ハーレムラブコメの主人公が最後に選んだのは友人キャラのオレだった。

文化祭は順調に進み、ファンシーに飾られた家庭科室の前には長蛇の列ができていた。

「お昼は、二年三組の冥土喫茶でいかがですか?」

白百合さんの呼びかけに合わせ、隣に立つオレも笑顔でビラを手渡す。

「わっ、メイドちゃん可愛い~!」
「メイドさんの接客、楽しみ……」

『冥土』という物騒な言葉に疑問を抱くこともなく、可愛らしい外観に誘われた客たちが次々と列へ並んでいく。

店内の様子が気になり、廊下側の窓から家庭科室を覗き込んだ。
男女二人組の客が足を踏み入れた瞬間、野太い声が響き渡る。

「「「へい、らっしゃい!」」」
「え、何これ……」

メイド目当てで来たらしい男子生徒は、予想外の歓迎に困惑していた。

「ソースの匂いする……」

メイド喫茶のはずなのに、店内では大きな鉄板の上で焼きそばが音を立てている。

昴が二本のヘラを軽やかに操ると、麺が宙を舞い、香ばしいソースの匂いが一気に広がった。
客たちの視線が、その手元へ集まる。

「メイドさんの接客は……? ケチャップでメッセージを書いてくれるサービスは……?」

男子生徒が恐る恐る尋ねる。
昴はニコリと笑い、返事の代わりに鉄板へソースで大きなハートを描いた。

「はい」
「え?」
「ハートです」

そう言い切り、片目を閉じる。

「トゥンク……」

男子生徒の口から、聞いたことのない効果音が漏れた。
隣の女子生徒も胸元を押さえている。

昴は二人を虜にしておきながら、描いたハートを一切ためらうことなく崩し、具材と麺へ混ぜ込んだ。

形は跡形もなく消えたが、代わりに鉄板の上には艶やかな焼きそばが完成している。

「お待たせしました」
「キャアアアッ!」
「アニキ、好きだっ!」

男女を問わず、客たちは昴の華麗なヘラさばきに魅了されていた。
歓声と悲鳴が店内から湧き上がる。

どう考えてもコンセプトはカオスだ。
それなのに、昴のおかげでとんでもなく盛り上がっている。

「大盛況ですわね」

同じように店内を覗いていた白百合さんが、話しかけてきた。

「そりゃ、あんなにかっこよかったらね」
「そうですわね。……でも、あまり嬉しくないのではなくて?」
「え?」
「てる君、ムスッとしていますよ。せっかくの可愛いお顔が台無しです」

昴のかっこよさが、他の人たちにまで知られてしまう。
嬉しいはずなのに、どうしようもなく苦しかった。

見事に図星を突かれ、白百合さんから視線を逸らす。

その時だった。

「聖ちゃん!」
「……ツグミ!」

人混みをかき分け、制服姿のツグミちゃんが現れた。
高い位置で結んだツインテールを揺らし、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。
緊張は隠せていない。
それでも、足取りに迷いはなかった。

ところが、オレの姿を見た途端、その歩みが止まる。

「……聖ちゃん、その可愛い子、誰……? 私より、その人の方が……」

ツグミちゃんはジトッとした目で、オレと白百合さんを交互に見つめた。
白百合さんが口元を押さえて笑う。

「あ、あの、久しぶり。ツグミちゃん」

声をかけると、ツグミちゃんはあんぐりと口を開けた。

「その声、てる君!? ……可愛すぎるでしょ!」
「そ、そう?」
「これは、お兄も家で饒舌になるわ……」
「え?」

何か呟いていたが、周囲の喧騒に紛れて聞き取れなかった。

「では、てる君。ここはお任せしてもよろしくて?」

白百合さんは片目を閉じ、ツグミちゃんの手を取る。

「いいけど……」
「てる君に一つ、アドバイスです」

真っ直ぐな瞳を向けられる。

「何もしなかった後悔より、行動した後悔の方がましですわ」
「白百合さん……」
「なので私、少しだけサボってきますわ!」
「ちょっと、聖ちゃん!」

白百合さんは笑顔でツグミちゃんの手を引き、人混みへ消えていった。

眩しい二人の背中を、オレは羨望の眼差しで見送った。

***

文化祭も終わりに近づき、長かった列がようやく落ち着いてきた頃。

「メイドさん! 写真を撮ってください!」
「はい~!」

あちこちからシャッター音が響く。
その中に、不意に低い声が混じった。

「君が……てる君?」

振り向くと、派手な柄のシャツを着た若い男が立っていた。

首元にはシルバーのネックレス。耳にはいくつものピアス。
来場者用のストラップを下げているから、一般客なのだろう。

それにしても、どうしてオレの名前を知っているんだ?

