のこり5日、ロスタイムなし

荷物を車に詰め終わり、車に乗ろうとした時だった。豊弘が会社の車で帰ってきた。「桃花から聞いた!」と息を荒げながら話しかけてきた。

「お前たち、今から帰るのか?!」
「うん。卒業式まで残り5日しかないからね」

豊弘は、ボリボリと頭を掻いた。

「それはそうだが。でも、お前を家に帰すのはちょっとなぁ」
「それなら、事が終わるまで俺の家で泊めさせますよ」

予想外の提案だったのか、豊弘は目を丸くしていた。

「いいのか?」
「えぇ。うちもお世話になってるので」

豊弘は首をかしげていた。
それもそうだ。お世話になっているのは、豊弘が務めている酒造会社の方である。福内家では、お祝い事があると色んな酒を飲む。そして、年末に『今年のベスト酒造』というものを家族で決めるのだが、豊弘が乗ってきた車は3年連続ベスト酒造を飾った伝説の酒造だった。姉が山梨の友人を8日ほど泊めた時も、8000円ほどの貴腐ワイン3本で承諾してくれたのだ。桃花に頼んで鹿児島県限定商品の酒を自宅に送ってもらったので、快く泊めてくれるだろう。豊弘は、順平の自信ありげな顔を見て、微笑んだ。

「それなら、頼む」
「はい。任せてください」

豊弘は鞄から財布を取り出し、万札2枚を差し出した。

「次ガソリン入れたら、オイル交換しとけ」
「いいの?」
「どうせ道中の飯代とガソリン代で消えてて、あんまり金残ってないだろ」
「エヘヘ、実はそうなんだ。江ノ島でのバイト代があるけど、ガソリン代出すとカツカツかも」

賢一は、申し訳なさそうにほほ笑み、「悪いね」と2万円を受け取った。豊弘は、ため息をついた。

「あとで生活費を少しばかり送金してやるから、暫くは大人しくしてろよ。あ、でも俺の金は出世払いしてもらうからな!」
「うん。ありがとう」

豊弘は、何かないかと一瞬だけ目を泳がせて、すぐに思いついた。

「それと!庄司からの報告の連絡はメッセージで送るし、自分や庄司や宏が対応するから安心しろ!」
「分かった」

自然にほほ笑む賢一を見て、豊弘は賢一の頭を撫でた。少し涙ぐみながら、豊弘は優しく微笑む。

「次来るときは、もっと余裕をもってこいよ。鹿児島の名所とか美味い飯とか教えてやるからさ」
「分かった」

豊弘は拳を突き出すので、賢一も拳を出して合わせる。豊弘は順平にも拳を向けたので、答えるように拳を合わせた。

賢一と順平は車に乗り込み、エンジンをかけて賢一の住所をカーナビに入力する。走行予測時間は、31時間と表示されていた。賢一が「うわ」と、若干引いた声を上げる。

「僕、31時間も運転できるかな?」
「徹夜で運転しない方がいい。危なすぎるだろ」
「それもそうだね。サービスエリアで仮眠とろうか」

賢一はパワーウィンドウを開けて、「じゃあね、トヨ兄!」と声をかけ、走り出した。バックミラーに移る豊弘は、見えなくなるまで手を振っていた。

「鹿児島、あっという間だったな」

順平は、ぽつりと呟いた。しかし賢一は返事をしなかった。賢一の表情を見ると、旅に出た時のような迷いはなく、前を見ていた。そして、微笑む。

「また来るさ」

そう言って、賢一はラジオのスイッチを入れた。
有名なアニメの曲が、軽快に流れる。
窓を開けると、温かい風が吹き込んできた。
一足早い春を感じながら、車は北海道へ向かった。


*


溝辺鹿児島空港から九州自動車道に乗り込み、ひたすら北に進んだ。途中、福岡の古賀サービスエリアで古賀のガソリンを入れた時にオイル交換を行い、小休止。再び走り出し、関門橋を渡って、本州へ上陸。下関から中国自動車道を走り、美東サービスエリアの駐車場で就寝。席を倒して、ブランケットを巻いて、しっかりと8時間寝た。

翌朝、何故か2人とも疲れていた。
体がバキバキだし、汗でべとべと、首も痛い。そして賢一は、いつもよりもニコニコ顔に元気がない。

「あのさ、途中でホテルでも漫喫で仮眠取っていい?」

限界が来たかと順平は察した。本人は長時間運転していても全然平気だと言っても、5時間以上ドライブした時は2泊以上していたし、車で泊まることはしていない。しかし鹿児島は、長く運転して休む暇もなく出たので影響が出ているのだろう。「高速を降りるか?」と提案したが、賢一は首を横に振った。

「途中で、いいから。本当に途中で」

支障はないと言い続けるので、説得は諦めた。美東サービスエリアから中国自動車道に乗って、山陽自動車道で岡山県を超えた。兵庫の姫路までは、このまま大阪方面に向かうのかと思っていた。しかし、カーナビの案内では日本海側の方向へ向かっていた。順平は、手元のスマートフォンで地図を確認する。

「富山県、通るみたいだな」
「でも、観光する暇ないよ」
「分かってる。でも、温泉施設で休憩ぐらいはいいんじゃないか?」

風呂に入りたい。そんな気持ちがお互いにあったのか、トイレ休憩で寄った尼御前サービスエリアで、富山の温泉施設を調べて、カーナビに入力する。そこからは、もう早かった。富山のインターチェンジで降りて、目的の温泉施設に到着。即入店、即全身洗い、即入浴。温泉に入ると、石のように固まっていた体が、解けていくようだった。

