れる。順平は、賢一のにやけ顔をつまんだ。
「何するのさ」
「無理して明るくしてるのはなんでだ?」
「無理はしてないよ。多分、スペインの血かな。爺ちゃんもこんな感じだったからね」
太陽の国由来の明るさなのかもしれない。でも、時々見せる遠い目も賢一の一面だ。学校生活で見てこなかった賢一の面が色々と出てきて面白いと最初は思ったが、見ていくうちにただのクラスメイトの自分が見ていいのだろうかと順平は考えてしまう。
「そろそろ車に戻ろうか」
「そうだな」
車に戻り、この後のことを考える。時間は18時30分。夕食も食べてもいいが、宿も確保したいところである。賢一がスマートフォンを取り出し、検索をかける。
「今夜もネットカフェかな?」
「……ちょっと待ってろ」
順平は、スマートフォンに登録していた番号に電話をかけた。電話はすぐ繋がり、「あ、叔父さん?」と順平が聞くと、「おぉー、どうした?」と返ってきた。
「悪いけど2人泊まらせてくれない? 友達と車で卒業旅行で日本各地を回ってて、泊まろうとしていたネットカフェが満杯だったんだよね。ついでに、手伝いさせてバイト代もらえると有難いんだけどさ」
電話の向こうでいくつか質問され、順平は答えていく。答えに詰まったとき、賢一の方を向いた。
「ここを出るのは、明後日でもいいか?」
「別に構わないけど……」
「分かった。いいってさ、叔父さん」
それから二言三言話して、順平は電話を切った。
「よし、保泉!明日、バイトするぞ!」
「へ?」
賢一は、状況が読み込めなかった。
*
順平がナビに入れたのは、片瀬の方にある小さな民家だった。駐車場に停車し、荷物をもってブザーを押す。すると扉が勢いよく開き、中から茶髪のファンシーなアロハシャツを着たグラサンをつけたオジサンが出て、順平に抱き着いた。
「おー、ジュン!元気だったか?」
「苦しいよ、実俊叔父さん」
家族のやり取りをしているのだが、賢一は驚いた猫のような表情をしていた。たしかに何も知らないと驚くよなと、順平が説明する。
「あ、こちらうちの母親の弟。実俊叔父さん」
「大内実俊でーす。ガラス工房と民家カフェの両方を経営してまっす。実俊って呼んでちょ!」
実俊が差し出した手を、賢一は固い笑みを浮かべながら「よろしくお願いします」と言って握る。自分よりもテンションが高い年上男性に、流石の賢一も固まっていた。
「で、この子はジュンのお友達?」
「そんなところだ」
ふーんと、実俊はサングラスをずらして賢一を上から下まで見る。
「キミ、デカいね。力もありそうだ」
「実家は酪農やってるから力仕事はできると思うし、握力は80㎏ある。ただし、大飯食らい」
「イイね。挑戦引き受けたよ」
それから実俊は、厨房に立って疾風迅雷の動きで料理を作っていく。今日はカフェのチャイニーズプレートの余った食材を駆使し、肉野菜炒めやエビチリや麻婆豆腐や炒飯を作り、テーブルの上に置いていく。賢一と順平は、「いただきます」と一口食べた。賢一が震え、声を出す。
「なにこれ、うまっ!」
「旨いよな。実俊叔父さん、暴利でおだったカフェじゃなくて中華屋やったら?」
「中華は学生時代のバイトで培った技術で、コーヒーはちゃんとイタリアで修行してきたんだよ。てか、暴利とかおだったとかいうな!」
次から次へと料理が出てくるが、次から次へと賢一の腹の中に納まっていく。火を止め、実俊は息をついた。
「もう食べられないだろ?」
「凄い美味しいので、まだ全然いけます」
賢一がサムズアップして、目をキラリと輝かせる。実俊が膝から崩れ落ち、エプロンを外した。
「これから瑞樹を迎えに行くから、ついでに何か買ってこようか?」
賢一が返事に困っているので、順平が助け船を出した。
「いいよ。俺が適当に作るから」
「あっそ。じゃあ、奥の冷蔵庫にあるものなら好きに使ってね」
「はいよ」
