のこり5日、ロスタイムなし

小さなテーブルの上で、グツグツとすき焼きが土鍋で煮えている。しかも、ただの牛肉ではなく、あかね和牛という黒毛和牛だ。もし家だったら肉は家族で争奪戦だっただろうが、ここにはそういった事もない。さっと火の通ったあかね和牛を生卵にくぐらせ、口に入れる。

「旨すぎる……」

順平が震えながら感想を口にする。スッキリとした脂と赤身肉のうまみのバランスが絶妙で、ほろりと口の中で蕩ける。賢一は旨すぎて何も言わずに震えている。庄司は、ノンアルコールビールを飲みながら笑って見ていた。

「そりゃそうだ。ブランド牛だもんな。ケン、何グラム買った?」
「1㎏」
「お、おぅ。お前、容赦ないな」

庄司は財布は大丈夫かなと思ったが、美味しそうに食べる2人を見て仕方ないかと笑っていた。賢一はすき焼きを乗せた白飯を食べながら、庄司の発言を思い出した。

「そういえば、デビル・ザ・タイフーンって何?」
「おや、お前は知らないのか。順平君は知ってるか?」
「えぇ、まぁ、なんとなくは聞いています」

順平は姉の高校時代に行ったことを思い出す。しかし量が多すぎて何を言えばいいか悩んでいると、庄司は新たなノンアルコールビールを開けた。

「では話してあげよう、デビル・ザ・タイフーン伝説を!」

庄司が話した内容は、姉が高2の時に屋上から飛び降りようとした女子生徒を捕まえた話だった。当時、屋上で教師からのセクハラに悩んでいた女子生徒がいた。その生徒が屋上から飛び降りた時、姉は消火栓のロープを自分に括りつけて、女子生徒を空中でキャッチしたのだ。

幸い2人とも怪我はなく終わったが、無茶な行動をした姉は自宅謹慎を言い渡された。女子生徒は精神が弱っていることから休学となり、問題の教師はお咎めなしとなった。それを姉は許さなかった。自宅謹慎中に問題の教師のことを徹底的に調べ上げ、謹慎明けにマネーガンという玩具を持ち込んだ。そして、職員室に来て早々に、その引き金を引いた。

「マネーガンは、引き金を引くことでお金を勢いよく発射できる玩具なんだが、里美さんは金ではなく教師の悪行を印刷した紙を発射したんだ」

当の教師は風評被害だ何だと言っていたが、姉は被害者から事情を聴いて、写真や音声や動画まで用意していた。完膚なきまでに叩きのめしたと誰もが思ったが、教師は悪あがきとして文鎮で姉を殴った。しかし姉は立ち上がり、叫んだ。

「『私は台風だ!怒りの熱がある限り暴れる台風だ!お前を地獄の底まで追いかけて、その罪を償わせてやるからな!』と、額から血を流しながら叫ぶ彼女は、恐ろしくも美しかったよ」

確かに姉は、怒れば台風のように暴れる。ただし、それは他者が苦しんだり辛かったりした時だけだ。自分のことで怒る時はクッションを殴る程度で済むし、ドーナッツを出せば怒りすら忘れる。迷惑で人を振り回すこともすることもあるが、根は優しい人なのだ。

「彼女は、人を助けるためならば台風のように暴れる。ボクは、そんな彼女に憧れて、この仕事を選んだんだ」

まさか、そんな姉に憧れている人がいるとは思わなかった。なんだか気恥ずかしくなっていると、賢一が箸をおいた。

「じゃあ、家を出たのは、探偵をするため?」
「まぁ、色々あってな。長くなるから食べ終わった後に話そう」

庄司はすき焼きを食べ始める。「やっぱり旨い」と次々と食べていくが、賢一の進みは遅くなった。肉が少し残ったが、鍋の中は綺麗に食べ終わった。温かいお茶を飲み、一息ついた。

「ボクが家を出た主な理由は、ウシアレルギーになったからなんだよ」

賢一が「えっ?」と首を傾げた。

「でも牛肉食べてなかった?」
「肉は平気さ。ボクは、牛の唾液とか毛とかフケのアレルギーなんだよ」
「いつから?」
「高校1年の時かな。学校の牛舎に行ったら、毎回鼻水や蕁麻疹が出ていてな。ちょっと体調がよくない時に牛のブラッシングやったら、呼吸困難で救急車に運ばれたんだよ」

かなり危険な状態だったらしいが、処置が早くて助かったそうだ。

「親父は、『アレルギーなんて医者が勝手に言ってるだけだ』とか言っててさ。でも、死にかけたから学校側も受け入れられないってことで、北斗星高校に転入ってことになったわけだ」

賢一が、「じゃあ」と声に出す。

「なんですぐに出ていかなかったんだい?」
「ボクは、お前や兄たちと違って頭が悪いし、力もある方じゃないし、芸術の才覚もない。でも、観察することだけは長けていたからね」