「一緒の風呂も、今回が最後かもな」

そう呟いたが、当の本人はいない。温泉に来て、早々にトイレに籠ったのだ。どうしたものかと思っていると、賢一が浴場に来た。体をしっかりと洗い、浴槽につかると隣に来た。賢一のニコニコ顔が少しずつ戻っているが、効果が早すぎる気がした。

「なんか風呂入る前に、良いことでもあったのか?」
「いや、まぁ、疲れすぎていて大変なことになってたから、精神統一で読経して落ち着かせてきた」
「何を?」
「えっと、その……」

賢一の目が泳ぐ。そういえば、運転している時から妙にそわそわして、太ももを叩いていた。ここに入る前から軽く前かがみになっていた。疲れているんだなと思ったが、そういうことかと、順平は薄く笑みを浮かべた。

「大きいと大変だな」
「自分では大きいと思ったことないけど、こんな所を見てしまったら相手も困るからね」

アハハと恥ずかしそうに賢一は笑った。順平は、ハッと鼻で笑った。

「そんな凶悪なモノ入れられたら、内臓が抉られそうだな」
「流石にそれはないよ」
「どうかな。普通のヤツでも、めちゃくちゃ痛いんだ。そんなモン入ったら、抉れるに決まってる」

順平は、初めてブラックジョークを言ってみた。自分の過去を口にして嫌な感じはしなかったが、賢一の笑みが一瞬だけ消えた。地雷を踏んだかと思ったが、頬をつままれた。

「それ、ちょっと自分も傷ついているから言わない方がいいよ」
「全部知ってるお前だからいいと思ったんだよ」
「じゃあ、あんまり面白くない」

風呂に上がり、館内着を着て、仮眠スペースに向かった。中に入ると、衝立でスペースが沸けられており、多くの人が眠っていた。しかし空いているスペースが、1つしかない。2人ぐらいなら眠れそうだが、一緒に入っていいのかと順平は戸惑っていた。その隙に賢一は、空いているスペースに入り、ブランケットを掛けて、眠りにつこうとした。

「どれぐらい寝る?」
「寝れるだけ寝とけよ。俺は外で休んでいるから、スマホに連絡をわっ!」

言い終える前に賢一に引っ張られ、仮眠スペースに横たわる。そして抱き枕の用に抱き着かれ、「なにしてんだよ!」と声を上げそうになった。

「しー……」

真正面で静かにするようにと言われ、何も言えなくなった。

「寝るだけ、寝るだけだから」

賢一がそう言うと、あっという間に眠りについた。何度も見てきた寝顔ではあるが、ここまで安らかに寝ているのは初めてだった。

「おやすみ」

順平は囁くように告げると、自身も眠りについた。


*


3時間後、2人は自然と目が覚めた。温泉施設から出て、車で再び帰路の旅に戻る。北陸自動車道をひたすら北へ向かい、新潟県の朝日まほろばで一般道路へ。山形のあつみ温泉インターチェンジで日本海東北自動車道に乗り、北へ北へと進んでいく。秋田自動車道で秋田を通り過ぎれば、神奈川まで言った時の東北自動車道と合流。津軽フェリーターミナルに到着した。車を駐車場に止め、賢一が時間を確認する。

「今、20時36分だけど、今日はフェリーはやってる?」
「運行してるが、今日の室蘭行は、もうない。函館行きが22時25分に最終便が出る。到着は2時5分」
「夕飯どうしようか?」
「コンビニで適当に買ってもいいが、吐くなら軽くにしておいた方がいい」
「……酔い止め買おうかな」

2人は車から降りて、コンビニに向かった。賢一は酔い止めと飲み物、順平は飲み物と肉まんを買った。外に出ると吐く息が白く、風が凍るほど冷たい。

「寒いな」
「そうだね」

北海道から来たばかりの時は、この程度なら寒さを感じなかった。2週間近く離れただけなのに、とても寒く感じた。じゃあ、東京に出たらどうなってしまうのだろうかという不安もある。しかし、それは誰にも分からないことだった。

船に乗ってからは、特に問題はなかった。
賢一も酔い止めが効いたのだろう。いつものように、ニコニコと元気にしていた。一方で順平の心は、ゆらゆらと揺れている。賢一が心配そうに見ていた。

「もしかして酔った?」
「違う。なんか実感が湧かないだけだ」
「何が?」
「家に帰る感覚」

賢一は、家には戻らない方がいいから旅の続きのような状態かもしれない。でも、順平は家に帰るのだ。頭では理解しているが、体はふわふわと浮いている感覚だった。

「俺、勝手に出て行ってさ。楽しかったけど、多くの人に迷惑かけて、姉貴にはゴメンだけで許されるのか?」
「でも、お姉さんとは電話して、話したじゃん」
「そうだけどさ……」

上手く言葉にできない。順平が戸惑っていると、姉特製のサニデーマンが出てきた。

「サニデーマン ト イッショニ、カエロウヨ!」

賢一がニコリと笑い、サニデーマンの下手糞な声真似をして、動かしている。順平が手を差し出すと、サニデーマンを渡してくれた。ボロボロで、今にも解けそうな糸がいくつもあるが、愛着がある姿をしていた。

「そうだな。帰ろう」

フェリーが函館に到着するアナウンスが流れる。
ようやく北海道に戻ってきたのだ。