実俊が出ていき、順平が厨房に入った。奥の冷蔵庫から、食材を漁る。
「おっ。タコがあるじゃん。チーズもウィンナーもベビーホタテあるから、タコパしようぜ、タコパ」
「タコパ?」
「たこ焼きパーティーだよ。簡単だから、ちょっと待ってろ」
ボウルに粉と水を入れて混ぜて、ネギと紅ショウガを入れる。揚げ玉が無いのが残念だなと思いながらたこ焼き機をテーブルの上にセットした。油をひいて、生地を流し込み、具材を入れる。焼きあがったので、賢一の皿に乗せて、ソースとマヨネーズと青のりとかつおぶしを掛けてやった。飲み物は余り物の瓶ラムネだ。
「ほい、完成」
「いただきます」
「めしあがれ」
賢一は、あちあちと言いながら口に入れる。腹いっぱいな順平も、少しだけ食べようと焼きあがったものを口に入れた。飲み込んだ賢一は、ふとした疑問をぶつけてみた。
「そういえば、瑞樹って、誰なの?」
「叔父さんの恋人。もう6年付き合ってる」
「結婚は?」
「今はできない」
「どうして?」
「男だから」
賢一のたこ焼きを食べる手が止まる。順平が眉を上げる。
「驚いたか?」
「ちょっとだけね」
「まぁ、そうだろうな。現に、俺の父親からはそれで嫌われてる」
生地が焼ける音が部屋に響く。
順平は何も言わずにたこ焼きを作り、賢一は見ているだけだった。父は実俊が嫌いじゃないが、偏見はある。『男の恋人ができた』と実俊が報告した時も受け入れられないと返事して、以来会っていない。姉は家が近いから会っていたらしいが、順平は6年前から会えてなかった。賢一は、瓶ラムネを飲み込む。
「福内君は、そういうの気持ち悪いと思う?」
「別に」
「意外だね。嫌いな部類の人間かと思った」
順平は、ソーセージ入りのたこ焼きを飲み込んだ。
「オンラインのゲームやってると、そういう話はよく聞くし、そういう人とも話す機会がある。でも、みんな同じ人間で、好きだったのが同性だっただけなんだよ」
「もし男から告白されたらどうする?」
「何度もされてるから今更だろ」
さらりと告白すると、賢一は「ふーん」と言った。素直に受け入れたなと順平は思ったが……
「えっ!?」
賢一が席を立ち、口をパクパクとさせている。今までで一番驚いていたので、つられて驚いてしまった。
「そ、そんなに驚くか?」
「何度もされてるの?」
「おう」
「高校で?」
「中学でもあった」
「そんなに!?」
順平は、ベビーホタテとコーンのたこ焼きに、残り少ないマヨネーズだけをかける。ブブッと情けない音がした。
「女性からは小学校のころに1度で、男は中学に2回、高校で5回告白された」
「モテるんだね」
「モテる定義が告白ならそうだが、話も大してしたこともないよく知らん相手からの告白だぞ。怖すぎるだろ!」
「成程」
順平は過去を思い出したくないと頭を振るが、賢一の目の体温が少し冷えていく。
「一番、印象に残っている告白とかあるの?」
「印象に残っているかぁ……」
順平は目を閉じて、過去のことを思い出す。
「押し倒されて、上着脱がされた時は、怖かったな」
入学して早々に3年生の先輩に、突然告白されたのだ。どうやら中学時代から好きだったらしく、再会できたことから運命を感じたそうだ。しかし、順平は断った。それが逆鱗に触れて、体を押さえつけられて、身ぐるみをはがされそうになった。同じ男なのに力の差で負けたのだ。それが悔しくて鍛えようとしたのだが、なかなか筋肉が付かなかった。だから、自衛もかねて高校では特に親しい友人を作らなかったのだ。思い出すだけで背筋が冷たくなり、目頭が少し熱くなる。
食べ物と一緒に飲み込んでしまおうと、ベビーホタテとコーンのたこ焼きを口に入れようとしたら、賢一が席を立った。
「ごめん」
何故か、頭を下げている。順平は手を横に振った。
「気にすんなよ。すぐにタマ蹴って、逃げ出せたからさ」
「ごめん」
