のこり5日、ロスタイムなし

順平は目が覚め、スマートフォンを確認する。あれから3時間ほど寝ていたらしい。やってしまったなと思いながら部屋を出ると、庄司が声をかけてきた。

「順平君、少しいいかな?」
「はい」

居間に案内されると、温かいお茶が出された。しかし、この家に来た時とは違って重い空気だった。庄司はため息をついた。

「申し訳ないが、今の君が鹿児島に行くのは厳しいと思う。だから親御さんの所にボクが送っていこうと思うのだけど、いいかな?」

順平は拳を握る。

「俺は、最後まで賢一との旅に同行したいです」
「気持ちはわかる。しかし、これ以上はケンの負担になりかねない。それこそ、運転中に同じことになったら、ケンだけじゃあどうにもならないだろう」

高校生だけの旅じゃなくとも、誰かと行く旅というのは互いに支え合えなければならない。賢一にその度量があれば良いが、まだ高校生だ。出来ることにも限りがある。庄司は、大きく息を吸い、出会った時から持っていた疑問をぶつけた。

「それと、もしかしてだけど順平君は19歳なんじゃないか?」

庄司には、全て分かっていたのだろう。順平は頭を少し下げ、目を閉じて答える。

「はい。元々は六条高校にいましたが、転学しました」

あぁ、ついに言ってしまった。庄司はため息をついて、やっぱりといった表情を見せた。

「理由を聞かせてもらっていい?」

順平は「はい」と小さく答えた。

「高校に入学した日、見知らぬ先輩に襲われました。服をはぎ取られ、人に言えないようなことをされて、顔を殴られて、腕の骨を折られて、最後には首を絞められていました」
「犯人はどうなった?」
「入学したてだったので、相手の顔もよく覚えておらず、ネクタイの色しか記憶にありませんでした。それだけでは不十分だと先生たちに言われて、分からずじまいです。ただ、目や視線や喋り方だけは今でもありありと思い出せるのです」

被害にあっても顔が思い出せず、犯人を特定することもできなかった。だから、次は出来るだけ相手のことを覚えようと近寄ってくる人を必死に覚えたのだ。庄司は何か考えていたが、「もういいか」と2枚の写真を差し出した。そのうちの一人の学生写真を指さした。

「もしかして、こいつじゃないか?」

金色の髪、獲物を見る目線、腕の太さ、あの時と同じネクタイの色。記憶にはないが、何故か体が震える。机に置かれた写真に触れてみた。

「これ、は?」
「『古馬優斗』、21歳。4年前に六条高校で数多くの下級生と教育実習生を強姦したことが発覚し、退学になった。逮捕されるはずだったんだが、途中で行方をくらましてな。今は、闇ルートで襲った時に撮影した写真や動画を売買している」

庄司は前のめりになり、写真をトントンと指先でたたく。

「ボクは、依頼主の要望でこいつを3か月追っている。まぁ、今は整形して、こっちの地味な顔になってるがな」

庄司はもう一枚の写真を指さす。写真には黒髪で眼鏡をかけた男性の横顔が映っていた。

「今日は松山空港に戻ってくるという情報をつかんでな。張り込みしてたんだが、どうも嫌な予感がして、別の職員と交代して、お前たちのいる道後温泉まで来たんだ。そして、交代の職員の話だと、奴も道後温泉方面を最後に消息を絶った。だから、君の勘は正しい」

あの嫌な感じは当たってたんだと思った。しかし、落ち着いて聞けるようになってあることに気が付いた。

「待ってください!古馬って、まさか古馬彰人の弟ですか?!」

庄司は分かっていたのだろう。何も言わずに、頷いた。

その時に全て理解した。
姉は、嘘をついていた。
嘘をつかざるを得なかった。

順平は、出ていった時の自分を殴りたくなった。

「俺を襲った男が、姉貴の元婚約者の弟だった」

姉は、弟を守るために嘘をついてくれていたのだ。


*


色々あって疲れた。眠りたい気持ちもある。でも、向き合わなくてはいけないこともある。
順平は賢一が眠っている部屋に、声もかけずに中に入った。薄暗い和室の中で、賢一が横向きに眠っていた。寝息を立てているが、いつものリズムとは違う。背中合わせに横になった。

「お前、聞いてただろ?」
「何も聞いてない」

嘘つけ。そう思いながらも話を続ける。

「じゃあ、言うけどさ。俺、実は19歳で、元々は別の高校にいたんだよ」
「どこの高校?」
「六条」
「うわっ。めっちゃ頭いいじゃん」
「偏差値だけなら、北斗星とそんなに変わらんぞ」

順平は仰向けになった。
「俺、先輩に襲われてさ。ぐちゃぐちゃにされて、首も絞められて、精神がぶっ壊れたんだ。もう治らないかもって言われた時、姉貴がこのぬいぐるみを作ってくれたんだ」