順平は水を差していいのかと思いながらも、質問した。

「観察することって、何を見るのですか?」
「そうだな。たとえば、順平君の特徴だ。その目元は里美さんと同じ流線形をしているが、目の色は里美さんより暗め。しかしまつ毛の長さは里美さんよりも長い。髪質や髪色は非常に似ており、黒髪のストレートに見えるが朝に寝癖が付きやすい癖毛。体型は雌雄の関係で分かりずらいが、双方とも細身で、小指の長さは2人ともやや長い。足の長さは君が勝っているが、腕の長さは里美さんが勝っている。鼻立ちは、君はストレートで、里美さんはやや丸め、耳たぶの大きさは里美さんが大きい。君の肌色は里美さんと同じくブルベの冬だ。鮮やかな赤も青も着こなすことができるだろう」

まるで早口言葉のように姉との共通点を羅列され、順平は「キモい」と思った。庄司は、この程度なら朝飯前だといった表情をしていた。

「まぁ、こんな感じで作物の様子を見ていたわけだ。だから、畑仕事だけだったらやれていただろうさ」

お茶を飲んで一息つく。庄司の目が冷ややかになっていった。

「でも親父が家を継げ、酪農もやれってうるさくてさ。畑だけだったらって返したら、烈火のごとく怒ってさ。それで、いつか家出してやろうってなったわけだ」

庄司はため息をついた。

「そんな時、双子の兄たちが出ていくことを豊弘兄さんから聞かされてな。その時に「出るなら一緒に出ていった方がいい」と勧められ、そのまま出ていった。今までまともに給料なんて貰ってなかったから、豊弘兄さんから金を借りて、東京で探偵の仕事をしていたわけさ」
「じゃあ、どうして今は愛媛に?」
「仕事の関係でな。思った以上に、長丁場になってるんだよ」

困ったもんだと庄司は眉をひそめた。賢一は、「そうだ」と鞄から手帳を取り出した。

「じゃあ、この手帳は、ショウ兄が置いてくれたんだね」
「確かに1か月前に家にこっそりと置いていったのはボクだけど、用意したのは豊弘兄さんだ」
「えっ?」
「なんでも、お前への置き土産だとさ」

庄司の話によると、豊弘に「こっそり家に置いてきてほしい」と依頼されたそうだ。ついでに兄弟たちの連絡先を教えてもらい、お互いに連絡が取れる状態にしておいたそうだ。

「どうしてそんなことを?」
「ボクから言ってもいいが、それはどうやっても推測になる。ここまで来たのだから、本人に聞きに行った方がいい」

庄司は腕を組み、椅子に深々と座った。

「まぁ、そういうことだからボクは家を継げないし、継ぐ気もない。すまんな」
「いや、家を継ぐ継がないの話じゃなくて、僕は理由を聞きたかっただけなんだ」
「そうなのか? いや、まぁ、そりゃ急に消えたら知りたくもなるもんな」

理由を聞き終えたというのに、なんだかどんよりとした空気になった。耐えられなくなった順平は「最後に質問いいですか!」と手を上げた。

「なんでこんな廃墟に住んでるんですか?」
「それはね……金がないんだよ!」

賢一と順平は「えっ」と驚きの声を上げた。庄司は熱弁する。

「今回の案件が思った以上に長いし、豊弘兄さんに返済したり祝儀出したりしてるから、こんな廃墟みたいなボロアパートに住んでるんだよ!」
「もしかして、今月の食費がとんでもないことになったんですか?」
「そうだよ。ヤバイだってば!」

オイオイと庄司は泣き出し、賢一と順平は見合った。2人が財布を取り出そうとした時、庄司の鳴き声が止まった。振り返ると、庄司はニヤリと歯を出して笑っていた。

「なーんて、冗談だ。これでもボクは探偵としては優秀でそこそこ貰っているのさ。ここに住んでいる理由は、仕事で家に帰る機会があまりないから安いところにしているだけなんだ」

「ワハハ、騙されてやんの!」と笑う庄司に、順平は初対面ながら怒りを覚えた。横を見ると、流石の賢一も青筋が出ていた。順平はスマートフォンを取り出し、高級鉄板焼きを検索して、賢一に見せた。

「なぁ、ここにいる間の金を全部出してもらえるなら、この店のあかね和牛のステーキコースを2人で食べに行かないか?」
「そうだね。ついでに回らない寿司も食べに行きたいね」
「あ、待って!それは止めて!その店で賢一が腹いっぱいとか、破産するから!マジで!!」