「だから、気にするなって」
「ごめん」
お前のせいじゃないのに、どうしてここまで謝るのか不思議でしょうがなかった。しかし、不思議と背筋の冷たさは和らいだ。順平は、栗毛色の髪に触れ、ゆっくりと撫でる。大型犬のように少し硬くて柔らかい毛の感触だった。
「いいよ」
まるで幼稚園生の謝罪みたいだった。
*
夕焼けの湘南を見たなら、朝焼けも見た方がいい。そんな実俊のアドバイスを2人は素直に受け入れた。ついでに朝市で何か買って来いとお使いを頼まれた。
「寒いから出たくないだけだろ」
と順平は文句を言うが、賢一は「せっかくだし江ノ島を観光していこうよ」と宥められ、2人で江ノ島に向かった。しかし、朝6時にはどこの店もやってない。誰もいない江島神社にお参りして、来た道を引き返すことにした。
海岸に着くころには空が白んできた。徐々に辺りが明るくなっていき、今日が始まる。雪がない朝焼けなんて初めて見たと順平は思いながら歩いていると、右腕を掴まれて足が止まった。振り返ると賢一が握っていた。
「どうした?」
「あのさ」
「なんだ?」
強い潮風が賢一の栗毛色の髪を乱し、顔を隠す。
「この先の旅で誰も答えが出なかったら、どうなるんだろうね?」
波の音が響く。
人の声も、車の音も、風の音も、全てかき消す程に。
賢一の栗毛色の髪から緑色の瞳が見えた。光がさしてない賢一の目に見つめられ、順平は背筋が凍る。脂汗が首筋から流れた。順平は小さく息を吸う。
「もしかして、怖いのか?」
「少しだけね」
こんな時、どう答えればいいか分からない。
だが順平の頭に、有名なゲームのワンシーンが浮かんだ。
旅の途中、悩む仲間に主人公はこう伝えた。
「お前の答えが出るまで、付き合ってやるよ」
在り来たりのセリフ。在り来たりすぎて、嫌になる程に平凡だ。ゲーム脳の自分に恨みを募らせると、賢一は大きく息を吸って、ため息をついた。
「それ、ゲームのセリフでしょ」
「知ってたのか?!」
「ヒロ兄が言ってたよ。それで、仲間は『永遠の旅に付き合うバカはいない』と泣いたらしいじゃん」
「そうそう! いやぁ、ゲーマーならコンフェクションドリームは皆やるよなぁ!」
賢一は呆れた顔をして、手を放す。しかし、順平は離れた手を捕まえて強く握った。驚く賢一に、順平は微笑む。
「北海道から、ここまで来たんだ。お前が納得できるまで、旅を続けようぜ」
答えがないなら、納得できるまで旅をしよう。
強引に巻き込まれた旅ではあるが、それでも完走したい気持ちがあった。賢一は、顔を俯けて掴まれた手の上を、そっと掴んだ。
「ありがとう」
少しだけ声が震えていた。泣いているのかと順平がのぞこうとすると、賢一は明るい顔を上げた。
「じゃあ、海に入ろう!」
「は? えっ、おい!」
賢一に手をひっぱられ、そのまま波打ち際まで連れてこられた。順平が解こうとするが、握力80㎏に勝てるはずもない。
「お前、海で心中する気か?」
「ちょっとだけ!足だけだから!それ!」
「うぉ、冷た!」
朝の海で、男二人が馬鹿みたいにはしゃいでいた。
*
朝食を食べ終えた2人は、早々に出る準備をした。卒業式までは、まだ2週間以上はあるが、今回みたいにバイトをしたり、連泊したりして、何日か足止めになることもある。ガラスのコップの完成には24時間掛かる為、後日配送してくれることになった。あとは、最後の宏のところに行くだけだ。
荷物を車に詰め込むと、実俊と瑞樹が見送りに来た。実俊は、目を細めていた。
「もう行くのか?」
「あぁ。今日は富山まで行くからな」
「そうか。寂しくなるな」
もしかすると、また6年後かもしれないと実俊は思ったのだろう。順平は、言うべきだったことをようやく思い出した。
「叔父さん。言い忘れたけど、俺、東京の大学受かったんだ」
「本当か!?」
「あぁ。今度の春から東京で一人暮らしだ。だから、今度から会いに行こうと思えば会いに行けるよ」
