ハーレムラブコメの主人公が最後に選んだのは友人キャラのオレだった。

体育祭が終了し、教室へ戻ってきたオレは、クラスメイトたちに一斉に囲まれた。
逆転によるクラス優勝の余韻と熱気が、一気に押し寄せてくる。

「最高だった!」
「超アツかったよ!」

そんな温かい言葉と笑顔を向けられ、オレの顔にも自然と笑みが浮かぶ。

でも、そんな幸せな状況の中でも、オレの視線は、今、一番話したい人を探すためだけに動いていた。

彼を見つけた時、昴は自分の役目はもう終わったとでも言うように、少し離れた場所からオレを囲む輪を見守っていた。
ふと視線を落とすと、そのまま静かに教室を出ていこうとする。

オレは迷わず、彼の背中を追った。

廊下に出ると、窓から眩しい西日が差し込んでいた。
床へ伸びた昴の長い影を辿っていく。

その影が消えたのは、屋上へ続く階段だった。
暗く埃っぽいそこには、窓からの光もほとんど届かない。

昴は階段を上り、外へとつながる古びた扉にもたれかかった。

「昴」
「瑛……」

オレが呼びかけると、昴は口角をほんの少しだけ上げ、力の抜けた笑みを浮かべた。
オレは階段を駆け上がり、昴の隣へ並ぶ。

同じように扉へ背中を預けると、その先を考えるよりも早く、一番伝えたかった言葉が口から飛び出した。

「ごめん。オレがMVP、取っちゃって、その……」
「っ!」

閉会式で大会MVPに選ばれたのは、オレだった。

昴に捧げたかったものなのに。
昴があれだけ練習して、どうしても欲しいと願っていたものなのに。
最後には、オレが奪ってしまった。

続く言葉を探していると、コツン、と昴の頭がオレの肩に乗った。

「あのリレーを見たら、満場一致で瑛でしょ。俺が審査員でも絶対、瑛を選ぶよ。……はぁ、マジで。なんであんなにかっこいいの」

昴が溢れ出す感情を詰め込んだ声で言うものだから、オレもすかさず言い返す。

「いや、かっこいいのは昴だよ」
「え?」
「周りに何を言われても、どんなに苦しくても、立ち上がろうとしてた。やっぱり昴は、オレの憧れなんだ」
「憧れ? 俺が?」
「うん。ラブコメの主人公みたいで」
「……それ、褒め言葉?」
「当たり前じゃん」

オレの真剣な言葉に、昴は照れくさそうに笑った。

昴が今こうして笑ってくれているなら、それでいいのかもしれない。

「あ、このMVP特権は昴のものでもあるから、やりたいことがあったら何でも言って!」
「いや、大丈夫。もう、特権に頼らなくてもいいかなって」
「そう、なの?」
「うん」

その声は清々しく、何か覚悟を決めたように聞こえた。
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。

オレは手に持っていた、昴のハチマキへ視線を落とした。
オレに勇気をくれた、赤く長い布。
それを、もう一度強く握りしめる。

「気付いた本心を本音にして、伝える。昴の言ったとおりだった」

そう口にすると、一つの決意が胸の中で固まった。
オレは深く息を吸う。

「なぁ、昴」
「ん?」
「このハチマキ、もうちょっと借りていい?」
「え、いいけど。どうしたの?」

不思議そうに首を傾げる昴へ、オレは引きつった笑顔を向ける。

「主人公パワーをもらっておこうと思って」

突飛な発言に戸惑っている様子だったが、昴は何も聞かずに頷いてくれた。

「……ちょっと、このまま隣にいて」
「……うん」

肩に乗せられた頭へ、猫のように頬を擦り寄せる。
サラサラした黒髪が触れ、それだけで妙に心が落ち着いた。

震える手でポケットからスマホを取り出し、ロック画面を解除する。

「瑛?」

オレの息が荒くなっていることに気付いたのか、昴は肩から顔を離し、オレの瞳を覗き込んだ。

「あ、いや、えーっと……翔馬に本音を伝えられた時、思ったんだ。オレ、両親に本音を伝えたこと、なかったなって」
「……そうだったんだ」
「だから、今から言ってみようかなって」
「さすがの行動力だね。やっぱり瑛はすごいや」