一歩下がると、男はオレを上から下まで眺め、納得したように口角を上げた。

「へぇ……なるほどね。確かに、めちゃくちゃ可愛いじゃん」
「……え?」
「これなら、あいつが必死になるのも分かるわ」
「あいつ?」

問いには答えず、男は距離を詰めてくる。

「キミなら俺、いけちゃうかも」

指先が顎へ触れ、そのまま顔を上げさせられる。

「驚いた顔も、マジで可愛い~!」

顔が近い。
身体が強張り、声が出なかった。

その時、横から伸びた大きな手が男の手首を掴み、オレから引き離した。

「ちょっと。俺の――」

聞き慣れた低い声だった。

昴は一瞬言葉を詰まらせる。
鋭い目で男を睨んだまま、言い直した。

「……俺が先にやろうと思ってたこと、取らないでもらえます? それと、瑛に勝手に触らないでください」

周囲の空気が凍りつく。

(俺の……!? 今、俺のって言った……!?)

続く言葉を聞けば、顎へ触れるシチュエーションのことだと分かる。
それでも、最初の『俺の』だけが頭の中で反響し、身体が一気に熱くなった。

そんなオレをよそに、二人は睨み合う。

「何、キミ」
「鉄板の勇者です」
「は?」
「一日中、鉄板の前にいたんで、腕には自信ありますよ」

昴は不敵に笑い、ヘラをくるりと回して、その場でピタリと止めた。

「俺のヘラさばき、舐めない方がいいですよ?」
「はいはい、こわ」

男は面白がるように笑っている。

「……てか、あんた、何やってるんですか」
「見て分かんねぇ? 可愛いメイドさんを口説いてんの」
「今すぐやめてください。怒られますよ、あの人に」
「それはまずいな」

二人のやり取りには、初対面とは思えない遠慮のなさがあった。
けれど、『俺の』という言葉に思考を奪われ、その違和感を深く考えられない。

昴がオレの手首を掴んだ。

「瑛、行こ」
「え、ちょっ……!」

そのまま手を引かれ、人混みの中を駆け出す。

「あ、ちょっと、待て!」

背後から聞こえる声には、どこか笑いが混じっていた。

男も追いかけようとしたらしいが、教師の鋭い声が重なる。

「そこの一般客の方! 廊下を走らないでください!」

オレたちは振り返ることなく走り続け、廊下の隅にある薄暗い掃除用具入れへ飛び込んだ。

昴が静かに扉を閉める。
背中を壁へ預け、二人で息を殺して外の音へ耳を澄ませた。

暗闇の中、昴の吐息だけがはっきりと聞こえる。
肩が触れ合うほど狭い。

しばらくして、昴が小声で呟いた。

「行った、かな」
「……うん」

安堵した、その瞬間。
すぐ目の前に昴の顔が迫った。

「どうしたの、瑛?」

指先が、オレの顎へ優しく添えられる。

先ほどの男にされたのと同じ行為。
それなのに、胸に芽生える感情は全く違った。

暗がりの中、至近距離にある瞳に捕らえられ、頭が真っ白になる。

「いや、今日の昴、めっちゃ、その……」

かっこいい。

そう続けたいのに、声にできない。
目を逸らそうにも、狭い空間には逃げ場がなかった。

「昴……」
「うん?」
「文化祭の伝説って、知ってる?」
「伝説?」
「好きな人と思い出の場所で過ごすと、結ばれるって」
「……へぇ」

オレの顎に触れた指先が、僅かに震えた。

心臓が暴れる。
喉が震える。

このまま言えばいい。
伝説のことも、後夜祭のことも、自分の想いも、全部。

――何もしなかった後悔より、行動した後悔の方がまし。

白百合さんの言葉を胸に、踏み出そうとする。

「今日の、後夜祭……」

昴が小さく息を呑んだ。

あと一言。
本心を、言葉にすればいい。

けれど、まだ選べなかった。

昴の恋を応援する『友人キャラ』でいたいのか。
昴に自分を選んでほしいのか。

「ごめん。やっぱり、大丈夫」

最後まで言えなかった。

膨らんでいた期待が萎んでいく。
その場に耐えられず、掃除用具入れの扉を勢いよく押し開けた。

逃げるように外へ飛び出す。

「あ、ちょっと! 瑛!」

背後から昴の困惑した声が聞こえた。
それでも、振り返れなかった。

***

家庭科室へ戻ると、文化祭の終了に向けて片付けの準備を始める翔馬の姿があった。

「わっ、瑛!? そんなに顔を真っ赤にして、どうしたの!?」
「翔馬……オレ、ヤバいかも」
「え?」
「助けて」

胸の中で渦巻く想いを一人では抱え切れず、オレは友人へ縋るように呟いた。