「そうか……お前、もうそんなに大きくなったんだな」
実俊の手が順平の頭をワシワシと撫でる。昔よりも手が小さくなったと順平は思ったが、それは自分が大きくなったんだとすぐに気が付いた。
「けっぱれよ、ジュン」
「あぁ、叔父さんもね」
「賢一君も体に気をつけてな」
「はい」
賢一は、「あっ」と何かを思い出したのか、車のトランクを開けた。ごそごそと何か作業すると、膨らんだ麻袋を実俊に渡した。
「泊まらせていただきありがとうございました。よければ、こちらをどうぞ」
「これは?」
賢一が中身を伝えると二人は納得して、お礼を言って別れた。
実俊の家を出て、15分後に2人は宏の所に来ていた。今回は順平も一緒に来ていた。膨らんだ麻袋を持って、賢一はチャイムを鳴らす。反応はないが、うっすらとテレビの音が聞こえた。賢一は、ドアを見つめた。
「朝早くにごめん、ヒロ兄。僕はもう理由は聞かないし、この町からも出ていくよ」
返事はない。しかし賢一の目は、前を向いたままだ。
「とりあえず、うちから持ってきたもの置いていくから。あとで食べて」
ドアノブに膨らんだ麻袋を引っかけて、2人は車に戻った。賢一は手帳を開き、次の目的地をナビに入れる。淡々と動く賢一に、順平は声をかけた。
「もういいのか?」
「うん」
「それならいい。てか、後ろのトランクに入れてたのって……」
「そう、うちのじゃがいも。規格外品だから、食料として積んだんだ」
賢一が、麻袋に詰めていたのはじゃがいもだった。しかも土が付いたものである。
「新車に土着いた芋入れていいのかよ」
「箱に入っているし、どの道、車持ち出したことで怒られるから今更かな」
「違いない」
わははと2人は笑って車を走らせた。
高速に乗る時、賢一のスマートフォンが鳴る。通知を見ていいと許可を貰ったので、順平が中身を開いた。
『受け取った』
宏からのメッセージだった。
「つめた!」
「ほら、お前の分も買ってきたぞ」
「あぁ。ありがとう」
賢一と順平は同じタイミングで、プルタブを開けた。すると、ブシューとコーラが噴き出て二人の顔に直撃する。びしょびしょになった二人はお互いを見た。
「福内君。もしかして、振った?」
「いや、なんか凄い勢いよく自販機から出てきた」
「落ち着いてから開けようとは思わなかったの?」
「いやイケると思ったが、ダメだった」
順平は濡れたままでもゴクゴクとコーラを飲んだので、賢一も後に続く。ほろ苦く甘くてしゅわしゅわしていた。賢一は大きく息を吸って、潮風を肺いっぱいに入れる。同じ海なのだが、北海道の潮風とは違った感じがした。大きく吐いて、カモメが飛ぶ空を見る。
「実は、僕、叔母さんの子供なんだよね」
「叔母さんって、お前の父親が車を見せようとしていた人か?」
「うん。叔母さんが学生の時に付き合ってた人との子供なんだ」
賢一は、他人事のように話し始めた。
「切っ掛けは、スペイン人だった爺ちゃんの友人が日本の大学に合格したんだ。それでホームステイ先に爺ちゃん家が選ばれたんだって。そこで、高校生だった叔母さんと出会って、付き合い始めた」
「それが、お前の実の父親か」
「うん。大学卒業してから結婚しようとしたらしいんだけど……」
「けど?」
「叔母さんが、僕を出産した直後にフっちゃったんだって!」
ケラケラと賢一は笑う。
「どうしてだよ!」
「『なんか無理!』ってなったらしい。それならと僕の親権を取ろうとしたけど、叔母さんがあまりにも拒絶するから、僕の父親も渋々承諾したんだって」
「それで、お前の実の父親はどうなったんだ?」
「無事に卒業して、向こうで翻訳家の仕事してるらしいって、死んだ爺ちゃんから言ってた」
賢一は、ぐびぐびとコーラを飲んでいく。
「それなら、どうしてお前は叔母さんの子供にならなかったんだ?」
