ハーレムラブコメの主人公が最後に選んだのは友人キャラのオレだった。

――――アイツ、マジで主人公じゃね?
そう思った瞬間、目の前が真っ白になった。
アイツ――酒神 昴(さかがみ すばる)と出会ったのは、小学一年の時だった。
昴はオレとは正反対で、教室ではいつも本を読んでいる真面目なヤツだった。
初めて話したのは、入学から三か月ほど経った頃。
席替えで隣になり、偶然テストの答案が見えた。
真面目そうな見た目に反して算数の成績がめちゃくちゃ悪く、思わず「マジか」と口にしたのがきっかけだ。
あの時向けられた、ナイフのような視線は今でも忘れられない。間違いなく、第一印象は最悪だっただろう。

二年になるとクラスが分かれ、廊下で会えば挨拶する程度になった。

四年で再び同じクラスになり、少しずつ話すようになる。
朝の読書時間、本を忘れたオレに、昴が一冊のライトノベルを貸してくれた。
それが、今ではバイブルとなった『美少女に取り合われているこの状況を誰か説明してくれ!』――通称『とりセツ』だ。

大嫌いだった読書の時間が、この本のおかげで好きになった。その内容は、王道展開を詰め込んだ学園ハーレムラブコメだった。
目立たず平穏に暮らしていた主人公が、下校中、空から落ちてきた美少女を偶然抱き留める。
それをきっかけに人生が動き始め、廃部寸前の美術部で出会ったヒロインたちと親交を深めていく物語だ。
ヒロインたちも魅力的だった。けれど、オレが最も惹かれたのは主人公だった。
普段は長い前髪で目元を隠し、教室の隅で息を潜めている。
それなのに、ヒロインが窮地に陥れば誰よりも早く駆けつけ、颯爽と救い出す。

そのギャップが、たまらなくかっこいい。

前髪を上げて整えれば、実はとんでもないイケメンという設定まで押さえている。
彼らの恋がどう動くのか。最後に主人公は誰を選ぶのか。
それが気になって、オレは物語に夢中になった。

……そうだ。

今の状況は、『とりセツ』の冒頭に似ている。
何度も読み返した作品だから、すぐに気づいてしまった。

***

「おーい、瑛! さっきからずっとぼーっとしてるよ~」
「ごめん!」

同じサッカー部の翔馬に肩を叩かれ、我に返る。
ユニフォームに着替え、グラウンドを走り、ボールを蹴る。
それでも、頭の中を占領するのは昴だった。

ごく普通の男子高校生だった彼が、一瞬にして物語の『主人公』に見えた。
その姿は部活中も、帰宅中も、夕食中も、宿題中も、ベッドへ入ってからも離れなかった。

おかげで一睡もできないまま、朝五時半のアラームが鳴る。

音を止め、ふらつく足で洗面台へ向かう。
鏡には、充血した目と乾燥した肌が映っていた。

ひどい顔を見ても、考えるのは昨日のことだ。

「これで、あの子が今日転校してきたりしたら、もうヤバい」

『とりセツ』にハマって以来、数々の学園ハーレム作品を見てきた。
お決まりの展開だと笑ってきたが、現実で遭遇するとは思わなかった。

「いや、ないだろ。四月の中旬に転校生なんて、ないない」

自分へ言い聞かせ、冷たい水で顔を洗い、急いで家を出た。

***

朝練を終え、職員室へ部室の鍵を返す。
クラスの鍵は、すでに誰かが持ち出していた。
こんなに早い時間に、誰だろう。
教室の扉を開けると、窓際の一番後ろの席に、机へ突っ伏す男子生徒がいた。
物音に身体を跳ねさせ、ゆっくり上半身を起こす。
頬杖をつくと長い前髪が揺れ、隠れていた瞳が覗いた。
気怠げだった表情が一変し、目を細めてはにかむ。
昨晩からの妄想も相まって、思わず見蕩れた。

(めちゃくちゃ整った顔してんのに、なんで隠すんだろ。……というか、これも主人公っぽいじゃねぇか!)

膨らむ妄想を止めようと、昴の笑顔だけを考える。
綺麗。その一言で頭を満たせば、余計なことを考えずに済む。我ながら名案だ。

「おはよう、瑛」

立ち尽くすオレへ、昴が優しく声をかけた。窓から春風が吹き込み、白いカーテンがひらひらと揺れる。

(クッソ、めちゃくちゃ絵になる……! もう主人公に決まりだろ!)

溢れ出す妄想に押し流され、名案は一瞬で使い物にならなくなった。

「……あ、あぁ。おはよう、昴」

平静を装い、昴の席へ向かう。

「朝練、お疲れ様」

昴は鞄を探り、青い風呂敷に包まれた小箱を差し出した。

「これ、朝ご飯」
「毎日ありがとな、昴!」
「別に。妹のついでだから、気にしないで」

今年の四月、昴の一つ下の妹・ツグミちゃんが高校へ入学した。その弁当を作る《ついで》に、オレの朝食も用意してくれている。

朝練前に自分で準備するのは厳しいため、オレには神のような提案だった。しかも、昴の弁当は絶品だ。誰もいない教室で、ラブコメを語りながら朝食を取る。
それが日課になって、三週間が経っていた。

以前は、顔を合わせれば話す程度だった。その関係が、少しずつ変わり始めている。

(友人キャラくらいには、なれるのかな?)

昴の机へ弁当を置き、前の席の椅子へ跨って座る。今日は何が入っているのだろう。期待しながら風呂敷を解こうとした時、昴が声を上げた。

「あ、それと」

ポケットから取り出したのは、古びたタグのついた鍵だった。

「何の鍵?」
「屋上」
「マジで?」

『屋上』と書かれたタグを見せ、昴が微笑む。
屋上。学園ラブコメにおける聖地だ。
一度は行ってみたかったが、安全上の理由から閉鎖されている。所詮は、物語の中だけの夢だと思っていた。

「瑛、憧れだって言ってたでしょ?」

以前話したことを覚えていたらしい。

「確かに言ったけど、ずっと閉鎖されてたじゃん。どうやって……」
「美術部で、背景のスケッチに使いたいって頼んだ。人のいない朝ならいいって」
「すげぇ……美術部すげぇ!」
「美術部でよかったと初めて思った。部員が少なすぎて廃部寸前だけど」
(それすら王道展開っぽい!)

オレがさらに主人公性を感じているとは知らず、昴は立ち上がった。

「じゃあ、それは屋上で食べよっか」
「ああ!」

夢だった『屋上での弁当』が現実になる。オレは胸を躍らせ、昴のあとについていった。