のこり5日、ロスタイムなし

東京の大学に合格が決まった翌日の朝は、雪が降っていた。
寝起きの順平は、部屋の窓からぼんやりと窓の外を見ていた。雪は特別なものだと関東の友人たちは言っていたが、北海道に住む人からすれば、いつもの天気だ。欠伸をしながら1階に降りて居間に入ると、両親と姉が床に転がっていた。喉が渇いたので、冷蔵庫に入れておいたお茶を飲む。

「酷い光景だ」

ぽつりと呟くが誰も答えず、雪の降る音しか聞こえない。順平は、寝室から布団を持ってきて3人の上に掛けてあげた。自室に戻ろうと階段を2段上がった時だった。

「んがっ!」

大きな声にびっくりして固まる。居間に引き返すと、父親が目が覚めたのか体を起こして辺りを見回していたが、「みんな寝てるか」といびきをかいて再び寝てしまった。順平は安堵と呆れのため息をついて、居間を片付け始めた。

合格発表の日、東京で働いている姉の里美がわざわざ帰ってきた。「弟の合格発表をみんなで一緒に知りたいから!」と本人は言っていたが、実際は6年ほど付き合っていた男が、別の女性と結婚することになった傷心旅行とのことだった。

そして順平が合格したと分かった瞬間、両親は酒盛りを始めた。
合格祝いだと言っていたが、半分は娘の辛いことを紛らわそうとしたのだ。祖父に似て酒好きの姉は次々と飲み続け、両親も後に続いた結果が、この惨状である。年末年始に何度もこの光景を見ていて、いつの間にか自分が片付ける担当になっていたのは不服である。ごみを片付け終わり、朝ご飯を作っていた時だった。姉が起きて、残っていた酒を飲もうとするので軽く頭を叩いた。

「迎え酒するな」
「頭痛いのに頭を叩かないでよ」
「頭が痛いのに酒を飲むのか。なして、そこまで飲む?」
「酒が私を呼んでいるからだよ」

もう一度叩こうとしたが、薬缶の湯が沸いたので諦めて朝食作りに戻った。作るといっても
昨日の寿司を茶碗に入れて、昆布茶を注ぐだけの簡単な茶漬けである。ただし順平の場合は、ゴマと海苔と刻んだカイワレ大根を入れて豪華にしてある。
順平は、自分の分だった寿司茶漬けを渋々姉に出した。姉は順平への感謝の言葉もなく、いつも通りにサラサラと食べていく。

「あんた、また腕を上げたわね。これなら一人暮らしも問題ないわ」
「うるさい」

順平は冷蔵庫からアサリを取り出し、両親用の味噌汁を作り始めた。姉が「ねぇ」と声をかけてきた。

「おかわりか?」
「違うわよ」
「じゃあ、なにさ」

姉は、残っていた日本酒をぐい呑みに注いで一口飲んで、大きなため息をついた。

「あんたの高校生活も残り数か月ね」
「それが?」
「青春らしいことした?」

順平は姉に背を向けて、料理を進めていく。

「青春らしいことってなんだよ」
「部活とか、友達や同級生との生活とか……恋とか?」

ネギを切る手が止まり、振り返る。背を向けている姉は、窓の外を見ながら日本酒をチビチビと飲んでいた。

姉と元カレは、二人が高校2年の時に付き合い始めた。相手からの熱烈なアピールは大学に入ってからも続いて、卒業後は同棲して、同じ会社の同じ部署で働いていた。お互いの家族で食事会までして結婚式の日取りまで決めていたので、両親も順平も結婚は確実だと誰もが思っていた。それなのに、唐突な破談。順平がその話を聞いたのは、入試テストが終わった日の夜だった。受験生に余計なショックを与えないようにと両親と姉だけで内密に進め、順平が聞いた時には既に終わった話となっていた。

しかし姉の中では、まだ終わってないのだろう。でも声をかけても、姉は「大丈夫」と答えてしまう。だから順平は、何も言わずに普段通りに答えた。

「俺がそんなキラキラした生活を送っていると思うか?」
「いいや。でも、いつも部屋にこもってゲームばかりしているけど、成績はずっと良かったじゃん。意外と学生生活を楽しんでいたのかなぁと思ってさ」
「そんな訳ないだろ。成績は、父さんから東京の大学に行く条件として提示されてたからやっていただけで、それ以外は引きこもりのゲーム廃人だよ」
「勿体ない」

姉は立ち上がり、順平の隣に来た。手伝ってくれるのかと順平は期待したが、姉はレンジで温めたザンギを勝手につまみ、酒を飲む。「勝手に食べるな!」と順平が言おうとしたが、「星高OBからの忠告!」と姉は大声で言った。