庄司は謝り倒したが、2人の怒りは収まらず、翌日の夜は鉄板焼き屋のコース料理となったわけである。



*



眠りにつこうとしているのに、順平は眠れなかった。賢一も起きてるのかと思って声をかけたが、寝息を立てて寝ている。軽く小腹も空いたので水でも飲むかと台所に向かうと、庄司が眼鏡をかけてパソコンと睨めっこをしていた。邪魔してはいけないと思ったが、庄司が順平に気が付いた。

「どうした、眠れないのか?」
「なんだか目がさえちゃって」
「そうか。じゃあ、ボクの秘伝の睡眠方法を教えてあげよう」

庄司は冷蔵庫から牛乳を取り出し、2つのマグカップに注いで、電子レンジに入れた。2分ほど温めた牛乳に、瓶に入った蜂蜜をカレースプーン一杯だけ淹れてかき混ぜた。スプーンを入れたまま差し出された。

「はちみつミルクだ。熱いから、最初はスプーンで掬って飲んでくれ」

言われたとおりにスプーンを掬って、息を吹きかけてから飲み込む。ミルクとはちみつの甘さと温かさで、体の力が少し抜ける。すると、一口飲んだ庄司は微笑んだ。
「はちみるミルクは、幼い頃のケンによく作ってたんだよ」
「そうなんですか?」
「急に環境が変わった影響なのか、小さい頃のケンはなかなか寝なくてね。ボクの弟はケンだけだったし、年も近かったから、宏兄さんと一緒にどうにかして寝かしつけようと頑張ったものさ」

順平は、「血が繋がっていないのに」と言いかけて止めた。

「その、兄弟で仲間外れとか無かったんですか?」
「別にないよ。ケンと血が繋がってないことは早々に教えられてたから、フツーの兄弟って感じだった」

庄司は頬杖をついて、昔のことを思い出す。

「ただ、ここ数年は毎日お互いにお互いのことで手一杯って感じだったな。豊弘兄さんは色々仕事やってたし、宏兄さんは借金返済に奔走してたし、双子は面倒ごとに巻き込まれてたし、ボクはボクでウシアレルギーで命の危機なのに跡継ぎ候補になった!って感じ」

はちみつミルクを飲んだ庄司は、大きく息を吐いた。

「ケンに構ってあげられなくなったのは、今でも申し訳なく思うよ」

庄司の左目の緑色の瞳が揺れる。その目の色が、賢一によく似ていると順平はじっと見ていた。視線に気が付いた庄司は、眼鏡をはずして左目を指さした。

「ちなみに、ボクのこの左目の緑はじいちゃん譲りだ。このお陰で、ケンとの血縁関係がバレてないのだ」
「でも、賢一もおじいさんとは血縁関係ありますよね」
「同じ色してるからそうなんだろうけど、ケンの実の父親も緑だからややこしいったらあちゃしないよ」

アハハと順平は笑いが出た。しかし、あることに気が付いた。

「もしかして、庄司さんは、賢一の実の父親と会ったことがあるんですか?」

庄司の目が泳ぎ、「あー」と声を上げる。

「それ、今言わないとダメなやつ?」
「いえ、気になったもので」
「じゃあ今度にさせて。その時に2人に教えてあげる」

なんだか触れてはいけない場所に触れてしまったらしい。庄司が「そういえば」と話を変えた。

「順平君は、進路とか決まってるの?」
「はい。今度の春から東京の大学に」
「そうか」

庄司は噛み締めるように、何度も「そうか」と繰り返した。

「ボクは、ケンに『家業を、自分の代わりに継いでくれ』と言われるものかと思ったよ」
「え?」
「ほら、ケンって頭良かっただろ。テストの順位も次席ばっかりだったから、難関大学にでも行くだろうなとボクは思ったんだ。それなのに、跡継ぎになるとは思わないだろ」

確かに賢一は、高校の試験では2位を幾つも取っていた。運動も悪くなく、何をやっても出来る男だった。順平は、15位だったのに東京の大学に進学できることになったのに、2位をいくつも取っていた男は、農家の跡継ぎ。家の事情とはいえ、あんまりではないかと順平は薄っすらと思っていた。

しかし世の中には、どうにもできないことがある。この旅も、その答えにケリを付けるための旅でもある。だが、今の所は賢一が満足できるような返答はされていないと順平は思っていた。理由を聞くだけとは言うが、やはり誰かがやってくれるという期待を持っているのだろう。

次の豊弘で、この度は終わる。
満足のいく終わりにならないかもしれない。
その時、どんな顔をして、どんな答えを賢一にしてやればいいのだろうと順平は考えていた。

ふと、庄司は何か思い出したのか、唇に指をあてて考えていた。

「いや、でも、まさかな」
「どうしました?」
「なんでもない。ただの憶測だ。確証が持てたら、色々と話してあげるよ」

庄司は、この考えが間違っていればいいと思っていた。
しかし、探偵という職業の勘は見事に当たっていたのである。