ポケットから取り出したのは、ボロボロのサニデーマンのぬいぐるみだ。

「日曜の朝は、サニデーマン劇場!サニー輝くサニデーマン。サニデー、サニデー、サニデー!」

順平は、人形を動かしながら日曜にやっていた人形劇の歌を口ずさむ。

「俺、3歳の頃から、サニデーマンが大好きで、小学校4年生になるまで姉と一緒にハロウィンでコスプレをしてたんだ。中学になってからは、人形劇も終わっちゃってさ。でも、たまに見ると元気をもらえるんだ」

他のコンテンツで寂しさや苦しさを埋めることはできた。でも、元気をくれたのはサニデーマンだけだった。

「それを覚えていた姉貴は、裁縫が苦手でも頑張って縫ってくれたのがこれだ。入院中の時は父と共に毎日見舞いに来てくれた。町役場勤めの母も週末には来てくれた。家に帰った時も、姉はサニデーマンを下手な芝居で元気づけてくれた」

姉の作ったサニデーマンをポケットにしまって、ゆっくりと深呼吸する。

「俺は、まだコイツと薬がないとまともに動けないほど精神が貧弱で、体はひ弱だし、風邪もひくし、お化けも怖い」

賢一の背中を見る。
大きくて頼りがいがある背中だが、どこか寂しさを感じる。
背中に触れてみると、布越しに温度と湿度と感触が指先から伝わった。

「でも、俺はお前と最後まで一緒にいたい」

最後の時、その背中が一人で震えているのだけは見たくない。
ただ、それだけだった。
すると賢一が寝返りを打って、こちらを向いた。

「それは、要望?」
「いいや。お願いだ」
ハハッと賢一は笑う。

「我がままだね」
「我がままだろう。なんせ俺は、デビル・ザ・タイフーンの弟なんだ。台風のように暴れる姉と、気ままで我がままな風の俺だ」

やんわりとした眠気と肌の熱気で、自分の言葉が曖昧になる。
顔が目が互いを映し出すほど近づき、鼻先が優しく触れ、唇が重なろうとした。
しかし賢一の唇は、順平の額に触れた。

「へ?」

予想外の行動に間抜けな声が出た。体を起こした順平は両手で額に触れて、視線が上を向いた時だった。賢一の顔が一気に近づいてきて、唇が一瞬だけ重なった。

「2回目、いただき」

賢一は、ばふんと布団にもぐる。
順平は驚きすぎてポカンと口を開け、そのまま布団に倒れた。


*


翌朝。賢一は、順平の家に電話をかけようとしている庄司を止めて質問した。

「そのショウ兄の目的の人は、今どこにいるか分かってるの?」
「分からないが、大手取引先はここだ。暫くすれば、また来る」

淡々と北海道に行く準備をしている庄司に、順平は前に出た。

「じゃあ、俺が探します」

自分ならば探し出せるかもしれないと提案をした。庄司は意外だったのか、目を丸くしていた。

「君は何を言っているのか分かっているのか?」
「分かってます。もしかすると、もう一度同じことを繰り返すかもしれません」

拳を握り、息を吸い込む。

「旅は終わるけれども、この件だけはケリをつけられるなら、そっちに掛けたいです!」

熱意のある宣言。しかし、庄司は冷めた目で見ていた。

「素人が巻き込まれたら、ボクは廃業だ。一人の人生を、君の欲望で終わりにされるのはごめんだ」

聞かなかったことにされそうになったが、賢一が庄司の肩をつかんで止めた。

「じゃあ、廃業になったら一緒にコウ兄とダイ兄の所に、動画撮影の手伝いで転がり込めばいいよ」
「お前なぁ!そもそも観光客が沢山いるし、奴はもういない可能性だってある。無駄足になるだけだぞ!」

確かに普通ならそうだろう。
でも確たる確信があった。

「多分、昨日の場所にいると思います」

ソーダを吐く寸前、人々の中で明らかに違う視線に気が付いた。
坂本と同じ獲物を見つけたような視線。その時、傍にいた男性が言った言葉がある。

「明日もここでお願いしますね」


*


3人は賢一の車で道後温泉へ向かい、吐いた場所に向かった。順平は顔がバレないように、庄司からフード付きのパーカーとつば付き帽子を借りて、顔を見えなくした。吐いた場所に着くと、吐瀉物は綺麗になっていた。

しかし、順平は吐きたくなる気持ちでいっぱいだった。
獲物を見つけた時の嫌な視線に足が震え、腸がこみ上げるような吐き気と叫びたくなるような恐怖が足元から湧き上がる。すると、左手を誰かに強く握られた。誰だと顔を上げると、賢一が優しい笑みを浮かべて手を握っていた。

「わん・つー、すりー・ふぉー。わん・つー、すりー・ふぉー」

賢一の声に合わせて、腕を振り、ステップを踏むように足を進める。幼子みたいに大手を振って歩いていて、少し恥ずかしくなった。でも、先ほどまでの震えや恐怖が薄れていた。もう怖くないかもと言いかけた時、背筋に嫌な視線を感じた。足が止まる。ゆっくりと振り返り、顔を見た。恐怖が戻ってきて、賢一の手を強く握る。