「卒業するまでに、何か青春らしいことをしなさい!もし何か困ったら、お姉ちゃんが手伝ってあげるから!」

唐突な姉からの命令に順平は固まった。その隙を見て、姉は残ったザンギを皿ごと持って、日本酒瓶を小脇に抱えて自室に消えていった。まるで嵐のような姉である。


*


高校に合格の連絡を入れた後、手続きがあるとのことで順平は北斗星高校に向かった。順平の通う北斗星高校は、札幌の外れにある公立高校だ。校舎は大正時代の西洋風の建物で、5年前に文化財にも選ばれた。元々は有名な資産家の家で、周りに他の建物もない。雪原の中にぽつんと見えることから、『雪の城』とまで言われて一時期話題となった。しかし、3年前に最寄り駅の廃止が決定となり、生徒数の減少も相まって、来年から市内の高校へ吸収されることが決まった。順平は、その北斗星高校の最後の世代となったのである。

駅に着いた順平は、駅からの通学路を見てため息をついた。朝に先生たちが除雪してくれたであろう跡があるが、時間が経過してそれなりに積もっている。仕方なく手で掻き分けて進む。雪道を進んでいくと、疲れからかツルンと滑って尻もちをついた。誰かがいれば笑うだろうが、今は一人だ。笑うことも笑われることもない孤独に寂しさを感じた。
「あー!」と嫌になって空へ文句の声を上げた時だ。プップーとクラクションの音が鳴り、振り返ると軽トラが止まっていた。軽トラのパワーウィンドウを少し開けて、「おーい、福内くーん!」と順平の名字を呼ぶ。しかし雪でよく見えず、順平が車に近づくと、運転席から人が降りてきた。

「福内君!」

草臥れた学生服を着たカラッとした笑顔をしている男子生徒に驚いた。180センチ越えの男が、どしどしと歩いてくる。

「保泉か?」
「他に誰がいるんだよ」
「そうだが、よく俺だって分かったな」
「まぁね」

保泉賢一は、順平のクラスメイトである。名前順で前後していたので、何度か組まされたことがある。毎日話す仲というわけじゃないが、声をかけられれば世間話ぐらいはするぐらいの仲だ。栗毛色の髪と緑色の目をしているのは、スペイン人だった祖父の影響らしい。その血の影響なのかいつもニコニコしていて、明るいやつだなと順平は思っていた。賢一は、順平の肩を軽く小突いた。

「こんな雪の日にわざわざ学校に来るってことは、大学受かったんだね?」
「まぁな。春から東京の大学生だ」
「めでたい、めでたいねぇ!」

賢一が雪玉を作ってぶつけてきたので、順平も雪玉を作って応戦した。

「そういうお前はどうなんだ?」
「うちは、跡を継ぐから受験は関係なし。でも、家にいると内職手伝えってうるさいから逃げてきた」
「逃げていいのかよ」
「いいんだよ。言い訳ができるうちは、さ!」

賢一の渾身の玉が投げられるが、明後日の方向に飛んだ。「これでおしまい!さっさと行くよ!」と賢一は車に乗り込み、助手席に乗るように順平に声をかけた。

「ちょっと待て。なして車を運転してる?」
「夏に免許取って、誕生日迎えたから」
「そうじゃない。うちの学校、車で通学していいのか?」
「許可とればオッケーだって。それに、先生から『暇なら福内を迎えに行って来い』って頼まれた」
「成程。だから雪の中でも分かったのか」
「そういうこと。ほら、乗った乗った」

言われるがままに車に乗り込むと、賢一は何事もなく雪道を走る。
緊張など微塵もなく、ローカルラジオまで聞いて笑っている。『こいつ、家の農場で運転してたな』と順平は感づいたが、黙って助手席に座っていた。


*



合格通知や書類を提出すると、先生は感心していた。駅伝に常連している有名私立大学に現役合格した生徒は、7年ぶりだそうだ。

「うちが廃校にならなければ、来年のパンフレットに福内君の記事が載ったね」

担任は、お茶をすすりながら笑っていた。それから必要なものや提出するものや手続きなどを教えてもらい、次に来る日は来月の終わりごろと告げられた。それまでは好きに過ごしていいとのことだった。職員室から出ると、賢一が待っていた。