「うちの農園、16年前に金融危機の影響で倒産しかかったんだよ。その時、副業でホステスしていた叔母を見染めた富豪の一族がいてね。農園を援助する代わりに、ある条件を出した」
「まさか……」
缶を置いた賢一は、目を細めて夕日が落ちていく様子を見ていた。
「僕を養子に出すことだってさ」
日が落ち切って暗くなった海岸に強い潮風が二人に吹き付ける。順平は口を開いたまま驚くしかなかった。賢一は、薄く笑う。
「叔母はすぐに了承して、実の父親のところに行こうとしたけど、向こうもすでに再婚していた。だから親父たちのところに僕を養子にするように迫ったんだよね。爺ちゃんと親父は勿論怒ったけど、お袋だけは受け入れた」
「どうして?」
「お袋も僕の父親のことが好きだったみたい」
賢一の話によると、実の父親が家に来た時、賢一の母親は既に結婚していた。しかし、若くて魅力的だったその男に、賢一の母親は叔母同様に夢中になっていたらしい。その後、賢一の実の父親が叔母と別れ、本国に帰ってしまって、魂が抜けたようになっていたそうだ。しかし、まさか彼の子供を育てられるとは思わなかったのだろう。しかも髪色も目の色もそっくりな子供を、賢一の母親は我が子同様に愛していた。
「じゃあ、お前、母親に溺愛されてたってことか?」
「お袋に溺愛されたというわけじゃないけど、明らかに自分は特別だと思う時はあったね」
「たとえば?」
「進学校の高校に入れられたことかな。他の兄貴たちは、みんな農業関連の学校に行ってた」
順平は、入学したての頃の賢一を思い出した。明るく笑っていたけど、心の中では家族から疎外されていることに気が付いていたのだ。車を勝手に借りたのも、両親や叔母に対する反抗心だったのかもしれない。
「まぁ、こうして福内君と出会えたわけだから全てが悪いことじゃないよ」
それでも賢一は明るく振舞い、順平の肩を抱いてゆらゆらと揺れる。順平は、賢一のにやけ顔をつまんだ。
「何するのさ」
「無理して明るくしてるのはなんでだ?」
「無理はしてないよ。多分、スペインの血かな。爺ちゃんもこんな感じだったからね」
太陽の国由来の明るさなのかもしれない。でも、時々見せる遠い目も賢一の一面だ。学校生活で見てこなかった賢一の面が色々と出てきて面白いと最初は思ったが、見ていくうちにただのクラスメイトの自分が見ていいのだろうかと順平は考えてしまう。
「そろそろ車に戻ろうか」
「そうだな」
車に戻り、この後のことを考える。時間は18時30分。夕食も食べてもいいが、宿も確保したいところである。賢一がスマートフォンを取り出し、検索をかける。
「今夜もネットカフェかな?」
「……ちょっと待ってろ」
順平は、スマートフォンに登録していた番号に電話をかけた。電話はすぐ繋がり、「あ、叔父さん?」と順平が聞くと、「おぉー、どうした?」と返ってきた。
「悪いけど2人泊まらせてくれない? 友達と車で卒業旅行で日本各地を回ってて、泊まろうとしていたネットカフェが満杯だったんだよね。ついでに、手伝いさせてバイト代もらえると有難いんだけどさ」
電話の向こうでいくつか質問され、順平は答えていく。答えに詰まったとき、賢一の方を向いた。
「ここを出るのは、明後日でもいいか?」
「別に構わないけど……」
「分かった。いいってさ、叔父さん」
それから二言三言話して、順平は電話を切った。
「よし、保泉!明日、バイトするぞ!」
「へ?」
賢一は、状況が読み込めなかった。
*
順平がナビに入れたのは、片瀬の方にある小さな民家だった。駐車場に停車し、荷物をもってブザーを押す。すると扉が勢いよく開き、中から茶髪のファンシーなアロハシャツを着たグラサンをつけたオジサンが出て、順平に抱き着いた。
「おー、ジュン!元気だったか?」
「苦しいよ、実俊叔父さん」