「あれです」

震えながら小さく指をさす。商店街の店先で明るく談笑している男性二人組がいた。古馬優斗であろう人物は、髪色が明るくなっていて、毛先を緩く遊ばせていた。目元はテープで二重になって、顔の輪郭はマスクで隠れている。しかし、目線が通り過ぎる人間を見て、獲物を吟味しているようだった。

庄司は目だけ動かして確認する。上から下まで見て、ようやく目的の人物だと分かった。

「嘘だろ。よく分かったな」

褒めているが、順平はちっとも嬉しくなかった。
庄司は取引の様子を見ながら、スマートフォンで撮影する。古馬は手ぶらであるが、上着の内ポケットからmicroSDカードを取り出して、客に渡した。客がポケットに入れた瞬間、庄司は手袋とサングラスをかけて、臨戦態勢に入った。

「あとは俺が処理するから、お前たちは、駐車場で待ってろよ」

庄司は速足で古馬の客に近づいて、わざとぶつかった。そして古馬の客のポケットからmicroSDカードを抜き取り、空のmicroSDカードと交換した。たった数か月で身に着けた技ではあるが鮮やかな手つきである。microSDカードを確認するとラベルが張られており、『夕暮れのF』と書かれていた。どういう意味なのかは当事者だけで分かることだろう。

「証拠を確保した。あとは上に報告して、その後は……って、あれ?」

待っていろと言った二人がいない。そう思った瞬間に賢一の車が動き出し、料金所から出ていった。車の窓が開いていて、助手席には順平が乗っていた。庄司は、すぐに何が起きたのか気が付いた。

「お前ら、ボクを騙したな?!」

叫ぶ庄司を横目に、賢一も叫ぶ。

「悪いね、ショウ兄。僕たち、2人で鹿児島行くから!」

車は走り出し、松山インターチェンジに向かう。その途中、庄司から電話がかかってきたので、賢一はカーナビの通話ボタンを押した。

「お前ら、自分が何してるのか分かってるのかぁ?!」
「分かってるよ!でも、この旅は何があっても最後まで走るから!」

電話口で、「あーもう!」と声が聞こえた。

「豊弘には伝えておくから、あとは好きにしろ!」
「うん。ショウ兄、ありがとうね!」
「何かあったらすぐ連絡しろよ!いいか、絶対だぞ!」
「分かった。頼りにするよ」

通話を切り、賢一は車を走らせる。このまま高速道路で三崎港に向かい、フェリーに乗って九州へ向かう。順平がスマートフォンで確認すると、フェリーは通常運行していた。賢一はいつものようにラジオをつけようとしたが、順平が待ったをかけた。

「俺も姉貴に電話していい?」
「いいけど。Bluetooth切らないと、スピーカーになっちゃうよ」
「いいよ」

順平が連絡を入れると、車内に呼び出し音が響いた。「もしもし」と旅に出て以来の姉の声が聞こえ、順平は言葉に詰まった。大きく息を吸い、最初に言う言葉を思い出す。

「姉貴、ごめん」

事情を知ったことの経緯を伝えると、姉貴は「そっか」とあっさりとした口調だったが、震えていた。椅子がきしむ音が聞こえ、息を吐いた音がした。

「私とあの人との間に起きたこと、今でも聞きたい?」
「聞きたい気持ちはあるけど、姉貴が無理だろ」
「うん、無理」

相変わらずハッキリとしてるなと順平は思った。本当は、庄司の依頼主なのかどうかは聞きたかったが、この様子だと聞けそうにもない。でも、庄司の喜んだ顔からして、依頼主なのだろう。また依頼内容は分からないが、古馬優斗に脅されることはもうない。怯えて暮らすことは、もうないのだと順平はミカンジュースを飲みながら窓の外を見ていた。すると、姉は「そういえば」と明るい声になった。

「保泉君って庄司くんの弟さんだったんだね」
「そうです。兄の庄司がお世話になりました」
「いえいえ。私は大したことしてないわよ。でも、ついさっき「結婚しましょう」って連絡着て、流石の私もびっくりしちゃったわ」

衝撃の事実に、順平はジュースを吹き出し、賢一はハンドルを誤りそうになった。賢一はすぐにハンドルを切って戻し、心を落ち着かせる。

「あ、えっと、ショウ兄、いや庄司には、「落ち着いてくれ」って伝えておきますね!」
「アハハ。面白いからいいけどね。それじゃあ、2人とも道中気を付けてね」

電話が切れた。お守りのことや神奈川の叔父の件や京都の話などすることがあったはずだが、衝撃的な話題ですべて吹き飛んだ。順平は、姉が結婚したら親族になるのかと賢一を見る。でも、それは自分の中では少し違うような気がした。