昴の言葉が、オレを優しく包み込んでくれる。
けれど、手の震えは止まらなかった。

「……ねぇ、瑛」
「ん?」

昴が不意にオレの手を握った。
昴のハチマキを握りしめていた手。
薄い布越しに、彼の体温が伝わってくる。

「大丈夫。瑛は一人じゃない」

その一言で、不思議と胸の奥がすとんと軽くなった。

昴はいつだって、オレが欲しかった言葉をくれる。

震えが完全に収まったわけではない。
それでも、連絡先から母の名前を探し、ゆっくりと通話ボタンを押した。

仕事中だということも、迷惑かもしれないことも分かっている。
でも、今言わなければ、一生言えないような気がした。

『もしもし、瑛? どうしたの?』

母さんの驚いた声が聞こえ、息が詰まりそうになる。

「……ねぇ、母さん」
『ん?』

言いたかったはずの言葉が出てこない。
頭の中が真っ白になる。

その時、オレの手を握る力が少しだけ強くなった。
勇気を与えてくれているようで。
昴の強さを分けてもらっているようで。

オレは大きく息を吸い、小さな声で言った。

「今度、三人でご飯、食べたい……」
『あら……もちろんよ。お父さんにも予定を聞いてみるわね』
「ありがとう」
『瑛から連絡してくれるなんて珍しいわね。それに、私たちに何かしてほしいって言ってくれたの、初めてじゃない? てっきり、瑛は私たちのことを——』
「そんなことない!」

母さんの言葉を、反射的に遮っていた。

「そんなこと、ないんだ。オレ、二人ともっと話したくて……ずっと、寂しくて!」

胸の奥に押し込めていた言葉が、堰を切ったようにこぼれ出す。
声が震え、目頭が熱くなった。

電話の向こうで、母さんが息を呑む音がした。

『……そうだったのね』
「……うん」
『お母さん、瑛は一人でも平気なんだって、勝手に思ってた。何も言わなくても大丈夫な子なんだって……瑛に甘えていたのね』
「母さん……」
『ごめんね。今度会った時に、たくさん聞かせて。瑛のこと』
「……うん」
『お父さんにも、ちゃんと伝えるから。また連絡するわね』
「分かった。ありがとう」

それ以上は何を話せばいいのか分からず、そこで通話を終えた。
スマホから、通話が切れたことを告げる無機質な音が鳴る。

耳元からスマホを離す。

「……ああ。こんな簡単なことだったんだ」

そう思った瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。

「大丈夫。見てないから」

昴は優しい声でそう言い、オレの頭を撫でてくれる。
大きくて、温かい手だった。

古びた扉の隙間から、眩しいほどのオレンジ色の光が差し込む。
夕日が昴の輪郭を柔らかく照らし、暗闇だったはずの階段を少しずつ明るくしていく。
オレの頬を伝う涙まで、その光を反射してしまった。

「見てんじゃん」
「見てないよ」
「瑛も俺の泣き顔を見たんだから、お互い様」
「……見てないし」
「本当かな~」

悪戯っぽく笑う昴を見て、急に恥ずかしくなり、オレは顔を逸らした。

オレはずっと、主人公が好きだった。

一人でも逞しく生きる主人公が好きだった。
どんなに格好悪くても、がむしゃらに頑張る主人公が好きだった。
誰かのために、外野の言葉なんて気にせず、ひたむきに走り続ける主人公が好きだった。

オレは、そんな主人公に昴を重ねていた。

でも、昴は一人で強いだけじゃない。
一人でいることが怖かったオレに、「一人じゃない」と教えてくれた。

もう、誤魔化せない。
気付いてしまった。

好きだなぁ。

オレ、昴のことが好きなんじゃん。

「なぁ、昴」
「ん?」
「………………何でもないよ」

喉まで出かかった言葉は、口に出す前に立ち消えた。

オレは、『友人キャラ』になりたかった。

昴が主人公として、ヒロインたちの誰かと結ばれて。
幸せになる姿を、誰よりも近くで見届けたかった。
その背中を押して、応援したかった。

その気持ちは嘘じゃない。
今だって、きっと本心だ。

でも、昴が好きだ。
この気持ちだって、紛れもなくオレの本心だった。

なぁ、昴。

オレが思うことの全てが本心だと言うのなら、矛盾するこの二つを、どうやって言葉にすればいい?

一つを本音として口にしたら、もう一つが否定されてしまいそうで。

それが、怖いよ。

だからオレは、そのどちらも言葉にできないまま、昴の隣に立ち尽くしていた。