家族のやり取りをしているのだが、賢一は驚いた猫のような表情をしていた。たしかに何も知らないと驚くよなと、順平が説明する。
「あ、こちらうちの母親の弟。実俊叔父さん」
「大内実俊でーす。ガラス工房と民家カフェの両方を経営してまっす。実俊って呼んでちょ!」
実俊が差し出した手を、賢一は固い笑みを浮かべながら「よろしくお願いします」と言って握る。自分よりもテンションが高い年上男性に、流石の賢一も固まっていた。
「で、この子はジュンのお友達?」
「そんなところだ」
ふーんと、実俊はサングラスをずらして賢一を上から下まで見る。
「キミ、デカいね。力もありそうだ」
「実家は酪農やってるから力仕事はできると思うし、握力は80㎏ある。ただし、大飯食らい」
「イイね。挑戦引き受けたよ」
それから実俊は、厨房に立って疾風迅雷の動きで料理を作っていく。今日はカフェのチャイニーズプレートの余った食材を駆使し、肉野菜炒めやエビチリや麻婆豆腐や炒飯を作り、テーブルの上に置いていく。賢一と順平は、「いただきます」と一口食べた。賢一が震え、声を出す。
「なにこれ、うまっ!」
「旨いよな。実俊叔父さん、暴利でおだったカフェじゃなくて中華屋やったら?」
「中華は学生時代のバイトで培った技術で、コーヒーはちゃんとイタリアで修行してきたんだよ。てか、暴利とかおだったとかいうな!」
次から次へと料理が出てくるが、次から次へと賢一の腹の中に納まっていく。火を止め、実俊は息をついた。
「もう食べられないだろ?」
「凄い美味しいので、まだ全然いけます」
賢一がサムズアップして、目をキラリと輝かせる。実俊が膝から崩れ落ち、エプロンを外した。
「これから瑞樹を迎えに行くから、ついでに何か買ってこようか?」
賢一が返事に困っているので、順平が助け船を出した。
「いいよ。俺が適当に作るから」
「あっそ。じゃあ、奥の冷蔵庫にあるものなら好きに使ってね」
「はいよ」
実俊が出ていき、順平が厨房に入った。奥の冷蔵庫から、食材を漁る。
「おっ。タコがあるじゃん。チーズもウィンナーもベビーホタテあるから、タコパしようぜ、タコパ」
「タコパ?」
「たこ焼きパーティーだよ。簡単だから、ちょっと待ってろ」
ボウルに粉と水を入れて混ぜて、ネギと紅ショウガを入れる。揚げ玉が無いのが残念だなと思いながらたこ焼き機をテーブルの上にセットした。油をひいて、生地を流し込み、具材を入れる。焼きあがったので、賢一の皿に乗せて、ソースとマヨネーズと青のりとかつおぶしを掛けてやった。飲み物は余り物の瓶ラムネだ。
「ほい、完成」
「いただきます」
「めしあがれ」
賢一は、あちあちと言いながら口に入れる。腹いっぱいな順平も、少しだけ食べようと焼きあがったものを口に入れた。飲み込んだ賢一は、ふとした疑問をぶつけてみた。
「そういえば、瑞樹って、誰なの?」
「叔父さんの恋人。もう6年付き合ってる」
「結婚は?」
「今はできない」
「どうして?」
「男だから」
賢一のたこ焼きを食べる手が止まる。順平が眉を上げる。
「驚いたか?」
「ちょっとだけね」
「まぁ、そうだろうな。現に、俺の父親からはそれで嫌われてる」
生地が焼ける音が部屋に響く。
順平は何も言わずにたこ焼きを作り、賢一は見ているだけだった。父は実俊が嫌いじゃないが、偏見はある。『男の恋人ができた』と実俊が報告した時も受け入れられないと返事して、以来会っていない。姉は家が近いから会っていたらしいが、順平は6年前から会えてなかった。賢一は、瓶ラムネを飲み込む。
「福内君は、そういうの気持ち悪いと思う?」
「別に」
「意外だね。嫌いな部類の人間かと思った」
順平は、ソーセージ入りのたこ焼きを飲み込んだ。
「オンラインのゲームやってると、そういう話はよく聞くし、そういう人とも話す機会がある。でも、みんな同じ人間で、好きだったのが同性だっただけなんだよ」