「終わった?」
「あぁ」
「この後の予定は?」
「家に帰ってゲーム三昧」
「成程。お昼は?」

順平が時計を見ると、昼食時だった。しかし、今日はお弁当を持ってきていない。しまったと声を上げる。

「今日は購買は、やってないよな?」
「年末に店じまい」
「近場に飯屋は?」
「市内の方に行く途中に、ラーメン屋」

順平は外の様子を見るが、雪はやみそうにない。

「お前の昼飯は?」
「無い。家まで送ってあげるから、昼飯代よろしく」

やられたと思ったが、既に時遅し。賢一の軽トラに乗って、地元のラーメン屋に向かった。賢一が言っていたラーメン屋『北龍』は、トタンのボロい店ではあるが、客がそれなりに入っていた。カウンター席に座り、順平は辛ネギ味噌ラーメンと餃子、賢一はバターコーン塩ラーメンと餃子と山盛りチャーハンとザンギを注文した。そんなに食えるのかと思ったが、賢一は「いただきます」と言って、注文したものをあっという間に食べきり、味噌チャーシュー麺を追加で注文した。

「人の金でよく食うなぁ!」
「食える時に食っとかないと持たないからさ」
「農家は、みんなそうなのか?」
「そうだと思う。あと、うちは農家じゃなくて、酪農家」

賢一は、ズルズルと麺を口いっぱいに頬張る。順平も麺をすすると、ある疑問が浮かんだ。

「そういえば、上の兄貴たちはどうした?」
「ん?」
「1年生の時に言ってただろ。5人の兄貴たちが家の後継ぐから、自分は北斗星高校に来たってさ」

1年生の時、レクリエーションとして近隣のホテルに泊まることになった。その時、賢一は同じ部屋だった。自分がどうして北斗星高校に来たのかという話題になり、賢一は「出来のいい兄貴たちがいるから、自分は大学に行ける」と笑っていたのだ。賢一は麺をずるずると啜る。

「半年前に、兄貴たちが突然やめるって出ていったんだよ」
「理由は?」
「知らない。全員の居場所は知ってるが、連絡が取れなくなってる」
「それでいいのかよ」
「親父もお袋も好きにさせろってさ」

賢一は、食べながら人ごとのように話していたので、順平は箸をおいた。

「なして疑問に思わない?」

口いっぱいに麺を入れた賢一は、ごくりと飲み込んだ。

「勿論、ある」
「それなのに諦めたんか?」
「諦めてるって誰が言った」
「したっけ、どうするつもりだ?」

賢一は、箸をおいた。

「兄貴たちに会いに行って、理由を聞いてくる」

カッコよく決めた賢一だが、順平は呆れていた。もっと早くに理由が判明して、兄たちが戻っていれば、賢一も大学に行くことが出来ただろうに。

「どうしてもっと早くに行かなかったんだよ。早くに行けば、大学受験に間に合っただろ」
「道内なら聞きに行けただろうが、鹿児島なんて簡単に行けないよ」

予想外の回答に、「か、鹿児島……」と順平は若干引いていた。賢一は指を折りながら説明する。

「神奈川、富山、京都、愛媛、鹿児島。これが5人の兄貴たちの行き先」
「神奈川と京都以外は、微妙に行きにくいな」
「だろ。だから親父の車を借りて行くつもり」
「いつから?」
「明日から」
「急だな」
「明日から叔母さん家族が手伝いにくるから、その隙にこっそりと出ていく」

両親に内緒の旅行ということらしい。順平は箸を取り、残していたチャーシューを口に入れた。

「男の一人旅か。大変だろうが、頑張ってくれよ」
「君も行くんだよ」

ぽちゃんと食べかけのチャーシューがラーメンスープの中に落ちる。食べ終わった賢一は、「ごちそうさま」と空になった皿をカウンターへ置いた。順平は、瞬きをして笑う。

「あはは、面白い冗談だ」
「冗談じゃない。今夜、午前11時に札幌駅集合で」

賢一の目が本気だったので、順平は顔を突き合わせた。

「聞いてないぞ」
「今言ったから」
「そうだとしても、どうして俺なんだよ」

賢一は、「うーん」と考え、答えが浮かぶ。

「僕のことを、よく覚えているから」
「なんだ、その理由?」
「この髪と目の色の理由、僕の家族構成、家のこと、入学理由……。そういう細かいところまで覚えてるってことは、それなりに僕のこと気に入ってるってことでしょ?」

ニコリと賢一は笑うが、順平は無反応だった。スープに落ちたチャーシューを食べて、気に入っているかどうかを考える。確かに名前の順が前後していて、話しかければ話す。しかし毎日話していたわけでも、グループで一緒になろうとしたこともない。じゃあ、どうして覚えているのかと言われると……

「どんな奴でも、相手の情報は覚えてるもんだろ」
「嫌な相手のことも覚えている?」
「自身が優位に立てる可能性があるからな」

順平も食べ終わり、空になった皿をカウンターへ置いた。賢一は肩をすくめた。

「まぁいいよ。嫌なら来なくていいからさ」

賢一は相変わらずニコニコとした笑顔をしていた。