「もし男から告白されたらどうする?」
「何度もされてるから今更だろ」
さらりと告白すると、賢一は「ふーん」と言った。素直に受け入れたなと順平は思ったが……
「えっ!?」
賢一が席を立ち、口をパクパクとさせている。今までで一番驚いていたので、つられて驚いてしまった。
「そ、そんなに驚くか?」
「何度もされてるの?」
「おう」
「高校で?」
「中学でもあった」
「そんなに!?」
順平は、ベビーホタテとコーンのたこ焼きに、残り少ないマヨネーズだけをかける。ブブッと情けない音がした。
「女性からは小学校のころに1度で、男は中学に2回、高校で5回告白された」
「モテるんだね」
「モテる定義が告白ならそうだが、話も大してしたこともないよく知らん相手からの告白だぞ。怖すぎるだろ!」
「成程」
順平は過去を思い出したくないと頭を振るが、賢一の目の体温が少し冷えていく。
「一番、印象に残っている告白とかあるの?」
「印象に残っているかぁ……」
順平は目を閉じて、過去のことを思い出す。
「押し倒されて、上着脱がされた時は、怖かったな」
入学して早々に3年生の先輩に、突然告白されたのだ。どうやら中学時代から好きだったらしく、再会できたことから運命を感じたそうだ。しかし、順平は断った。それが逆鱗に触れて、体を押さえつけられて、身ぐるみをはがされそうになった。同じ男なのに力の差で負けたのだ。それが悔しくて鍛えようとしたのだが、なかなか筋肉が付かなかった。だから、自衛もかねて高校では特に親しい友人を作らなかったのだ。思い出すだけで背筋が冷たくなり、目頭が少し熱くなる。
食べ物と一緒に飲み込んでしまおうと、ベビーホタテとコーンのたこ焼きを口に入れようとしたら、賢一が席を立った。
「ごめん」
何故か、頭を下げている。順平は手を横に振った。
「気にすんなよ。すぐにタマ蹴って、逃げ出せたからさ」
「ごめん」
「だから、気にするなって」
「ごめん」
お前のせいじゃないのに、どうしてここまで謝るのか不思議でしょうがなかった。しかし、不思議と背筋の冷たさは和らいだ。順平は、栗毛色の髪に触れ、ゆっくりと撫でる。大型犬のように少し硬くて柔らかい毛の感触だった。
「いいよ」
まるで幼稚園生の謝罪みたいだった。
*
夕焼けの湘南を見たなら、朝焼けも見た方がいい。そんな実俊のアドバイスを2人は素直に受け入れた。ついでに朝市で何か買って来いとお使いを頼まれた。
「寒いから出たくないだけだろ」
と順平は文句を言うが、賢一は「せっかくだし江ノ島を観光していこうよ」と宥められ、2人で江ノ島に向かった。しかし、朝6時にはどこの店もやってない。誰もいない江島神社にお参りして、来た道を引き返すことにした。
海岸に着くころには空が白んできた。徐々に辺りが明るくなっていき、今日が始まる。雪がない朝焼けなんて初めて見たと順平は思いながら歩いていると、右腕を掴まれて足が止まった。振り返ると賢一が握っていた。
「どうした?」
「あのさ」
「なんだ?」
強い潮風が賢一の栗毛色の髪を乱し、顔を隠す。
「この先の旅で誰も答えが出なかったら、どうなるんだろうね?」
波の音が響く。
人の声も、車の音も、風の音も、全てかき消す程に。
賢一の栗毛色の髪から緑色の瞳が見えた。光がさしてない賢一の目に見つめられ、順平は背筋が凍る。脂汗が首筋から流れた。順平は小さく息を吸う。
「もしかして、怖いのか?」
「少しだけね」
こんな時、どう答えればいいか分からない。
だが順平の頭に、有名なゲームのワンシーンが浮かんだ。
旅の途中、悩む仲間に主人公はこう伝えた。
「お前の答えが出るまで、付き合ってやるよ」
在り来たりのセリフ。在り来たりすぎて、嫌になる程に平凡だ。ゲーム脳の自分に恨みを募らせると、賢一は大きく息を吸って、ため息をついた。
「それ、ゲームのセリフでしょ」
「知ってたのか?!」
「ヒロ兄が言ってたよ。それで、仲間は『永遠の旅に付き合うバカはいない』と泣いたらしいじゃん」
「そうそう! いやぁ、ゲーマーならコンフェクションドリームは皆やるよなぁ!」
賢一は呆れた顔をして、手を放す。しかし、順平は離れた手を捕まえて強く握った。驚く賢一に、順平は微笑む。
「北海道から、ここまで来たんだ。お前が納得できるまで、旅を続けようぜ」
答えがないなら、納得できるまで旅をしよう。
強引に巻き込まれた旅ではあるが、それでも完走したい気持ちがあった。賢一は、顔を俯けて掴まれた手の上を、そっと掴んだ。
「ありがとう」
少しだけ声が震えていた。泣いているのかと順平がのぞこうとすると、賢一は明るい顔を上げた。
「じゃあ、海に入ろう!」
「は? えっ、おい!」
賢一に手をひっぱられ、そのまま波打ち際まで連れてこられた。順平が解こうとするが、握力80㎏に勝てるはずもない。
「お前、海で心中する気か?」
「ちょっとだけ!足だけだから!それ!」
「うぉ、冷た!」
朝の海で、男二人が馬鹿みたいにはしゃいでいた。
*
朝食を食べ終えた2人は、早々に出る準備をした。卒業式までは、まだ2週間以上はあるが、今回みたいにバイトをしたり、連泊したりして、何日か足止めになることもある。ガラスのコップの完成には24時間掛かる為、後日配送してくれることになった。あとは、最後の宏のところに行くだけだ。
荷物を車に詰め込むと、実俊と瑞樹が見送りに来た。実俊は、目を細めていた。
「もう行くのか?」
「あぁ。今日は富山まで行くからな」
「そうか。寂しくなるな」
もしかすると、また6年後かもしれないと実俊は思ったのだろう。順平は、言うべきだったことをようやく思い出した。
「叔父さん。言い忘れたけど、俺、東京の大学受かったんだ」
「本当か!?」
「あぁ。今度の春から東京で一人暮らしだ。だから、今度から会いに行こうと思えば会いに行けるよ」
「そうか……お前、もうそんなに大きくなったんだな」
実俊の手が順平の頭をワシワシと撫でる。昔よりも手が小さくなったと順平は思ったが、それは自分が大きくなったんだとすぐに気が付いた。
「けっぱれよ、ジュン」
「あぁ、叔父さんもね」
「賢一君も体に気をつけてな」
「はい」
賢一は、「あっ」と何かを思い出したのか、車のトランクを開けた。ごそごそと何か作業すると、膨らんだ麻袋を実俊に渡した。
「泊まらせていただきありがとうございました。よければ、こちらをどうぞ」
「これは?」
賢一が中身を伝えると二人は納得して、お礼を言って別れた。
実俊の家を出て、15分後に2人は宏の所に来ていた。今回は順平も一緒に来ていた。膨らんだ麻袋を持って、賢一はチャイムを鳴らす。反応はないが、うっすらとテレビの音が聞こえた。賢一は、ドアを見つめた。
「朝早くにごめん、ヒロ兄。僕はもう理由は聞かないし、この町からも出ていくよ」
返事はない。しかし賢一の目は、前を向いたままだ。
「とりあえず、うちから持ってきたもの置いていくから。あとで食べて」
ドアノブに膨らんだ麻袋を引っかけて、2人は車に戻った。賢一は手帳を開き、次の目的地をナビに入れる。淡々と動く賢一に、順平は声をかけた。
「もういいのか?」
「うん」
「それならいい。てか、後ろのトランクに入れてたのって……」
「そう、うちのじゃがいも。規格外品だから、食料として積んだんだ」
賢一が、麻袋に詰めていたのはじゃがいもだった。しかも土が付いたものである。
「新車に土着いた芋入れていいのかよ」
「箱に入っているし、どの道、車持ち出したことで怒られるから今更かな」
「違いない」
わははと2人は笑って車を走らせた。
高速に乗る時、賢一のスマートフォンが鳴る。通知を見ていいと許可を貰ったので、順平が中身を開いた。
『受け取った』
宏からのメッセージだった。
